2021年11月05日
非正規介護職員ヨボヨボ日記 真山剛
非正規介護職員ヨボヨボ日記 真山剛(まやま・ごう) 三五館シンシャ フォレスト出版
『介護職は最後の手段』から始まります。
勤め先が見つからないと選択する職という意味です。
赤木春恵:『ペコロスの母に会いに行く』で認知症の老婆を演じる。2018年、94歳没。本は読んだことがあります。
(2014年11月の読書メモの一部から)
ペコロスの母に会いに行く 岡野雄一 西日本新聞社
「ペコロスの母に会いに行く」は、ペンネームがペコロス(外国語で小さいたまねぎ、意味を転じてはげ頭)の息子である60歳過ぎの漫画家岡野雄一さんが、認知症グループホームに入所している90歳過ぎの母親みつえさんに会いに行くことです。内容は漫画とエッセイです。
本の内容は、笑えます。前半は、おもしろ過ぎて、笑い転げました。そして、「平和」です。過去はいろいろあったけれど、今は、時が止まったような、陽だまりにいるような暮らしなのです。ぼけてしまった母親の言動と、はげを売りにする著者のキャラクターを中心にして、時々、著者の弟さんとか、著者の息子さん(みつえさんからみると孫)がからんできます。後半はマザコンぽくなるのですが、被爆地長崎市らしく、反戦の誓いが強く伝わってきました。
こちらの本の第一章「さっさとやれよ」には、どきっとさせられます。以前、介護施設で事件があったニュースを思い出します。職員が入所者に暴行を加えるというもので、複数のニュースを見聞きしました。加害者のうちの何人かは、若い世代の男性職員でした。
大変な仕事です。お金のためと割り切らないとできない部分もあります。
自分が若い頃は、お酒飲みで暴れて大声を出すおじさんたちは、年老いて、内臓を壊して、糞尿まみれで死んでいくことがありました。おじさんたちは、反省しておとなしくなるのだと思っていましたが、この本を読むとどうもそうでもありません。開き直って、介護をする人に対して攻撃的になっています。威張って死に向かっていくのです。
「オムツ」は、オムツとは言わずに「パンツ」というそうです。介護される人の尊厳(そんげん。プライド。自信。自慢)を傷つけてはいけないのです。
死に方の勉強をするような意味をもった本です。
やわらかい便ではなく、固い便が出るような食生活、日常生活を送らねばと思いつきました。
介護するご家族の不思議な関係が書いてあります。
昔は、疑似家族のようなものが多かった。血縁はないけれど、家族なのです。
義務教育を終えて、住み込みや寮生活で働いて仕事を覚えて、仕事の関係で毎日顔を合わせる共同生活者同士で、家族のように暮らしました。
「利用者は神さま、職員は奴隷」というのは、けっこうつらい。
「お局さま(おつぼねさま)」:性別に限らず、小さな村社会があって、村長がいて、その村だけで通じる掟(おきて)があって、村長(ボス)の指示に従いながら仕事を進めていくということはよくあったパターンです。最近は、だんだん減ってきている印象がある仕事のしかたです。加えて、女性を敵に回したら仕事が回って行かないということはあります。
事例として、(仕事や仕事以外でも)完璧を求められる。期限があるのに、その期限以前の異なる期限を設定してその期限を守らせる。正規のルール以上の縛り(しばり)を強要する。できないと烈火のごとく怒る。病的です。きちょうめんで神経質な人が仕切り屋になると、ついていくほうはたいへんです。人間関係もうまくいかなくなります。本人は、自分は必要とされていると自信をもっていますが、自分が人から嫌われているとは思っていません。
本に書いてありますが、「嘘をつく」ことが日常になる女性がいます。三十代のころにそういう女性に出会ったことがあってびっくりしました。口から出てくる言葉のすべてが噓なのです。トラブル発生の原因になります。
33ページ付近にある施設内の認知症になっている入所者同士のやりとりは、まるでお笑いのコントシーンを観るようでもあります。
介護保険制度で助かっている人は多いと感じます。健康保険、年金保険、介護保険などの公的保険に加入しておくことは安心・安全の基本です。
昔は、嫁いだお嫁さんが年老いた義父母の介護を長期間して、献身的に尽くしてふたりを見送ったあと、血縁関係がない嫁には相続権がなくてという悲しい話をよく聞きました。
ひとつひとつのエピソードが重たい。
読み手である自分は、老いた親を施設に入れたくない、自分自身は施設には入りたくないというように、気持ちが滅入ってきます(めいってきます)。短いエッセイを読み終えるたびにふーっとため息をつきます。
在宅介護で、介護ヘルパーさんに来てもらって、買い物や掃除をお願いしながら、できることなら在宅で逝きたい。(いきたい。天国へ召されたい)
過去の栄光は、老後に認知症になれば、消えます。
まるで、別人に人が変わります。
肩書きは参考になりません。元教師、元警察官、くわえて、公務員や銀行員もあやうい。
利用者に、嚙みつかれたり、便を投げつけられたり、自傷行為があったりとあります。
昔映画で観た「恍惚の人(こうこつのひと)」「楢山節考(ならやまぶしこう)」「そこのみにて光輝く」を思い出します。
ハインリッヒの法則:働いていた頃に研修で習いました。1つの重大事故の背後に29の軽微な事故があり、その背後に300のミスがある。なにごとにも前兆があります。
ここに限らずですが、利用者は「商品」です。
バイタル:体温、血圧、脈拍、心拍数、呼吸数、生命サイン(兆候)
モンスター的な利用者の身内がいます。おいしいところだけをつまみぐいしにくるような人です。
たまに、ヒステリック(かんしゃくもちの怒りんぼ)な女の人を見かけます。なにがそんなに怒れるのだろうかと不思議なことがあります。自分はもうリタイアして無責任でいられる傍観者の立場なので、脳の病気なのだろうと思ってやり過ごします。
意地悪な人は、何十年経っても意地悪です。直りません。
エロじいさんもいれば、エロばあさんもいます。
老人ホームは、楽園でも天国のようなところでもありません。
みっともない姿をさらして生きるよりも、ずばっと死にたいという希望もあります。されど、死に方はなかなか選べません。
自己主張が強くて、自分を曲げない人が亡くなると、ほっとする風景があります。
杖代わりに軽自動車を運転する高齢者がいます。
先日車を運転していたら、工事中の二車線道路を高齢者二人が乗った軽自動車が少し前からこちらに逆走してきたのでびっくりしました。交通量が少ない道だったので、高齢者が運転する軽自動車はUターンできました。
100歳以上のお年寄りは8万人超えで、9割が女性。平均寿命が、女性が87.5歳、男性が81.4歳とあります。読みながら、自分の余命を計算したりします。
自慢話。ありがちです。『他人の自慢話ほど退屈でつまらないものはない』そのとおりです。でも、仕事ですから聞かねばなりません。相当疲れそうです。
著者はご苦労されています。
この本の印税収入で豊かになってください。
(つづく)
「トイレ掃除をすると運勢が上向く」という小さなコメントがあります。
この本が売れたのが、良い「運」です。
お金だけもらってサービスを提供しない老人ホームもあるようです。
やはり、老人ホームは楽園ではありません。
日野原重明さん:2017年に105歳で死没。医師。二冊本を読んだことがあります。
(感想メモの一部です)
生きていくあなたへ -105歳どうしても遺したかった言葉- 日野原重明 幻冬舎
短時間で読み終えることができる本です。
これまで、興味が湧かなかったので、今回読んで初めて判明した事柄がいくつかありました。
若いときに大病をした。(結核らしい)
よど号ハイジャック事件の時、人質だった。
地下鉄サリン事件の時、多数の犠牲者が運び込まれた病院で働いていた。そして、病院建設のときに広い廊下をつくったときに批判されたが、広い廊下が治療場所として活用できた。
戦時体験をもとにして、広い廊下をつくった。
「生活習慣病」という言葉をつくった。
父親は牧師
十歳のきみへ 日野原重明 冨山房インターナショナル
10歳のこどもさんに向けて書いてあります。10歳のこどもには難しいのではないかと読み始めましたが、読み進むにつれて大丈夫だという考えに変わりました。
寿命は与えられた「時間」という器で、自分がその器を埋めていくという理屈はわかりやすいものです。
95歳という年齢がすごすぎて何も反論できません。よく読めば、普通の人権感覚をもっておられる方です。人間が生き続けていくためには、挫折の時期が必要とかピンチのときこそチャンスというのは、年齢を重ねてふりかることによって誰しもが気づかされることです。
作者のメッセージは、失意にある10歳のこどもたちへの励ましです。作者自身もまた、周囲の人たちによって支えられてきた人です。残念ながら、こどもたちが、「うれしい、ほこらしい、きはずかしい」という感情をもつ回数が少なくなってきています。生活環境が昔とは一変しました。
認知症入所者がいる施設勤務を辞めていく人が多い。
入所者から意地悪をされる。職員から意地悪をされる。
心が折れる。
好々爺(こうこうや):優しくて気のいい高齢者男性
入所者の立場に立ってみると、移動の自由を制限されるのはけっこうきつい。(施設内の移動は自由だが、施設及び施設内の敷地から出ることはできない)
豪華客船内にいるようなものとあります。
『自分の生活してきた家で最期を迎えたい』
むずかしいけれど、できないことはありません。自宅で亡くなる方もいます。
ぴんしゃんころりでこの世にお別れしたい。(寝付かずにコロリと死ぬ)
利用者が、自分が所有するモノやカネがなくなったと介護職員を責めます。
認知症の人の言動からは、人格のバランスが失われていることがわかります。
しばらくすると本人は、自分がした発言を忘れます。
人間が柔らかくこわれています。
利用者は、奇妙な話ばかりをしますが、利用者はだれかに自分の話を聞いて欲しいということは伝わってきます。
「幻視(げんし。ないものが見える)」の話が出ます。自分も以前脳の病気をやった時に、手術後、たくさんの幻視をはっきりと見ました。体験があるので、読んでいて臨場感があります。(その場に自分がいるような雰囲気)
利用者から、寿司を食べたいと言われても生ものの寿司を提供できない。
何を目標にして、人生の最後を迎えるのか。
つまらない毎日であっても生き続けたほうがいいのか。
面会に来てくれる親族や友人もいない。
したいことをして、食べたいものを食べて、ぴんしゃんころりと逝くのがいいのか。
人それぞれですが、読んでいて、いろいろ考えさせられます。
上品そうな利用者の部屋がひどく散らかっていたという部分では、外ではきれいなかっこうをしていても、家はごみ屋敷という人を思い出します。
「新型コロナ」の話も出てくるので、リアルタイムのレポートです。
いろんな制限ができました。
他人の不幸がうれしい利用者も出てきます。いろいろです。
日本映画「楢山節考(ならやまぶしこう)」では、年寄りを山に捨てに行くのですが、現代では、年寄りを施設に置き去りにする人もいるようです。お金を払えばいいのだろうと言って入れて、その後、面会もなく、お金の支払いもなくという話にはあきれました。利用者によほど迷惑をかけられたのでしょうか。
この仕事を続けていくためには、手を抜く部分も必要だとわかります。「あきらめること」が必要だと悟りました。
結局、人はみんな、いつかは死んでしまうのです。祈るしかありません。
「他人の糞尿処理をやりたい人などいるはずがない」とあります。共感しました。共働きで子育てをしていたころ、昔は布おむつが一般的で、こどもたちのうんこ付き布おむつを何度も洗いました。自分のこどものうんこなら洗えるけれど、他人のこどものうんこ付き布おむつは洗えないと思いました。
「そのときどきを私は必死に生きて来たからだ」にも共感します。いつだって、一生懸命でした。
『介護職は最後の手段』から始まります。
勤め先が見つからないと選択する職という意味です。
赤木春恵:『ペコロスの母に会いに行く』で認知症の老婆を演じる。2018年、94歳没。本は読んだことがあります。
(2014年11月の読書メモの一部から)
ペコロスの母に会いに行く 岡野雄一 西日本新聞社
「ペコロスの母に会いに行く」は、ペンネームがペコロス(外国語で小さいたまねぎ、意味を転じてはげ頭)の息子である60歳過ぎの漫画家岡野雄一さんが、認知症グループホームに入所している90歳過ぎの母親みつえさんに会いに行くことです。内容は漫画とエッセイです。
本の内容は、笑えます。前半は、おもしろ過ぎて、笑い転げました。そして、「平和」です。過去はいろいろあったけれど、今は、時が止まったような、陽だまりにいるような暮らしなのです。ぼけてしまった母親の言動と、はげを売りにする著者のキャラクターを中心にして、時々、著者の弟さんとか、著者の息子さん(みつえさんからみると孫)がからんできます。後半はマザコンぽくなるのですが、被爆地長崎市らしく、反戦の誓いが強く伝わってきました。
こちらの本の第一章「さっさとやれよ」には、どきっとさせられます。以前、介護施設で事件があったニュースを思い出します。職員が入所者に暴行を加えるというもので、複数のニュースを見聞きしました。加害者のうちの何人かは、若い世代の男性職員でした。
大変な仕事です。お金のためと割り切らないとできない部分もあります。
自分が若い頃は、お酒飲みで暴れて大声を出すおじさんたちは、年老いて、内臓を壊して、糞尿まみれで死んでいくことがありました。おじさんたちは、反省しておとなしくなるのだと思っていましたが、この本を読むとどうもそうでもありません。開き直って、介護をする人に対して攻撃的になっています。威張って死に向かっていくのです。
「オムツ」は、オムツとは言わずに「パンツ」というそうです。介護される人の尊厳(そんげん。プライド。自信。自慢)を傷つけてはいけないのです。
死に方の勉強をするような意味をもった本です。
やわらかい便ではなく、固い便が出るような食生活、日常生活を送らねばと思いつきました。
介護するご家族の不思議な関係が書いてあります。
昔は、疑似家族のようなものが多かった。血縁はないけれど、家族なのです。
義務教育を終えて、住み込みや寮生活で働いて仕事を覚えて、仕事の関係で毎日顔を合わせる共同生活者同士で、家族のように暮らしました。
「利用者は神さま、職員は奴隷」というのは、けっこうつらい。
「お局さま(おつぼねさま)」:性別に限らず、小さな村社会があって、村長がいて、その村だけで通じる掟(おきて)があって、村長(ボス)の指示に従いながら仕事を進めていくということはよくあったパターンです。最近は、だんだん減ってきている印象がある仕事のしかたです。加えて、女性を敵に回したら仕事が回って行かないということはあります。
事例として、(仕事や仕事以外でも)完璧を求められる。期限があるのに、その期限以前の異なる期限を設定してその期限を守らせる。正規のルール以上の縛り(しばり)を強要する。できないと烈火のごとく怒る。病的です。きちょうめんで神経質な人が仕切り屋になると、ついていくほうはたいへんです。人間関係もうまくいかなくなります。本人は、自分は必要とされていると自信をもっていますが、自分が人から嫌われているとは思っていません。
本に書いてありますが、「嘘をつく」ことが日常になる女性がいます。三十代のころにそういう女性に出会ったことがあってびっくりしました。口から出てくる言葉のすべてが噓なのです。トラブル発生の原因になります。
33ページ付近にある施設内の認知症になっている入所者同士のやりとりは、まるでお笑いのコントシーンを観るようでもあります。
介護保険制度で助かっている人は多いと感じます。健康保険、年金保険、介護保険などの公的保険に加入しておくことは安心・安全の基本です。
昔は、嫁いだお嫁さんが年老いた義父母の介護を長期間して、献身的に尽くしてふたりを見送ったあと、血縁関係がない嫁には相続権がなくてという悲しい話をよく聞きました。
ひとつひとつのエピソードが重たい。
読み手である自分は、老いた親を施設に入れたくない、自分自身は施設には入りたくないというように、気持ちが滅入ってきます(めいってきます)。短いエッセイを読み終えるたびにふーっとため息をつきます。
在宅介護で、介護ヘルパーさんに来てもらって、買い物や掃除をお願いしながら、できることなら在宅で逝きたい。(いきたい。天国へ召されたい)
過去の栄光は、老後に認知症になれば、消えます。
まるで、別人に人が変わります。
肩書きは参考になりません。元教師、元警察官、くわえて、公務員や銀行員もあやうい。
利用者に、嚙みつかれたり、便を投げつけられたり、自傷行為があったりとあります。
昔映画で観た「恍惚の人(こうこつのひと)」「楢山節考(ならやまぶしこう)」「そこのみにて光輝く」を思い出します。
ハインリッヒの法則:働いていた頃に研修で習いました。1つの重大事故の背後に29の軽微な事故があり、その背後に300のミスがある。なにごとにも前兆があります。
ここに限らずですが、利用者は「商品」です。
バイタル:体温、血圧、脈拍、心拍数、呼吸数、生命サイン(兆候)
モンスター的な利用者の身内がいます。おいしいところだけをつまみぐいしにくるような人です。
たまに、ヒステリック(かんしゃくもちの怒りんぼ)な女の人を見かけます。なにがそんなに怒れるのだろうかと不思議なことがあります。自分はもうリタイアして無責任でいられる傍観者の立場なので、脳の病気なのだろうと思ってやり過ごします。
意地悪な人は、何十年経っても意地悪です。直りません。
エロじいさんもいれば、エロばあさんもいます。
老人ホームは、楽園でも天国のようなところでもありません。
みっともない姿をさらして生きるよりも、ずばっと死にたいという希望もあります。されど、死に方はなかなか選べません。
自己主張が強くて、自分を曲げない人が亡くなると、ほっとする風景があります。
杖代わりに軽自動車を運転する高齢者がいます。
先日車を運転していたら、工事中の二車線道路を高齢者二人が乗った軽自動車が少し前からこちらに逆走してきたのでびっくりしました。交通量が少ない道だったので、高齢者が運転する軽自動車はUターンできました。
100歳以上のお年寄りは8万人超えで、9割が女性。平均寿命が、女性が87.5歳、男性が81.4歳とあります。読みながら、自分の余命を計算したりします。
自慢話。ありがちです。『他人の自慢話ほど退屈でつまらないものはない』そのとおりです。でも、仕事ですから聞かねばなりません。相当疲れそうです。
著者はご苦労されています。
この本の印税収入で豊かになってください。
(つづく)
「トイレ掃除をすると運勢が上向く」という小さなコメントがあります。
この本が売れたのが、良い「運」です。
お金だけもらってサービスを提供しない老人ホームもあるようです。
やはり、老人ホームは楽園ではありません。
日野原重明さん:2017年に105歳で死没。医師。二冊本を読んだことがあります。
(感想メモの一部です)
生きていくあなたへ -105歳どうしても遺したかった言葉- 日野原重明 幻冬舎
短時間で読み終えることができる本です。
これまで、興味が湧かなかったので、今回読んで初めて判明した事柄がいくつかありました。
若いときに大病をした。(結核らしい)
よど号ハイジャック事件の時、人質だった。
地下鉄サリン事件の時、多数の犠牲者が運び込まれた病院で働いていた。そして、病院建設のときに広い廊下をつくったときに批判されたが、広い廊下が治療場所として活用できた。
戦時体験をもとにして、広い廊下をつくった。
「生活習慣病」という言葉をつくった。
父親は牧師
十歳のきみへ 日野原重明 冨山房インターナショナル
10歳のこどもさんに向けて書いてあります。10歳のこどもには難しいのではないかと読み始めましたが、読み進むにつれて大丈夫だという考えに変わりました。
寿命は与えられた「時間」という器で、自分がその器を埋めていくという理屈はわかりやすいものです。
95歳という年齢がすごすぎて何も反論できません。よく読めば、普通の人権感覚をもっておられる方です。人間が生き続けていくためには、挫折の時期が必要とかピンチのときこそチャンスというのは、年齢を重ねてふりかることによって誰しもが気づかされることです。
作者のメッセージは、失意にある10歳のこどもたちへの励ましです。作者自身もまた、周囲の人たちによって支えられてきた人です。残念ながら、こどもたちが、「うれしい、ほこらしい、きはずかしい」という感情をもつ回数が少なくなってきています。生活環境が昔とは一変しました。
認知症入所者がいる施設勤務を辞めていく人が多い。
入所者から意地悪をされる。職員から意地悪をされる。
心が折れる。
好々爺(こうこうや):優しくて気のいい高齢者男性
入所者の立場に立ってみると、移動の自由を制限されるのはけっこうきつい。(施設内の移動は自由だが、施設及び施設内の敷地から出ることはできない)
豪華客船内にいるようなものとあります。
『自分の生活してきた家で最期を迎えたい』
むずかしいけれど、できないことはありません。自宅で亡くなる方もいます。
ぴんしゃんころりでこの世にお別れしたい。(寝付かずにコロリと死ぬ)
利用者が、自分が所有するモノやカネがなくなったと介護職員を責めます。
認知症の人の言動からは、人格のバランスが失われていることがわかります。
しばらくすると本人は、自分がした発言を忘れます。
人間が柔らかくこわれています。
利用者は、奇妙な話ばかりをしますが、利用者はだれかに自分の話を聞いて欲しいということは伝わってきます。
「幻視(げんし。ないものが見える)」の話が出ます。自分も以前脳の病気をやった時に、手術後、たくさんの幻視をはっきりと見ました。体験があるので、読んでいて臨場感があります。(その場に自分がいるような雰囲気)
利用者から、寿司を食べたいと言われても生ものの寿司を提供できない。
何を目標にして、人生の最後を迎えるのか。
つまらない毎日であっても生き続けたほうがいいのか。
面会に来てくれる親族や友人もいない。
したいことをして、食べたいものを食べて、ぴんしゃんころりと逝くのがいいのか。
人それぞれですが、読んでいて、いろいろ考えさせられます。
上品そうな利用者の部屋がひどく散らかっていたという部分では、外ではきれいなかっこうをしていても、家はごみ屋敷という人を思い出します。
「新型コロナ」の話も出てくるので、リアルタイムのレポートです。
いろんな制限ができました。
他人の不幸がうれしい利用者も出てきます。いろいろです。
日本映画「楢山節考(ならやまぶしこう)」では、年寄りを山に捨てに行くのですが、現代では、年寄りを施設に置き去りにする人もいるようです。お金を払えばいいのだろうと言って入れて、その後、面会もなく、お金の支払いもなくという話にはあきれました。利用者によほど迷惑をかけられたのでしょうか。
この仕事を続けていくためには、手を抜く部分も必要だとわかります。「あきらめること」が必要だと悟りました。
結局、人はみんな、いつかは死んでしまうのです。祈るしかありません。
「他人の糞尿処理をやりたい人などいるはずがない」とあります。共感しました。共働きで子育てをしていたころ、昔は布おむつが一般的で、こどもたちのうんこ付き布おむつを何度も洗いました。自分のこどものうんこなら洗えるけれど、他人のこどものうんこ付き布おむつは洗えないと思いました。
「そのときどきを私は必死に生きて来たからだ」にも共感します。いつだって、一生懸命でした。
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