2022年06月24日
邦画 関ケ原 2017年(平成29年
邦画 関ケ原 2017年(平成29年) 2時間29分 動画配信サービス
(豊臣家)石田三成(いしだみつなり)対徳川家康という構図を描いた映画でした。
石田三成が処刑されるまでを描きます。
会話で進行していく形式です。
映画セットに囲まれての撮影シーンが多い。
忍びのもの(忍者)がかなりからみます。
この部分の歴史に詳しくないので、一度観て、調べ物をして、もう一度観ました。
だいぶわかりました。おもしろい。
歴史の流れに忠実につくられた映画です。
ていねいにつくってあります。
知らなかったことを知る喜びがあります。
1598年 豊臣秀吉 61歳没
1599年 前田利家 60歳ぐらいで没(誕生年複数の説あり)
1600年 関ケ原の戦い
1600年 イギリスが東インド会社を設立
1600年 シェークスピア「ベニスの商人」出版
1603年 徳川家康が60歳で征夷大将軍となる。
1614年 大阪冬の陣
1615年 大阪夏の陣 豊臣氏滅亡
1616年 徳川家康が73歳で死没。
関ケ原の合戦で徳川家康の東軍に寝返った(西軍を裏切った)小早川秀秋は、その2年後に21歳で急死。アルコール依存症で内臓を壊したもよう。
石田三成はいじわるなことをする人だったので、内心みんなが石田三成を嫌っていた。(人望がなかった)
西軍は、一枚岩ではなかった。みせかけだけの協力で、関ケ原にいても手伝ってくれなかった。
警察組織がある時代でもありませんし、政治活動の組織があるわけでもありません。憲法などに類する法令もありません。
だれかのいうことをきくかきかないかは自由意思です。しばりがあるようでありません。各自の有利さでことが動きます。
まあ、ぐちゃぐちゃですな。
いいなと思ったセリフが『ぞっこんうちこむ』
一生懸命さが伝わってきました。
忍者の姿が多いのは、外国人観光ファンを意識したものだろうか。おいでませジャパンです。
おいでください。コロナ禍もおさまりつつあるようです。
サムライ映画というのは、どうして、こうも、そして、いつも、暗く、重く、冷えた、映像になるのだろうか。まあ、日本人の湿った感情保有といえば、日本民族の性質を正確にとらえています。
思い出して見ると、昔、北海道を舞台にした映画のシーンが暗かった。
北海道という所は、暗い雰囲気のところというイメージをもって現地を訪れたら、じっさいの北海道は、景色も人間も、明るいところでした。網走番外地とか、吹雪の中の別れとか、映像にまんまとだまされたと思ったことがあります。
世の中は、誤解と錯覚だらけです。
見た目で、神経質な人だと思っていたら、おおざっぱで、おおらかな人だったということは、よくあります。
『正義』について考える映画です。
戦に(いくさ)に負ければ、正義はなくなる。
勝ったほうが、正義なのです。
人間は、正義では動かない。利益で動きます。
映画は、9月15日の関ケ原の合戦に向かって、時系列で緊張感が満ちていきます。
徳川家康側には、真剣味があります。(しんけんみ)
対して、石田三成側には、自分たちのほうが有利だという気持ちのゆるみがあります。
伏線として、桃を配ったなんとかおうじというのが伏線にあります。地名として『桃配山(ももくばりやま)』です。
大海人皇子(おおあまのおうじ。天智天皇((大化の改新を起こした中大兄皇子なかのおおえのおうじのこと)の異母弟)VS大友皇子(おおとものおうじ。中大兄皇子だった天智天皇の息子) おじさん対おいの戦いです。日本の歴史ではこういう親族間の争いが多い。
ふたりが争った672年壬申の乱(じんしんのらん)でも、関ケ原が戦(いくさ)の場所となったそうです。
戦(いくさ)の結果は大海人皇子が勝利しました。大海人皇子が村人からもらったおいしい山桃を兵士に配ったところが、桃配山(ももくばりやま)で、大海人皇子は戦(いくさ)に勝利したあとに天武天皇になっています。
もうひとつ、映像では話題として、徳川家康が『ほろ』というものを編んでつくります。
武士の道具で、矢や石から身を守るものだそうです。
乗馬した時にお尻につける赤い袋の形状をした大きなものです。
空想の世界を映像で見ているようです。
戦争というものは、こういうものです。無法地帯になります。
自分は死なないと勘違いしている人たちがいます。
がんこで、こだわって、破滅します。
刀、鉄砲、弓矢、ボーカンみたいな道具もあります。短剣もあります。
囲碁・将棋のような作戦を立てて、人間同士がぶつかり合います。
指揮・命令で動きます。従わないと死ぬかもしれないから従います。従っても死ぬことはあります。
足軽(あしがる。したっぱの兵士)の長い槍の戦いは、槍で突くのではなく、槍で叩き合いをします。
『殿! ご決断を!』
まあ、血まみれです。
散漫な感じがする戦(いくさ)の映像です。
決着の着き方がよくわかりませんでした。
あとは、それぞれが、負けっぷりを考える。
お逃げなされーー
西洋の戦争映画のようでもあります。
アニメのようでもあります。
捕らわれた石田三成のセリフが良かった。
『拙者(せっしゃ)をののしりなさい!』
さらし者です。
潔く(いさぎよく)責任をとって死すことが『これぞわが正義』だった時代の出来事です。
北政所(きたのまんどころ):高台院(こうだいいん)。ねね。豊臣秀吉の正室。
淀殿(よどどの):豊臣秀吉の側室。浅井長政の娘茶々。自身が出産した豊臣秀吉の三男が豊臣秀頼。
島左近(しま・さこん):島清興(しま・きよおき)武将。石田三成の家臣。通称「左近」
西軍の武将たちについて、朝鮮出兵時の石田三成の対応に不満あり。1592年文永の役(えき:戦争)。1597年慶長の役。論功行賞に不満あり(ろんこうこうしょう。ご褒美(ほうび))
歴史通(つう。精通している(せいつうしている。詳しい))が見るとおもしろい映画でしょう。
誓詞(せいし):かたい約束の言葉
赤坂の陣:徳川家康の陣(じん。軍隊の配置場所)。岐阜県大垣市。
(豊臣家)石田三成(いしだみつなり)対徳川家康という構図を描いた映画でした。
石田三成が処刑されるまでを描きます。
会話で進行していく形式です。
映画セットに囲まれての撮影シーンが多い。
忍びのもの(忍者)がかなりからみます。
この部分の歴史に詳しくないので、一度観て、調べ物をして、もう一度観ました。
だいぶわかりました。おもしろい。
歴史の流れに忠実につくられた映画です。
ていねいにつくってあります。
知らなかったことを知る喜びがあります。
1598年 豊臣秀吉 61歳没
1599年 前田利家 60歳ぐらいで没(誕生年複数の説あり)
1600年 関ケ原の戦い
1600年 イギリスが東インド会社を設立
1600年 シェークスピア「ベニスの商人」出版
1603年 徳川家康が60歳で征夷大将軍となる。
1614年 大阪冬の陣
1615年 大阪夏の陣 豊臣氏滅亡
1616年 徳川家康が73歳で死没。
関ケ原の合戦で徳川家康の東軍に寝返った(西軍を裏切った)小早川秀秋は、その2年後に21歳で急死。アルコール依存症で内臓を壊したもよう。
石田三成はいじわるなことをする人だったので、内心みんなが石田三成を嫌っていた。(人望がなかった)
西軍は、一枚岩ではなかった。みせかけだけの協力で、関ケ原にいても手伝ってくれなかった。
警察組織がある時代でもありませんし、政治活動の組織があるわけでもありません。憲法などに類する法令もありません。
だれかのいうことをきくかきかないかは自由意思です。しばりがあるようでありません。各自の有利さでことが動きます。
まあ、ぐちゃぐちゃですな。
いいなと思ったセリフが『ぞっこんうちこむ』
一生懸命さが伝わってきました。
忍者の姿が多いのは、外国人観光ファンを意識したものだろうか。おいでませジャパンです。
おいでください。コロナ禍もおさまりつつあるようです。
サムライ映画というのは、どうして、こうも、そして、いつも、暗く、重く、冷えた、映像になるのだろうか。まあ、日本人の湿った感情保有といえば、日本民族の性質を正確にとらえています。
思い出して見ると、昔、北海道を舞台にした映画のシーンが暗かった。
北海道という所は、暗い雰囲気のところというイメージをもって現地を訪れたら、じっさいの北海道は、景色も人間も、明るいところでした。網走番外地とか、吹雪の中の別れとか、映像にまんまとだまされたと思ったことがあります。
世の中は、誤解と錯覚だらけです。
見た目で、神経質な人だと思っていたら、おおざっぱで、おおらかな人だったということは、よくあります。
『正義』について考える映画です。
戦に(いくさ)に負ければ、正義はなくなる。
勝ったほうが、正義なのです。
人間は、正義では動かない。利益で動きます。
映画は、9月15日の関ケ原の合戦に向かって、時系列で緊張感が満ちていきます。
徳川家康側には、真剣味があります。(しんけんみ)
対して、石田三成側には、自分たちのほうが有利だという気持ちのゆるみがあります。
伏線として、桃を配ったなんとかおうじというのが伏線にあります。地名として『桃配山(ももくばりやま)』です。
大海人皇子(おおあまのおうじ。天智天皇((大化の改新を起こした中大兄皇子なかのおおえのおうじのこと)の異母弟)VS大友皇子(おおとものおうじ。中大兄皇子だった天智天皇の息子) おじさん対おいの戦いです。日本の歴史ではこういう親族間の争いが多い。
ふたりが争った672年壬申の乱(じんしんのらん)でも、関ケ原が戦(いくさ)の場所となったそうです。
戦(いくさ)の結果は大海人皇子が勝利しました。大海人皇子が村人からもらったおいしい山桃を兵士に配ったところが、桃配山(ももくばりやま)で、大海人皇子は戦(いくさ)に勝利したあとに天武天皇になっています。
もうひとつ、映像では話題として、徳川家康が『ほろ』というものを編んでつくります。
武士の道具で、矢や石から身を守るものだそうです。
乗馬した時にお尻につける赤い袋の形状をした大きなものです。
空想の世界を映像で見ているようです。
戦争というものは、こういうものです。無法地帯になります。
自分は死なないと勘違いしている人たちがいます。
がんこで、こだわって、破滅します。
刀、鉄砲、弓矢、ボーカンみたいな道具もあります。短剣もあります。
囲碁・将棋のような作戦を立てて、人間同士がぶつかり合います。
指揮・命令で動きます。従わないと死ぬかもしれないから従います。従っても死ぬことはあります。
足軽(あしがる。したっぱの兵士)の長い槍の戦いは、槍で突くのではなく、槍で叩き合いをします。
『殿! ご決断を!』
まあ、血まみれです。
散漫な感じがする戦(いくさ)の映像です。
決着の着き方がよくわかりませんでした。
あとは、それぞれが、負けっぷりを考える。
お逃げなされーー
西洋の戦争映画のようでもあります。
アニメのようでもあります。
捕らわれた石田三成のセリフが良かった。
『拙者(せっしゃ)をののしりなさい!』
さらし者です。
潔く(いさぎよく)責任をとって死すことが『これぞわが正義』だった時代の出来事です。
北政所(きたのまんどころ):高台院(こうだいいん)。ねね。豊臣秀吉の正室。
淀殿(よどどの):豊臣秀吉の側室。浅井長政の娘茶々。自身が出産した豊臣秀吉の三男が豊臣秀頼。
島左近(しま・さこん):島清興(しま・きよおき)武将。石田三成の家臣。通称「左近」
西軍の武将たちについて、朝鮮出兵時の石田三成の対応に不満あり。1592年文永の役(えき:戦争)。1597年慶長の役。論功行賞に不満あり(ろんこうこうしょう。ご褒美(ほうび))
歴史通(つう。精通している(せいつうしている。詳しい))が見るとおもしろい映画でしょう。
誓詞(せいし):かたい約束の言葉
赤坂の陣:徳川家康の陣(じん。軍隊の配置場所)。岐阜県大垣市。
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