2021年09月09日
出川哲朗の充電バイクの旅 高知県柏島から足摺岬
出川哲朗の充電バイクの旅 高知県柏島から足摺岬 地上波テレ東
予定では、四万十川(しまんとがわ)のクルージング(乗船して川巡り)で終わるつもりだったのが豪雨のため中止となり、足摺岬あたりで断念しています。
ゲストは、森三中で、順番は、村上和子さん、大島美幸さん、黒沢かずこさんの順で登場されました。
狭い区域をドタバタしながらの移動でした。
カッパを着ての充電バイク旅で、豪雨に打たれながらのお姿がお気の毒でした。
足摺岬付近の映像は、先日、もう10年ぐらい前の映像になりますが「太川&えびすの路線バス乗り継ぎ人情旅」の再放送を観て楽しみました。
充電バイクの旅のほうは、今回はいきなり、偶然、元プロ野球阪神タイガースの選手と出会ったところから始まりました。
お互いに釣り船と移動用の船に乗っていて海上ですれ違い、その後交流を深めました。偶然の出会いは、出川哲朗さんやスタッフと縁があるとか、運をもっている証拠です。
庶民が生の生活(なまのせいかつ)をしている場に入っていく姿がすごい。自然に人の輪に溶け込めるのは、ゲストさんを含めてのみなさんのお人柄です。
お年寄りたちは、どうしてこんなところに有名な芸能人がいるのかとびっくりし、こどもたちは大喜びです。
妊娠しているおなかの大きな女性には、出川哲朗さんが「安産になあれ」の祈願をします。
「充電させてください」の依頼にOKを出していただけると、観ているほうにも「親切」が身に沁みます。(しみます。ありがとうございます)
地元の方々は、コロナウィルス感染防止のために、みなさんきちんとマスクをされていて、まじめな人ばかりでした。
タレントさんと一緒に写る写真は、庶民にとっては「宝物」です。
充電バイクで移動中の山道には、野生のアジサイがいっぱい咲いていました。
土砂崩れが心配になりそうな海岸沿いの細い道を青い海を見ながら前進していきます。
なぜか「ぬた」にこだわる出川哲朗さんでした。
高知県出身の女性タレントさんに勧められたというようなお話でした。(たぶん島崎和歌子さん)
ぬた:葉にんにくが混ざった味噌だれ。
「土佐ジロー」が産んだ卵のゆで卵をかかえた小学一年生の男の子が可愛い。
体格が大きいので、三年生ぐらいに見えました。「土佐ジロー」というのは、地元のニワトリの品種だそうです。
小学校は全校生徒が16人しかいなくて、彼が唯一の一年生だそうです。これからも健やかに(すこやかに)育ってほしい。
海がきれいです。
ジョン万次郎さんの記念館を訪問しました。
中浜万次郎。江戸時代に土佐藩(高知県土佐清水市)で生まれた時は、漁師だったので、苗字はなかったと思うのです。
あとから、出身地の地名「中浜」を名字にしたという記憶です。
1827年生まれ。1898年(明治31年)に71歳で死没。
14歳ぐらいからの10年間、24歳ぐらいまで国外で生活した。
足摺岬沖で(あすずりみさきおき)、漁師として乗っていた漁船が遭難、漂流後、無人島にいた乗船員を助けてくれた米国捕鯨船の船長に世話になって、養子のように育ててもらい、ハワイ島やアメリカ合衆国で過ごす。いろいろあって、帰国後、英語通訳として、江戸幕府で働く。
1860年咸臨丸に乗船。勝海舟を補佐する。(これまでに何冊かジョン万次郎さんの本を読みました。それぐらいのおぼろげな知識・記憶しかありません)あとは、土佐藩出身の坂本龍馬に米国のことを教えたそうです。
大雨の中でカッパを着た格好(かっこう)で、充電バイクを運転していくのは大変です。
最後はどういうわけか、雨があがり、空がきれいに晴れ渡りました。「ピーカン」です。
四万十川(しまんとがわ)に行けたかもしれませんが、増水していてクルージングは(舟巡り)は無理だったことでしょう。
予定では、四万十川(しまんとがわ)のクルージング(乗船して川巡り)で終わるつもりだったのが豪雨のため中止となり、足摺岬あたりで断念しています。
ゲストは、森三中で、順番は、村上和子さん、大島美幸さん、黒沢かずこさんの順で登場されました。
狭い区域をドタバタしながらの移動でした。
カッパを着ての充電バイク旅で、豪雨に打たれながらのお姿がお気の毒でした。
足摺岬付近の映像は、先日、もう10年ぐらい前の映像になりますが「太川&えびすの路線バス乗り継ぎ人情旅」の再放送を観て楽しみました。
充電バイクの旅のほうは、今回はいきなり、偶然、元プロ野球阪神タイガースの選手と出会ったところから始まりました。
お互いに釣り船と移動用の船に乗っていて海上ですれ違い、その後交流を深めました。偶然の出会いは、出川哲朗さんやスタッフと縁があるとか、運をもっている証拠です。
庶民が生の生活(なまのせいかつ)をしている場に入っていく姿がすごい。自然に人の輪に溶け込めるのは、ゲストさんを含めてのみなさんのお人柄です。
お年寄りたちは、どうしてこんなところに有名な芸能人がいるのかとびっくりし、こどもたちは大喜びです。
妊娠しているおなかの大きな女性には、出川哲朗さんが「安産になあれ」の祈願をします。
「充電させてください」の依頼にOKを出していただけると、観ているほうにも「親切」が身に沁みます。(しみます。ありがとうございます)
地元の方々は、コロナウィルス感染防止のために、みなさんきちんとマスクをされていて、まじめな人ばかりでした。
タレントさんと一緒に写る写真は、庶民にとっては「宝物」です。
充電バイクで移動中の山道には、野生のアジサイがいっぱい咲いていました。
土砂崩れが心配になりそうな海岸沿いの細い道を青い海を見ながら前進していきます。
なぜか「ぬた」にこだわる出川哲朗さんでした。
高知県出身の女性タレントさんに勧められたというようなお話でした。(たぶん島崎和歌子さん)
ぬた:葉にんにくが混ざった味噌だれ。
「土佐ジロー」が産んだ卵のゆで卵をかかえた小学一年生の男の子が可愛い。
体格が大きいので、三年生ぐらいに見えました。「土佐ジロー」というのは、地元のニワトリの品種だそうです。
小学校は全校生徒が16人しかいなくて、彼が唯一の一年生だそうです。これからも健やかに(すこやかに)育ってほしい。
海がきれいです。
ジョン万次郎さんの記念館を訪問しました。
中浜万次郎。江戸時代に土佐藩(高知県土佐清水市)で生まれた時は、漁師だったので、苗字はなかったと思うのです。
あとから、出身地の地名「中浜」を名字にしたという記憶です。
1827年生まれ。1898年(明治31年)に71歳で死没。
14歳ぐらいからの10年間、24歳ぐらいまで国外で生活した。
足摺岬沖で(あすずりみさきおき)、漁師として乗っていた漁船が遭難、漂流後、無人島にいた乗船員を助けてくれた米国捕鯨船の船長に世話になって、養子のように育ててもらい、ハワイ島やアメリカ合衆国で過ごす。いろいろあって、帰国後、英語通訳として、江戸幕府で働く。
1860年咸臨丸に乗船。勝海舟を補佐する。(これまでに何冊かジョン万次郎さんの本を読みました。それぐらいのおぼろげな知識・記憶しかありません)あとは、土佐藩出身の坂本龍馬に米国のことを教えたそうです。
大雨の中でカッパを着た格好(かっこう)で、充電バイクを運転していくのは大変です。
最後はどういうわけか、雨があがり、空がきれいに晴れ渡りました。「ピーカン」です。
四万十川(しまんとがわ)に行けたかもしれませんが、増水していてクルージングは(舟巡り)は無理だったことでしょう。
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