2021年06月30日
望み 邦画DVD
望み 邦画DVD 2020年公開
石川一登:堤真一 建築士
石川貴代美:石田ゆり子 石川一登の妻 出版編集事務
石川規士(いしかわ・ただし):岡田健史(おかだ・けんし) 長男 高校生
石川雅(いしかわ・みやび):清原果耶(きよはら・かや) 長女 中学生
自分の息子がもしかしたら殺人犯人かもしれないというお話です。
自宅を建築注文取りPRのためのモデルルームにした映像からスタートします。
自宅には、リアルな家族が住んでいるわけで、そこに顧客の訪問があります。けっこうやばそうな親子関係です。高校生になったら、こどもは居候(いそうろう)だと思って他人扱いしたほうがいい。
なんだか不幸そうな家庭です。父親がワンマンな暴君なのか。
いずれこどもはこの家を出て行くだろうと思いながら観ていたら、たいへんなことになってしまいました。
暗くなりそうです。ドラマだと思って観ないと、気が重くなりそうです。
十代の若い男の遺体が発見されます。
長男の言葉「やらなきゃこっちがやられる」
感情論は通じない法的な犯罪捜査の世界です。
演劇みたいになってきました。
映画のタイトル「望み」というのは、自分のこどもが殺人事件の加害者ではないことを望むということなのか。
刃物を人に向けると、刃物を向けた人間の人生がふっとびます。向けた人間の親族も同様です。
マスコミが自宅に押し寄せます。
なんだか、こういうことが現実の類似事件でもあるような。
長男が家を出たまま帰ってきません。
だって警察は何も教えてくれないじゃないのという母親の苦しい叫びがあります。
規士(長男ただし)は、どこにいるのだろう。長男がのこした言葉として「だいじょうぶ。たいしたことやない」
マスコミの迷惑行為があります。どうしたらいいのだろう。迷惑行為の事実を記録して弁護士に相談して、テレビ局や週刊誌を訴えることになるのか。
「お兄ちゃんが、犯人ではない方がいい」→お兄ちゃんが被害者であったほうがいい。(だとすれば、兄は死んでいる)
いままでに、あってもよかった設定のドラマです。
母方祖母の言葉がいい。「(長男ただしのこと)たっちゃんを守る覚悟をしなさい」
腹を痛めて産んだ母親が息子の無実を信じられなければ、だれが息子を信じてくれるのか。
長女の志望高校受験をさまたげる理由はありません。
長男はどこに行ってしまったのだろう。12月に行方不明になって、今はもう翌年の1月です。生存反応の雰囲気がありません。
第三の枝として、長男は、加害者でも被害者でもないとう設定が考えられます。
情報を丸のみしたくありません。
何がしたかったのだろう。
学校って何をするところなのだろうか。
あわせて、家の建物の外観の立派さって何だろう。
外見(外観)だけが立派でも、中身がありません。
攻撃してくる人もあれば、味方になってくれる人もあります。
おかあさんは一生懸命いまだに姿の見えない息子への差し入れのおかずをつくっています。おかあさんは、頭がおかしくなっているように見えます。
どうしてみんながんこなのだろう。選択肢は無数にあるのに。
息子は案外自宅の自室に隠れているんじゃなかろうか。
「何もしなければ、何もできないおとなになる」(伏線としてのセリフ)」は効果よしです。
クラシック音楽を聴いているような情景です。
迫力ある一作でした。
こどもというものは、勉強ができるとかできないとか。運動ができるとか、できないとか、そういうことはひとまず横に置いといて、とりあえず生きていてくれればそれでいい。親のわが子に対する気持ちです。
最後のほうにある事件内容の説明部分はなくても良かった。かえって、間延びした時間帯で、感動が薄まりました。もっと簡略な説明でもいい。
セリフと心情とが一致しない心理があります。人間を深く描いてあります。
石川一登:堤真一 建築士
石川貴代美:石田ゆり子 石川一登の妻 出版編集事務
石川規士(いしかわ・ただし):岡田健史(おかだ・けんし) 長男 高校生
石川雅(いしかわ・みやび):清原果耶(きよはら・かや) 長女 中学生
自分の息子がもしかしたら殺人犯人かもしれないというお話です。
自宅を建築注文取りPRのためのモデルルームにした映像からスタートします。
自宅には、リアルな家族が住んでいるわけで、そこに顧客の訪問があります。けっこうやばそうな親子関係です。高校生になったら、こどもは居候(いそうろう)だと思って他人扱いしたほうがいい。
なんだか不幸そうな家庭です。父親がワンマンな暴君なのか。
いずれこどもはこの家を出て行くだろうと思いながら観ていたら、たいへんなことになってしまいました。
暗くなりそうです。ドラマだと思って観ないと、気が重くなりそうです。
十代の若い男の遺体が発見されます。
長男の言葉「やらなきゃこっちがやられる」
感情論は通じない法的な犯罪捜査の世界です。
演劇みたいになってきました。
映画のタイトル「望み」というのは、自分のこどもが殺人事件の加害者ではないことを望むということなのか。
刃物を人に向けると、刃物を向けた人間の人生がふっとびます。向けた人間の親族も同様です。
マスコミが自宅に押し寄せます。
なんだか、こういうことが現実の類似事件でもあるような。
長男が家を出たまま帰ってきません。
だって警察は何も教えてくれないじゃないのという母親の苦しい叫びがあります。
規士(長男ただし)は、どこにいるのだろう。長男がのこした言葉として「だいじょうぶ。たいしたことやない」
マスコミの迷惑行為があります。どうしたらいいのだろう。迷惑行為の事実を記録して弁護士に相談して、テレビ局や週刊誌を訴えることになるのか。
「お兄ちゃんが、犯人ではない方がいい」→お兄ちゃんが被害者であったほうがいい。(だとすれば、兄は死んでいる)
いままでに、あってもよかった設定のドラマです。
母方祖母の言葉がいい。「(長男ただしのこと)たっちゃんを守る覚悟をしなさい」
腹を痛めて産んだ母親が息子の無実を信じられなければ、だれが息子を信じてくれるのか。
長女の志望高校受験をさまたげる理由はありません。
長男はどこに行ってしまったのだろう。12月に行方不明になって、今はもう翌年の1月です。生存反応の雰囲気がありません。
第三の枝として、長男は、加害者でも被害者でもないとう設定が考えられます。
情報を丸のみしたくありません。
何がしたかったのだろう。
学校って何をするところなのだろうか。
あわせて、家の建物の外観の立派さって何だろう。
外見(外観)だけが立派でも、中身がありません。
攻撃してくる人もあれば、味方になってくれる人もあります。
おかあさんは一生懸命いまだに姿の見えない息子への差し入れのおかずをつくっています。おかあさんは、頭がおかしくなっているように見えます。
どうしてみんながんこなのだろう。選択肢は無数にあるのに。
息子は案外自宅の自室に隠れているんじゃなかろうか。
「何もしなければ、何もできないおとなになる」(伏線としてのセリフ)」は効果よしです。
クラシック音楽を聴いているような情景です。
迫力ある一作でした。
こどもというものは、勉強ができるとかできないとか。運動ができるとか、できないとか、そういうことはひとまず横に置いといて、とりあえず生きていてくれればそれでいい。親のわが子に対する気持ちです。
最後のほうにある事件内容の説明部分はなくても良かった。かえって、間延びした時間帯で、感動が薄まりました。もっと簡略な説明でもいい。
セリフと心情とが一致しない心理があります。人間を深く描いてあります。
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