2022年05月17日
ぼくの弱虫をなおすには K・L・ゴーイング
ぼくの弱虫をなおすには K・L・ゴーイング 久保陽子・訳 早川世詩男・絵 徳間書店
本のカバーを見て、帯を読んで、なかなかむずかしそうなおはなしだという印象をもちました。
「人種差別」とあります。アメリカ合衆国ですから、白人と黒人のことでしょう。
日本のいなかで一生を送ると、黒人を一度も見ずに一生を終えることがあります。
だから、肌の色の違いで、人間を区別するということがピンとこないこともあります。
わたしは、60年以上生きてきましたが、黒人の人を実際に見た回数は数回しかありません。今、思い出してみると、小学生のときに1回、十代のときに1回(このときは相手から名刺をもらいました)、そのあとは、見たというよりも、海外旅行とか、国内旅行で回っているときに、相手も観光客で、家族連れの黒人旅行者を見たことがあるぐらいです。親しく会話をしたことはありません。
なにが言いたいかというと、小学生に黒人とか白人の話をしても、彼らの中で、黒人とのお付き合いに、深く関わりをもつ人数は少ないだろうということです。
この本のこどもに対する提供を否定はしません。
そういった事実はあるであろうということです。
1976年アメリカ合衆国ジョージア州が舞台だそうです。
これまた、ずいぶん昔の話です。46年前です。
現代を生きる年齢の数が少ないちびっこたちに、このお話は、有益なのだろうか。
攻撃的ですいません。正直な気持ちを書きました。
最初に248ページにある「訳者あとがき」から読みました。
原作は、2005年(平成17年)に出版されたそうです。
小学4年生から5年生になる少年少女たちの物語だそうです。アメリカ合衆国の新学期はたしか9月ぐらいでした。そのつもりで読んでみます。
(本文を読むと、学年の区切りになる夏休み?前の修了式から始まります。なんだか、日本でいうところの卒業式みたいな修了式です。そうすると、この話は、ひと夏の出来事となるのでしょう。おそらく)さらに(114ページに、6月1日と日付があります。アメリカ合衆国は、6月から8月まで小学校はお休みなのでしょう)
洋画の『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて。ぼくの心が折れないように、ぼくの気持ちを支えてください)』をなんとなく思い出しました。
白人少年として、ゲイブリエル・アレン・キング:チビで体重40キロぐらい。白人の上級生にいじめられている。(白人なのに? 白人が黒人をいじめるパターンではないようです)性格は内向きでおとなしい。貧しいトレーラー暮らしとあります。トレーラー:トラックの後ろにつけて引っ張って移動する貨物室のようなもの。そこが家ですから、親は、地面に建っている家をもっていないのでしょう。つまり、貧しいというです。
さきほどのゲイブリエル・アレン・キンの親友として、同級生黒人女子であるフリータ・ウィルソン。彼女は、父親がキリスト教の牧師で、裕福な家庭とあります。(正義感が強く、相手が上級生男子でもこぶしをあげて向かっていきます。黒人差別に対する敵意は強いでしょう)
フリータ・ウィルソンの兄がテランス。背が高い。怖い雰囲気がある。黒人差別を受けて、反発心が心の底にある。
白人少年のゲイブリエル・アレン・キングをいじめるのが、貧乏な白人1年上級生であるデユーク・エバンズ。体が大きい。暴力的。家はトレーラー住まい。
もうひとりのいじめっこが、フランキー・カーメン、ふたりとも6年生。
【読み終えてのことですが、本のカバーにかいてある前知識の情報と内容が一致しません。白人少年ふたりが、主人公たちふたりをいじめるシーンはほとんどありません。いじめっこ少年の白人である父親が黒人の少女フリータ・ウィルソンにつらくあたります】
黒人よりも貧しい白人は、(ふつうは、白人が黒人を差別していじめるのに)かなり、気持ちがへこんでいるというアメリカ映画がらみの文章を以前読んだことがあります。
自分が下に見ていた人間よりも自分のほうが下になってしまったというショックがあるということでした。
(本文を読み始めました)
4年生(もうすぐ主人公は、5年生になりますが)の担任の先生が、マレー先生。(日本とは学期の区切りの時期が違うので、日本人のこどもさんが読んでもわかりにくいような気がします)
主人公の小学4年生が終わる1976年(昭和51年)夏のスタートです。
小学4年生までは、東校舎で過ごして、5年生から、6年生のいじめっこ貧乏な白人であるデューク・エバンズとフランキー・カーメンがいる西校舎へ移るそうで、いじめられる小柄で気弱な主人公男子ゲイブリエル・アレン・キングは、5年生になることを拒否します。(義務教育はですから拒否はできません。最初はピンときませんでしたが、読み進めていてわかったのですが、ゲイブリエル・アレン・キングは進級しないようにするためにいわゆる登校拒否児になることを選択しようとしていると理解しました)
出てくる児童の名前として、タイラー・ザック、アンドリュー・ウーマック、フリータ・ウィルソン、リサ・ローレンス、アン・マリー・クドロー。
主人公のゲイブリエル・アレン・キングの父親の名前が、アレン・キングで、親子で同じような名前です。
親友黒人女子フリータ・ウィルソンの兄が、テランスで、18歳です。
アメリカ合衆国の独立200周年について書いてあります。ジョージア州の州知事だった民主党のジミー・カーター大統領のことが書いてあります。1924年(大正13年)生まれの97歳。現在もご存命中です。1977年-1981年アメリカ合衆国第39代大統領(そういうことがあったことを思い出しました。ご存命に驚きました)
『学校』という狭い社会の話です。
36ページにある『ホロウェル・トレーラーパーク』という文字を見たときに、先日読んだ、ノーベル文学賞受賞作家ジョン・スタインベック作品『怒りの葡萄(ぶどう)』を思い出しました。アメリカ合衆国中南部の貧しい農民がアメリカ合衆国西海岸カリフォルニア州での農作業雇用をめざしてトレーラーで移動する物語でした。
(つづく)
246ページあるうちの149ページまで読みました。
貧困白人の小学6年生になるというデューク・エバンズとフランキー・カーメンによる小学5年生になる白人ゲイブリエル・アレン・キングと牧師の娘黒人フリータ・ウィルソンに対するいじめの記述はほとんどありません。
ゲイブリエル・アレン・キングとフリータ・ウィルソンは、マニュアル(手引き)に従うように、それぞれの「怖いもの(こわいもの)」を紙に書きだして、ひとつずつ克服するチャレンジを続けていきます。『こわいものリスト』です。リストの言葉の意味は、「一覧表」です。
この本を読んでいる自分から、登場人物ふたりへのアドバイスがあります。
『度胸(どきょう。こわいものしらず)』のつけかたです。
ひとつは、下腹(したばら)にぐっと力を入れて、「やるぞ! やれるぞ!」と、自分に強い暗示をかけます。(暗示:自分に催眠術をかけるような感じ)気持ちを強くもって、なんがなんでもやるぞ!と意思を固めて相手やことがらに向かっていきます。「ばかになってやるぞ!」と思い込みます。
もうひとつは、服のポケットの中に、自分が信じる神さまや仏さまのお守りを入れておきます。いざというときには、お守りに手を当てて、「お守りくださーい!」と心の中で叫びながら、突っ込んでいきます。たいてい、成功します。
ニガー:白人が黒人をさげすむときに使う単語。使ってはいけません。いじめっこ白人のこどもであるデューク・エバンズの父親が黒人に向けて使います。父親は、とんでもないやつです。
洋画『グリーンブック(アメリカ合衆国で使用する「黒人専用ホテル」の案内ガイドブック)』でその言葉が使われたシーンを観た記憶が残っています。主役の裕福な黒人ピアニスト男性が、白人に「ニガー」と呼ばれて、激高していました。(げきこう。かなり怒っていた)
政治的な話が出てくることに、こどもさん向けの本であり、違和感があります。
1976年(昭和51年)のアメリカ合衆国大統領選挙です。民主党のジミー・カーターと共和党のジェラルド・フォードのたたかいです。この部分を読むこどもさんは、ピンとくるだろうか。
ウォーターゲート事件の共和党ニクソン大統領が前任者です。(たしか、盗聴事件)
物語の中にぽつぽつおとなの世界が出てくるのですが、児童文学にあって、ピンときません。わかりにくいです。
マルコムX(エックス):人の名前です。黒人解放運動家で、演説中に暗殺されました。アメリカ映画で観ました。
自分が小学校4年生の時によんだ『トムソーヤーの冒険』みたいな雰囲気がある内容です。
ゲイブリエル・アレン・キングは、虫の「クモ」が苦手だそうです。
自分がこどものころおとなから、クモはご先祖さまの生まれ変わりだから殺してはいけないと教わりました。祖先がクモに化身して(けしんして)子孫はどうしているだろうかとようすを見に来ている。守り神のようなものだと教わりました。だからこわくはありません。
自分が小学校低学年のころは、虫捕り網はクモの巣でつくっていました。針金をまるくして、竹にくくりつけて、針金のまるいわっかのところをクモの巣につっこんで、その部分を網にしていました。チョウチョとかトンボとか、クモの巣でつくった網のベタベタ部分によくくっつきました。貧乏人の知恵です。
ムカデがこわいという話も出ます。
ムカデはこわいです。たぶんこどもころに刺された体験が自分にはあります。ものすごく痛くて腫(は)れました。詳しいことは覚えていません。ショックが大きくて、記憶が飛んでいるのでしょう。ムカデには気をつけましょう。自分は、見つけたら踏んづけて殺します。ごめんねムカデちゃん。
『白人市民会議』白人は、白人だけで群れたがる。群れて、人種差別をしたがる白人もいる。
ゲイブリエル・アレン・キングのおとうさんは白人ですが、そういうことに対して拒否反応があります。
白人が行く教会は、ホロウェルにある。
黒人が行く教会は、ロックフォードにある。牧師は歌でお説教をする。聖歌隊は体を揺らしながら聖歌を歌う。(アメリカ映画で観たことがあります。タイトルをいますぐは思い出せません。大柄な黒人女性が主役でした)
白人と黒人は、別々の教会に行く。
ペカンの木:クルミ科の落葉高木。ナッツ(実)がとれる。
芽キャベツ(めきゃべつ):キャベツの変種。直径3cmから4cmの小さなキャベツ。
黒人女子のフリータ・ウィルソンが母親から禁止されていること。
①大通りで遊ぶこと
②デュークの家のトレーラーに近づくこと
③マッチに火をつけること
ああ、自分が小学三年生のときに、木造長屋の縁側の下で、何かにマッチで火をつけていたら、オヤジに「火事になるじゃないか」とこっぴどく叱られてたたかれた覚えがよみがえりました。こどもの火遊びは大火事の原因になります。気をつけましょう。
主人公の少年と少女は、クモにジミーという名前を付けました。
邦画『ブタがいた教室』を思い出しました。いい映画でした。小学生たちと学校で飼い始めたブタが主役です。食用のブタに名前を付けると愛情が湧いて食べることがつらくなるのです。
ムカデのほうにもフリータ・ウィルソンが「ドジー」という名前を付けました。でも、いろいろあってドジーは、死んじゃいました。
ふたりで、ムカデのお葬式をやります。
アメリカ合衆国独立200周年:1975年4月1日(昭和50年)-1976年7月4日(昭和51年)
都市伝説のような話です。(事実ではないことが事実のように伝えられる)デュークの母親の遺体が、トレーラーハウスの中に隠されているらしい。
ゲイブリエル・アレン・キングとフリータ・ウィルソンが禁じられているデュークのトレーラーへ行きます。デュークの母親は生きていました。どういうことだろう。引きこもりの母親とは思えません。
ドーベルマン:凶暴そうな犬。猟犬でしょう。
花火大会も白人と黒人は別々だそうです。
ホロウェルの花火大会:白人だけ。
ロックフォードの花火大会:黒人が行く。
ターザンごっこみたいな話が出ます。(つるにぶらさがって、木からおりる)
(つづく)
読み終わりました。
抑圧とたたかう。(抑圧(よくあつ):自分たちを押さえつけるもの。だれかを無理やりおさえつけることと163ページに書いてあります。肌の色、母国語、宗教などを理由に他人の自由を制限すること)
洞察力(どうさつりょく):よく見ること。本当はなんなのか。真実はなんなのかとよく考えること。悪い目的をめざしてつくられたウソの情報にだまされないこと。そそのかされないこと。
KKK(クー。クラックス・クラン):黒人を暴力で攻撃する白人の団体。白いシーツを頭からかぶって目のところだけ穴が開いていて不気味な集団。いじめっこの父親が所属しているらしい。
気に入らない者を暴力で排除しようとする人たちがいます。
アメリカ合衆国がかかえる悩みがあります。人種差別。あわせて、銃社会が思いつきました。(銃の所有が許される)
資本主義社会は、『自分たち』と『あいつら』に分かれるシステムです。選挙では、意見や考え方が異なるふたつ以上のグループができあがります。国民の集団がふたつ以上のグループに分かれて対立します。
読んでいて、演劇の脚本のようでもあります。
奴隷解放を訴えたエブラハム・リンカーンの時代からアメリカ合衆国の人種差別意識の根っこは現在も変わっていないと受け止めました。人間という生き物は愚かです。(おろかです)
世代が変われば、また最初からです。戦争を含めて、悲劇の伝承が薄くなっていきます。
主人公のゲイブリエル・アレン・キングは弱気で、ドラえもんののび太みたいです。
胸に響いた言葉などとして、
(5年生にならないというゲイブリエルに対して決裂の意味で、フリータ・ウィルソンが)『ゲイブリエルはこれから、ひとりで強くなって』
(ゲイブリエルの気持ちとして)『牛に相談したって、仕方ないんだ』
フリータの兄テレンスのセリフ『一生ここでうだうだしてるわけにはいかないからな。自分でチャンスをつかみにいくのも大事なんだよ』(家を出て働く決心をした)
(ゲイブリエルのセリフとして)『ぼく、五年生になるよ』『フリータ。君はぼくの親友だよ』
ジミー・カーターが来るかもしれないという『集会』とは、どのような集会なのか。
参加者として、ロバーツ町長、ジョーダン牧師、アレン・キング(ゲイブリエルの父親)、司会者がフリータの牧師をしている父親です。
アメリカ合衆国は、白人だけの国ではありませんと訴える。
アメリカ合衆国は、すべての人種の人々が、自由を手にしている国だから、人権を尊重してくださいとメッセージを発信する。
とくに、暴力で黒人を差別する集団に属する人たちに対して、人権を尊重してくださいとお願いする。
1865年:リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」
参考までに、明治維新が1868年(明治元年)です。
読書の参考にしてください。本作の理解はかなりむずかしい。
本のカバーを見て、帯を読んで、なかなかむずかしそうなおはなしだという印象をもちました。
「人種差別」とあります。アメリカ合衆国ですから、白人と黒人のことでしょう。
日本のいなかで一生を送ると、黒人を一度も見ずに一生を終えることがあります。
だから、肌の色の違いで、人間を区別するということがピンとこないこともあります。
わたしは、60年以上生きてきましたが、黒人の人を実際に見た回数は数回しかありません。今、思い出してみると、小学生のときに1回、十代のときに1回(このときは相手から名刺をもらいました)、そのあとは、見たというよりも、海外旅行とか、国内旅行で回っているときに、相手も観光客で、家族連れの黒人旅行者を見たことがあるぐらいです。親しく会話をしたことはありません。
なにが言いたいかというと、小学生に黒人とか白人の話をしても、彼らの中で、黒人とのお付き合いに、深く関わりをもつ人数は少ないだろうということです。
この本のこどもに対する提供を否定はしません。
そういった事実はあるであろうということです。
1976年アメリカ合衆国ジョージア州が舞台だそうです。
これまた、ずいぶん昔の話です。46年前です。
現代を生きる年齢の数が少ないちびっこたちに、このお話は、有益なのだろうか。
攻撃的ですいません。正直な気持ちを書きました。
最初に248ページにある「訳者あとがき」から読みました。
原作は、2005年(平成17年)に出版されたそうです。
小学4年生から5年生になる少年少女たちの物語だそうです。アメリカ合衆国の新学期はたしか9月ぐらいでした。そのつもりで読んでみます。
(本文を読むと、学年の区切りになる夏休み?前の修了式から始まります。なんだか、日本でいうところの卒業式みたいな修了式です。そうすると、この話は、ひと夏の出来事となるのでしょう。おそらく)さらに(114ページに、6月1日と日付があります。アメリカ合衆国は、6月から8月まで小学校はお休みなのでしょう)
洋画の『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて。ぼくの心が折れないように、ぼくの気持ちを支えてください)』をなんとなく思い出しました。
白人少年として、ゲイブリエル・アレン・キング:チビで体重40キロぐらい。白人の上級生にいじめられている。(白人なのに? 白人が黒人をいじめるパターンではないようです)性格は内向きでおとなしい。貧しいトレーラー暮らしとあります。トレーラー:トラックの後ろにつけて引っ張って移動する貨物室のようなもの。そこが家ですから、親は、地面に建っている家をもっていないのでしょう。つまり、貧しいというです。
さきほどのゲイブリエル・アレン・キンの親友として、同級生黒人女子であるフリータ・ウィルソン。彼女は、父親がキリスト教の牧師で、裕福な家庭とあります。(正義感が強く、相手が上級生男子でもこぶしをあげて向かっていきます。黒人差別に対する敵意は強いでしょう)
フリータ・ウィルソンの兄がテランス。背が高い。怖い雰囲気がある。黒人差別を受けて、反発心が心の底にある。
白人少年のゲイブリエル・アレン・キングをいじめるのが、貧乏な白人1年上級生であるデユーク・エバンズ。体が大きい。暴力的。家はトレーラー住まい。
もうひとりのいじめっこが、フランキー・カーメン、ふたりとも6年生。
【読み終えてのことですが、本のカバーにかいてある前知識の情報と内容が一致しません。白人少年ふたりが、主人公たちふたりをいじめるシーンはほとんどありません。いじめっこ少年の白人である父親が黒人の少女フリータ・ウィルソンにつらくあたります】
黒人よりも貧しい白人は、(ふつうは、白人が黒人を差別していじめるのに)かなり、気持ちがへこんでいるというアメリカ映画がらみの文章を以前読んだことがあります。
自分が下に見ていた人間よりも自分のほうが下になってしまったというショックがあるということでした。
(本文を読み始めました)
4年生(もうすぐ主人公は、5年生になりますが)の担任の先生が、マレー先生。(日本とは学期の区切りの時期が違うので、日本人のこどもさんが読んでもわかりにくいような気がします)
主人公の小学4年生が終わる1976年(昭和51年)夏のスタートです。
小学4年生までは、東校舎で過ごして、5年生から、6年生のいじめっこ貧乏な白人であるデューク・エバンズとフランキー・カーメンがいる西校舎へ移るそうで、いじめられる小柄で気弱な主人公男子ゲイブリエル・アレン・キングは、5年生になることを拒否します。(義務教育はですから拒否はできません。最初はピンときませんでしたが、読み進めていてわかったのですが、ゲイブリエル・アレン・キングは進級しないようにするためにいわゆる登校拒否児になることを選択しようとしていると理解しました)
出てくる児童の名前として、タイラー・ザック、アンドリュー・ウーマック、フリータ・ウィルソン、リサ・ローレンス、アン・マリー・クドロー。
主人公のゲイブリエル・アレン・キングの父親の名前が、アレン・キングで、親子で同じような名前です。
親友黒人女子フリータ・ウィルソンの兄が、テランスで、18歳です。
アメリカ合衆国の独立200周年について書いてあります。ジョージア州の州知事だった民主党のジミー・カーター大統領のことが書いてあります。1924年(大正13年)生まれの97歳。現在もご存命中です。1977年-1981年アメリカ合衆国第39代大統領(そういうことがあったことを思い出しました。ご存命に驚きました)
『学校』という狭い社会の話です。
36ページにある『ホロウェル・トレーラーパーク』という文字を見たときに、先日読んだ、ノーベル文学賞受賞作家ジョン・スタインベック作品『怒りの葡萄(ぶどう)』を思い出しました。アメリカ合衆国中南部の貧しい農民がアメリカ合衆国西海岸カリフォルニア州での農作業雇用をめざしてトレーラーで移動する物語でした。
(つづく)
246ページあるうちの149ページまで読みました。
貧困白人の小学6年生になるというデューク・エバンズとフランキー・カーメンによる小学5年生になる白人ゲイブリエル・アレン・キングと牧師の娘黒人フリータ・ウィルソンに対するいじめの記述はほとんどありません。
ゲイブリエル・アレン・キングとフリータ・ウィルソンは、マニュアル(手引き)に従うように、それぞれの「怖いもの(こわいもの)」を紙に書きだして、ひとつずつ克服するチャレンジを続けていきます。『こわいものリスト』です。リストの言葉の意味は、「一覧表」です。
この本を読んでいる自分から、登場人物ふたりへのアドバイスがあります。
『度胸(どきょう。こわいものしらず)』のつけかたです。
ひとつは、下腹(したばら)にぐっと力を入れて、「やるぞ! やれるぞ!」と、自分に強い暗示をかけます。(暗示:自分に催眠術をかけるような感じ)気持ちを強くもって、なんがなんでもやるぞ!と意思を固めて相手やことがらに向かっていきます。「ばかになってやるぞ!」と思い込みます。
もうひとつは、服のポケットの中に、自分が信じる神さまや仏さまのお守りを入れておきます。いざというときには、お守りに手を当てて、「お守りくださーい!」と心の中で叫びながら、突っ込んでいきます。たいてい、成功します。
ニガー:白人が黒人をさげすむときに使う単語。使ってはいけません。いじめっこ白人のこどもであるデューク・エバンズの父親が黒人に向けて使います。父親は、とんでもないやつです。
洋画『グリーンブック(アメリカ合衆国で使用する「黒人専用ホテル」の案内ガイドブック)』でその言葉が使われたシーンを観た記憶が残っています。主役の裕福な黒人ピアニスト男性が、白人に「ニガー」と呼ばれて、激高していました。(げきこう。かなり怒っていた)
政治的な話が出てくることに、こどもさん向けの本であり、違和感があります。
1976年(昭和51年)のアメリカ合衆国大統領選挙です。民主党のジミー・カーターと共和党のジェラルド・フォードのたたかいです。この部分を読むこどもさんは、ピンとくるだろうか。
ウォーターゲート事件の共和党ニクソン大統領が前任者です。(たしか、盗聴事件)
物語の中にぽつぽつおとなの世界が出てくるのですが、児童文学にあって、ピンときません。わかりにくいです。
マルコムX(エックス):人の名前です。黒人解放運動家で、演説中に暗殺されました。アメリカ映画で観ました。
自分が小学校4年生の時によんだ『トムソーヤーの冒険』みたいな雰囲気がある内容です。
ゲイブリエル・アレン・キングは、虫の「クモ」が苦手だそうです。
自分がこどものころおとなから、クモはご先祖さまの生まれ変わりだから殺してはいけないと教わりました。祖先がクモに化身して(けしんして)子孫はどうしているだろうかとようすを見に来ている。守り神のようなものだと教わりました。だからこわくはありません。
自分が小学校低学年のころは、虫捕り網はクモの巣でつくっていました。針金をまるくして、竹にくくりつけて、針金のまるいわっかのところをクモの巣につっこんで、その部分を網にしていました。チョウチョとかトンボとか、クモの巣でつくった網のベタベタ部分によくくっつきました。貧乏人の知恵です。
ムカデがこわいという話も出ます。
ムカデはこわいです。たぶんこどもころに刺された体験が自分にはあります。ものすごく痛くて腫(は)れました。詳しいことは覚えていません。ショックが大きくて、記憶が飛んでいるのでしょう。ムカデには気をつけましょう。自分は、見つけたら踏んづけて殺します。ごめんねムカデちゃん。
『白人市民会議』白人は、白人だけで群れたがる。群れて、人種差別をしたがる白人もいる。
ゲイブリエル・アレン・キングのおとうさんは白人ですが、そういうことに対して拒否反応があります。
白人が行く教会は、ホロウェルにある。
黒人が行く教会は、ロックフォードにある。牧師は歌でお説教をする。聖歌隊は体を揺らしながら聖歌を歌う。(アメリカ映画で観たことがあります。タイトルをいますぐは思い出せません。大柄な黒人女性が主役でした)
白人と黒人は、別々の教会に行く。
ペカンの木:クルミ科の落葉高木。ナッツ(実)がとれる。
芽キャベツ(めきゃべつ):キャベツの変種。直径3cmから4cmの小さなキャベツ。
黒人女子のフリータ・ウィルソンが母親から禁止されていること。
①大通りで遊ぶこと
②デュークの家のトレーラーに近づくこと
③マッチに火をつけること
ああ、自分が小学三年生のときに、木造長屋の縁側の下で、何かにマッチで火をつけていたら、オヤジに「火事になるじゃないか」とこっぴどく叱られてたたかれた覚えがよみがえりました。こどもの火遊びは大火事の原因になります。気をつけましょう。
主人公の少年と少女は、クモにジミーという名前を付けました。
邦画『ブタがいた教室』を思い出しました。いい映画でした。小学生たちと学校で飼い始めたブタが主役です。食用のブタに名前を付けると愛情が湧いて食べることがつらくなるのです。
ムカデのほうにもフリータ・ウィルソンが「ドジー」という名前を付けました。でも、いろいろあってドジーは、死んじゃいました。
ふたりで、ムカデのお葬式をやります。
アメリカ合衆国独立200周年:1975年4月1日(昭和50年)-1976年7月4日(昭和51年)
都市伝説のような話です。(事実ではないことが事実のように伝えられる)デュークの母親の遺体が、トレーラーハウスの中に隠されているらしい。
ゲイブリエル・アレン・キングとフリータ・ウィルソンが禁じられているデュークのトレーラーへ行きます。デュークの母親は生きていました。どういうことだろう。引きこもりの母親とは思えません。
ドーベルマン:凶暴そうな犬。猟犬でしょう。
花火大会も白人と黒人は別々だそうです。
ホロウェルの花火大会:白人だけ。
ロックフォードの花火大会:黒人が行く。
ターザンごっこみたいな話が出ます。(つるにぶらさがって、木からおりる)
(つづく)
読み終わりました。
抑圧とたたかう。(抑圧(よくあつ):自分たちを押さえつけるもの。だれかを無理やりおさえつけることと163ページに書いてあります。肌の色、母国語、宗教などを理由に他人の自由を制限すること)
洞察力(どうさつりょく):よく見ること。本当はなんなのか。真実はなんなのかとよく考えること。悪い目的をめざしてつくられたウソの情報にだまされないこと。そそのかされないこと。
KKK(クー。クラックス・クラン):黒人を暴力で攻撃する白人の団体。白いシーツを頭からかぶって目のところだけ穴が開いていて不気味な集団。いじめっこの父親が所属しているらしい。
気に入らない者を暴力で排除しようとする人たちがいます。
アメリカ合衆国がかかえる悩みがあります。人種差別。あわせて、銃社会が思いつきました。(銃の所有が許される)
資本主義社会は、『自分たち』と『あいつら』に分かれるシステムです。選挙では、意見や考え方が異なるふたつ以上のグループができあがります。国民の集団がふたつ以上のグループに分かれて対立します。
読んでいて、演劇の脚本のようでもあります。
奴隷解放を訴えたエブラハム・リンカーンの時代からアメリカ合衆国の人種差別意識の根っこは現在も変わっていないと受け止めました。人間という生き物は愚かです。(おろかです)
世代が変われば、また最初からです。戦争を含めて、悲劇の伝承が薄くなっていきます。
主人公のゲイブリエル・アレン・キングは弱気で、ドラえもんののび太みたいです。
胸に響いた言葉などとして、
(5年生にならないというゲイブリエルに対して決裂の意味で、フリータ・ウィルソンが)『ゲイブリエルはこれから、ひとりで強くなって』
(ゲイブリエルの気持ちとして)『牛に相談したって、仕方ないんだ』
フリータの兄テレンスのセリフ『一生ここでうだうだしてるわけにはいかないからな。自分でチャンスをつかみにいくのも大事なんだよ』(家を出て働く決心をした)
(ゲイブリエルのセリフとして)『ぼく、五年生になるよ』『フリータ。君はぼくの親友だよ』
ジミー・カーターが来るかもしれないという『集会』とは、どのような集会なのか。
参加者として、ロバーツ町長、ジョーダン牧師、アレン・キング(ゲイブリエルの父親)、司会者がフリータの牧師をしている父親です。
アメリカ合衆国は、白人だけの国ではありませんと訴える。
アメリカ合衆国は、すべての人種の人々が、自由を手にしている国だから、人権を尊重してくださいとメッセージを発信する。
とくに、暴力で黒人を差別する集団に属する人たちに対して、人権を尊重してくださいとお願いする。
1865年:リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」
参考までに、明治維新が1868年(明治元年)です。
読書の参考にしてください。本作の理解はかなりむずかしい。
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