2021年09月03日

八月の銀の雪 伊予原新

八月の銀の雪 伊予原新(いよはら・しん) 新潮社

 短編5本です。書評の評判が良かったので読んでみました。

「八月の銀の雪」
 舞台は東京西部新宿線あたりで、堀川というだらしのない大学四年生が出てきます。一年間ひきこもりのような感じで大学を留年しています。
 コンビニにアジア系二十代アルバイト女性がいます。名前は「グエン(マイさん)」で、コンビニ仕事は上手ではありません。外国人日本語留学生というのが表向きの彼女の姿です。
 堀川と同じ大学を卒業してまもなくの清田といういいかげんな男が出てきます。投資話で後輩の大学生から金銭を巻き上げる詐欺的行為をグループの一員として画策しています。
 悶々としながら読んでいました。心の中にもやもやするものがあって消化不良です。
 アフィリエイター:ブログやSNSで商品の宣伝をして、生じた利益に応じて企業から報酬を受け取る人。
 マルチ商法:会員が新規会員を連鎖的に勧誘していくことで、勧誘者が紹介料を手にしていく。
 ネットワークビジネス:マルチ商法のこと。
 読んでいて、気持ちのいいお話ではありません。

 お祈りメール:就活での不採用通知。「今後のご活躍をお祈りいたします」(お祈りメールという名付け方に感心しました。受け取ったことがある人には不快な感想かもしれませんが。)

 24ページの「論文」あたりからおもしろくなります。
 
 地震学の学問の話。読んでいるとグイグイと引き込まれていきます。
 P波・S波:P波は液体を通る。

 地球の話があります。地球の話を人間の体と重ね合わせるという文脈の運び方をします。新鮮な発想です。

 50ページを過ぎたあたりで、ああ、小説だなあという感慨が胸に湧いてきます。
 
 集団の中で、仲間外れになりがちな者同士で共に行動する。
 
 ベトナム人であるマイさんの日本人に対する言葉が胸にぐっときます。趣旨として、昔の日本人は真面目に勉強してこつこつがんばっていいものをつくって日本という国をつくった。(いまどきの)口先だけの日本人とは違います。
 彼女はベトナム人ですが、昔の日本人を真似たい。いいものを真似ることは、いけないことではないという彼女の強い主張が耳に残りました。

 タイトル「八月の銀の雪」の意味がわかります。地球という球体も人間も同じなのです。
 地球構造の中心には内核(固体)があって、まわりに液体部分があって、地殻へとつながっていく。雪のことはそのなかで話があります。
 今年読んで良かった作品でした。


「海へ還る日」
 満員電車内で、ベビーカーの母子が困っています。自分も類似体験があるので、母親の気持ちがわかります。
 京成高砂駅と京成上野駅です。自分も利用したことがある駅なので読んでいて景色が頭に浮かびます。2歳9か月のお嬢さんのお名前が「野村果穂さん」です。
 すべてではありませんが、日本人は、知らん顔をする人ばかりになってしまいました。みんなスマホを見ながら歩いたり座ったりを繰り返している街中風景です。たまに表情が変わる時はクレームをつけるときです。
 そんななかで若い母親の野村さんは、70歳ぐらいの女性宮下和恵さんと出会いました。宮下和恵さんは、野村さんに声をかけて、満員電車のなかで野村さん親子に席を譲ってくれました。

 若い母親の野村さんは、家庭や家族に恵まれていない母子家庭です。
 クジラの話が続くのですが、町田そのこ作品「52ヘルツのクジラたち」とも重なる部分があります。音の周波数の話です。
 今回の物語では、クジラの頭の中にある歌の話です。

 あかちゃんを欲しいと思ったことがないのに、できちゃった結婚をした。もともと夫は野村さんに愛情はなかったようで、あかちゃんができたのでしかたなく結婚をしたことから、夫は家庭をかえりみず離婚につながった。そんな不幸話が続きます。負の連鎖があります。母親の野村さんには、自分が産んだこどもの果穂さんを育てていく自信がありません。

 動物界の話として、母親以外のメスが子を預かるようにして育てていく。アロペアレンティング。
 
 年配者の宮下和恵さんから、若い母親である野村さんに対する励ましがあります。
「大事なことはなにかしてあげることじゃない……と続きます(ここには書きません)」

 繰り返される文節として「(若い母親の野村さんが言うのですが、自分は)当たっていない」

 最後まで読んで、ちょっと作品が出したい意味合いまではわかりませんでした。
 クジラが考えるということについては、深いものがあると想像しました。


「アルノーと檸檬(レモン)」
 アルノーは伝書鳩の名前で、レモンは男性主人公の実家が瀬戸内海に浮かぶ島のレモン農家なのです。
 孤独とか孤立のお話です。
 短編ですが、かなり複雑にからませてあります。
 読み終えた時に、内容がもう少しシンプルでも感慨が湧く作品に仕上がっていたと思いました。

 本を読みながら考えたことがあります。自分は、就職して、結婚して、こどもができて、孫ができて、定年退職をしてという人生を過ごしてきました。こどもたちも独立して巣立って、たぶん自分はこのさき、妻よりは先に死んでいくのだと思います。夫婦は生き別れをするように、互いに入院とか施設入所で別々になって、両方が生きてはいても会えなくなるというところで、夫婦の暮らしは別々になるのだろうと思っています。親族がいてもいなくても最期はひとりで迎えます。
 この作品を読みながら考えたのは、人生において、冠婚葬祭にまつわる体験がなかった人たちは、人生の最終ステージにたったとき、どんな気持ちなのだろう。孤独とか孤立のお話です。
 以前考えたときは、子孫がいてもいなくても、配偶者を亡くせば、最後は、ひとりになるというところは、未婚も既婚も同じことだろうと考えていました。
 その後、考えに変化がありました。結婚までの道のりの苦労とか結婚後の苦労、育児の苦労とか、子育ての苦労、仕事と家庭の両立にまつわる苦労、仕事やお金のやりくりの苦労、その後のあれやこれや、たまに感じる幸せ気分、そういったことの体験があるかないかで、人生の最後にひとりになったときの気持ちは、やはり異なるのではないか。
 体験の無い人、あるいは部分的な体験の人は、いくら歳をとっていても、気持ちは、十代の頃の少年であり、少女であるような気がするのです。この短編作品ではその部分にも触れてあるという印象が残りました。
 
 鳩の脳の中を探求するのです。鳩の帰巣本能をからめてあります。この本の最初の作品は「地球(のたぶん脳部分のこと)」次の作品は「クジラの脳」でした。最初の「地球」が斬新で、自分は好みです。

 主人公の園田正樹はもうすぐ40歳ですが、読み手が、あなたは、なにをやっているんだと言いたくなるような人物です。帰る実家を自分の荒い言動で失くしています。彼は未婚です。彼は少年です。
 彼と彼のまわりに出てくる人間たちも含めて、わびしい話が続きます。孤独、孤立、そして鳩までもが孤立しています。

 半世紀ぐらい昔だと、他人同士で固まって、疑似家族を形成して助け合っていたこともありましたが、最近はあまり聞きません。メンバーが高齢化したのでしょう。

 新聞社が情報伝達のために伝書鳩を飼っていたという話は、「イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑 原書房」で読んだことがあるのでわかりやすかった。「新聞社伝書鳩係」で紹介されていました。


「玻璃を拾う(はりをひろう)」
 玻璃(はり):ガラス。書中では、喫茶店名
 珪藻(けいそう):単細胞性の藻(も)

 珪藻(けいそう)という生き物を自分の脳内にうまくイメージすることができなくて、読んでいて、ピンとくることもなく読み終えたのでした。不思議なお話でした。
 
 舞台は大阪と京都、最初は不穏な雰囲気で始まりますが、変なクレーマーみたいな男は、調べてみれば、遠い親戚がからんでいたというような流れで、恋愛物語に発展していきます。

 「まつげ」が伏線です。
 まつげエクステ:人口まつげ。まつげを長く見せる。
 マスカラ:化粧品。まつげを長く濃く見せるために使う。
 アイライン:目をくっきり大きく見せる。まつげの生えぎわに線を描く。
 コンシーラー:隠すものという意味。クマ、シミ、ニキビを隠す化粧品

 それとなく前ふりがしてあります。
 どの作品もかなり気を使って仕掛けがしてあります。
 本作品の場合は、偶然の出会いと、恋の芽生えはありえないよねから始まるのです。

 30歳の吉見瞳子(よしみ・とうこ)です。付き合っていた男性とは別れました。男性は別の女性と結婚したのです。
 
 京都市内を走る叡山電鉄には乗ったことがあります。そのときの風景を思い出しながら、作品を読み進めます。
 
 ヒストグラム:統計グラフ。分布状況を見る。

 胸にぐっとくる文節がいくつかありました。『(男は)わたしから離れるためなら、謝れるのだ――』『女というのは、ありのままでは生きていけない生き物だと……』

 人生の流れにおいて、気が合う異性を見つけるのはむずかしい。だから『男女関係は縁(えん。巡り合わせ)のもの』と言うのでしょう。


「十万年の西風」
 この作品だけは、ほかの作品とは毛色が違うという感触がありました。
 理屈っぽかった。それから、会話文が多かった。

 気象学のお話です。
 個人的に、東日本大震災のことを題材にした作品は好みません。実際にあった不幸を作品化することに嫌悪感をもつのです。
 茨城県北茨城市が出てきて、ああこれはとなり、やはり、からんでいました。

 こどもころ、北茨城市の近くで暮らしたことがあります。
 山の上に大きなパラボラアンテナがあったという記憶が残っています。
 そのときのことを思い出しながら文章で書かれた風景を頭のなかにつくりつつ読みました。
 凧(たこ)をあげて気象を観測するのです。
 今でいうところの「ドローン」をあげているようでもあるイメージです。
 凧あげ風景は、千葉県稲毛海浜公園の緑地で見るとても長くて高くあがる凧あげのようすを思い出します。
 もう定年退職をしたというのに、仕事オタクのような滝口さんという男性が出てきます。主人公は辰朗さんで、中年男性です。辰朗さんはいろいろ訳ありです。
 読みながら先日読み終えた渋沢栄一氏の「論語と算盤」の内容を思い出しました。こちらの「十万年の西風」のほうは、原子力発電所の話ですが、「論語と算盤」と重なる心意気があります。人の命を軽視して組織を大切にする幹部たちがいます。

 オーロラの話が出ます。
 そういえば、先日、グリーンランドの高地に初めて雨が降ったというニュースを見ました。地球温暖化でしょう。
 地球が化学物質で汚れていきます。

 神風とは、偏西風のこと。
 戦時中の「風船爆弾」はこどものころに聞いたことがあります。小学校の登校班のときにだれかがそういうものがあると言っていたような、学校で先生が話してくれたこともあるような。おぼろげな記憶です。


 全部の短編を読みました。
 やはり最初の作品「八月の銀の雪」がいちばん良かった。

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