2021年06月02日
おいで、アラスカ アンナ・ウォルツ・作 野坂悦子・訳
おいで、アラスカ アンナ・ウォルツ・作 野坂悦子・訳 フレーベル館
まずタイトルを見て、「アラスカ」という地名で思い浮かんだことです。
アラスカ:アメリカ合衆国が、1867年(明治元年が1868年)にロシアから買ったところ。(最近歴史に興味があるので、すぐ年号が頭に浮かんでしまうのです)エスキモーという原住民の人たちが暮らしているところ。オーロラをみることができる場所。
ところが、いま、33ページまで読んだのですが、アラスカというのはどうも犬の名前らしい。ちょっとびっくり。だから、タイトルが「おいで、アラスカ」なのか。アラスカという名前の犬に、こっちにおいでと声をかけているのです。
本にある絵を見ると、白くて大きな犬の絵があります。赤い首輪を付けています。
ただ、アラスカがいなくなってもう四か月と書いてあります。どこへ行っちゃたんだろう。物語に登場してくる女子パーケルの家の飼い犬らしい。
チュニック:丈が長めの上着。
亜麻仁(あまに)入りのサワード・ブレッド:亜麻という植物の種からつくる油が入った小麦・ライムギの粉からつくったパン。
構成は、ふたりの中学生のことが交互に出てくる形式です。
28人こどもがいる1年B組に属する男子と女子です。担任はゴメス先生。
男子がスフェイン。13歳。水色の目。体格は普通。灰色のTシャツ。あごにばんそうこう。パークルより少し背が高くて、よごれた靴をはいている。
女子がパーケル・モンテインです。
スフェイン・ベークマンはどうも病気もちらしい。(ページをめくっていたら偶然「てんかん」という文字が目に入りました。体が硬直するように突然発作が起きる脳の病気です)二時間おきに薬を飲むようなことが書いてあります。どうも彼は二回目の中学1年生としての生活が始まった雰囲気があります。オランダからフランスに来たような雰囲気もあります。(読んでいてその後、舞台はオランダだろうということにしました)
9月だから、外国は、入学の時期です。おそらく6月ぐらいからの長い夏休みが終わったあとです。日本と外国は義務教育の学年制度が異なる部分もあります。
フランス語の先生がいます。ひじから下にドラゴンのタトゥー(入れ墨)あり。ゴメス先生です。女性に思えます。
「ビアンヴニュ!(ようこそ)」
パーケル・モンテイン:12歳。女子。やせていて顔は青白い。黒い服を着ている。笑みを浮かべない。とがった鼻。キャンキャンとするどい声で話す。弟が三人います。三人ともADHD(注意欠如・多動症)だそうです。デックス9歳、フィン7歳、ユーイ6歳(犬アレルギーがあるらしい)。あとはパパ39歳とママ。両親は写真店を経営しています。「写真店モンテイン」です。
スフェイン・ベークマン:男子。てんかんもち。13歳。二回目の中学1年生。1年目はたぶん病欠で出席日数不足だったのでしょう。留年です。
ジファ:青色が好き。黒い巻き毛
ベンヤミン:ホッケーをしている。
ソル:夏にスペインに行きました。
エリン:クラスメート
イヴォンヌ:介助犬の指導者。
ホッペンブラウワース先生:担任
アラスカ:(読み続けていてわかるのですが)病人の介助犬。どうもパーケル・モンテイン宅が里親で、その後、てんかん発作の病気があるスフェイン・ベークマンの介助犬になっているようです。犬ですが、背中に介助犬の表示があるベストを着用している。ゴールデンレトリバー。雪色(白)
112番:日本の119番。救急搬送依頼の電話番号
昔、電車の中で立っていて、自分の目の前でてんかん発作を起こした若い男性を見たことがあります。びっくりしました。突然、体の硬直が始まったようで、ぶるぶると震え出し、両手も小刻みに動いて、自分は、なにが起こったのだろうと目が点になりました。すごく強い力でけいれんしていて、その動きを力で押さえて止められそうもありませんでした。発作がおさまるのを待つしか対応のしようがありません。三分間ほどして発作が去ったようで、体の動きが静かになったので、「大丈夫ですか」と声をかけましたが、本人は放心状態で、なにが起きたのか記憶がないのか、自分で自分の行為に驚いていたのか、不思議な雰囲気でした。そのときは、前知識はあったので、ああこれが、てんかんという病気の症状なのかと思いました。
この本では、「発作のあと、この世界は、ちょっと液体に近くなる……」「つまり、ぼくの頭の中がショートしたんだ……」と表現されています。
抽象的な世界が続きます。
現実離れしたような世界です。
フェイスマスク:この物語においては、プロレスラーがかぶる顔全体をかくすマスクだと判断しました。
どういうわけか、理由がはっきりしないのですが(パーケル・モンテインが『ジングルベル』を犬の物まね声で歌ったからですが、彼女の声やしゃべり方が犬みたいだという理由でばかにするのはいじめです。)てんかん発作もちの男子であるスフェイン・ベークマンが、細身でかん高い声を出す女子であるパーケル・モンテインを『ワンワン・パーケル・バーカー!』とばかにしてさげすみます。ひどいやつです。でも、パーケル・モンテインはめげていません。強気です。
スフェイン・ベークマンは介助犬アラスカの世話になっており、パーケル・モンテインは同じくアラスカを預かって一時的に育てた家庭のこどもです。
介助犬:身体障害者の行動を支援するワンちゃん。精神的な支えにもなる。
犬があいだに入って、ふたりの人間をつなぐ物語です。
幻想的です。この世の出来事ではありません。
すべてが夢の中のようです。
アラスカがパーケル・モンテイン宅を去ったあと、写真館モンテインに強盗が入って、拳銃発射事件が起きています。死者は出なかったもののパーケル・モンテインの父親は負傷しています。(このことがきっかけで、スフェイン・ベークマンは、アラスカの前の飼い主がパーケル・モンテインであることを知ります)
元飼い主の女子であるパーケル・モンテインと今は、スフェイン・ベークマンの介助犬をしているアラスカの再会があります。
トチノキ:落葉性の高木。
ドロテ先生:パーケル・モンテインの二番目の弟である7歳フィンの担任。
イヴォンヌ:介助犬アラスカの調教師
犬が歌うジングルベルは「ワン、ワン、ウーフ、ワン、ワン、ウーフ……」のくりかえしです。
外国だから(オランダ)日本とは違う雰囲気のところもあります。政治的、宗教的な理由で、テロ(無差別殺傷行為)が起きます。爆弾の爆発でたくさんの死傷者が出ます。また、銃が身近にある社会なので、銃による犯罪も起こりやすいです。
スフェイン・ベークマンの性格はゆがんでいます。男尊女卑の考え方をもっている男子です。
なぜ人は、人を傷つけたがるのだろう。DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)とか児童虐待とか高齢者虐待とか、本来は愛情を与える相手にきつくあたるのでしょう。人間の脳には「悪」があります。人に優しくされたことがない人は、人に優しい人にはなりにくい。
スフェイン・ベークマンはさらに、介助犬のアラスカを「もじゃもじゃ」と呼んでばかにします。感謝を知らないとても失礼なやつです。きっとさきざき、ばちがあたるでしょう。
スフェイン・ベークマンとパーケル・モンテインとで、アラスカの取り合いになりますが、アラスカに本当の愛情がある人は必ずアラスカを相手に譲ります。アラスカにどちらを選択するかの決断をさせるのは酷です。まるで、離婚のときの子の親権争いのようです。
アラスカは自分の役割をよく考えて行動したと思います。
トルコブルー:水色っぽい青色
スフェインのいいセリフがありました。「人生は続けていかなくちゃいけないのに、どうしてきみは、ずっとぐちをこぼしていれるんだ」自分に障害があっても、弟たちに障害があっても、人生は続けていかなくちゃいけないのです。以前映画で知った名言があります。「このさき、何が起きるかは問題じゃない。何が起こっても動じない度胸をもち、知識を蓄え、体験を積んでおくんだ」
本には書いてありませんが、スフェインは「(てんかんという病気がある)この脳で生きていくんだ」と決意したのです。ぼくという人間は、ここにいると自覚したのです。
人の不幸を動画で撮影して、拡散させて、みせびらかして、楽しむ人たちがいます。
スフェインは自分が今いる場所を「火星」だとなんども表現します。外国の人の感覚なので、日本人のわたしにはピンときませんでした。
伏線の回収が始まります。(伏線:物語をひきたてるために前半でばらまく仕掛け)
写真館に入ってきた強盗のこと。うつ病みたいになってしまったパパのこと。ジングルベルの歌のこと。障害のある弟たちのことなどです。
連携があります。そういうことかと納得する展開です。
障害者世帯を元気づける内容です。励ましもあります。
「予知」の話が出ます。
介助犬を讃えて、感謝して、PRする内容です。
仲間意識が生まれます。
学校へ行こう! という物語でした。
読んでいたらたまたまテレビで介助犬の番組が流れました。
日本にいる介助犬の数は、たった57頭だそうです。少ないですね。出会うこともないような。
読み終えてみて、少年と少女のお話でした。犬である「アラスカ」の存在感は薄かった。
オランダの作品でもあり、日本の文学とは感覚の違いがあると感じました。
まずタイトルを見て、「アラスカ」という地名で思い浮かんだことです。
アラスカ:アメリカ合衆国が、1867年(明治元年が1868年)にロシアから買ったところ。(最近歴史に興味があるので、すぐ年号が頭に浮かんでしまうのです)エスキモーという原住民の人たちが暮らしているところ。オーロラをみることができる場所。
ところが、いま、33ページまで読んだのですが、アラスカというのはどうも犬の名前らしい。ちょっとびっくり。だから、タイトルが「おいで、アラスカ」なのか。アラスカという名前の犬に、こっちにおいでと声をかけているのです。
本にある絵を見ると、白くて大きな犬の絵があります。赤い首輪を付けています。
ただ、アラスカがいなくなってもう四か月と書いてあります。どこへ行っちゃたんだろう。物語に登場してくる女子パーケルの家の飼い犬らしい。
チュニック:丈が長めの上着。
亜麻仁(あまに)入りのサワード・ブレッド:亜麻という植物の種からつくる油が入った小麦・ライムギの粉からつくったパン。
構成は、ふたりの中学生のことが交互に出てくる形式です。
28人こどもがいる1年B組に属する男子と女子です。担任はゴメス先生。
男子がスフェイン。13歳。水色の目。体格は普通。灰色のTシャツ。あごにばんそうこう。パークルより少し背が高くて、よごれた靴をはいている。
女子がパーケル・モンテインです。
スフェイン・ベークマンはどうも病気もちらしい。(ページをめくっていたら偶然「てんかん」という文字が目に入りました。体が硬直するように突然発作が起きる脳の病気です)二時間おきに薬を飲むようなことが書いてあります。どうも彼は二回目の中学1年生としての生活が始まった雰囲気があります。オランダからフランスに来たような雰囲気もあります。(読んでいてその後、舞台はオランダだろうということにしました)
9月だから、外国は、入学の時期です。おそらく6月ぐらいからの長い夏休みが終わったあとです。日本と外国は義務教育の学年制度が異なる部分もあります。
フランス語の先生がいます。ひじから下にドラゴンのタトゥー(入れ墨)あり。ゴメス先生です。女性に思えます。
「ビアンヴニュ!(ようこそ)」
パーケル・モンテイン:12歳。女子。やせていて顔は青白い。黒い服を着ている。笑みを浮かべない。とがった鼻。キャンキャンとするどい声で話す。弟が三人います。三人ともADHD(注意欠如・多動症)だそうです。デックス9歳、フィン7歳、ユーイ6歳(犬アレルギーがあるらしい)。あとはパパ39歳とママ。両親は写真店を経営しています。「写真店モンテイン」です。
スフェイン・ベークマン:男子。てんかんもち。13歳。二回目の中学1年生。1年目はたぶん病欠で出席日数不足だったのでしょう。留年です。
ジファ:青色が好き。黒い巻き毛
ベンヤミン:ホッケーをしている。
ソル:夏にスペインに行きました。
エリン:クラスメート
イヴォンヌ:介助犬の指導者。
ホッペンブラウワース先生:担任
アラスカ:(読み続けていてわかるのですが)病人の介助犬。どうもパーケル・モンテイン宅が里親で、その後、てんかん発作の病気があるスフェイン・ベークマンの介助犬になっているようです。犬ですが、背中に介助犬の表示があるベストを着用している。ゴールデンレトリバー。雪色(白)
112番:日本の119番。救急搬送依頼の電話番号
昔、電車の中で立っていて、自分の目の前でてんかん発作を起こした若い男性を見たことがあります。びっくりしました。突然、体の硬直が始まったようで、ぶるぶると震え出し、両手も小刻みに動いて、自分は、なにが起こったのだろうと目が点になりました。すごく強い力でけいれんしていて、その動きを力で押さえて止められそうもありませんでした。発作がおさまるのを待つしか対応のしようがありません。三分間ほどして発作が去ったようで、体の動きが静かになったので、「大丈夫ですか」と声をかけましたが、本人は放心状態で、なにが起きたのか記憶がないのか、自分で自分の行為に驚いていたのか、不思議な雰囲気でした。そのときは、前知識はあったので、ああこれが、てんかんという病気の症状なのかと思いました。
この本では、「発作のあと、この世界は、ちょっと液体に近くなる……」「つまり、ぼくの頭の中がショートしたんだ……」と表現されています。
抽象的な世界が続きます。
現実離れしたような世界です。
フェイスマスク:この物語においては、プロレスラーがかぶる顔全体をかくすマスクだと判断しました。
どういうわけか、理由がはっきりしないのですが(パーケル・モンテインが『ジングルベル』を犬の物まね声で歌ったからですが、彼女の声やしゃべり方が犬みたいだという理由でばかにするのはいじめです。)てんかん発作もちの男子であるスフェイン・ベークマンが、細身でかん高い声を出す女子であるパーケル・モンテインを『ワンワン・パーケル・バーカー!』とばかにしてさげすみます。ひどいやつです。でも、パーケル・モンテインはめげていません。強気です。
スフェイン・ベークマンは介助犬アラスカの世話になっており、パーケル・モンテインは同じくアラスカを預かって一時的に育てた家庭のこどもです。
介助犬:身体障害者の行動を支援するワンちゃん。精神的な支えにもなる。
犬があいだに入って、ふたりの人間をつなぐ物語です。
幻想的です。この世の出来事ではありません。
すべてが夢の中のようです。
アラスカがパーケル・モンテイン宅を去ったあと、写真館モンテインに強盗が入って、拳銃発射事件が起きています。死者は出なかったもののパーケル・モンテインの父親は負傷しています。(このことがきっかけで、スフェイン・ベークマンは、アラスカの前の飼い主がパーケル・モンテインであることを知ります)
元飼い主の女子であるパーケル・モンテインと今は、スフェイン・ベークマンの介助犬をしているアラスカの再会があります。
トチノキ:落葉性の高木。
ドロテ先生:パーケル・モンテインの二番目の弟である7歳フィンの担任。
イヴォンヌ:介助犬アラスカの調教師
犬が歌うジングルベルは「ワン、ワン、ウーフ、ワン、ワン、ウーフ……」のくりかえしです。
外国だから(オランダ)日本とは違う雰囲気のところもあります。政治的、宗教的な理由で、テロ(無差別殺傷行為)が起きます。爆弾の爆発でたくさんの死傷者が出ます。また、銃が身近にある社会なので、銃による犯罪も起こりやすいです。
スフェイン・ベークマンの性格はゆがんでいます。男尊女卑の考え方をもっている男子です。
なぜ人は、人を傷つけたがるのだろう。DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)とか児童虐待とか高齢者虐待とか、本来は愛情を与える相手にきつくあたるのでしょう。人間の脳には「悪」があります。人に優しくされたことがない人は、人に優しい人にはなりにくい。
スフェイン・ベークマンはさらに、介助犬のアラスカを「もじゃもじゃ」と呼んでばかにします。感謝を知らないとても失礼なやつです。きっとさきざき、ばちがあたるでしょう。
スフェイン・ベークマンとパーケル・モンテインとで、アラスカの取り合いになりますが、アラスカに本当の愛情がある人は必ずアラスカを相手に譲ります。アラスカにどちらを選択するかの決断をさせるのは酷です。まるで、離婚のときの子の親権争いのようです。
アラスカは自分の役割をよく考えて行動したと思います。
トルコブルー:水色っぽい青色
スフェインのいいセリフがありました。「人生は続けていかなくちゃいけないのに、どうしてきみは、ずっとぐちをこぼしていれるんだ」自分に障害があっても、弟たちに障害があっても、人生は続けていかなくちゃいけないのです。以前映画で知った名言があります。「このさき、何が起きるかは問題じゃない。何が起こっても動じない度胸をもち、知識を蓄え、体験を積んでおくんだ」
本には書いてありませんが、スフェインは「(てんかんという病気がある)この脳で生きていくんだ」と決意したのです。ぼくという人間は、ここにいると自覚したのです。
人の不幸を動画で撮影して、拡散させて、みせびらかして、楽しむ人たちがいます。
スフェインは自分が今いる場所を「火星」だとなんども表現します。外国の人の感覚なので、日本人のわたしにはピンときませんでした。
伏線の回収が始まります。(伏線:物語をひきたてるために前半でばらまく仕掛け)
写真館に入ってきた強盗のこと。うつ病みたいになってしまったパパのこと。ジングルベルの歌のこと。障害のある弟たちのことなどです。
連携があります。そういうことかと納得する展開です。
障害者世帯を元気づける内容です。励ましもあります。
「予知」の話が出ます。
介助犬を讃えて、感謝して、PRする内容です。
仲間意識が生まれます。
学校へ行こう! という物語でした。
読んでいたらたまたまテレビで介助犬の番組が流れました。
日本にいる介助犬の数は、たった57頭だそうです。少ないですね。出会うこともないような。
読み終えてみて、少年と少女のお話でした。犬である「アラスカ」の存在感は薄かった。
オランダの作品でもあり、日本の文学とは感覚の違いがあると感じました。
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