2022年04月15日
青春の門 邦画
青春の門 邦画 動画配信サービス 原作 五木寛之
高校生のころに原作のシリーズ本を読みました。
映画は、昭和50年代に映画館で観た記憶があります。
今回、動画配信サービスの案内を観ていて、半世紀ぐらい前に観たことのあるこれらの映画を手軽に観ることができることがわかって観てみました。
同じ原作で、映画は何本かあります。自分が映画館で観た時には、吉永小百合さんとか、田中健さんとか、大竹しのぶさんが出ていました。
とくに、芸能界の世界に姿を現したばかりぐらいの大竹しのぶさんの鮮烈な清らかさが今も記憶に鮮やかに(あざやかに)残っています。それほどの大きなショックがありました。
大竹しのぶさんは、まだ、デビューしたばかりのころだったと思います。その後の同名映画作品では、杉田かおるさんが出ておられました。
まさか、その後、杉田かおるさんがバラエティ番組で『魔王』と呼ばれるようになるとは予想もしませんでした。
4本観て思ったのは、コンビとしては、佐藤浩市さんと杉田かおるさんが自分にとっては良かった。母親役は、吉永小百合さんが良かったというものでした。あと、桃井かおりさんの娼婦が良かった。
1975年作品(昭和50年) 青春の門「筑豊編(ちくほうへん)」
田中健、大竹しのぶ、吉永小百合、仲代達也、小林旭、関根恵子
ドキュメンタリー風で始まります。お話の案内人が、小沢昭一さんです。お若い。2012年に83歳でご逝去されています。
始まりの出演者紹介の背景絵は、山本作兵衛さんによるものです。たまたまですが、今この原稿を打っているノートパソコンの左横にある本箱に山本作兵衛さんの本があります。『画文集 炭鉱に生きる(ヤマに生きる) 血の底の人生記録 山本作兵衛 講談社 1967年第一刷発行 2011年第三刷発行』です。1984年(昭和59年)に92歳で亡くなっておられます。
コメディ物語みたいな雰囲気もあります。
軍隊VS炭鉱夫です。
韓国人を対象とした人種差別の描写があります。
男尊女卑でもあります。
資本家VS労働者の構図もあります。
母と子の母子家庭の話でもあります。
遠賀川(おんががわ)、川筋気質(遠賀川沿いの炭鉱労働者の荒い気質。かわすじ気質)時代は、大正7年夏から始まります。1918年です。
以降、不思議なのですが、炭鉱を中心においた庶民の生活史、歴史風土記録映画のような流れになっています。まだ、テレビはない時代です。ラジオはありました。(ラジオ放送の開始が大正14年、1925年です)。大正12年9月1日(1923年)が関東大震災です。昭和3年が満州事変(1928年)。昭和11年(1936年)に主人公の伊吹信介が生まれています。昭和16年12月8日ハワイ真珠湾奇襲攻撃(1941年)。昭和20年終戦(1945年)。
原作を読んだ時には、そのような趣旨ではなかったような気がします。青春時代の悩みとか、これからの伸びのある成長とかが描かれていた記憶です。人の生き方として、めげずに生き抜く。
三時間ぐらいの長い映画です。途中で一度休憩をとる時間帯があります。
自分は、上映されたときに、リアルタイムで、映画館で観ました。今、思い出しても、そんなに長い時間観ていたという覚えがありません。
吉永小百合さんがきれいです。ため息が出るほどの美しさです。
吉永小百合さんの良かったセリフとして『よかです。うちゃ(わたしは)こん人が(この人が)好きです』
映像を楽しみます。どちらかといえば、背景の福岡県内の風景を楽しみます。英彦山(ひこさん)が見えます。カラス峠、犬鳴峠というのもあった。飯塚(いいづか)のボタ山、蒸気機関車が走っています。あの当時、実際にリアルタイムで蒸気機関車が走っていました。
オート三輪、あったなあ。
吉永小百合さんが天草(あまくさ)の子守唄を歌います。(熊本県の天草上島・下島(あまくさかみしま・しもじま。昔は天草五橋という橋もありませんでした。昭和41年開通。天草にも何度か行きました。なつかしい)
吉永小百合さんの方言セリフとして『おらぶばい!(叫ぶわよ)』
繰り返されるセリフが『ばかも、りこうも命はひとつばい』だから、男も女もたくましく生きる。
昭和天皇の力というものが強大なものであったことが映像から伝わってきます。
昭和29年当時の昭和天皇ご夫婦の白黒映像を久しぶりに見ました。
まあ、性描写が多い映画です。映画を観に来てもらうための客引手法なのでしょう。
お座敷小唄を歌っている女性が、歌が相当うまい。
大竹しのぶさんの演技は、若い時から体当たりの全力投球です。
大竹しのぶさんが亡くなった母親を偲ぶ(しのぶ)セリフとして『(自分のお母さん自身が言っていたこととして、自分は(お母さんは))顔も頭も悪かったが、体は丈夫だったから、一生懸命働いた』
お金がない悲しみ、苦しみがあります。
ラストシーンを観ながらの疑問として、伊吹信介は、ハーレーダビッドソン(バイク)で、福岡県から東京まで行ったのだろうか。行けないことはないけれど、昭和29年ごろのことだから、まだ高速道路も整備されていませんでした。
1977年作品(昭和52年) 青春の門「自立編」
田中健、大竹しのぶ、いしだあゆみ、高橋悦史、高瀬春奈、梅宮辰夫
4本観たなかでは、この映画が、一番表現力が弱かった印象が残りました。
田中健さんと大竹しのぶさんの演技において、バランスがうまくつり合いがとれていませんでした。田中健さんが演じる伊吹信介が、頼りない男性像の設定であることもあって、大竹しのぶさんの演技が強すぎるというアンバランスさを感じました。田中健さんがこどもで、大竹しのぶさんがおとなです。この時代から大竹しのぶさんはがんばっていました。すごいなあ。
学生役の人が、実年齢が高いようで、学生に見えない。あとは、前作の福岡県筑豊地域での(ちくほうちいきでの)回想中心のシーンが多い。加えて、前作同様、歴史記録映画的な表現でした。クラッシク音楽が緊張した雰囲気をつくりだして暗い内容の映画でした。
原作の趣旨は、若いということは未熟ではあるけれど、成長が望めるということだったと思うのです。映画のメッセージは別物になっているような感じがしました。
主役の伊吹信介(田中健)さんが、いつも学生服を着ていることが不思議でした。
お金がなくて、着る物がないとはいえ、私服で行くであろうというところへも(飲食店のある繁華街、性風俗街)早稲田大学の学生であることを強調したいという製作者側の意図があって、主役には、つめえりで、真っ黒に金ボタンの学生服を着せたかったのでしょう。
昔の風景があります。
まんなかが板張りの廊下で、左右に4畳半か6畳程度の部屋が並んだアパートです。共同トイレ、共同台所もあるのでしょう。昔の人たちは、不便な環境でも、これはそういうものだと思い込んで生活していました。
劇団の活動をして社会になにかをアピールする。
そういう時代がありました。
新宿二丁目も昭和29年の時代背景ですからまだ田舎っぽい。
テレビ放送の開始が、1953年2月1日です。(昭和28年)
酔っ払いのお酒飲みばかりです。
なんだか、だらしないことがいいこととして表現してあります。
「飲む・打つ・買う(飲酒・ギャンブル・売春)」がいいことだという男の考えは錯覚でした。
以前、若い人と話をしたときに、「打つ」は、覚せい剤を打つことだと思っていたと言ったので笑ったことがあります。
気に入ったセリフです。
『学生はまわりくどいからキレエだよ(嫌いだよ)』
1981年作品(昭和56年) 青春の門「筑豊編」が下地
佐藤浩市、松坂慶子、杉田かおる、若山富三郎、菅原文太、渡瀬恒彦、緒形拳、小林稔侍、鶴田浩二
観始めてしばらくして考えたことです。演者のみなさんは、何を考えながらそれぞれの役を演じていたのだろう。
おそらく、炭鉱地区暮らしをされたことがない人たちです。想像しながらの演技なのでしょう。(自分には数年間ですが体験があります)出だしの雰囲気として、リリー・フランキーさんの文学作品『東京タワー』に似ています。同じく福岡県内の炭鉱地区から始まっていたという記憶があります。炭鉱地区は、文学とか音楽とか、芸能文化の人材の宝庫でもありました。
演者のみなさんがたは、とにかく、お若い。なかには、すでに他界された方もおられます。
映像に出てくる香春岳(かわらだけ)というのは、たしか、セメントの原料になる石灰を採取する山で、映像では猛々しい容貌を示していますが、現在は、山は削られて、映像のときのような迫力はなくなっているのでしょう。山の変化とともに、人々が過ごす時代も変化しました。ボタ山を知る人も少なくなりました。
主人公の伊吹信介が今生きていたら何歳だろうかと計算してみました。87歳でした。
ポルノっぽいシーンもあります。反社会勢力(やくざ、暴力団)、人種差別(韓国人差別)、風俗、今思えば、規制がゆるい時代でもありました。こういった映像を、お金を払って、おおぜいで同時に館内で観ていました。
映画の内容は暗いです。
原野のような広っぱでのドタバタシーンが多い。
仮面ライダーとショッカーの対決のようなシーンです。
暴力があります。
昔は、親分が『ついてこい』というば、子分たちがみんなついていきました。
今は、ボスは、『ついてこい』とも言わないし、言っても、全部が全部はついてこなくなりました。
昔も今も、やっぱり最後は、血縁、地縁なのかと再確認できました。
まあ、つくりものの内容です。
娯楽作品です。
男も女もとんがっています。
炭坑とはいえ、なんであんなに労働者の顔が真っ黒すぎるのだろうか。
もう炭鉱という産業自体がなくなってしまいました。
半世紀を経て、今度は、ガソリンスタンドがなくなりそうです。
心に残った杉田かおるさんが演じる織江さんのセリフです。
『人の命なんて、あってないようなものよ』
主人公の個性は、情けない男というしかありません。意志が弱い。自分で決められないことが多い男です。
後半部は、セリフがかみあっていなかった。
お世話になった人には、ちゃんとあいさつをして、家を出てほしかった。
自分はまだこどもでしたが、昭和30年代から40年代のあの当時、九州の地で暮らす人にとって、東京とか、大阪が、日本のどのあたりにあるのかよくわからなかったようすでした。
まあ、どこにあろうが気にすることでもなかったともいえます。とにかく、働いて、収入を得て、生活していければよかった。
これは、おそらく、世界でも同じで、日本という国が世界地図の、あるいは、地球儀の、どこにあるのかわからない外国の人って、けっこう多いような気がします。
1982年(昭和57年) 青春の門「自立編」
佐藤浩市、杉田かおる、桃井かおり、風間杜夫、平田満、渡瀬恒夫、木戸真亜子、萬屋錦之助、火野正平、西川峰子、加賀まりこ
早稲田大学(大隈重信公設立)に入学した主人公の伊吹信介です。
砂川闘争というのが、映画の最初と最後に出てきます。1955年(昭和30年)-1960年(昭和35年)東京にある在日米軍立川飛行場の拡張反対住民運動です。農民と警官隊の衝突で流血事件が起きています。計画は中止されています。
献血ではなく、売血(ばいけつ。献血をしてお金をもらう)
新宿二丁目に娼婦のカオル(桃井かおり)さんはいる。
この映画では、桃井かおりさんの魅力が満載です。
観ていて、桃井かおりさんの演技には、心が落ち着きます。
映画だなぁという気分にひたれます。桃井かおりさんの映画です。
『人間はだれでも灰色の魂をもっている』
ゴーリキーのどん底にあるセリフが出てきます。
差別用語は、ポロポロ出てきます。
主人公の伊吹信介は、頼りない男です。
観ていて、同じ男として、情けなくなります。
どうしてこんな弱々しい男が主役の個性なのだろうか。
優柔不断で、判断力はなく、女性に甘えて、実行力もあるようでありません。
ドラえもんの、のび太みたいです。
牧織江役の杉田かおるさんが、ドラえもんでのしずかちゃんのポジションです。
杉田かおるさんの良かったセリフとして『結婚して、こどもを産んで育てて、人間ってそんなもんとちがうやろか』
伊吹信介は、だれかのヒモ状態です。
話の展開は、マンガのようでもあります。
時代背景のせいでしょうが、物事を『勘(かん。第六感)』で決めるとか、根性・根性の『精神論』です。科学的、数値的な考察はみられません。
義理人情、血縁、地縁で話が決まる世界です。
男尊女卑の映画でもありますが、映像を観ているとそうでもないのです。
娼館(しょうかん。売春店)で働く火野正平さんが、杉田かおるさんをいじめるのですが、杉田かおるさんのほうが、体格がいいので、杉田かおるさんが負けるようには見えないのです。がんばれ織江ちゃん! 本気で取っ組み合いをすれば、きみのほうが勝てる!と応援したくなるのです。やせっぽちの火野正平さんのほうがやっつけられそうです。
ダイヤル式の黒電話を久しぶりに見ました。なつかしい。
ロシア民謡『ともしび』の合唱が流れます。
ロシアがウクライナに軍事侵攻をした今聴くと、複雑な気持ちになります。胸が痛みます。
飲み屋で、杉田かおるさんが春歌(しゅんか。性風俗の歌)を歌います。物悲しい。
そのシーンを観ながら、テレビドラマ『池中玄太80キロ』で杉田かおるさんが歌った『鳥の詩(とりのうた)』を思い出しました。
映像は、劇団の人たちによる演劇を観ているようです。
男と女の悲哀があります。
ボクサーのくせに酒やたばこをやります。
ほんとうのボクサーは、酒もたばこもやりません。
心中(しんじゅう。男女の同時自殺)は、太宰治のようです。
九州の方言を知らない人には、登場人物たちの方言はどう聞こえるのだろう。
そんなことを考えながら映像を観ています。
てづくり感が満載の映画です。
まあ、めちゃくちゃな感じもあります。
元気いっぱいです。
青函連絡船の映像が出てきました。青森駅-函館駅
トンネルが開通して、今はもう廃止されました。(1908年(明治41年)-1988年(昭和63年))
別会社のフェリーは残っているようです。
もう遠い思い出のなかの映画になってしまいました。
高校生のころに原作のシリーズ本を読みました。
映画は、昭和50年代に映画館で観た記憶があります。
今回、動画配信サービスの案内を観ていて、半世紀ぐらい前に観たことのあるこれらの映画を手軽に観ることができることがわかって観てみました。
同じ原作で、映画は何本かあります。自分が映画館で観た時には、吉永小百合さんとか、田中健さんとか、大竹しのぶさんが出ていました。
とくに、芸能界の世界に姿を現したばかりぐらいの大竹しのぶさんの鮮烈な清らかさが今も記憶に鮮やかに(あざやかに)残っています。それほどの大きなショックがありました。
大竹しのぶさんは、まだ、デビューしたばかりのころだったと思います。その後の同名映画作品では、杉田かおるさんが出ておられました。
まさか、その後、杉田かおるさんがバラエティ番組で『魔王』と呼ばれるようになるとは予想もしませんでした。
4本観て思ったのは、コンビとしては、佐藤浩市さんと杉田かおるさんが自分にとっては良かった。母親役は、吉永小百合さんが良かったというものでした。あと、桃井かおりさんの娼婦が良かった。
1975年作品(昭和50年) 青春の門「筑豊編(ちくほうへん)」
田中健、大竹しのぶ、吉永小百合、仲代達也、小林旭、関根恵子
ドキュメンタリー風で始まります。お話の案内人が、小沢昭一さんです。お若い。2012年に83歳でご逝去されています。
始まりの出演者紹介の背景絵は、山本作兵衛さんによるものです。たまたまですが、今この原稿を打っているノートパソコンの左横にある本箱に山本作兵衛さんの本があります。『画文集 炭鉱に生きる(ヤマに生きる) 血の底の人生記録 山本作兵衛 講談社 1967年第一刷発行 2011年第三刷発行』です。1984年(昭和59年)に92歳で亡くなっておられます。
コメディ物語みたいな雰囲気もあります。
軍隊VS炭鉱夫です。
韓国人を対象とした人種差別の描写があります。
男尊女卑でもあります。
資本家VS労働者の構図もあります。
母と子の母子家庭の話でもあります。
遠賀川(おんががわ)、川筋気質(遠賀川沿いの炭鉱労働者の荒い気質。かわすじ気質)時代は、大正7年夏から始まります。1918年です。
以降、不思議なのですが、炭鉱を中心においた庶民の生活史、歴史風土記録映画のような流れになっています。まだ、テレビはない時代です。ラジオはありました。(ラジオ放送の開始が大正14年、1925年です)。大正12年9月1日(1923年)が関東大震災です。昭和3年が満州事変(1928年)。昭和11年(1936年)に主人公の伊吹信介が生まれています。昭和16年12月8日ハワイ真珠湾奇襲攻撃(1941年)。昭和20年終戦(1945年)。
原作を読んだ時には、そのような趣旨ではなかったような気がします。青春時代の悩みとか、これからの伸びのある成長とかが描かれていた記憶です。人の生き方として、めげずに生き抜く。
三時間ぐらいの長い映画です。途中で一度休憩をとる時間帯があります。
自分は、上映されたときに、リアルタイムで、映画館で観ました。今、思い出しても、そんなに長い時間観ていたという覚えがありません。
吉永小百合さんがきれいです。ため息が出るほどの美しさです。
吉永小百合さんの良かったセリフとして『よかです。うちゃ(わたしは)こん人が(この人が)好きです』
映像を楽しみます。どちらかといえば、背景の福岡県内の風景を楽しみます。英彦山(ひこさん)が見えます。カラス峠、犬鳴峠というのもあった。飯塚(いいづか)のボタ山、蒸気機関車が走っています。あの当時、実際にリアルタイムで蒸気機関車が走っていました。
オート三輪、あったなあ。
吉永小百合さんが天草(あまくさ)の子守唄を歌います。(熊本県の天草上島・下島(あまくさかみしま・しもじま。昔は天草五橋という橋もありませんでした。昭和41年開通。天草にも何度か行きました。なつかしい)
吉永小百合さんの方言セリフとして『おらぶばい!(叫ぶわよ)』
繰り返されるセリフが『ばかも、りこうも命はひとつばい』だから、男も女もたくましく生きる。
昭和天皇の力というものが強大なものであったことが映像から伝わってきます。
昭和29年当時の昭和天皇ご夫婦の白黒映像を久しぶりに見ました。
まあ、性描写が多い映画です。映画を観に来てもらうための客引手法なのでしょう。
お座敷小唄を歌っている女性が、歌が相当うまい。
大竹しのぶさんの演技は、若い時から体当たりの全力投球です。
大竹しのぶさんが亡くなった母親を偲ぶ(しのぶ)セリフとして『(自分のお母さん自身が言っていたこととして、自分は(お母さんは))顔も頭も悪かったが、体は丈夫だったから、一生懸命働いた』
お金がない悲しみ、苦しみがあります。
ラストシーンを観ながらの疑問として、伊吹信介は、ハーレーダビッドソン(バイク)で、福岡県から東京まで行ったのだろうか。行けないことはないけれど、昭和29年ごろのことだから、まだ高速道路も整備されていませんでした。
1977年作品(昭和52年) 青春の門「自立編」
田中健、大竹しのぶ、いしだあゆみ、高橋悦史、高瀬春奈、梅宮辰夫
4本観たなかでは、この映画が、一番表現力が弱かった印象が残りました。
田中健さんと大竹しのぶさんの演技において、バランスがうまくつり合いがとれていませんでした。田中健さんが演じる伊吹信介が、頼りない男性像の設定であることもあって、大竹しのぶさんの演技が強すぎるというアンバランスさを感じました。田中健さんがこどもで、大竹しのぶさんがおとなです。この時代から大竹しのぶさんはがんばっていました。すごいなあ。
学生役の人が、実年齢が高いようで、学生に見えない。あとは、前作の福岡県筑豊地域での(ちくほうちいきでの)回想中心のシーンが多い。加えて、前作同様、歴史記録映画的な表現でした。クラッシク音楽が緊張した雰囲気をつくりだして暗い内容の映画でした。
原作の趣旨は、若いということは未熟ではあるけれど、成長が望めるということだったと思うのです。映画のメッセージは別物になっているような感じがしました。
主役の伊吹信介(田中健)さんが、いつも学生服を着ていることが不思議でした。
お金がなくて、着る物がないとはいえ、私服で行くであろうというところへも(飲食店のある繁華街、性風俗街)早稲田大学の学生であることを強調したいという製作者側の意図があって、主役には、つめえりで、真っ黒に金ボタンの学生服を着せたかったのでしょう。
昔の風景があります。
まんなかが板張りの廊下で、左右に4畳半か6畳程度の部屋が並んだアパートです。共同トイレ、共同台所もあるのでしょう。昔の人たちは、不便な環境でも、これはそういうものだと思い込んで生活していました。
劇団の活動をして社会になにかをアピールする。
そういう時代がありました。
新宿二丁目も昭和29年の時代背景ですからまだ田舎っぽい。
テレビ放送の開始が、1953年2月1日です。(昭和28年)
酔っ払いのお酒飲みばかりです。
なんだか、だらしないことがいいこととして表現してあります。
「飲む・打つ・買う(飲酒・ギャンブル・売春)」がいいことだという男の考えは錯覚でした。
以前、若い人と話をしたときに、「打つ」は、覚せい剤を打つことだと思っていたと言ったので笑ったことがあります。
気に入ったセリフです。
『学生はまわりくどいからキレエだよ(嫌いだよ)』
1981年作品(昭和56年) 青春の門「筑豊編」が下地
佐藤浩市、松坂慶子、杉田かおる、若山富三郎、菅原文太、渡瀬恒彦、緒形拳、小林稔侍、鶴田浩二
観始めてしばらくして考えたことです。演者のみなさんは、何を考えながらそれぞれの役を演じていたのだろう。
おそらく、炭鉱地区暮らしをされたことがない人たちです。想像しながらの演技なのでしょう。(自分には数年間ですが体験があります)出だしの雰囲気として、リリー・フランキーさんの文学作品『東京タワー』に似ています。同じく福岡県内の炭鉱地区から始まっていたという記憶があります。炭鉱地区は、文学とか音楽とか、芸能文化の人材の宝庫でもありました。
演者のみなさんがたは、とにかく、お若い。なかには、すでに他界された方もおられます。
映像に出てくる香春岳(かわらだけ)というのは、たしか、セメントの原料になる石灰を採取する山で、映像では猛々しい容貌を示していますが、現在は、山は削られて、映像のときのような迫力はなくなっているのでしょう。山の変化とともに、人々が過ごす時代も変化しました。ボタ山を知る人も少なくなりました。
主人公の伊吹信介が今生きていたら何歳だろうかと計算してみました。87歳でした。
ポルノっぽいシーンもあります。反社会勢力(やくざ、暴力団)、人種差別(韓国人差別)、風俗、今思えば、規制がゆるい時代でもありました。こういった映像を、お金を払って、おおぜいで同時に館内で観ていました。
映画の内容は暗いです。
原野のような広っぱでのドタバタシーンが多い。
仮面ライダーとショッカーの対決のようなシーンです。
暴力があります。
昔は、親分が『ついてこい』というば、子分たちがみんなついていきました。
今は、ボスは、『ついてこい』とも言わないし、言っても、全部が全部はついてこなくなりました。
昔も今も、やっぱり最後は、血縁、地縁なのかと再確認できました。
まあ、つくりものの内容です。
娯楽作品です。
男も女もとんがっています。
炭坑とはいえ、なんであんなに労働者の顔が真っ黒すぎるのだろうか。
もう炭鉱という産業自体がなくなってしまいました。
半世紀を経て、今度は、ガソリンスタンドがなくなりそうです。
心に残った杉田かおるさんが演じる織江さんのセリフです。
『人の命なんて、あってないようなものよ』
主人公の個性は、情けない男というしかありません。意志が弱い。自分で決められないことが多い男です。
後半部は、セリフがかみあっていなかった。
お世話になった人には、ちゃんとあいさつをして、家を出てほしかった。
自分はまだこどもでしたが、昭和30年代から40年代のあの当時、九州の地で暮らす人にとって、東京とか、大阪が、日本のどのあたりにあるのかよくわからなかったようすでした。
まあ、どこにあろうが気にすることでもなかったともいえます。とにかく、働いて、収入を得て、生活していければよかった。
これは、おそらく、世界でも同じで、日本という国が世界地図の、あるいは、地球儀の、どこにあるのかわからない外国の人って、けっこう多いような気がします。
1982年(昭和57年) 青春の門「自立編」
佐藤浩市、杉田かおる、桃井かおり、風間杜夫、平田満、渡瀬恒夫、木戸真亜子、萬屋錦之助、火野正平、西川峰子、加賀まりこ
早稲田大学(大隈重信公設立)に入学した主人公の伊吹信介です。
砂川闘争というのが、映画の最初と最後に出てきます。1955年(昭和30年)-1960年(昭和35年)東京にある在日米軍立川飛行場の拡張反対住民運動です。農民と警官隊の衝突で流血事件が起きています。計画は中止されています。
献血ではなく、売血(ばいけつ。献血をしてお金をもらう)
新宿二丁目に娼婦のカオル(桃井かおり)さんはいる。
この映画では、桃井かおりさんの魅力が満載です。
観ていて、桃井かおりさんの演技には、心が落ち着きます。
映画だなぁという気分にひたれます。桃井かおりさんの映画です。
『人間はだれでも灰色の魂をもっている』
ゴーリキーのどん底にあるセリフが出てきます。
差別用語は、ポロポロ出てきます。
主人公の伊吹信介は、頼りない男です。
観ていて、同じ男として、情けなくなります。
どうしてこんな弱々しい男が主役の個性なのだろうか。
優柔不断で、判断力はなく、女性に甘えて、実行力もあるようでありません。
ドラえもんの、のび太みたいです。
牧織江役の杉田かおるさんが、ドラえもんでのしずかちゃんのポジションです。
杉田かおるさんの良かったセリフとして『結婚して、こどもを産んで育てて、人間ってそんなもんとちがうやろか』
伊吹信介は、だれかのヒモ状態です。
話の展開は、マンガのようでもあります。
時代背景のせいでしょうが、物事を『勘(かん。第六感)』で決めるとか、根性・根性の『精神論』です。科学的、数値的な考察はみられません。
義理人情、血縁、地縁で話が決まる世界です。
男尊女卑の映画でもありますが、映像を観ているとそうでもないのです。
娼館(しょうかん。売春店)で働く火野正平さんが、杉田かおるさんをいじめるのですが、杉田かおるさんのほうが、体格がいいので、杉田かおるさんが負けるようには見えないのです。がんばれ織江ちゃん! 本気で取っ組み合いをすれば、きみのほうが勝てる!と応援したくなるのです。やせっぽちの火野正平さんのほうがやっつけられそうです。
ダイヤル式の黒電話を久しぶりに見ました。なつかしい。
ロシア民謡『ともしび』の合唱が流れます。
ロシアがウクライナに軍事侵攻をした今聴くと、複雑な気持ちになります。胸が痛みます。
飲み屋で、杉田かおるさんが春歌(しゅんか。性風俗の歌)を歌います。物悲しい。
そのシーンを観ながら、テレビドラマ『池中玄太80キロ』で杉田かおるさんが歌った『鳥の詩(とりのうた)』を思い出しました。
映像は、劇団の人たちによる演劇を観ているようです。
男と女の悲哀があります。
ボクサーのくせに酒やたばこをやります。
ほんとうのボクサーは、酒もたばこもやりません。
心中(しんじゅう。男女の同時自殺)は、太宰治のようです。
九州の方言を知らない人には、登場人物たちの方言はどう聞こえるのだろう。
そんなことを考えながら映像を観ています。
てづくり感が満載の映画です。
まあ、めちゃくちゃな感じもあります。
元気いっぱいです。
青函連絡船の映像が出てきました。青森駅-函館駅
トンネルが開通して、今はもう廃止されました。(1908年(明治41年)-1988年(昭和63年))
別会社のフェリーは残っているようです。
もう遠い思い出のなかの映画になってしまいました。
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