2022年02月14日

ナナメの夕暮れ 若林正恭

ナナメの夕暮れ 若林正恭 文春文庫

 『自分探し』から始まります。
 自分には、理解できない言葉です。
 自分は、ここにいます。
 (本では、本の最後にまた『自分探し』という言葉が登場します)

 学ラン(つめえり学生服)の第一ボタンが、体に当たって痛い思いをした学生時代があったそうです。
 学生服は、日本軍隊の名残でしょう。学校は、軍人タイプの人間の養成所です。
 資本主義国家になっても、組織や会社に、隷属(れいぞく。どれいのように服従する)する人間を育てる場所なのです。あるいは、マシーン(機械)をつくる場所とも言い替えることができます。
 それでも、人には選択肢があります。言うことを聞いているふりをして、卒業後、自由になる時を待つということはできます。

 タイトルは、社会を斜めから見る思考状態を示すものなのでしょう。
 エッセイ集です。(思うがままに書き記した短い文章)
 2015年から2018年のものです。

 まえがき部分を読んで、自分のことは自分にしかわからない。
 だから、自分で自分を大事にしようという気持ちになりました。

 この本は、不思議な構成です。第一章と第二章があります。ふつうは、起承転結の四章建てか、序破急の三章建てです。(あとでわかりました。第一章が、2015年から2018年の雑誌への掲載エッセイ。第二章が2018年発行単行本製作時の書下ろしでした)
 さて、読み始めます。

第一章
 先日お笑い芸人タレントの山里亮太さんの本を読みました。
 山里亮太さんと若林正恭さんは、仕事で一緒になることがあるそうです。
 おふたりとも人見知りで、飲み会嫌いです。
 酒を飲む時間は、お笑いのネタを考える時間に当てたいふたりです。
 テレビでは披露できないお笑い話を舞台でするそうです。
 あわせて、ふたりとも「おひとりさまタイプ」です。
 ひとりで出かける。
 ひとりで行動する。
 ひとりでいて、何が悪いんだ、ということはあります。
 何も悪くはありません。
 著者が、ひとりで、ゴルフ場で、ゴルフコースを回ろうとしたら、二人以上じゃないと受付できないと断られたそうです。(ひとりでゴルフコースを回る人なんて、聞いたことがありません)

 著者は、幼稚園のころから『(相手がよろこぶようにうその言動をする)ふり』をしていたそうです。バスの運転手になりたかったけれど、親を喜ばせるために、科学者になりたいと言っていたそうです。うけねらいです。小さい子にはよくあることです。

 持て囃す:もてはやす。(漢字を読めませんでした)

 芸人さんたちに共通する下積み時の思い出として『その時受けた仕打ちを思い出して、腹が立ってきてしょうがない』

 文章を読み続けています。
 屈折しているけれど、普通の人としての常識があります。
 子どもと大人の中間にいる人という雰囲気があります。

 著者の文章を読みながら思うことです。人は外では、自分の素(す)ではない人を演じることで、周囲にいる人間に、自分はみんなと協調していると見せかけている。
 テレビに出る人は、とくに、仕事で求められている『個性(キャラクター)』を演じている。
 
 2015年当時に、2009年ころのことをふりかえって文章がつくられています。
 短いエッセイの内容に、読み手である今の自分の気持ちに合う内容と合わない内容があります。
 著者は、感情が繊細(せんさい)です。人間不信があります。人を信用できない人です。割り切れない人でもあります。こだわる人でもあります。案外、こだわらなくてもいいことにこだわり続けます。

 エッセイ『キューバへ』の部分です。
 著者の作品『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は読みました。キューバ旅行記が収められていました。若くして亡くなったお父さんが行きたかった国へ息子である著者が訪れています。
 このエッセイのいい文節として『至る所からキューバの陽気な音楽が聞こえてくる』
 (このあと126ページで、同作品におさめられているモンゴル訪問記のことが出てきます。143ページで、アイスランドに行ったことが出てきます)

 胡桃(くるみ)2個を手のひらの中でこする行為について書いてあります。昔の映画で見たそうです。自分は時代劇連続ドラマで観た記憶が残っています。たしか『素浪人(すろうにん) 月影兵庫(つきかげ・ひょうご。主役の浪人侍(ろうにんざむらい)の名前)』でした。

 『自分の気持ちを優先するか。相手の気持ちを探るか(さぐるか。相手に合わせるか)』が人生の分かれ道となるであろうという文脈があります。一般的に、自分の気持ちを優先すると、『結婚』は遠のくかもしれませんが、仕事としての成果は残せそうです。

 わかりやすかったお話として、日本において一番大事だったものは、第二次世界大戦の終戦までは『国家』、終戦後は『企業』、1990年代初めに起きたバブル経済崩壊後は『個人』という部分がありました。時代の経過とともに、濃密だった人間関係がバラバラになりました。

 資本主義は、競争をして強い者が利益を得る社会システムですから、たいていの人は、敵が半分、味方が半分、それでよしという生き方をしています。
 あわせて、民主主義は対立社会ですから、『自分たち』と『あいつら』とで闘いが続きます。
 今、資本主義国家の欧米も社会主義国家の中国・ロシアも、自然が破壊されていく地球上で、国家を統治する方法について、ゆきづまりの時期を迎えつつあります。

 この本の記事にあるゴルフの心得が良かった。『力を抜いて、欲を捨て。結果を意識せず、今ここに集中する』なにごとにでも使えそうなフレーズ(文節)です。

 男はつらいよフーテンの寅さん、昭和時代が好きな著者がいます。
 もっと早く生まれてくれば良かったのに。
 一般人のおばちゃんに背中をバンと叩かれて励まされて涙する著者がいます。

 人の真似をする時期はあるけれど、最後は、自分しかもっていない特性で勝負です。

 良かった文節として『ひとりで自分の内面ばかり見ていないで』

 テレビ番組でタレントが政治的・社会的コメントを述べることについて書いてあります。
 自分は仕事優先の生活で20年間ぐらいテレビを見ていなくて、リタイア後、テレビで、芸能界の人たちが、正義のジャッジをするような番組を見て驚きました。
 どういう立場でコメントしているのか理解できませんでした。報道だけではほんとうの事情や真実はわからないし、テレビ局側の話だけを聞いているタレントは、その出来事に関して、当事者でも関係者でもありません。
 そのうちようやく、これはバラエティ(娯楽。気分転換。楽しみ。遊び。息抜き)であり、おもしろおかしければいいということがわかりました。テレビ局や事務所やタレントは、スポンサーから、ギャラが入ればいいのです。

 良かった文節として『こんなことが許される国があるんだ(アイスランドで花火祭りを見学して、参加して)』

 この本を読みつつ思ったことです。
 すべては、仕事です。人は、お金を得て、生活していくために働きます。
 仕事をしていて、いい気持になるときもあるし、嫌な気持ちになることもあります。
 いろいろトラブルがあったとしても、仕事だからと割り切るのです。

 『凍える手(こごえるて)』というエッセイのタイトルを見て、乃南アサ(のなみあさ)作品『凍える牙(こごえるきば)』を思い出しました。なんと犯人は犬なのです。名作です。自分は、オオカミ犬ハヤテのファンになりました。

(ここから第二章の感想です)
 文体が変わりました。文章が長くなりました。
 内容は退屈になりました。(214ページのあとがきにもこの部分の出来栄えがよくないというような記述があります)
 自分の内面凝視(ないめんぎょうし。内向き)の内容です。

 会話が否定から始まる人は、人から嫌われます。
 他者が話すことを次から次へと否定して、自分はそうじゃないと言って、自分を高く見せる話法です。否定が続く連続的な会話をしているうちに、だんだん相手が怒りだします。
 著者は逆です。ちょっと変わっていて、否定されると、反発して怒るのではなく、素直に受け止めて、気持ちがへこむそうです。かなりへこむそうです。

 仕事が忙しくて、女性と交際する機会とチャンスがありません。(深夜にしか自由時間をとれない。それでも著者はその後、結婚されています)
 女性の芸能人も同じだろうなあと察します。結婚のチャンスが遠ざかっていきます。出産・育児も同じく。
 夜が仕事の時間帯ということもあります。サービス業です。人が休んでいるときに働くのが労働時間帯の芸能人です。
 頭の中が変になりそうな仕事です。

 小説家の西加奈子さんと加藤千恵さんとお酒を飲まれています。
 西加奈子さんの本は何冊も読みました。
 おそれながら、加藤千恵さんという方は知りません。歌人の方のようです。こんど本を読んでみます。

 他人の顔色を気にして頭痛になる著者です。
 
 読み手である自分と同じような部分があることを書いておられます。
 『小説を読んでいるときに……(頭の中で、別のことを考えているうちにページが進んでしまって内容がわからなくなる)』ゆえに何度も読み返すことになります。ふせんをはるし、メモをとることもあります。

 ゲーム依存でストレスを解消する。
 アルコール依存ぐらいの中毒性があるようです。

 成功する人はメモ魔が多い。それから、日記とか日誌を継続的につけている。(記録を残しておいて、未来で過去をふりかえって、解決策を見つけるヒントにする)

(あとがき部分の感想)
 テレビ番組『アメトーク』での読書芸人。見て、参考にさせてもらいました。

 2016年に病気で亡くなったお父さんに強いこだわりをもっておられる著者です。(進路を含めていつも協力者であり続けてくれたことに感謝されています)
 自分も子育てをしてきて思うのですが、こどもがああしたい、こうしたいと言ってきたときは、そうさせてあげるのが、お互いの未来のためです。
 親がこうしなさいと親の考える枠の中にこどもを無理やりあてはめると、未来で不幸なことが起きやすくなります。進学とか、就職とか、結婚のときなどです。

(文庫本のためのあとがき)
 銀座のタリーズ:コーヒーショップ
 
 過去のことをひきずるのが著者の特徴です。
 
 デフォルト:初期設定

 東京にある勝鬨橋(かちどきばし)の風景描写文章があります。
 小学生の時の修学旅行で観たことを思い出しました。
 たしか、遊覧船で川下りをしました。
 なつかしい。

(解説 朝井リョウ)
 なかなか心憎い(憎らしいぐらい優れている(すぐれている))書き方をしてあります。
 最初の部分は、読みながら、公式にのっとった定型的な文章が書いてあるなと思いながら読んでいました。
 途中で、ひっくりかえされます。
 『――とここまでは、“文庫解説”の形式に則る(のっとる)形で書いてみた……』
 凄み(すごみ。怖い(こわい)ぐらいの迫力)があります。
 『私は基本的に、他者の幸福を願えない。……全員引きずり落とされればいいと思ってしまう…… 私なりの世界の肯定が拡張されていくのだと思う。』
 自分は、小説家は、善人なだけではなれない。世間の考えとは、いくぶんずれているという、心に屈折した部分がないと、小説家には向かないと思うのです。この本のタイトル『ナナメの夕暮れ』の意味に通じることです。

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