2021年05月29日

エカシの森と子馬のポンコ 加藤多一・文 大野八生・絵

エカシの森と子馬のポンコ 加藤多一(かとうたいち)・文 大野八生(おおのやよい)・絵 ポプラ社

 本の表紙の絵がかわいい。おはながブタさんみたいな子馬の絵があります。たぶんメスでしょう。
 35ページまで読んだところで感想を書き始めます。全体で190ページあります。

 エカシ:大きな木だそうです。ハレニレの大木。この物語では樹齢400年以上ですから、関ケ原の合戦から江戸時代初期に芽を出したのでしょう。その頃の北海道は大自然に埋もれていたことでしょう。

 ポンコはやはり女子の馬の名前でした。
 舞台は北海道です。二回訪れたことがあるので、そのときのことを思い出しながら読んでみます。アイヌの人の話が出てくるようです。アイヌの人たちの集落を見学した記憶があります。日高ケンタッキーファームというところで宿泊して、翌日、平取町(ひらとりちょう)というところにあったアイヌの人の場所を訪れました。たしか二風谷(にふうだに)というところでした。あいにく記憶が薄れて、集落だったのか施設だったのか、それともその両方だったのかを思い出せません。周辺の雰囲気だけはなんとなく記憶に残っています。
 近くを沙流川(さるがわ)という川が流れていて、宮本輝作品「優駿(ゆうしゅん。競馬に出場するサラブレッド)」を読んだときに記述がありました。本は名作です。

 こちらの物語のほうは、ぼーっとしていて、わたしは大きな勘違いをして読み始めてしまいました。途中で気づきました。
 乳牛牧場から子牛が逃げ出したのだと思って読んでいました。しばらく読んで、逃げ出したのは、どさんこの馬だということがわかりました。どさんこは、おとなの馬だと、大きくて太くて重たい。スピードはないけれど力は強い。ページを最初に戻ったら、最初の一行目に「子っこ馬のポンコが行く。」と書いてありました。

 31ページにきたときに、ポンコはどさんこの子馬で、牧場から逃げていて、ポンコが名付けたらしいエカシという名前の大木がある森にいるということがわかりました。そこまで理解する途中、白いふわふわの毛の中に目がひとつある虫みたいな物体との出会いがあります。妖精だろうか。蛍の先祖だそうです。(読んでいたら正解が書いてあって、本当はガガイモの種だそうです。つる性多年草。名前がいもだからといって、おいもができるわけではないようです)38ページで、その名前を「ふるふる」として書いてあります。47ページには「ふわふわ」と書いてあります。
 アイヌの人のことを考える。自然は大事ということを考える。そういうメッセージがある物語のようです。

 本の表紙をめくると地図の絵があります。最初、日本なのか外国なのかわからないけれど、日本だとしたら、日本のどこにでもある山の近くの風景だと思いました。山があって、樹林があって、川が流れています。ここがポンコの森なのでしょう。

 目次を見て、舞台が北海道であることがわかりました。
 アイヌという言葉が見えたからです。
 エカシを調べたら、アイヌ語で「長老」というそうです。ただこの本では、エカシは大きな木としてさきほどの絵に描いてあります。(39ページにエカシは「長老」と書いてありました)

 アイヌの人たちは、昔からここに住んでいて、水や木やけものを尊敬して楽しく暮らしていたそうです。そういえば、似た事例で、オーストラリアに行ったときにアボリジニという原住民の存在を知りました。なんだか似ています。

 森にひとりきりの子馬のポンコは自由ですが、なんだか孤独です。だから、エカシの大きな木に甘えます。体をこすりつけます。
 
 エゾシカが走って行きます。
 
 ポンコが体感します。川で水を飲んだ時になんだかいつもと違うへんな感じがしたそうです。

 ポンコはエカシの木を大切にします。お年寄りを大切にしましょうというメッセ―ジだろうか。

 ポンコ:アイヌ語でポンは小さいという意味
 和人(わじん):北海道から見て南の島である本土(ほんど)に住む人
 シサム:アイヌ語でとなりの土地に住む人。和人のこと。
 エミシとかエゾ:アイヌの人のこと。
 
 和人はアイヌにひどいことをした。アイヌから土地や川、魚をとりあげた。

 ポンコがエカシに「忙しい」と言ったのですが、?(はてな)でした。なにが忙しいのだろう。時間に自由な子馬さんです。

 この物語は、エカシ(樹齢400年の大木)とポンコ(どさんこ馬の女子の子馬)との問答集です。ポンコがエカシに質問をして、エカシがポンコに回答します。人生相談みたい。
 ポンコが川に水を飲みに行ったときに、体に変な感じを感じたことをポンコはエカシに相談します。エカシはポンコの「成長」だとヒントを与えます。ポンコの体は、エカシの森からの移動を求めているそうです。
 
 めんこい:かわいい
 やんちゃ:ちいさなこどもがいやいやとだだをこねたり、かんしゃくを起こしたり、人の気をひこうと相手がいやがるようないたずらをしたりする状態

 ポンコは牧場がなぜ嫌だったのだろう。自由がなく束縛(そくばく。しばられる。制限を加えて行動の自由を奪う)されていたからだろうか。
 ポンコは「牧場のにおい」が嫌だったそうです。「鉄のにおい」だそうです。なるほど。わかる気がします。トラクター、草刈り機、草集め機のにおいです。それから機械が出す「ガスのにおい」もきらいだったそうです。

 もくし:馬の頭(顔)に取り付ける馬具。皮ひもと金具でできている。
 スタンチョン:牛の首をはさんで安定させるつなぎ止め。つなぎとめておく金属製の枠(わく)調べて写真を見ましたがかわいそうだと思いました。

 いま53ページ付近を読んでいます。作者は何を表現したいのか。作者はどんなメッセージを読者に送りたいのか。まだわかりません。
 文章は「詩」のようです。ポンコの気持ちは、話し相手であるエカシがいる場所にずっといたい。だけど、ポンコの体は、移動を欲し(ほっし)始めている。

 トドマツ:マツ属ではなくモミ属に属する。高さ20m-25mぐらい。
 ヨブスマソウ:キク科の多年草。山野草
 エゾニウ:セリ科の植物。多年草。高さ1m-3m
 イタドリ:タデ科の植物。高さ1mぐらい。
 クサムシ、ヘタレムシ:どちらもカメムシのこと。
 モンベツの浜:北海道の紋別市(もんべつし。オホーツク海に面した市)か、門別町(もんべつちょう。その後、日高町)が頭に浮かびましたが、競馬馬とかアイヌとかの言葉で、この物語では旧門別町であるということがわかります。
 カラマツ:落葉針葉樹。高さ20m-40m
 
 カメムシはいろいろなことを知っています。ポンコの亡くなった母親のことも知っています。ポンコが生まれた時に母親馬が死んだそうです。母親の命を救うかこどもの命を救うかという厳しい選択があったそうです。どちらが正解なのでしょうか。むずかしい選択です。

 カメムシは自分の意思で自分の行きたいところへ行けることが強調されています。78ページから79ページに広がる子馬のポンコの顔の上にカメムシがたくさんたかっている絵はなんだかすごい絵です。ポンコは自分の顔の上にのっかっているカメムシと話をしています。
 
 カメムシは「ムラ(村)」の話をしていると思います。カメムシが集まって、共同体として暮らしているのです。たくさんのカメムシの体が集まって「ひとつの命」なのです。
 
 エカシと問答をしていたポンコは、こんどは、カメムシのお話を聞いています。
 牧場には、とうさんとばばちゃんがいる。ふたりの男の子は学校へ行ったので今は家にはいない。
 とうさんとばばちゃんがポンコの話をしていますが、とうさんはポンコが悪いと言い、ばばちゃんはポンコをかばうという発言をします。ばばちゃんは、ポンコの好きなようにさせてあげたいそうです。この部分を読んだ時に、こんなことが頭に浮かびました。生まれた者には、それぞれ役割が与えられて生まれてきている。好きなことをやるということは、その役割を実行して達成することであろう。
 
 生き物が出す電波のこと。人間は頭だけで考えるから自然界で生きるにはだめな存在であること。そんな話が続きます。
 
 本の中は、雪が降る頃、冬に近づいてきて、やがて冬を迎えました。カメムシたちは、木の皮の奥に入って冬眠に入りました。
 冬の嵐がやってきました。たつまきです。たつまきに巻き込まれた木が空中を飛んでいます。川を流れている水まで上空へと巻き上げられました。
 ポンコは強風に耐えました。<たすけて>と叫んでしまいましたが、助けてほしい相手は馬を守って下さる神さまか、亡くなって天国にいってしまった母親馬だったのでしょう。
 
 ポンコは、数えで三歳の誕生日を迎えます。生まれた時が一歳です。
 
 ポンコの暮らしを聞いておどろいたことがあります。
 ポンコの体の血をすいにくる虫がいるそうです。
 ブヨ:ハエ
 アブ:ハエの種類だがブヨ(ハエ)より大きい。
 ヨモギ:キク科の多年草。高さは1mぐらい。
 シナノキの種:落葉高木。直径は1mぐらい。高さは20m以上。
 カツラ:落葉高木。直径2mぐらい。高さ30mぐらい。
 チキサニ:チキサニはアイヌ語。ハレニレの木のこと。この物語のエカシのこと。
 
 「水」の大切さが書かれています。ポンコは川の水を飲もうとしましたが、北海道の冬は極寒なので、川の水は凍っていて飲むことができません。ポンコの足の力では、氷に穴を開けることもできません。(あとで出てくるおじじが助けてくれます)
 冬は厳しく、地ふぶきがやってきます。雪がポンコの体に当たります。
 救世主が現れます。ポンコが所属する牧場のとおさんです。ポンコが食べるほし草の固まり(牧草ロール)をもってきてくれました。さらに、そばに住む人間である「おじじの小屋」をポンコに案内してくれました。
 冬なれど陽ざしが暖かい日に木の皮のむこうのスキマにいるカメムシがポンコに声をかけてきて、昔話を始めました。
 エカシは昔から切り倒されたあと木製の舟に加工されたかった。舟になってこの場所から移動したかった。丸木舟になって、海を見にいきたかったのでしょう。広い世界を知りたいという願望があったのでしょう。丸木舟をつくってくれるのはアイヌの人です。
 和人によって、アイヌの土地が侵略されたことが書いてあります。150年ぐらい前のことです。厳しい言葉があります。「(いまの人には責任無いよねに対して)そうはいかんよ。自分たちの先祖がやったことだもの」
 ホッチャレ:産卵後のサケのこと。
 
 冬眠中のカメムシは春が温かい日差しが照る日に、眠たいながらもポンコの話し相手になってくれます。百年以上生きているエカシの話やポンコが逃げてきた牧場の話を語ってポンコに聞かせてくれます。幼児に絵本を読み聞かせてくれる両親や祖父母みたい。
 
 ポンコもカメムシもにおいの話をします。なんのにおいかというと機械のにおいです。ふたりは、機械化を望んでいないようです。なにもかも機械化されてしまったから、馬のする仕事がなくなってしまったという考察です。人間界でも同じです。機械化されて便利になったけれど、もともとその仕事をしていた人たちは仕事を機械に奪われて仕事を失くしてしまいました。むかしはすき間仕事のようなものがあって、仕事にありつけるということはありました。こんなにに機械化が進んだのに、それでも人手不足という話を聞くと不思議です。人口構成比も関係あるのでしょうが、働かない人が増えたのだろうかという疑問が生じるのです。

 機械は、文句はいわないけれど、壊れます。手入れが大事です。
 人間は文句を言うし病気やけがもします。心身の手入れが大事です。

 表現のしかたとして、ポンコの感情とポンコの足の動きが一致していません。ポンコはそこへ行きたくないと思っているのに、足は反対方向へと歩んでいきます。足は「本能(生まれもった性質)」

 読んでいると舞台が北海道であることもあってドラマ「北の国から」を思い出します。過疎化が進んでしまいましたが、たしかにあった昔の奥地での集落生活です。「離農」「衰退」という言葉が頭に浮かびます。

 ラストは「春」で締めます。
 ポンコは牧場の外で厳しい冬を乗り越えました。「成長」があります。そして、恋の季節へと向かって行くのです。その先にあるのが結婚でしょう。機械のにおいはやがて、男と女の出会いのにおいに変化していきます。
 「農業小説」の印象がある作品です。
 こどもさん向けの作品ですが、けっこうむずかしい。擬人法を用いてあります。カメムシの存在はなにを意味するのかをいまは考えています。考え着くと、カメムシもエカシも神さまになります。自然のなかにおられる神さまからの教えなのです。
 
 タラのキ:落葉低木。タラの芽を食べる。

(その後)
 探し物をしていたらたまたまアイヌの人たちの資料館があった場所の写真をアルバムで見つけました。もう三十年ぐらい前にいったときの写真です。





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