2022年02月12日
百年の家 講談社
百年の家 絵/ロベルト・インノチェンティ 作/J.パトリック・ルイス 訳/長田弘(おさだ・ひろし) 講談社
家がしゃべります。
擬人法です。(ぎじんほう:人間以外のものを人間に見立てる)
建ってから100年経つ家です。
わたしは、自分たち夫婦が建てた家は70年間ぐらいもってほしいと思っています。孫の代に建て替えを考えています。(そのころ自分はもうこの世にはいないと思いますが)
25年から30年ぐらいが、木造家屋の建て替えの時期だと聞くと、そんなばかなという気持ちになります。お金がかかるので、なるべく長く同じ家に住みたい。
この本に出てくる家は、2009年のこととして、今を語り始めました。
ペストが大流行した年に建ったとあります。1656年です。2009年を起点にしてさかのぼりの計算をすると、353年前です。(1656年:日本では、江戸時代です。関ケ原の合戦が、1600年です)
絵本のタイトルには百年の家とありますが、絵本に出てくる石造りの家は、建ってから353年が経過した家ということになっています。
この外国絵本のオリジナルタイトルは、『The House(その家)』です。
ペストという流行病の話から始まります。
今は、新型コロナウィルスの大流行です。
周期的に同じようなことが繰り返されることが、地球及び人類の歴史です。
絵本の絵を見ています。
トイレは、どっぽん便所に違いない。
テレビの旅番組を見ていると、山奥の田舎にある家は、今でも汲み取り式だろうと推察します。
絵本の中は、1900年になりました。日本だと明治33年です。
きのこ狩りをする女子たちやこどもたちがいます。
この年に、廃屋となっていた家(自分)を人が発見してくれたと家が語ります。(ここから100年か)
石でできた洋風の建物です。
絵本の下地となる色彩は緑色です。
1656年から1901年までのこれまでの長い歳月での家の苦労がしのばれます。(しみじみと思い出す)
働く。住まう。生活する。
絵を見ながら、イメージを脳内に湧かせる(わかせる)作業をする絵本読書です。
1905年(明治38年)長い食卓を囲んだたくさんの人たちが食事をしています。
老若男女がいます。
このころも、人と人との対立があったのだろうか。
1915年(大正4年)に、結婚式がありました。レンガ職人の男性と女性のカップルです。
翌年、お子さんが誕生されています。
ガチョウがいて、ネコがいて、ツバメが飛んでいて、ニワトリとヒヨコがいます。自然があります。
でも、夫は、第一次世界大戦の戦場へ向かいました。
1918年(大正7年)夫は、第一次世界大戦で、戦死しました。
お子さんは生まれたものの、夫婦にとっては、短い結婚生活でした。
1929年(昭和4年)家が古くなってきました。世の中では、アメリカ合衆国のウォール街で株が大暴落して世界大恐慌が起こりました。
絵本の色調は暗い。人間の姿は人形のように見えます。
1936年(昭和11年)家族は、農業で生計を立てて暮らしています。自給自足に近い生活でしょう。
1942年(昭和17年)第二次世界大戦中です。家が避難所として利用されています。
1944年(昭和19年)ぐっとくる文節として『だれの戦争なのだろう?』
1958年(昭和33年)歳時記があります。(一年間の出来事)
人の生活は、『食べる』が基本です。
こどもが成長して、家から巣立っていきます。
悲しみがありますが、喜びもあります。
1967年(昭和42年)お葬式です。奥さんがお亡くなりになりました。絵本の最初のほうでは若かった奥さんは、絵本の後半では、髪が真っ白になり、見た目はおばあさんになりました。
人生における儀式は大事です。人生の節目ごとに気持ちの整理をつけます。
この家の所有者がいなくなってしまいました。
家は、自分の旅(人生)は、まもなく終わると語ります。
家にも人生があります。新しい世代に道を譲ると言います。
春が来ました。若い人たちが歌う歌があります。
家は屋根が抜けて、壁も崩れて(くずれて)、廃屋状態です。
1993年(平成5年)家がさらに崩れます。以前読んだ小説を思い出しました。桜木紫乃作品『ホテルローヤル』廃屋になっている北海道にあるラブホテルの歴史です。良かった時代もあったのです。
1999年(平成11年)もう主役の家はありません。地面の上をブルドーザーが動いています。
そういえば最近は、ご近所では、家屋やビルの解体作業がひんぱんに行われています。もうおたくらの世代の時代は終りだと、宣告されているような気分があります。
絵本の中では、古い家があった場所は、さら地になって、新しい家が建てられて、住む人が変わりました。
絵の色調も明るくなったように感じられます。
この絵本では、人間の営みについて描いてありました。
そしてまた同じように100年が経過していきます。
常に、『今』は『過去』になり続けます。
繰り返されて、何千年も人類はこの地球上で生き続けられるのだろうか。
もうそのころには、自分はこの世にはいません。
家がしゃべります。
擬人法です。(ぎじんほう:人間以外のものを人間に見立てる)
建ってから100年経つ家です。
わたしは、自分たち夫婦が建てた家は70年間ぐらいもってほしいと思っています。孫の代に建て替えを考えています。(そのころ自分はもうこの世にはいないと思いますが)
25年から30年ぐらいが、木造家屋の建て替えの時期だと聞くと、そんなばかなという気持ちになります。お金がかかるので、なるべく長く同じ家に住みたい。
この本に出てくる家は、2009年のこととして、今を語り始めました。
ペストが大流行した年に建ったとあります。1656年です。2009年を起点にしてさかのぼりの計算をすると、353年前です。(1656年:日本では、江戸時代です。関ケ原の合戦が、1600年です)
絵本のタイトルには百年の家とありますが、絵本に出てくる石造りの家は、建ってから353年が経過した家ということになっています。
この外国絵本のオリジナルタイトルは、『The House(その家)』です。
ペストという流行病の話から始まります。
今は、新型コロナウィルスの大流行です。
周期的に同じようなことが繰り返されることが、地球及び人類の歴史です。
絵本の絵を見ています。
トイレは、どっぽん便所に違いない。
テレビの旅番組を見ていると、山奥の田舎にある家は、今でも汲み取り式だろうと推察します。
絵本の中は、1900年になりました。日本だと明治33年です。
きのこ狩りをする女子たちやこどもたちがいます。
この年に、廃屋となっていた家(自分)を人が発見してくれたと家が語ります。(ここから100年か)
石でできた洋風の建物です。
絵本の下地となる色彩は緑色です。
1656年から1901年までのこれまでの長い歳月での家の苦労がしのばれます。(しみじみと思い出す)
働く。住まう。生活する。
絵を見ながら、イメージを脳内に湧かせる(わかせる)作業をする絵本読書です。
1905年(明治38年)長い食卓を囲んだたくさんの人たちが食事をしています。
老若男女がいます。
このころも、人と人との対立があったのだろうか。
1915年(大正4年)に、結婚式がありました。レンガ職人の男性と女性のカップルです。
翌年、お子さんが誕生されています。
ガチョウがいて、ネコがいて、ツバメが飛んでいて、ニワトリとヒヨコがいます。自然があります。
でも、夫は、第一次世界大戦の戦場へ向かいました。
1918年(大正7年)夫は、第一次世界大戦で、戦死しました。
お子さんは生まれたものの、夫婦にとっては、短い結婚生活でした。
1929年(昭和4年)家が古くなってきました。世の中では、アメリカ合衆国のウォール街で株が大暴落して世界大恐慌が起こりました。
絵本の色調は暗い。人間の姿は人形のように見えます。
1936年(昭和11年)家族は、農業で生計を立てて暮らしています。自給自足に近い生活でしょう。
1942年(昭和17年)第二次世界大戦中です。家が避難所として利用されています。
1944年(昭和19年)ぐっとくる文節として『だれの戦争なのだろう?』
1958年(昭和33年)歳時記があります。(一年間の出来事)
人の生活は、『食べる』が基本です。
こどもが成長して、家から巣立っていきます。
悲しみがありますが、喜びもあります。
1967年(昭和42年)お葬式です。奥さんがお亡くなりになりました。絵本の最初のほうでは若かった奥さんは、絵本の後半では、髪が真っ白になり、見た目はおばあさんになりました。
人生における儀式は大事です。人生の節目ごとに気持ちの整理をつけます。
この家の所有者がいなくなってしまいました。
家は、自分の旅(人生)は、まもなく終わると語ります。
家にも人生があります。新しい世代に道を譲ると言います。
春が来ました。若い人たちが歌う歌があります。
家は屋根が抜けて、壁も崩れて(くずれて)、廃屋状態です。
1993年(平成5年)家がさらに崩れます。以前読んだ小説を思い出しました。桜木紫乃作品『ホテルローヤル』廃屋になっている北海道にあるラブホテルの歴史です。良かった時代もあったのです。
1999年(平成11年)もう主役の家はありません。地面の上をブルドーザーが動いています。
そういえば最近は、ご近所では、家屋やビルの解体作業がひんぱんに行われています。もうおたくらの世代の時代は終りだと、宣告されているような気分があります。
絵本の中では、古い家があった場所は、さら地になって、新しい家が建てられて、住む人が変わりました。
絵の色調も明るくなったように感じられます。
この絵本では、人間の営みについて描いてありました。
そしてまた同じように100年が経過していきます。
常に、『今』は『過去』になり続けます。
繰り返されて、何千年も人類はこの地球上で生き続けられるのだろうか。
もうそのころには、自分はこの世にはいません。
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