2021年08月09日

ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ

ザリガニの鳴くところ ディーリア・オーエンズ 友廣純・訳 早川書房

 アメリカ合衆国ジョージア州(フロリダ州の北)出身である作者の女性は、本作が69歳で執筆した初めての小説だそうです。そのことに驚かされました。翻訳者も女性です。本屋大賞の翻訳小説部門第1位の作品です。毎年、本屋大賞の翻訳対象部門で選ばれる作品は質が高い印象があります。
 作品の50ページぐらいまでを読んで、作者の体験が反映された内容になっているのだろうと察しました。

 1969年10月30日(日本だと昭和44年)から始まります。場所は北海道の釧路湿原のような雰囲気の地域ですが、アメリカ合衆国内の湿地でしょう。
 ふたりの村の少年が、死体を発見しました。高さ19メートルある火の見櫓(ひのみやぐら)からの転落死が推測されます。自ら転落した事故死なのか、だれかに突き落とされた事件死なのかがわかりません。なぜなら、足跡が周囲にひとつもないからです。どこかで殺されて運ばれて来て捨てられたのか…… (死亡推定日時は、1969年10月29日から30日にかけて。深夜0時から午前2時の間)

 時は、突然、1952年(昭和27年。参考までに、日本では、昭和28年からテレビ放送開始)に戻ります。
 主人公カイア(キャサリン・クラーク。1946年生まれ(昭和21年))は、5人きょうだいの末っ子で、まだ6歳とあります。カイアの兄が7歳年上のジョディです。(長兄ミッシー 長姉マーフ 次姉マンディ 次兄ジョディ)
 どうも母親が家を出て行ったらしい。ついでに卵目的で飼育していたニワトリも逃げてしまいました。
 そのあと、父親のアル中と暴力に耐えかねて長兄、長姉、次姉も姿を消しました。父親は第二次世界大戦の戦傷兵士で障害者手当受給者です。収入源はそれだけで、世帯が貧しい。
 最後の頼りにしていた次兄の7歳年上のジョディも家を出て行きました。6歳のカイアはひとり残されました。父親はたまにしか家に帰ってきません。育児放棄(ネグレクト)という児童虐待です。

 この湿地のある場所は、人が寄り付かないところなので、ここに住む人たちはなにかと訳ありだそうです。人生どん詰まりの人。反逆者、追放者、債務者、戦争、徴税、法律からの逃避者など。
 この地は、ノースカロライナ州の海岸だそうです。アメリカ合衆国の南東部で大西洋に面しています。「大西洋岸の墓場」とこの地を呼ぶそうです。されど、湿地には生命があります。ザリガニ、水鳥、エビ、カキ、シカ、ガンなど。食料には満たされています。この地で飢える人はいないそうです。

 濃密な文章が続きます。
 1751年にできたバークリー・コーヴの村
 1969年10月30日に遺体で発見されるチェイス・アンドリュースが登場します。1952年当時の今は生存しています。

 主人公カイアは7歳の誕生日を迎えましたが祝ってくれる人はだれもいません。

 就学年齢なのに学校へ来ないから無断欠席補導員が家に来てカイアを学校へ連れて行きます。登校のごほうびが給食です。だけど、初日に湿地から来たこども(貧しい)ということでほかのこどもたちにからかわれて、カイアは不登校になりました。
 そこまで読んでようやく自分が誤解していたいことに気づきました。地域全体が湿地帯だと思っていました。広い地域の一部分として湿地帯があったのでした。この小説は差別を扱う作品でもあります。
 湿地がカイアを守ってくれます。湿地には食べることができる生命がたくさんあります。昔、長崎県の人と話をしたときに、兄弟姉妹が多い貧しい家で育ったが、干潟(ひがた)にいくと食べ物があって、それを食べていた。干潟のおかげで生きていけたと聞いたことがあります。
 カイアも湿地帯の恩恵を受けて食べていきます。作品のタイトルに出てくる「ザリガニ」というのは、カイアのことかもしれないと思いつきました。

 名文として『湿地は、彼女の母親になった』
 
 1969年、殺人の線で捜査が進みます。エド・ジャクソン保安官とジョー・パーデュ保安官補です。テレビ番組「相棒」のようです。
 遺体で発見された青年チェイス・アンドリュースに妻がいます。チェイス・アンドリュースは女好きの発情魔だったそうです。借金もあったかもしれないそうです。狙われて当然の素行があった。
 
 1952年。7歳のカイアは、家からいなくなった兄ジョディの友だち、11歳か12歳ぐらいのテイト・ウォーカーと知り合います。カイアにとっては、ボート(舟)とテイトが必要です。
 カイアは7歳でも家にあるエンジン式のボートを運転します。買い物に使用します。(のちのページの雰囲気から、ボートの操作ができる女性であることで、カイアが殺人犯人の容疑者とみられそうです。事件が発生した1969年には、カイアは、23歳ぐらいです)

 65ページぐらいからようやく物語が動き出しました。
 
 カイアの父親は何者なのだろうか。第二次世界大戦で負傷した戦傷病者で障害者手当を受給していて、家には7歳のカイアを放置して、どこかへ行っていて、たまに帰ってくる。女でもいるのだろうか。本人の話では、昔は親が土地持ちで、たばこや綿花を育てる裕福な農家だった。大恐慌(1930年代の経済破綻)と綿花に付くゾウムシですべてが消えて、借金が残った。
 
 この小説には、貧乏差別のうらみを晴らすための復讐心がこもっています。
 カイアには、家出をした母親への期待と依存と甘えたい願望の気持ちが充満しています。

 1956年に10歳になっても文字を読むことができないカイアです。学校には行っていません。湿地でとった貝や魚をガソリンスタンド店主に買い取ってもらいながら生活をしています。父親はたまにしか帰宅しません。物々交換に近い生活です。
 日本でも半世紀ぐらい前は、地方のいなかにいくとそういう生活をしていました。まだこどもだったわたしは、家で飼っているニワトリが産んだ卵をもって、近所の冷蔵庫がある家で氷と卵を交換してもらっていた体験があります。卵に貨幣価値がありました。
 カイアは、お金とボートに入れるガソリンに交換してもらっています。だれだって生きていくために働きます。カイアは魚の燻製づくり(くんせいづくり)を始めました。

 カイアの成長記録です。
 カイアはまるで、野鳥か、野生の生きもののような暮しをしています。
 カイアを「謎の原始人」とからかう少年グループが現れました。
 いじめる相手との闘いが始まるのでしょう。
 だんだん殺人犯人の容疑者としてカイアが疑われるようになりました。
 殺人犯人が残していった証拠として「赤い羊毛繊維」が見つかりました。

 カイアは、14歳から18歳だったテイトに読み書きを教えてもらいます。アルファベットの練習です。
 テイトは、ノースカロライナ大学のチャペルヒル校へ進学してカイアの元を離れます。ふたりに恋愛感情も生まれていましたが、進学による別れはいたしかたありません。
 テイトは交通事故で母と妹を失っています。カイアも母親と兄弟姉妹がいないので、テイトに気持ちが共通する点がありました。
 
 カイアは文字が読めるようになって、自宅にある聖書に書いてある家族の正式な名前がわかります。
 ミス・キャサリン・ダニエル・クラーク(カイア) 1945年10月10日生まれ
 マスター・ジェレミー・アンドルー・クラーク 1939年1月2日生まれ 次兄 ジョディ
 ミス・アマンダ・マーガレット・クラーク 1937年5月17日生まれ 次姉 マンディ
 マスター・ネイピア・マーフィ・クラーク 1936年4月4日生まれ 長兄 マーフ
 ミス・メアリ・ヘレン・クラーク 1934年9月19日生まれ 長姉 ミッシー
 1933年6月12日に、ミスタ・ジャクソン・ヘンリー・クラークとミス・ジュリアンヌ・マリア・ジャックが結婚と書いてあります。幸せな時代が過去に確かにありました。世界的に経済が破たんした世界大恐慌と第二次世界大戦によって家族の暮らしは破壊されてしまいました。父親はアルコール依存になりました。戦争は反対です。アルコールの飲みすぎは人に不幸をもたらします。

 ザリガニの鳴くところ:カイアの母親の口癖。湿地を探検してみなさい。できるだけ遠くまでいってごらんなさい。ずっと向こうのザリガニの鳴くところまで(茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所)
 カイアは崩れかけた丸太小屋をザリガニの鳴くところとしました。丸太小屋はカイアとテイトの読書小屋になります。

 予想どおり、カイアには女性としての生理現象が起きます。
 ここから新たな人生が始まる。これは女にしか経験できないこと。あなたはいま女になったわとそばにいる女性メイベルがカイアを励まします。
 そして、テイト少年には良心があります。
 カイアは貧困ですが、まわりにいい人たちがいます。

 カイアの罪を隠すために湿地がカイアに協力してくれるのか。湿地が証拠をすべて飲み込んで消してくれたのか。
 ザリガニの鳴くところ:そこでは、善悪の判断は無用。そこには「悪意」はない。あるのはただ「拍動する命」だけ。一部の者は犠牲になるとしても、善と悪は同じものであり、見る角度によって変わるとあります。

 チェイス・アンドリュース殺人犯人としての容疑者カイアが濃厚になっていきます。
 
 カイアの姿は、ピューマのようだと表現がありますが、読み手の自分にとっては、野生で生きるタヌキのこどもに見えます。
 野性的なカイアに対して、テイトは、欲をもつ人間です。

 貝殻のペンダント:「湿地の少女」カイアがチェイス・アンドリュースにプレゼントした。

 カイアとチェイス・アンドリュースは、親密そうで、親密ではない。不可解です。読んでいて、そういうものなのか、不思議です。
 (遺体で発見された)チェイス・アンドリュースがカイアを自分の都合のいいように利用しているということは確実です。都合のいいように利用された女性の男に対する復讐劇なのか。
 だます。利用するに対して、復讐心は芽生えます。
 それでもカイアは読み書きを教えてくれたテイトよりも遊び人のチェイス・アンドリュースに強い愛情をもっています。ただ、愛情というものは、ときに憎悪につながり事件の発端になります。
 カイアのテイトに対する評価が厳しい。テイトは、自分から言い出した約束を守りませんでした。
 カイアの少女期と成人後のイメージが一致しません。どうなのかなあ。別人です。いずれにしても「自然のなかにある孤独」を身につけた女性です。詩の引用がたびたびあります。

 『東海岸の貝殻』キャサリン・ダニエル・クラーク著(カイアのこと)

 殺人事件が発生したのが、「1969年10月29日から30日にかけて。深夜0時から午前2時の間」です。
 捜査が進みます。
 グリーン・ヴィル:アメリカ合衆国サウスカロライナ州の北西部にある都市。カイアが、チェイス・アンドリュースの死亡推定時刻に本の出版の関係で、そこにいたという証言あり。
 ミス・パンジー・プライス:クレスのファイブ&ダイム(安売り店)に勤めている。遺体で発見されたチェイス・アンドリュースの母親パティ・ラブが、殺人犯人は、湿地の少女カイアだと言いふらしている。しかし、目撃者が多数いる出来事として、カイアは、10月28日午後2時30分発のバスで出かけて、同月30日午後1時16分に戻ってきた。
 
 貧困にアル中父親の暴力が重なる悲惨な過去です。虐待でもあり、妻子を巻き込んだ家庭内暴力でもあります。男の子が成長すれば、父親は息子に腕力で負けることになります。こどもにお金が入れば、父親はこどもにお金をたかるようになります。ひどい家庭環境です。アメリカ合衆国は銃社会ですから、撃ち殺してやるという言葉も出てきます。家族同士で殺してやると威嚇(いかく)するのは悲惨です。カイアの母親は精神的にも肉体的にも病と(やまいと)なって結局は白血病で亡くなったそうです。

 カイアの兄ジョディの言葉として『世の中には説明のつかないこともあるんだよ。許すか許さないか、そのどちらかしかないことが、おれには答えはわからない。たぶん答えなんてないんだろう。』

 カイアの言葉として『学校へ行ったのは、人生でたった一日だけよ』『周りの子にバカにされて、それきり二度と行かなかったの』
 カイアの人生は、湿地帯に住む野生動物たちに癒された(いやされた)人生です。

 赤い羊毛の帽子がカイア宅の家宅捜索で見つかりました。チェイス・アンドリュースの遺体に付いていた赤い羊毛と一致します。

 カイアは、殺人事件の犯人なのか。濃厚ですが確定ではありません。裁判が始まります。
 彼女のアリバイは完ぺきなものではない。

 トム・ミルトン:カイアの弁護士。71歳

 第一級謀殺容疑(計画殺人。死刑あり)

 1969年8月30日の目撃者として、元整備士ロドニー・ホーンとその友人デニー・スミス。カイアの姿を見たが、犯行を目撃したわけではない。

 カイアは無実なのに有罪になるのか。心配です。
 以前観た洋画「愛を読むひと」を思い出しました。読み書きができない三十代女性が、ふとした縁があって、十代の男子高校生に本を朗読してもらうことになります。
 その後、文字の読み書きができない女性は、読み書きができなかったことから、まわりにいた人間たちに、殺人に関するすべての責任と罪を押し付けられます。
 彼女は無期懲役刑になり、何十年間も刑務所で服役したあと出所しますが、自ら命を絶つのです。文字の読み書きができるということは、自分の命を守るために、とても大切なことなのです。

 まだ読んでいる途中ですが、本書でときおり登場する詩人のアマンダ・ハミルトンという人物は、カイア自身なのでしょう。彼女でなければ書けない詩です。

 性的被害者なのに加害者扱いされる女性の悲しみがあります。カイアの言葉があります。『(死刑になって)死ぬこと自体はさほど気にならなかった。この影のような人生が終わるからといって、何を恐れる必要があるのだろう……』『死ぬべきときを決めるのは、いったい誰なのか』

 カイアの弁護士のトム・ミルトンは優秀です。だから、少し安心して読み続けています。
 
 カイアが殺人犯人ではないとしたらだれが真犯人なのだろう。それとも転落事故なのか。
 そもそも、チェイス・アンドリュースは、なぜ火の見櫓(やぐら)に登っていたのだろう。高いところに登って、何を見つけようとしていたのだろうか。

 後半は、チェイス・アンドリュースの転落死事件の事実検証です。
 たしか、チェイス・アンドリュースは、高さ19mの火の見櫓(やぐら)から転落して後頭部ほかを強打して死亡しています。即死だったでしょう。
 
 証言者のうちのひとりの話です。『彼女は、ただの見捨てられてしまった子どもだったのです。』

 『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』世界を人間界と言い換えても同じことでしょう。以前読んだ世界をひとり旅した女性が書いた本にそう書いてありました。記録を調べたら出てきました。「インパラの朝 中村安希 集英社」です。2012年の夏に読みました。
 
 有罪だと控訴手続きができて、無罪だと控訴はできない。無罪が確定する裁判制度だそうです。

 カイアの言葉です。『私は人を憎んだことなんてない。向こうが私を憎むの。向こうが私を笑い物にして、見捨てて、嫌がらせをして、襲ってくるのよ……』

 読み終えて、見事な小説でした。

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t144590
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい