2021年11月25日
暮らし方いろいろ 人生いろいろ
暮らし方いろいろ 人生いろいろ
今回久しぶりに旅をして、田舎風景の中に身を置いて考えたことです。
博多駅から鉄道支線に乗りかえて移動した電車の窓からは、自然に包まれた豊かで深い風景を見ることができました。
山があって、山々の峰は連なっていて、緑の木々も紅葉を迎えた木々も美しい。赤い葉っぱ、黄色い葉っぱがところどころ固まっていました。
川があって、田んぼがあって、木造の古い建物がぽつんぽつんと建っている。
心がほっとできる空間があります。
下の写真は夕映えが始まるころです。
同じ場所でずっと暮らして人生を終える人がいます。
日本各地、あるいは世界各地を転々として人生を終える人もいます。
親族に囲まれて、老若男女を見ながら過ごす人生があります。しわしわのお年寄りがいて、やわらかでつるつるお肌をしたあかちゃんとのふれあいがあります。
仕事いちずで仕事の世界を中心にして終わる人生もあります。
島倉千代子さんの歌曲「人生いろいろ」を思い出します。
人それぞれです。
知らないことを知らないまま終える人生もあります。
人生の過ごし方の選択肢はたくさんあります。
標準的な人生の線路上を走ることができないからといって、人生をあきらめることはないと気づかされます。1億2600万人ぐらいいるこの国の人の人生は、同じ数だけの人生のパターンがあります。
五十年ぐらい前は、鉄道駅やバスターミナル周辺、アーケードの商店街ににぎわいがありましたが、いまはさびれて夜はとくに冷たい空気が流れています。
現在は、バイパス道路沿いや郊外型大型店舗に人が集まっています。
これから先、五十年後は、またようすが変わるのでしょう。
田舎には、自然と共生する生活があります。
電車や車の車窓から、太陽光発電に使用するソーラーパネル施設をいくつも見ました。
田舎では、下水道設備がないので、いまだに汲み取り式の便所を使用しているところもあります。
行政によるし尿の回収作業があります。また、上水(じょうすい)については、水道設備がなく、井戸を使用しているところもあります。
簡易水洗というものを初めて使用しました。レバーを向こうへ倒すと便器にたまっていた水が流れます。手前に引くと次回に備えて、便器の底に水がたまります。
都会で生まれて育って人生を終える人たちには、一生体験することがない生活のしかたです。
そんなところから前述した「人生いろいろ」を思いつきました。
とある峠道の途中にある展望台からの写真です。
五十年ぐらい前に観た山の形に変わりはありません。
この文章をつくっていたときに、背後においてあったラジオから「ひきこもりラジオ」というような番組が流れてきました。
狭い空間に身を置いている人たちの、死にたいとか、外に出るのが怖いとか、生きることが苦痛だとかいうお便りが続きます。聞いていて、気持ちが重くなりました。人になにかをしてもらいたいという依存心を感じました。
本人が、外に出ようと思わなければなんともしようがないのです。外に出ると、いいこともあるし、いやなこともあります。プラスマイナスイコールゼロが、生活の基本です。いい事ばかりはないし、悪い事ばかりでもありません。
人生いろいろですから、できないならできないでもいいのだろうと変に納得したのです。
今回久しぶりに旅をして、田舎風景の中に身を置いて考えたことです。
博多駅から鉄道支線に乗りかえて移動した電車の窓からは、自然に包まれた豊かで深い風景を見ることができました。
山があって、山々の峰は連なっていて、緑の木々も紅葉を迎えた木々も美しい。赤い葉っぱ、黄色い葉っぱがところどころ固まっていました。
川があって、田んぼがあって、木造の古い建物がぽつんぽつんと建っている。
心がほっとできる空間があります。
下の写真は夕映えが始まるころです。
同じ場所でずっと暮らして人生を終える人がいます。
日本各地、あるいは世界各地を転々として人生を終える人もいます。
親族に囲まれて、老若男女を見ながら過ごす人生があります。しわしわのお年寄りがいて、やわらかでつるつるお肌をしたあかちゃんとのふれあいがあります。
仕事いちずで仕事の世界を中心にして終わる人生もあります。
島倉千代子さんの歌曲「人生いろいろ」を思い出します。
人それぞれです。
知らないことを知らないまま終える人生もあります。
人生の過ごし方の選択肢はたくさんあります。
標準的な人生の線路上を走ることができないからといって、人生をあきらめることはないと気づかされます。1億2600万人ぐらいいるこの国の人の人生は、同じ数だけの人生のパターンがあります。
五十年ぐらい前は、鉄道駅やバスターミナル周辺、アーケードの商店街ににぎわいがありましたが、いまはさびれて夜はとくに冷たい空気が流れています。
現在は、バイパス道路沿いや郊外型大型店舗に人が集まっています。
これから先、五十年後は、またようすが変わるのでしょう。
田舎には、自然と共生する生活があります。
電車や車の車窓から、太陽光発電に使用するソーラーパネル施設をいくつも見ました。
田舎では、下水道設備がないので、いまだに汲み取り式の便所を使用しているところもあります。
行政によるし尿の回収作業があります。また、上水(じょうすい)については、水道設備がなく、井戸を使用しているところもあります。
簡易水洗というものを初めて使用しました。レバーを向こうへ倒すと便器にたまっていた水が流れます。手前に引くと次回に備えて、便器の底に水がたまります。
都会で生まれて育って人生を終える人たちには、一生体験することがない生活のしかたです。
そんなところから前述した「人生いろいろ」を思いつきました。
とある峠道の途中にある展望台からの写真です。
五十年ぐらい前に観た山の形に変わりはありません。
この文章をつくっていたときに、背後においてあったラジオから「ひきこもりラジオ」というような番組が流れてきました。
狭い空間に身を置いている人たちの、死にたいとか、外に出るのが怖いとか、生きることが苦痛だとかいうお便りが続きます。聞いていて、気持ちが重くなりました。人になにかをしてもらいたいという依存心を感じました。
本人が、外に出ようと思わなければなんともしようがないのです。外に出ると、いいこともあるし、いやなこともあります。プラスマイナスイコールゼロが、生活の基本です。いい事ばかりはないし、悪い事ばかりでもありません。
人生いろいろですから、できないならできないでもいいのだろうと変に納得したのです。
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