2023年02月26日
大分別府へ行く 2023年1月からプランづくり
大分別府へ行く 2023年1月からプランづくり
(以下の文章は1月につくりました)
2月に用事があって夫婦で福岡県内の親族宅を訪れるのに合わせて、前日に別府温泉へ行くことにしました。
自分は、とても若かった大昔に、別府駅へは行ったことがありますが市街地は知りません。
高校一年生15歳だった夏に、クラブ活動で、大分・熊本に広がるくじゅう連山(くじゅうれんざん)に登って数日間キャンプをしたあとの帰路、別府駅で電車の乗り換え時間待ちをしました。
上級生からまずは自分たちが市街地にある温泉に入ってくるので、下級生はリュックサックなどの荷物番を駅構内でするようにと指示されて、ずっと待合室で先輩たちの入浴帰りを待っていただけです。
帰って来た先輩たちにフロに行って来ていいと勧められたのですが、当時の自分は、ものぐさ(めんどうがる人)だったので、いいですと断った記憶があります。行けばよかった。
歳(とし)をとってしまったけれど、今度こそ別府市内で温泉に入ってやろうという意気込みです。
名古屋駅から新幹線で小倉駅(北九州市内こくら駅)まで行き、同駅からJR特急ソニック大分行きで、別府駅まで行きます。(行ってみてからの追記として:小倉駅で、進行方向と逆方向になってしまう列車の座席の方向を、ステップ部分を踏んづけながら、乗客たちの手で『よいしょ』と、みんなで協力して回転させながらひっくり返します。ちょっとびっくりしました)
(つづく:以下の文章は2月につくりました)
さて、前記の文章をつくってからひと月ぐらいが経過して、2月下旬の明日、とりあえず大分別府温泉へ出発です。
何度か見学場所のプランを組みなおして、最終的に、宿泊した翌日は、午前中に定期観光バスに乗って、温泉地獄めぐりコースに参加することにしました。楽しみです。
(以下が、帰宅後の報告です)
初日の移動日は、新幹線の車窓から見えた滋賀県にある琵琶湖の南側あたりですが、大雪が降っていてびっくりしました。窓の外は、まるでスキー場のようでした。次の写真は、たぶん近江八幡市(おうみはちまんし)あたりです。
このあと車窓から見える外の風景はお天気が回復して曇り空でした。
されど、目的地の別府へ着いたら、いきなり雪をかぶった山(鶴見岳あたり)の景色が、目に飛び込んできたのでびっくりしました。
九州大分でも雪山を見ることができます。翌朝の朝食では、ホテルの朝食会場から雪山が見えて、まるで長野県の松本市とか、大町市(おおまちし)にいるような錯覚を体験しました。でも、そのあとの温泉地獄めぐりは晴天(せいてん)の素晴らしい快晴で良かったです。運(うん)に恵まれました。
次の写真は別府駅前です。奥に鶴見岳(つるみだけ)と右に扇山(おうぎやま。通称だそうです。正式名は大平山)です。なにもない三角斜面で、三月下旬か四月上旬あたりの春に山焼きがあるそうです。
(つづく)
文章と写真の用意ができたら、順次、三泊四日だった大分県・福岡県内の旅の風情(ふぜい。ようす)などをご紹介します。
(後日の追記)
思い出したことがあるので書き足しておきます。
新幹線車内の乗客の人たちの中で、テキパキと1人で移動をされている方が多いので感心しました。みなさん、頭脳優秀な方たちだと思います。とくにお若い女性の動きがいい。
大きなスーツケースを自由自在に操って(あやつって)動かします。スーツケースをじょうずにコントロールされています。見ていて気持ちがいい。
座席の予約もスマホやクレジットカードを使用して、パッパとやられるのでしょう。ビジネスなのでしょうが、旅の移動に熟練されています。
シートに着席したあとも、靴を脱いで足を休めて、たんたんと毛糸の編み物をされていて、たいへん感心しました。
広島市近くで、窓の外にプロ野球のマツダスタジアムが見えました。
去年、仙台で楽天のスタジアムを見ました。同じ赤系統のスタジアムで似ているなと感じました。
以前、昔の広島球場に行ったときのことを思い出しました。地元の中学生たちの野球大会が開催されていました。もう今は球場もなくなったのでしょう。
大分県の中津を通過していたときに福沢諭吉のふるさとですというような案内がありました。
二年ぐらい前に『学問のすすめ 福沢諭吉 斎藤孝・現代語訳 ちくま新書』を読んだことを思い出しました。以下はそのときの読書メモの一部です。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
武士出身の福沢諭吉さんが、江戸時代における士農工商制度を否定するところに、明治維新の気概を感じます。(気概:きがい。やる気。強い気性)。また、バランス感覚がすばらしい。「これからは、日本中ひとりひとりに生まれつきの身分などといったものはない……」とあります。
生まれたときにはみんな平等ということに続けて、それなのに、世の中は不平等だとつながっていきます。その違いはどこからくるのか。「学ぶか学ばないかによって決まる」と明快な答えが書いてあります。「人は学ばなければ、智(ち:物事をよく理解して、正しく判断して、対応すること)はない。智のないものは愚かな人である」とあります。
鎖国だとか、攘夷(じょうい。外国を追い払う)だとか、心の狭い対応をしていてはいけない。世界はひとつだ。みんなで協力しようというような趣旨の記述もあります。
特急ソニックの車窓から見える景色は、広がるたんぼ、ぽつりぽつりと建つ二階建ての一戸建て、ところによっては、江戸時代からほとんど風景が変わっていないような雰囲気のところもありました。とにかく、いなか風景が続きます。ここに生まれて、ここに育ち、人生を終えていく。そんな思いにふけりました。
到着後、別府のホテルで温泉につかっていい気持ちになりました。
温泉につかってまったりしていると、これまで生きてきて良かったなーーという気持ちになれます。
(以下の文章は1月につくりました)
2月に用事があって夫婦で福岡県内の親族宅を訪れるのに合わせて、前日に別府温泉へ行くことにしました。
自分は、とても若かった大昔に、別府駅へは行ったことがありますが市街地は知りません。
高校一年生15歳だった夏に、クラブ活動で、大分・熊本に広がるくじゅう連山(くじゅうれんざん)に登って数日間キャンプをしたあとの帰路、別府駅で電車の乗り換え時間待ちをしました。
上級生からまずは自分たちが市街地にある温泉に入ってくるので、下級生はリュックサックなどの荷物番を駅構内でするようにと指示されて、ずっと待合室で先輩たちの入浴帰りを待っていただけです。
帰って来た先輩たちにフロに行って来ていいと勧められたのですが、当時の自分は、ものぐさ(めんどうがる人)だったので、いいですと断った記憶があります。行けばよかった。
歳(とし)をとってしまったけれど、今度こそ別府市内で温泉に入ってやろうという意気込みです。
名古屋駅から新幹線で小倉駅(北九州市内こくら駅)まで行き、同駅からJR特急ソニック大分行きで、別府駅まで行きます。(行ってみてからの追記として:小倉駅で、進行方向と逆方向になってしまう列車の座席の方向を、ステップ部分を踏んづけながら、乗客たちの手で『よいしょ』と、みんなで協力して回転させながらひっくり返します。ちょっとびっくりしました)
(つづく:以下の文章は2月につくりました)
さて、前記の文章をつくってからひと月ぐらいが経過して、2月下旬の明日、とりあえず大分別府温泉へ出発です。
何度か見学場所のプランを組みなおして、最終的に、宿泊した翌日は、午前中に定期観光バスに乗って、温泉地獄めぐりコースに参加することにしました。楽しみです。
(以下が、帰宅後の報告です)
初日の移動日は、新幹線の車窓から見えた滋賀県にある琵琶湖の南側あたりですが、大雪が降っていてびっくりしました。窓の外は、まるでスキー場のようでした。次の写真は、たぶん近江八幡市(おうみはちまんし)あたりです。
このあと車窓から見える外の風景はお天気が回復して曇り空でした。
されど、目的地の別府へ着いたら、いきなり雪をかぶった山(鶴見岳あたり)の景色が、目に飛び込んできたのでびっくりしました。
九州大分でも雪山を見ることができます。翌朝の朝食では、ホテルの朝食会場から雪山が見えて、まるで長野県の松本市とか、大町市(おおまちし)にいるような錯覚を体験しました。でも、そのあとの温泉地獄めぐりは晴天(せいてん)の素晴らしい快晴で良かったです。運(うん)に恵まれました。
次の写真は別府駅前です。奥に鶴見岳(つるみだけ)と右に扇山(おうぎやま。通称だそうです。正式名は大平山)です。なにもない三角斜面で、三月下旬か四月上旬あたりの春に山焼きがあるそうです。
(つづく)
文章と写真の用意ができたら、順次、三泊四日だった大分県・福岡県内の旅の風情(ふぜい。ようす)などをご紹介します。
(後日の追記)
思い出したことがあるので書き足しておきます。
新幹線車内の乗客の人たちの中で、テキパキと1人で移動をされている方が多いので感心しました。みなさん、頭脳優秀な方たちだと思います。とくにお若い女性の動きがいい。
大きなスーツケースを自由自在に操って(あやつって)動かします。スーツケースをじょうずにコントロールされています。見ていて気持ちがいい。
座席の予約もスマホやクレジットカードを使用して、パッパとやられるのでしょう。ビジネスなのでしょうが、旅の移動に熟練されています。
シートに着席したあとも、靴を脱いで足を休めて、たんたんと毛糸の編み物をされていて、たいへん感心しました。
広島市近くで、窓の外にプロ野球のマツダスタジアムが見えました。
去年、仙台で楽天のスタジアムを見ました。同じ赤系統のスタジアムで似ているなと感じました。
以前、昔の広島球場に行ったときのことを思い出しました。地元の中学生たちの野球大会が開催されていました。もう今は球場もなくなったのでしょう。
大分県の中津を通過していたときに福沢諭吉のふるさとですというような案内がありました。
二年ぐらい前に『学問のすすめ 福沢諭吉 斎藤孝・現代語訳 ちくま新書』を読んだことを思い出しました。以下はそのときの読書メモの一部です。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
武士出身の福沢諭吉さんが、江戸時代における士農工商制度を否定するところに、明治維新の気概を感じます。(気概:きがい。やる気。強い気性)。また、バランス感覚がすばらしい。「これからは、日本中ひとりひとりに生まれつきの身分などといったものはない……」とあります。
生まれたときにはみんな平等ということに続けて、それなのに、世の中は不平等だとつながっていきます。その違いはどこからくるのか。「学ぶか学ばないかによって決まる」と明快な答えが書いてあります。「人は学ばなければ、智(ち:物事をよく理解して、正しく判断して、対応すること)はない。智のないものは愚かな人である」とあります。
鎖国だとか、攘夷(じょうい。外国を追い払う)だとか、心の狭い対応をしていてはいけない。世界はひとつだ。みんなで協力しようというような趣旨の記述もあります。
特急ソニックの車窓から見える景色は、広がるたんぼ、ぽつりぽつりと建つ二階建ての一戸建て、ところによっては、江戸時代からほとんど風景が変わっていないような雰囲気のところもありました。とにかく、いなか風景が続きます。ここに生まれて、ここに育ち、人生を終えていく。そんな思いにふけりました。
到着後、別府のホテルで温泉につかっていい気持ちになりました。
温泉につかってまったりしていると、これまで生きてきて良かったなーーという気持ちになれます。
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