2022年10月27日

いるの いないの 怪談えほん

いるの いないの 怪談えほん 京極夏彦(きょうごく・なつひこ)・作 町田尚子(まちだ・なおこ)・絵 東雅夫(ひがし・まさお)・編 岩崎書店

 読む前に、本のカバーとなっている表紙をじーっとながめています。
 こわーいおばけのお話かな。
 ゆうれいが出るぞー

 古くて大きな日本家屋の廊下で、猫4匹に囲まれている5歳児ぐらいの男の子の絵です。
 男の子は、天井を見上げています。
 見上げた先に、なにかがいるのか、いないのか。

 絵本のぶ厚い表紙をめくりました。
 たてよこ、きれいな四角が並んだ絵が広がっています。
 障子の(しょうじの)障子紙(しょうじがみ)の絵のようです。
 小さくてきれいな四角が並んでいます。

 1枚ページをめくりました。

 猫が高い木の上から少年を見ています。
 そういえば、わたしは先日森の中で、朝のお散歩のときに、野良猫が高い木の上から降りてくる姿を見ました。
 野良猫は、上を向いた姿勢で、後ろ向きに木を降りてきます。
 案外猫は、木登りじょうずなのです。

 もう一枚ページをめくります。
 なんで、こんなに暗いのよ。
 電気(照明)つけてちょうだい。

 少年は、わけあって、ひとり暮らしのおばあさんと暮らすことになったそうな。
 わたしも小学校低学年の少年だったころ、父が都会に出稼ぎに行って、母が病気で入院していて、ひとりで父方祖父母の大きなわらぶき屋根の農家に預けられて、しばらくそこで暮らしたことがあります。近くにあった小学校にも通っていました。絵本の中の少年と自分が重なりました。

 こういう古い日本家屋で生活したことがない今どきのこどもさんには、体験がないと絵本に書いてあることについて、実感が湧かないでしょう。

 絵は暗い色調で、物語の文章は『白文字』で書いてあります。
 ゆえに怖さが(こわさが)増します。ひしひしと恐怖が体に伝わってきます。
 天井の梁(はり。横木)から電灯が1個ぶら下がっています。60ワット電球ぐらいでしょう。
 おぜん(低い食卓)の前に座っているお坊ちゃんのお顔はかわいらしい。
 
 でたーー(でも絵は少年の顔だけです)

 座敷わらしではなさそうです。(そんなかわいいものではないということ。成仏(じょうぶつ。死後、この世に未練がなく仏になること)できなかった人間の顔でしょう)
 
 少年は逃げ出しました。
 少年が逃げていく風景の中に神社の鳥居の絵があります。
 鳥居の下には猫がいます。
 猫が幽霊の使いのようなポジション(立場、役割)をもっている絵本です。
 神社・仏閣は、怖さ(こわさ)のムードをアップします。(雰囲気を盛り上げます)
 ぼく、走って逃げるんだ!

 おばあちゃんと少年はあれやこれやお話をします。
 読み手であるわたしは思うのです。
 『おばけがいたっていいんじゃないの。おばけと共存するのです。世の中には、おばけみたいな人がいないわけでもない』

 おばけを見ても見なくても、おばけはいなくならない。
 見えても見えなくても、おばけはそこにいる。
 見えても見えなくても、おばけはどこにもいない。
 考えすぎて、悩むより、考えなくて、忘れればいい。
 たまに思い出すけど。

 家の長い廊下には、猫が8匹もいます。

 ページをめくり続けて、めっちゃ怖い(こわい)ページを開いてしまいました。
 ぞッとしました。
 笑いが出るほど怖い。
 だれでも、ゾーッとしますよ。
 
 猫はどうしているのだろう。
 猫はだれを見守っているのだろう。
 ゆうれいを見守っているのか、あるいは、ぼくちゃんを見守っているのか。
 うぉーー ゆうれいが、おじいさんに見える。

 でも、あれって、自分の顔じゃないのかなあ。
 ああ、おもしろかった。
 
 最終ページです。
 猫14匹がこちらを向いています。

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