2022年09月06日

わたしはあかねこ サトシン・作 西村敏夫・絵

わたしはあかねこ サトシン・作 西村敏夫・絵 文溪堂

 絵本自体のタイトルは『あか』の部分が赤色文字となっています。
 
 本の帯を見ると『NHKの番組「72時間」』に出ましたと書いてあります。
 そうかと思い出しました。
 たしか東京方面にある絵本屋さんに来たお客さんの、たぶん男性の方がこの絵本を買われていたシーンがありました。ちょっとだけ思い出しました。

(1回目の本読み)
 アンデルセンの『みにくいアヒルの子』みたいに、一匹だけほかとは違う赤い猫がいじめにあって、でも、最後は幸せになる物語だろうか。(ちがっていました。いじめはありません。赤い猫は赤いままです。みにくいアヒルの子のように、白鳥にはなりませんでした。されど、話づくりの下地として、アンデルセン作品に対するオマージュ(尊敬)はあるような気がします)
 
 読んでいる途中から、話のオチはどうするのだろうかと考え始めました。
 オチ:印象に残る結末。

 絵が温かい。
 肖像画のようでもあります。
 猫の目玉が可愛い。

(2回目の本読み)
 おとうさん(黒色)とおかあさん(白色)、2匹のねこから、5匹の子ねこが生まれました。
 そのうち4匹は、体のおけけ(毛)が、両親からの遺伝で、白や黒の色ですが、1匹だけは赤い色をした猫です。
 両親も兄弟姉妹も赤い色をした毛並みにびっくりしました。
 
 読んでいる自分の予想として、赤い色の猫は、自分と同じ赤い色の猫を探して、見つけ出して、仲間になって、よかったよかったのシャンシャン結末を迎えるのではないか。(はずれました)

 赤い猫は、いじめられることはありませんが、同情はされます。
 かわいそうだと思われます。
 同情されるのは、かえって、みじめです。
 むかしドラマで有名なセリフがありました。
 『同情するなら金(かね)をくれ!』小学生の女の子がきつい目つきをしながら、何度もくりかえし、金をくれ!と叫ぶように発声しました。
 『家なき子』というドラマでした。
 こちらの本の中にいる、猫たちは、とりあえず家はあるようです。
 猫たちが、家の中の廊下を歩いています。

 赤い猫は、自分の体の色が赤いことで、悩んだり、めげたりはしません。
 気持ちがへこむこともありません。
 『これがわたしという猫』なのです。自信に満ちた態度があります。

 まわりは、赤い色の猫を白色か黒色の猫にしようとします。
 見た目の色を変える。整形みたい。
 赤い猫本人は、白猫になるのも黒猫になるのも望んでいません。
 周囲の圧力は、人間界でいえば『人間の標準化』があります。
 大昔の軍事教育のようです。
 戦争で働いて、お国のためになる人間を育てるのです。戦死するかもしれない人間を育成するのです。戦死してもやむをえないとするのです。洗脳です。(意思をコントロールする)
 戦闘ロボットをつくるようなものです。
 現代社会だと、会社のために尽くすアンドロイドロボットをつくるようなものです。『社畜(しゃちく)』と呼ばれています。『過労死』日本人は働きすぎて死ぬというのは、外国人から見るとびっくりすることだという話を聞いたことがあります。

 体の色を変える手法がいくつも紹介されます。
 絵本の内容が、ちょっと、りくつっぽいかな。

 赤い猫は、家出をしました。
 こういうパターンは、人間界にもあります。
 自分で、自分が住むところを見つけるのです。
 自分にとって、快適な場所を見つける旅に出るのです。
 『自立』とか『自活』です。

 そして、出会いがあります。

 赤い猫が、だれと出会ったのかは、ここには書きません。

 自分と同じ色をした赤い猫には出会いません。

 違うようで、同じなのです。
 発想が豊かです。

 最後の絵も良かった。
 お空に虹がかかっています。

(作者さんの経歴を読んで)
 作者のサトシンという方の経歴に『専業主夫』があって、楽しい気持ちになれました。
 2011年(平成23年)初版。2022年(令和4年)22刷の絵本です。

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