2021年06月23日

おらおらでひとりいぐも 邦画DVD 2020年公開

おらおらでひとりいぐも 邦画DVD 2020年公開

 日高桃子さん:田中裕子さんと若い頃が、蒼井優さん
 桃子さんの亡夫の周三さん:配役に問題あり。自分は偶然この男性俳優さんの不祥事発覚説明記者会見をテレビで見てしまいました。「奥さんと不倫相手とどちらが好きなんですか」と質問されて、「(押し黙った長い沈黙のあと)ここでは、答えられません」というような内容で返答された記憶です。ひっくりかえるほどびっくりしました。(どういう状況であったとしても、この場合の答は「妻」しかありえません。俳優の頭脳をもっている人とは思えません)男優さんは、この映画で、日高桃子さんの良き夫という位置づけで出演されています。撮影後のことだったのかもしれませんが、ミスキャスト(誤った配役)です。
 さびしさ1:濱田岳さん
 さびしさ2:青木崇高さん(あおき・むねたかさん)
 さびしさ3:宮藤官九郎さん
 桃子の娘:田端智子さん
 桃子の声「どうせ」さん:六角精児さん
 
 最初は、主役の田中裕子さんがお若く見えましたが、進むにつれて、やはり老けて見えました。設定は七十四歳ぐらいだったと思います。
 女性のひとり暮らし。「老い」があります。
 妖精のように三人のさびしさ男がいます。ジャズの話になり、いい流れです。洋楽と和風の光景の対比が効果的に心理に響きます。こういう表現のしかたがあるのかと感心しました。
 六角精児さんもおもしろい。昔、男が五十代になると、ふとんで朝、目が覚めても夢も希望もないという文節を読んで感心したことがありますが、そんな感じです。向田邦子さんの作品だったと思いますが記憶がおぼろげです。
 
 マンモスが出てきます。2005年あいち万博、マンモスのはく製展示がありました。日本では、万博といえば、いつまでたっても大阪万博と定義されます。忘れられたようになった愛知万博ってなんだったのだろう。県民としては、さみしい。

 薬を飲む桃子さんです。たくさん飲みます。いったい何錠飲むのよ。

 車の営業さんに車の購入を勧められている桃子さんが言ったセリフが、『(人生で購入する)最後の車になるのかしら』で、ちょっとびっくりしました。そのセリフは先日自分自身が言った言葉です。自分の人生で最後に買う車になるだろうと家族に話をして車を購入しました。高齢者が運転する車での人身事故が社会問題になっているので、七十代なかばで運転はやめるつもりです。

 こどもはどうして恐竜が好きなのか。
 恐竜がいた時代は、わたしが独自につくった自分のための歴史年表によると、
 宇宙の始まり:138億年前
 地球誕生:46億年前
 恐竜時代として、
 三畳紀(さんじょうき。2億年ぐらい前)
 ジュラ紀(1億5000万年ぐらい前)
 白亜紀(7000万年ぐらい前)
 恐竜は、6600万年前ぐらいに、隕石の衝突で気候が変化した地球環境が原因で死滅した。
 と記録されております。

 大正琴(たいしょうごと)の話が出ます。名古屋市が大正琴の発祥の地です。
 自分が中学生のとき、夏休みの課題発表で、日頃、がらの悪い不良に見える怖そうな男子が、おばあちゃんに教えてもらったと言って、大正琴で曲をしっかりひいたので、教室一同びっくりしたことを思い出しました。
 いっぽう、わたしの発表ですが、わたしは、手乗りジュウシマツを育てようとして、ジュウシマツをヒナから育てたのですが、ふとんでいっしょに寝ていたら、朝起きたら、ヒナが、わたしの背中の下でぺっしゃんこになって死んでいた話を発表しました。ばかうけでした。
 映画の映像を観ていて、そんなことまで思い出しました。この映画は、年配の人が観て楽しむ映画です。

 1964年(昭和39年)東京オリンピックの映像が流れます。2020東京オリンピックはどうなるのだろう。なんだか、変なことになっています。

 <また、タバコシーンが出てきました。喫煙シーンのない日本映画を観たい。名優の高倉健さんは、撮影のためにタバコはポケットに入れていますが、自分は、タバコは吸いませんとおっしゃっていました>

 日高桃子さんのご自宅は、大きくて立派な戸建てです。でもひとり暮らしです。長男か長女と同居生活ができたらいいのに。
 桃子さんの孫娘はとってもいい子です。孫娘は、ばあばは(ひとり暮らしで)自由でいいねと言います。心やさしい女の子です。孫娘自身は、母親に怒られてばかりだそうです。

 「愛しちゃったのよ ララランラン」の歌声が続きます。自分よりも十歳ぐらい上の世代の人たちの流行歌です。

 東北の山に降るらしき雪景色の映像が心に沁みます(しみます)。

 東北出身の桃子さんは「(ひと呼吸入れて)わたし」と言う。本当は、「おら」と言いたい。

 わけあって、ふるさとを捨ててきたのに、ふるさとが恋しくなる日高桃子さんです。

 愛はくせものだ。「愛<自由」 愛よりも「自由」「自立」のほうが大事だ。(このあたりはむずかしい。考えてもしかたがない気もします。

 映画を観ていて、静かです。ちょっとねむい。少し、ねむってしまいました。

 シーンにある庭木の剪定、切り落としは見回りの警察官がやる仕事とは思えないけれど。まあいいか。
 戸建てには、広い庭はなくてもいい。樹木や植物の手入れとかお世話が大変です。
 
 日高桃子さんは、音信不通になっている長男がらみのオレオレ詐欺にひっかかって250万円を失ったそうです。
 長女が孫娘を連れて、孫の習い事のためにお金を貸してほしいと日高桃子さんに頼んできましたが桃子さんは断りました。実の娘は怒りました。長男ならお金を出す。オレオレ詐欺にならお金を出す。怒られてもしかたありません。
 
 人生のふりかえりがあります。
 幸せには終りがくる。
 夫が病気で死んだとき、日高桃子さんいわく、「一点の喜び」があった。(ひとりで生きてみたかった)夫のはからいがあった。夫の死を受け入れるために、おらが見つけた理屈だ。というような哲学的なお話があります。

 日高桃子さんの山登りのようなお墓参りです。バスに乗らずに歩いて行きます。途中の場所で、ここであんなことがあったと記憶がよみがえります。ここで、子どもたちの基地遊びがあった。
 人生ってなんだろう。いいときもあれば、そうでないときもある。そして、最後はひとりです。

 自分は親を捨てた。そのせいか、自分も子どもに捨てられた。

 気の遠くなるような時間をつないで、奇跡のような人生だという言葉に共感しました。
 だれしも長い人生のなかで、命を落とすようなピンチに複数回遭遇していると思います。死なずに生きのびている人が多い。案外幸運に恵まれている。自分が思うほど自分の人生は不幸ではない。

 この部屋には、見えないけれど、おおぜいの人がいるの。みんなまぶってくれる(見守ってくれている)

 幻想的な作品でした。
 ただ、わけがわからないという感想をもつお客さんも多いと思います。

(過去の読書メモ)

2018年1月5日記事
おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 河出書房新社

 タイトルの意味は、「おらは、おらで、ひとりで、生きていく!」という意思表示ととらえて、読み始めました。(読みながら、やがて、おらは、おらで、ひとりで逝くけれどもという、反対の意味に考えが変わりました。その後、どうも、ひとりで行くが妥当らしいとなりました。)
 東北弁がきつい。全部この調子だったら、理解に苦労する。(そんなことはありませんでした。されど、わかりにくい。)
 どうも、おらは、二人いるようです。自問自答です。

 一人暮らし高齢者おばあさんのお話です。
 一人称のようで、一人称ではない。「桃子さん(主人公のおばあさん)は……」
 
 休憩場所のない長文が続きます。読むのに少ししんどい。
 8ページにあるジャズセッションの表現は、リズミカルで良かった。おもしろい。
 詩が挿入されているのですが、うーむ。詩の挿入をすると小説の構築が崩れる気がして、わたしは好みではありません。
 
 桃子さんを支える人として、「ばっちゃ(亡くなった祖母)」
 娘直美さんとの関係にこだわりあり。(こだわらないほうが、幸福になれると読み手は思う)
 
 44ページあたりからおもしろくなってきました。(されど、具体的な伸びはなかった)
 なかなか理解することがむずかしい作品です。

 孤独と付き合う内容です。
 東京オリンピック(昭和30年代開催)がからめてあるのは、2年後のオリンピックを意識してあるのかも。

 今は一人暮らしとなった75歳日高桃子さんの過去の生活内容は苦しい。
 猛烈な孤独感が満載された作品です。
 夫が病死、ふたりのこどもは家を出てしまった。
 自分は何をしてきたのだろう。

 ところどころ難しいのか、感覚の違いなのか、意味がわからない部分があります。笑いでいっぱいという作品ではありません。
 ひとりぼっちの淋しさを笑ってごまかす。心の声は、桃子本人の声以外にも亡夫の声であったり、祖母の声であったりもする。

調べた文字です。「弄う:いらう。いじる。さわる。」、「身罷う:みまかう。死ぬ」、「深く肯んずる:がえんずる。承諾する。聞き入れる。」、「独りごつ:ひとりごとを言う」、「太母たいぼ:祖母。書中ではこどもを大切に育てた母親」、「贖罪しょくざい:キリスト教。罪への償い」、「仮託かたく:他の物事を借りて言い表す」、「燭光しょっこう:火の灯り」、「屹立きつりつ:高くそびえ立つ」、「睥睨へいげい:にらみつける」、なんだか、漢字検定みたいになってきました。「恣意的しいてき:論理的でなくその場しのぎで、きままに扱う」、「けんじゅう:宮澤賢治作品の登場人物」、「朋輩ほうばい:同僚」、「歓心:よろこび」、「十全:十分に整っている」、「何如なんじょ:どうであるか」

良かった表現などです。「吐き出ほきだす」、「長年の主婦という暮らし」、「桃子さんの心情を地球の地層で表す。地学のようです。」、「この人には、この人の時間が流れている」、「(心の動きを)柔毛突起」、「早く起きても何もすることがない」、「目的がある一日はいい」、「町も老いる」、「人の期待を生きる(ことが苦行)」、「全体でもあり部分でもある」、「食べらさる(さあ、食べるぞ!)」、「まぶる(見守る)」、「自分の心を友とする」

ちょっとわたしには、むずかしすぎました。


2018年1月27日記事
(再読)おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 文藝2017冬号

 芥川賞作品です。一度読みましたが、よくわかりませんでした。ということで、再読です。今度は単行本ではなく、雑誌で読んでみます。

 雑誌掲載の文章のほうが読みやすかった。文字が目に優しい。一度読んで、筋書を既読ということもある。

 東北弁を標準語に翻訳しながら読む読書です。昔は、方言表記を避けたものですが、時代が変わりました。頭脳内翻訳はけっこう疲れますが、2回目なので、方言がとろけた感じがします。
 東北弁をからめて、「わたし」と「おら」の対立があります。おらは、おらであって、わたしではないのです。
 スタイルは、一人暮らし高齢者女性のつぶやきです。
 テレビ番組で受賞を知らせる内容をいくつか見ましたが、作者の人となりを取り上げるだけで、作品内容まで言及したものはありませんでした。報道する側は、まだ、読んでない、いや、読む気はないのかもしれない。

 娘との疎遠があります。息子もいるのですが、どうも子育てに失敗しています。
 からめて、実母との対立があります。対して、祖母との密着があります。
 自分の生き方を貫けば、娘からも息子からも見放されて孤独になる。母親に苦労をかけたばちがあたった。

 主人公の名前は、日高桃子さん。理解者だった夫の周造さんは病死されている。

 八角山の麓には、桃子さんがたくさんいて、霊魂となって、死の時を待っている。そこに、宮澤賢治作品がからんでくる。

 こどもよりも自分が大事だった。
 若いころには考えられなかった感情が老いた今ある。

 娘から孫娘への伝承と祖母、母、自分への継承がある。

 命(生きていること)の賛歌でした。


(その後)
 家族の話だと、黙読するとわかりにくいけれど、声を出しながら音読をするとすーっと文章が頭に入ってくるそうです。味わいがあるそうです。

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