2021年12月23日

70歳が老化の分かれ道 和田秀樹

70歳が老化の分かれ道 和田秀樹 詩想社新書

 自分はまだ70歳より手前です。
 これからさき、健康で長生きして、人生最後のステージを楽しみたいので、老化を防止するためにはどうすればいいのかということには興味があります。
 老化防止・抑止として、自分なりに心がけているやりかたは、めんどうくさくてもやるべきことはやる。時間がかかってもいいからゆっくりやるということです。
 
 リタイアして数年が経過しました。
 暮らし方はずいぶん変わりました。
 だいぶ新しい生活リズムに慣れてきました。
 仕事優先で、二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見ていなかったテレビをゆっくり楽しめるようになりました。
 最近『期限』に対する考え方が変わりました。働いていた頃は、いついつまでに、なになにを、きちんと最高の状態でやり遂げなければならないという、せっぱつまった不安感と恐怖感に追われていました。
 今は、すべてのことの期限は、自分の命が尽きる瞬間だと思うようになりました。もう急がなくていいのです。あせらなくていいのです。ずいぶん気持ちの持ちようが楽になりました。

 親たちを葬儀で見送って、次は自分の順番がいつかはくると覚悟はしております。
 できることなら認知症にならずに自分の意識で自分の死を受け入れたいのですが、これからさき、どうなるのかはわかりません。

 この本に何が書いてあるのかこれから読むのが楽しみです。
 著者は、精神科医となっています。
 これまでの読書メモを調べたら同著者の本を過去に二冊読んだことがあるのを見つけました。
 『家族がボケる前に読む本 和田秀樹 健康人新書』と『「つらいことから逃げない」生き方 和田秀樹 新講社』です。

(つづく)

 まえがき、目次と見てきて、これは本当だろうか?という気になる文節に出くわします。『コレステロールが高めの人や太めの人のほうが高齢になってからの死亡率が低い』『運転免許は返納してはいけない。実は、高齢ドライバーは危なくない』『長生きしたければダイエットをしてはいけない』『血圧、血糖値はコントロールしすぎない』
 
 七十代を上手に過ごさないと八十代で困ったことになる。
 『気持ちが若く、いろいろなことを続ける』『良好な栄養状態を保つ』が大事とあります。
 最終的には『歳をとってやさしくなることが、幸せへの近道』とあります。

 できることなら自宅で眠るように死にたいというのがたいていの人の希望でしょう。ぽっくり。ころりです。
 今年は高齢の親族たちをあの世へと見送りましたが、最後は本人も、死ぬのも大変だと言っていました。人間というものは、逝(い)きたくても簡単には逝けないこともあるのです。

 孫が祖父母に『長生きしてね』と声をかけていたのは、1970年代から1980年代ぐらいまでの記憶です。日本人は長生きになりました。そのころは、六十代はもうおじいさん扱いでした。役職者の定年が五十五歳でした。お年寄りはたいてい七十代後半で亡くなっていた記憶です。
 
 ストレプトマイシン:抗生物質。結核の治療薬。最近に効く薬。微生物がつくる化学物質。
 医学の進歩で、体が若くなったというよりも死ななくなったという状態だそうです。
 脳の老化を止めたり、脳を再生したりすることはできないそうです。
 アルツハイマーとかパーキンソンという言葉が近づいてきます。

 以前、テレビ番組「徹子の部屋」で、タキミカさんという90歳の女性の出演を見て驚愕したことがあります。とても超高齢者には見えません。運動の先生でした。加えて、徹子さんもすごい。88歳です。自分が三十代のころに徹子さんの講演会に行ったことがあります。機関銃のように90分間をしゃべり続ける人でびっくりしました。
 
 自分は五十代になったとき、もういつ癌の宣告を受けてもおかしくない年齢になったという自覚がありました。
 いくら長寿国日本になったとはいえ、自分に長寿の恩恵があることが確実なわけではありません。

 歳をとっても、働けるうちは働いたほうがいいと書いてあります。
 自分が定年退職時に考えたことは『通勤』の習慣を残しておきたいということでした。
 またいつなんどき、働かなければならなくなった時に、『通勤』の習慣を体が覚えていたら楽できる。
 『通勤』にはものすごいエネルギーを費やします。『通勤』ができれば、仕事の継続はできます。長年体で覚え込んだのが『通勤』です。ラッシュアワーのなかでも前へ進めます。頭で何も考えなくても体が反応してくれます。
 毎朝通勤するつもりで三十分間ぐらい近所を散歩することにしました。
 歩くことが、良好な体調維持に役立っていることと近所の人たちや知らない人たちと朝のあいさつができることがメリットになっています。
 仕事場に行かなくなったので、人との会話が家族や親族、ごく親しい友人に限られるようになりました。そんななかで、他人とあいさつを交わすとほっと安心できます。
 けっこう朝早くから活動している人たちが多いことに気づきました。犬と散歩、ジョギング、ラジオ体操の集団、太極拳のグループ、それから、こどもたちの集団登校、ご近所のサラリーマンさんたちの出勤風景、燃えるゴミ、不燃ごみ、資源ごみなどのごみ出しの場面などであいさつをかわすこともあります。集団登校のこどもたちも積極的にあいさつを返してくれます。

 著者は地域での社会活動も勧めておられます。好きな趣味の集まりもあるのでしょう。
 わたしはもう人間関係がらみのストレスをかかえたくないのでそこまでは御免です。最近は血縁関係のある親族とのつきあいを大切にしています。

 著者のご意見に賛同できない部分がいくつかあります。『運転免許は返納してはいけない』車の運転は続けることを推奨されています。とくにいなかでは、車を手放すと、その後、脳の活動が低下してしまうというような説明が添えられています。
 自分よりも若い他人をけがさせると大変なことが起こります。高齢者本人だけが責められるのではなく、子どもや兄弟姉妹一族まで社会的制裁を受けて責められることになります。親族の人生の流れを変えてしまうこともあるでしょう。被害者家族の怒りはすさまじい。
 脳の活動の低下防止は、車の運転以外の手段でやってほしい。
 『高齢者運転は危なくない』と書いてありますが、自分は、ゆっくりでしたが、高齢者の逆走運転を見たことがあります。運転している本人には自分が間違えているという意識はないようでした。助手席の同乗者が気づいてUターンをしていました。複数車線とか、工事中の現場が危ない。
 近所でアクセルとブレーキの踏み間違いをしたあとの現場も見たことがあります。高齢者が運転する車のそばは危険がいっぱいです。近づかないほうがいい。

 『肉を食べる』
 これは試したい。
 たんぱく質をとりましょうというアドバイスがあります。
 セロトニン:血管の緊張を調節する神経伝達物質。幸福感をもたらすそうです。お肉を食べると増えるそうです。合わせて、太陽光線を浴びるとセロトニンがつくられるそうです。そういえば、朝日を浴びながらの朝の散歩は気持ちがいい。
 
 よくわからないのですが『長生きしたければダイエットをしてはいけない』とあります。
 肥満体の人を見ると、ああ、あの人は、長生きはできないと判断しています。だから自分もやせなければとダイエットに励んでいます。BMIが25から30くらいの人が長生きできると書いてありますが、肥満体に入ります。本当にいいのだろうか。長生きしている人はみなさんやせているように思えます。

 がんの予防は免疫機能を維持することとあります。
 おいしいものを食べると免疫機能が低下しないそうです。そうしよう。
 お酒は控えたほうがいいそうです。
 退職してからはストレスがなくなったので、飲酒することはほとんどなくなりました。胃腸が痛くなるほどアルコールを飲むのはもう御免です。

(つづく)

 全体を読み終えました。
 お肉を食べる。おいしいものを食べる。
 嫌な人とは付き合わない。
 以上はそのようにしてみようという気持ちになりました。
 七十歳になったらというよりも、今からです。
 そのほかの薬の服用の仕方とか、検診の受け方などは、各個人の判断でしょう。
 意外だったのは、医師である著者自身でも検査結果で健康数値が出ているわけではないということでした。医師の寿命は一般の人の平均寿命より短いとあとに記述がありました。

 ステント:金属製の網状の筒。血管の中を広げる。
 カテーテル:柔らかい管(くだ)。
 
 医師のアドバイスもありますが、まずは、自分の親族で長寿だった人、現在も健在で長寿の人の暮らしぶりを参考にして自分の長命に生かしたい。

 本に書いてある長生きした人が小太りだとは思えないのです。
 ただ、無理な食事制限でやせることは命を縮めることになる気がします。
 
 がんには二種類あって、転移するものと転移しないものとがある。転移しないものであれば、手術は70代以上であるならしないほうがいい。がんの進行は遅い。手術による体力低下は著しいそうです。参考にさせてもらいます。

 うつ病、アルコール依存、ギャンブル依存、ゲーム依存などについて書いてあります。先日読んだ「スマホ脳」のスマホ依存も含まれてくるのでしょう。

 病院のベッド上で全身に管(くだ)を付けられて死んでいくのは不幸なことではないと書いてあります。新しい解釈だと受け止めました。本人は意識がないので、だいじょうぶだというような理由です。わたしは嫌です。体は動かせなくても意識はあるような気がするのです。まわりにいる人たちの会話の内容は聞かれているような気がするのです。

 読んでいると、何が正しいのかわからなくなってくるときがあります。
 自分で判断していきます。
 『医学』は、完ぺきではない。今だ、発展途上であることは理解できました。
 
 『定年後の喪失感』について書いてあります。
 職場で英雄だった人についてのものでしょう。
 下っ端(したっぱ)にいた人間にとっては、解放感があるのみです。

 夫が死んでせいせいしたという妻の気持ちは、男である自分にはわかりません。そういわれないようにがんばろうとは思います。火葬場の棺桶の中で『惜しい人を亡くした。長い間、お疲れさまでした』とみなさんから声をかけられてこの世を去りたい。

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