2023年03月22日
お終活(おしゅうかつ) 邦画
お終活(おしゅうかつ) 邦画 2021年公開 動画配信サービス 1時間53分
テレビ番組『徹子の部屋』のゲストで橋爪功さん(はしづめ・いさおさん)をお見かけして、橋爪さんの映画を観たくなりました。
映画の中の設定としては、七十代半ばのご夫婦だと思います。橋爪功さんと高畑淳子さんのご夫婦設定です。既婚こどもありの長男と未婚の長女がいます。
スポンサーが葬儀社のためか、前半からなかばぐらいまでは、葬儀社の研修ビデオを見ているようですが、それでもかまいません。
自分も歳をとって、いくつかの葬儀を取り仕切る体験をしてきて、葬儀をする人の気持ちを共感できる世代になりました。
映画では、定年退職後ずっと家にいる夫と、そんな夫をうっとうしいと思う妻です。
ケンカをしているうちはまだ『華(はな)』があります。
いずれは、どちらも体を壊します。ケンカもできなくなります。だれにでも『死』は訪れます。
この映画でも高畑淳子さんが、後半になると、脳梗塞で気を失って倒れます。
もうひとつ思うのは、片方が家から出かける前に感情的なケンカをするのは、できるだけ避けたほうがいい。
もしかしたら、それが永遠の別れになる可能性もあります。遺された(のこされた)ほうは、ケンカ別れが、この世での、相手との最後の別れになってしまったことを、かなり後悔して悩みます。怒れて(おこれて)いてもがまんして、相手を笑顔で送り出しましょう。
葬儀に関していえば、映画の中でも紹介がありますが、あらかじめ元気な時に葬儀社を決めておいて会員になるなりして、その時のための準備をしておいたほうが、あわてなくてすみます。
自宅で、ほかにだれもいない状態で亡くなれば、警察が来て、遺体を警察署へ運んで行って、検視が行われます。検視後、警察から遺体の引き取りを求められます。金額は忘れましたが、遺体を引き取る時に、警察署で、死体検案書の費用を支払った体験が自分にはあります。
病院でも死亡後、遺体の引き取りを求められます。利用する葬儀社が決まっていないとかなりオロオロします。なにせ、遺体を自分の車に乗せて家まで運ぶのはかなり無理があります。
映像で葬儀のシーンを見ながらそんなことを思い出しました。
あと、思い出したのは『遺影』にするための写真の選択です。事前に用意してあれば、あわてませんが、なにもないところから遺影に適した写真を探し出そうとすると、けっこうたいへんです。
途中、登場人物の女性が『(老いた夫婦は)愛しているかどうかより「必要」かどうかが大事』と発言します。反対意見になってしまいますが「愛情」は大事だと思います。ともに苦労した思い出があれば愛情は湧きます。映画では、後半の金婚式シーンにつながっていきます。
途中、大和田伸也さん演じる大学の先生らしき人からの高齢者夫婦が日常生活をうまくやっていくために夫が発言すべき名セリフの伝授話(でんじゅばなし)と、その後のショートコントがおもしろかった。
夫は妻に『そうなんだ』『わかるわかる』『たいへんだったねーぇ』この三語で声かけをすれば、夫婦関係は円満にいくというのです。(映画では笑いをとるためにうまくはいきませんが……)
葬儀屋さんに向かって「人の不幸で食っている」と言うのは禁句です。そんなことを言ったら医者や看護師、福祉職も同じような職種に見えます。
どんな仕事でも『世のため人のため』になっているのです。
生きているうちに親せきを集めて、感謝の会をしたいという気持ちはわかります。
昔はそういう雰囲気がありましたが、今どきは、人と人との距離が遠くなりました。
以前読んだ癌の余命宣告を受けたときのことの本を数冊思い出しました。
後記する本のうちの最初の本では、がん患者が死ぬことが決定しています。
事例のひとつとして、入院先の病院から、いったん自宅に戻って治療して、その間に、親族と十分話をします。
これまでの感謝と、時には謝罪もあるでしょう。そして、自分が死んだあとの手続きほかを親族に教えたり、互いに話し合ったりして、死後に行うあれやこれやの事柄を、いちおう、その場で決めておきます。
本人の死期が近づいてきたら、本人は再び病院に入院して、その時を待ちます。そして、お別れです。
そのような時間の過ごし方が、本人にも、遺る(のこる)家族にも負担をかけないというような内容でした。
看護や介護をするほうもされるほうも、負担が重くて精神的にも体力的にも、耐えきれそうにないということはあります。
『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』
『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』
『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記 遠藤和(えんどう・のどか) 小学館』
『112日間のママ 清水健 小学館』
音楽バンドである「チューリップ」の歌がきれいでした。コーラスも良かった。
歌を聴(き)きながら、1分1分過ぎるごとに、死が近づいていることを体感する年齢です。
若い頃に聴いた曲を老いてから再び聴く。
映画の中のご夫婦は、昭和46年(1971年)のご結婚でした。
映画の中の世界は理想の世界です。現実とは違います。
仮想空間と割り切って観ています。
感動することを楽しみます。
テレビ番組『徹子の部屋』のゲストで橋爪功さん(はしづめ・いさおさん)をお見かけして、橋爪さんの映画を観たくなりました。
映画の中の設定としては、七十代半ばのご夫婦だと思います。橋爪功さんと高畑淳子さんのご夫婦設定です。既婚こどもありの長男と未婚の長女がいます。
スポンサーが葬儀社のためか、前半からなかばぐらいまでは、葬儀社の研修ビデオを見ているようですが、それでもかまいません。
自分も歳をとって、いくつかの葬儀を取り仕切る体験をしてきて、葬儀をする人の気持ちを共感できる世代になりました。
映画では、定年退職後ずっと家にいる夫と、そんな夫をうっとうしいと思う妻です。
ケンカをしているうちはまだ『華(はな)』があります。
いずれは、どちらも体を壊します。ケンカもできなくなります。だれにでも『死』は訪れます。
この映画でも高畑淳子さんが、後半になると、脳梗塞で気を失って倒れます。
もうひとつ思うのは、片方が家から出かける前に感情的なケンカをするのは、できるだけ避けたほうがいい。
もしかしたら、それが永遠の別れになる可能性もあります。遺された(のこされた)ほうは、ケンカ別れが、この世での、相手との最後の別れになってしまったことを、かなり後悔して悩みます。怒れて(おこれて)いてもがまんして、相手を笑顔で送り出しましょう。
葬儀に関していえば、映画の中でも紹介がありますが、あらかじめ元気な時に葬儀社を決めておいて会員になるなりして、その時のための準備をしておいたほうが、あわてなくてすみます。
自宅で、ほかにだれもいない状態で亡くなれば、警察が来て、遺体を警察署へ運んで行って、検視が行われます。検視後、警察から遺体の引き取りを求められます。金額は忘れましたが、遺体を引き取る時に、警察署で、死体検案書の費用を支払った体験が自分にはあります。
病院でも死亡後、遺体の引き取りを求められます。利用する葬儀社が決まっていないとかなりオロオロします。なにせ、遺体を自分の車に乗せて家まで運ぶのはかなり無理があります。
映像で葬儀のシーンを見ながらそんなことを思い出しました。
あと、思い出したのは『遺影』にするための写真の選択です。事前に用意してあれば、あわてませんが、なにもないところから遺影に適した写真を探し出そうとすると、けっこうたいへんです。
途中、登場人物の女性が『(老いた夫婦は)愛しているかどうかより「必要」かどうかが大事』と発言します。反対意見になってしまいますが「愛情」は大事だと思います。ともに苦労した思い出があれば愛情は湧きます。映画では、後半の金婚式シーンにつながっていきます。
途中、大和田伸也さん演じる大学の先生らしき人からの高齢者夫婦が日常生活をうまくやっていくために夫が発言すべき名セリフの伝授話(でんじゅばなし)と、その後のショートコントがおもしろかった。
夫は妻に『そうなんだ』『わかるわかる』『たいへんだったねーぇ』この三語で声かけをすれば、夫婦関係は円満にいくというのです。(映画では笑いをとるためにうまくはいきませんが……)
葬儀屋さんに向かって「人の不幸で食っている」と言うのは禁句です。そんなことを言ったら医者や看護師、福祉職も同じような職種に見えます。
どんな仕事でも『世のため人のため』になっているのです。
生きているうちに親せきを集めて、感謝の会をしたいという気持ちはわかります。
昔はそういう雰囲気がありましたが、今どきは、人と人との距離が遠くなりました。
以前読んだ癌の余命宣告を受けたときのことの本を数冊思い出しました。
後記する本のうちの最初の本では、がん患者が死ぬことが決定しています。
事例のひとつとして、入院先の病院から、いったん自宅に戻って治療して、その間に、親族と十分話をします。
これまでの感謝と、時には謝罪もあるでしょう。そして、自分が死んだあとの手続きほかを親族に教えたり、互いに話し合ったりして、死後に行うあれやこれやの事柄を、いちおう、その場で決めておきます。
本人の死期が近づいてきたら、本人は再び病院に入院して、その時を待ちます。そして、お別れです。
そのような時間の過ごし方が、本人にも、遺る(のこる)家族にも負担をかけないというような内容でした。
看護や介護をするほうもされるほうも、負担が重くて精神的にも体力的にも、耐えきれそうにないということはあります。
『がん患者の語りを聴くということ 病棟での心理療法の実践から L・ゴールディ/J・デマレ編 平井正三/鈴木誠 監訳 誠信書房』
『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』
『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記 遠藤和(えんどう・のどか) 小学館』
『112日間のママ 清水健 小学館』
音楽バンドである「チューリップ」の歌がきれいでした。コーラスも良かった。
歌を聴(き)きながら、1分1分過ぎるごとに、死が近づいていることを体感する年齢です。
若い頃に聴いた曲を老いてから再び聴く。
映画の中のご夫婦は、昭和46年(1971年)のご結婚でした。
映画の中の世界は理想の世界です。現実とは違います。
仮想空間と割り切って観ています。
感動することを楽しみます。
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