2021年07月25日
夢十夜(ゆめじゅうや) 夏目漱石
夢十夜(ゆめじゅうや) 夏目漱石 岩波文庫
1908年(明治41年)の作品です。夏目漱石氏の年齢は元号の数値と一致するので41歳のときの作品でしょう。ちなみに49歳で亡くなっています。
「図書館の神様」瀬尾まいこ作品の中で紹介されていて、興味をもって手にしました。怪談、スリラーのような印象をもっています。これから読み始めます。第一夜から第十話まであって、ページ数にすると、35ページあります。
「第一夜」
「こんな夢を見た。」から始まります。寝ている女が「もう死にます」と言うのです。
黒い眼を睜たまま(みはったまま):目を大きく見開いたまま。
睫:まつげ
女は死んだあと百年後に生き返るそうです。
詩を読むようです。
妖精たちが登場人物のようでもあります。
唐紅の天道(からくれないのてんとう):濃い紅色(深紅)の太陽
オチはここには書きません。
「第二夜」
文章が自分には、高尚(こうしょう。気高くて立派。高級で上品)過ぎて、自分に理解する能力がありませんが、恐怖の迫力は強く感じます。
自分なりに想像・空想するに、お寺の和尚さんの下にある地位ぐらいのお坊さんが、過去に亡くなっている武士に精神をのっとられていて、短刀で自死の催眠術をかけられているような状態だと思うのです。洗脳があります。曲解かもしれません。(素直ではない解釈)
もうひとつの解釈としては、時間の地点を変えて、サムライがいた時代にリアルタイムで起きているいざこざとして解釈することもできますが、自分は、前段で説明した現代に近い時代設定での出来事として解釈したほうが、恐怖感が増すので好みです。
蕪村(ぶそん):与謝蕪村(よさ・ぶそん)1716年-1784年 68歳ぐらいで死没 俳人 文人画家
「第三夜」
過去に自分(男)が殺した人間が、自分のこども(6歳男児)に生まれかわって、自分に仕返しをしてくるという怖いお話でした。自分はこどもを森に捨てに行くのです。
不可い:いけない
『その小僧がくっついていて、自分の過去、現在、未来をことごとく照らして、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている』すぐれた文章です。
「第四話」
じいさんがひとりで酒を飲んでいます。それを見ているこどもの自分がいる夢をみています。
「神さん」が出てきます。神さまのことでしょう。
そのふたりの問答は不思議です。神さまがじいさんに、あなたはだれで、これからどこにいくのかとたずねます。
こどもの自分はじいさんのあとをついていきます。どうも、じいさんにはこどもの自分が見えていません。
読み手の期待をはずしたオチです。なにも起こりません。
「第五夜」
古代の時代設定で、戦に(いくさに)破れて、敵に生け捕りにされた自分がいます。
大将から、死ぬか生きるかと選択を迫られます。
どちらを選択しても答えは「死」しかないそうです。生きると答えると恥になるので、「死ぬ」を選択しました。
敗者は、死ぬ前に好きな女に会いたいと願い出ます。敵の大将は、夜が明けて鶏(とり。にわとり)が鳴くまでに女が来なければ、女に逢わせず(あわせず)に殺す意向です。この付近は「走れメロス」のようすです。もしかしたらここに太宰治作品のヒントがあったのかも。
女は白い馬にのっています。
ラストはちょっと理解できません。敗者の好きな女は天探女(あまのじゃく。あまのさぐめ。日本神話に出てくる女神。邪神です。災い(わざわい)をもたらす神)にだまされて命を落としたようです。
「第六夜」
彫刻士の運慶が山門で仁王をつくっています。時代背景は鎌倉時代のはずなのですが、運慶の姿をながめているのは明治時代の人間たちです。
鑿(のみ。削る)と槌(つち。のみの尾をたたく)
木を仁王の形につくのではなく、木の中に仁王がいるので掘り出すそうです。
夢を見ている自分も木から仁王を掘り出そうと挑戦を繰り返しますがうまくいきません。
「第七夜」
自分は大きな蒸気船に乗っている。お客もたくさん乗っている。たいていは偉人の客だ。
女が泣いている。
自分は死ぬことを考えている。
小説家は「死」と隣り合わせで文章を書いています。
底なしの暗闇に落ちていくような感覚があります。
「第八夜」
床屋に行った夢です。
庄太郎という人物が女を連れて歩いているのが床屋の鏡に映った窓の向こうに見えます。
金魚売りの話が出て、終わります。なにかの伏線だろうか。
「第九夜」
戦争の話が出ます。明治41年の記事だから、明治27年が日清戦争、明治37年が日露戦争、どっちの戦争かと考えていたら、どうもサムライの時代における武士同士の戦(いくさ)らしい。
若い母親と三歳の子どもがいます。父親が戦(いくさ)に行ったまま帰ってきません。
神社でお百度参りをする母親の近くで、細帯で欄干(らんかん)にくくりつけられたこどもがいます。怖い雰囲気を創り出す文章です。
「第十夜」
第八夜で出てきた庄太郎が再び登場します。彼は善良な正直者ですが、女の顔をながめることが好きです。
庄太郎は声をかけてきた女について行って帰ってきません。そこから大量の豚の話になっていきます。
これは夢です。
明治41年7月25日から8月5日の作品と最後に書いてありました。
同じ文庫におさめられている作品です。
「文鳥」
夏目漱石さんのじっさいの暮らしを下地にして日誌のように記述してありました。「命」を扱った作品だと思います。
娘さんの結婚話と文鳥のことを重ね合わせてあるような印象が残りましたが、それが、趣旨なのかは自信がありません。(他の解説情報では、娘さんではなくて、別の女性が亡くなったことと重ね合わせあるとのことでした。作品中では文鳥は死んでしまいます)
自分も中学生のころにジュウシマツやセキセイインコを飼育していたことがあるので、そのときのことを思い出しながら読みました。
作品の時代背景は、1908年、明治41年4月1日のころで、解説によると「坑夫(こうふ)」という作品を書いていた頃だそうです。足尾銅山(あしおどうざん。栃木県足尾町。現在は同県日光市内。閉山が1973年(昭和48年))がからんでいた作品という記憶があります。日本最初の公害事件発祥の地です。田中正三氏が明治天皇に直訴しようとしたのが、1901年(明治34年)のことでした。
「永日小品(えいじつしょうひん)」
25本の短文が固められています。
日記のような日誌形式です。
リズム感があって、読みやすい文章です。
自分は明治時代の人間ではないので、書いてあることの勝手がわかりません。(暮らし向きがわからない)書いてある内容をすんなり理解することはできません。(1909年)明治42年1月1日から3月12日という日付が末尾に付記されています。42歳のころの作品群です。なお、夏目漱石氏は49歳で病死されています。
テレビもラジオもない時代です。ラジオ放送は(1925年)大正14年に始まりました。もうすぐ100年です。テレビ放送は、(1953年)昭和28年のことでした。自家用車が国民全体に普及したのは、もっとあと(1975年ころ)昭和50年代前半のことだったという記憶です。
本作品は、いまでいえば、なにもない時代の娯楽に関する記述です。なにもないけれど、逆に、現在ではなくなったものが、明治時代にはあったと思います。
本作品には、夏目漱石氏がイギリスロンドンに留学していた33歳のころのことがけっこう書いてあります。書いていたときの彼の年齢は42歳ぐらいのことですから10年ぐらい前のことです。楽しかったという記憶の記述ではありません。
「金(かね)」という作品が記憶に残りました。「金は魔物だね」とあります。明治の人は、火鉢を囲んだだけで物語が始まります。火鉢の灰に丸を描いてそれが金だと言う。金は何にでも変化する。衣服(きもの)にもなれば、食物(くいもの)にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる……と続きます。そして、この丸が(金が)善人にもなれば悪人にもなる……
現在も存在する「両国橋」という橋の名称が登場します。顔を会わせることはありませんが、時代を超えて、共通の橋を渡るという行為を人間はしています。
当時日本の植民地だった台湾の話も出てきます。明治27年(1894年)が日清戦争。日本が台湾に上陸したのが明治28年(1895年)。同年の下関条約(日清講和条約)がきっかけで日本の台湾統治が始まった記憶です。そして、この文章は明治42年(1909年)に書かれています。
解説には、夏目漱石氏は、二面性があった人のように書いてありました。
1908年(明治41年)の作品です。夏目漱石氏の年齢は元号の数値と一致するので41歳のときの作品でしょう。ちなみに49歳で亡くなっています。
「図書館の神様」瀬尾まいこ作品の中で紹介されていて、興味をもって手にしました。怪談、スリラーのような印象をもっています。これから読み始めます。第一夜から第十話まであって、ページ数にすると、35ページあります。
「第一夜」
「こんな夢を見た。」から始まります。寝ている女が「もう死にます」と言うのです。
黒い眼を睜たまま(みはったまま):目を大きく見開いたまま。
睫:まつげ
女は死んだあと百年後に生き返るそうです。
詩を読むようです。
妖精たちが登場人物のようでもあります。
唐紅の天道(からくれないのてんとう):濃い紅色(深紅)の太陽
オチはここには書きません。
「第二夜」
文章が自分には、高尚(こうしょう。気高くて立派。高級で上品)過ぎて、自分に理解する能力がありませんが、恐怖の迫力は強く感じます。
自分なりに想像・空想するに、お寺の和尚さんの下にある地位ぐらいのお坊さんが、過去に亡くなっている武士に精神をのっとられていて、短刀で自死の催眠術をかけられているような状態だと思うのです。洗脳があります。曲解かもしれません。(素直ではない解釈)
もうひとつの解釈としては、時間の地点を変えて、サムライがいた時代にリアルタイムで起きているいざこざとして解釈することもできますが、自分は、前段で説明した現代に近い時代設定での出来事として解釈したほうが、恐怖感が増すので好みです。
蕪村(ぶそん):与謝蕪村(よさ・ぶそん)1716年-1784年 68歳ぐらいで死没 俳人 文人画家
「第三夜」
過去に自分(男)が殺した人間が、自分のこども(6歳男児)に生まれかわって、自分に仕返しをしてくるという怖いお話でした。自分はこどもを森に捨てに行くのです。
不可い:いけない
『その小僧がくっついていて、自分の過去、現在、未来をことごとく照らして、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている』すぐれた文章です。
「第四話」
じいさんがひとりで酒を飲んでいます。それを見ているこどもの自分がいる夢をみています。
「神さん」が出てきます。神さまのことでしょう。
そのふたりの問答は不思議です。神さまがじいさんに、あなたはだれで、これからどこにいくのかとたずねます。
こどもの自分はじいさんのあとをついていきます。どうも、じいさんにはこどもの自分が見えていません。
読み手の期待をはずしたオチです。なにも起こりません。
「第五夜」
古代の時代設定で、戦に(いくさに)破れて、敵に生け捕りにされた自分がいます。
大将から、死ぬか生きるかと選択を迫られます。
どちらを選択しても答えは「死」しかないそうです。生きると答えると恥になるので、「死ぬ」を選択しました。
敗者は、死ぬ前に好きな女に会いたいと願い出ます。敵の大将は、夜が明けて鶏(とり。にわとり)が鳴くまでに女が来なければ、女に逢わせず(あわせず)に殺す意向です。この付近は「走れメロス」のようすです。もしかしたらここに太宰治作品のヒントがあったのかも。
女は白い馬にのっています。
ラストはちょっと理解できません。敗者の好きな女は天探女(あまのじゃく。あまのさぐめ。日本神話に出てくる女神。邪神です。災い(わざわい)をもたらす神)にだまされて命を落としたようです。
「第六夜」
彫刻士の運慶が山門で仁王をつくっています。時代背景は鎌倉時代のはずなのですが、運慶の姿をながめているのは明治時代の人間たちです。
鑿(のみ。削る)と槌(つち。のみの尾をたたく)
木を仁王の形につくのではなく、木の中に仁王がいるので掘り出すそうです。
夢を見ている自分も木から仁王を掘り出そうと挑戦を繰り返しますがうまくいきません。
「第七夜」
自分は大きな蒸気船に乗っている。お客もたくさん乗っている。たいていは偉人の客だ。
女が泣いている。
自分は死ぬことを考えている。
小説家は「死」と隣り合わせで文章を書いています。
底なしの暗闇に落ちていくような感覚があります。
「第八夜」
床屋に行った夢です。
庄太郎という人物が女を連れて歩いているのが床屋の鏡に映った窓の向こうに見えます。
金魚売りの話が出て、終わります。なにかの伏線だろうか。
「第九夜」
戦争の話が出ます。明治41年の記事だから、明治27年が日清戦争、明治37年が日露戦争、どっちの戦争かと考えていたら、どうもサムライの時代における武士同士の戦(いくさ)らしい。
若い母親と三歳の子どもがいます。父親が戦(いくさ)に行ったまま帰ってきません。
神社でお百度参りをする母親の近くで、細帯で欄干(らんかん)にくくりつけられたこどもがいます。怖い雰囲気を創り出す文章です。
「第十夜」
第八夜で出てきた庄太郎が再び登場します。彼は善良な正直者ですが、女の顔をながめることが好きです。
庄太郎は声をかけてきた女について行って帰ってきません。そこから大量の豚の話になっていきます。
これは夢です。
明治41年7月25日から8月5日の作品と最後に書いてありました。
同じ文庫におさめられている作品です。
「文鳥」
夏目漱石さんのじっさいの暮らしを下地にして日誌のように記述してありました。「命」を扱った作品だと思います。
娘さんの結婚話と文鳥のことを重ね合わせてあるような印象が残りましたが、それが、趣旨なのかは自信がありません。(他の解説情報では、娘さんではなくて、別の女性が亡くなったことと重ね合わせあるとのことでした。作品中では文鳥は死んでしまいます)
自分も中学生のころにジュウシマツやセキセイインコを飼育していたことがあるので、そのときのことを思い出しながら読みました。
作品の時代背景は、1908年、明治41年4月1日のころで、解説によると「坑夫(こうふ)」という作品を書いていた頃だそうです。足尾銅山(あしおどうざん。栃木県足尾町。現在は同県日光市内。閉山が1973年(昭和48年))がからんでいた作品という記憶があります。日本最初の公害事件発祥の地です。田中正三氏が明治天皇に直訴しようとしたのが、1901年(明治34年)のことでした。
「永日小品(えいじつしょうひん)」
25本の短文が固められています。
日記のような日誌形式です。
リズム感があって、読みやすい文章です。
自分は明治時代の人間ではないので、書いてあることの勝手がわかりません。(暮らし向きがわからない)書いてある内容をすんなり理解することはできません。(1909年)明治42年1月1日から3月12日という日付が末尾に付記されています。42歳のころの作品群です。なお、夏目漱石氏は49歳で病死されています。
テレビもラジオもない時代です。ラジオ放送は(1925年)大正14年に始まりました。もうすぐ100年です。テレビ放送は、(1953年)昭和28年のことでした。自家用車が国民全体に普及したのは、もっとあと(1975年ころ)昭和50年代前半のことだったという記憶です。
本作品は、いまでいえば、なにもない時代の娯楽に関する記述です。なにもないけれど、逆に、現在ではなくなったものが、明治時代にはあったと思います。
本作品には、夏目漱石氏がイギリスロンドンに留学していた33歳のころのことがけっこう書いてあります。書いていたときの彼の年齢は42歳ぐらいのことですから10年ぐらい前のことです。楽しかったという記憶の記述ではありません。
「金(かね)」という作品が記憶に残りました。「金は魔物だね」とあります。明治の人は、火鉢を囲んだだけで物語が始まります。火鉢の灰に丸を描いてそれが金だと言う。金は何にでも変化する。衣服(きもの)にもなれば、食物(くいもの)にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる……と続きます。そして、この丸が(金が)善人にもなれば悪人にもなる……
現在も存在する「両国橋」という橋の名称が登場します。顔を会わせることはありませんが、時代を超えて、共通の橋を渡るという行為を人間はしています。
当時日本の植民地だった台湾の話も出てきます。明治27年(1894年)が日清戦争。日本が台湾に上陸したのが明治28年(1895年)。同年の下関条約(日清講和条約)がきっかけで日本の台湾統治が始まった記憶です。そして、この文章は明治42年(1909年)に書かれています。
解説には、夏目漱石氏は、二面性があった人のように書いてありました。
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