2021年05月28日

学問のすすめ 福沢諭吉 斎藤孝・現代語訳

学問のすすめ 福沢諭吉 斎藤孝・現代語訳 ちくま新書

 有名な本ですが読むのは初めてです。
 福沢諭吉:1835年(天保5年)-1901年(明治34年)66歳没 慶応義塾大学の創設者 著述家、啓蒙思想家、教育者
 学問のすすめ:1880年(明治13年)出版。内容は、1872年(明治5年)-1876年(明治9年)に発行された17編を合本したもの。
 自分が明治時代のことを思う時は、明治の年号と夏目漱石さんの年齢が同じなので、夏目漱石さんのそのときの年齢を基準にしてそのころの時代風景のイメージをつくっています。
 
 『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
 武士出身の福沢諭吉さんが、江戸時代における士農工商制度を否定するところに、明治維新の気概を感じます。(気概:きがい。やる気。強い気性)また、バランス感覚がすばらしい。「これからは、日本中ひとりひとりに生まれつきの身分などといったものはない……」とあります。
 生まれたときにはみんな平等ということに続けて、それなのに、世の中は不平等だとつながっていきます。その違いはどこからくるのか。「学ぶか学ばないかによって決まる」と明快な答えが書いてあります。「人は学ばなければ、智(ち:物事をよく理解して、正しく判断して、対応すること)はない。智のないものは愚かな人である」とあります。
 鎖国だとか、攘夷(外国を追い払う)だとか、心の狭い対応をしていてはいけない。世界はひとつだ。みんなで協力しようというような趣旨の記述もあります。
 
 まずやらなければならないこととして、「文字を学ばなければならない」

 胸にぐっとくる文節が続きます。
 『ひどい政府は愚かな民がつくる』
 けっこう厳しいことが書いてあります。

 おもしろい。
 ひとつの文章の固まりはそれほど多くはなく、現代語訳をしてあるので読みやすい。
 福沢諭吉さんが書いたエッセイ集という感覚で読み続けています。
 『人間は平等である』そこにかなりこだわっていらっしゃいます。

 地頭(じとう):領主のこと。幕府の土地とそこに住む百姓を管理する。金があり権力があるとこの本には記されています。

 人同士が平等なら、国同士も平等だという考察と主張があります。
 豊かな国が貧しい国に無理を加えてはいけないという意見があります。
 
 桶狭間の戦い(1560年)の話が出てきました。織田信長に敗れた今川義元ですが、趣旨としては、今川義元のワンマンチームで、今川義元が亡くなったら、あとかたもなく滅びてしまった。国は領主ひとりがつくるのではなく、国民が気概(困難にくじけない強い意識)をもって維持していくとあります。『国民の気風(きふう。意識。気性。前向きな性質)が国をつくる』とのことです。
 
 当時の日本が外国に負けていることとして「学術」「経済」「法律」と提示されています。その原因は「国民の無知無学」と指摘があります。(これと同様なことを中国人小説家・思想家の魯迅が(ろじんが)自国民に対して思って、医師になることをやめて、小説家、思想家になって意識の啓もう者(知らない人を教えて導く)になろうとしたという話を以前別の本で読んだことを思い出しました)
 具体的には、自分が支配されていることに慣れて、一定のわくのなかで生活していることに疑問をもつ力もないということをいいたいのだろうと推測しました。
 胸にぐっとくる言葉としての要旨が「日本全国の人民は、非常に長い間、専制政治に苦しめられて、それぞれの心に思うことを表現できなくなっている……」

 ひとりひとりの人間は、人間的には立派であっても、そういう優秀な人たちが、政府に集まって政治をすると、いい政策が生まれてこないという現状を嘆いておられます。ひとりの人に、ふたつの人格があるように見えるそうです。ひとりなら賢明だが、集まると暗愚との批判があります。(ならばどうすればいいのかがこの本に書いてあります)

 精神論の面が強い。
 その後の歴史をみると怖さもあります。がんばりすぎるところがあります。うまくいかなくて、軍国主義化にまで至ってしまいます。
 自分が中学だった時に、明治生まれの祖父が、戦争でせっかくコツコツと貯めた貯金がパーになってしまったとか、有価証券のような商品がすべて無駄になってしまったと、昔を思い出しながら言っていたことを思い出しました。戦争は「無」をつくるのです。

 明治7年1月1日のことが書いてあります。1874年です。
 『人民独立の気概』について書いてあります。読んで理解したこととしては、なんでもかんでも政府とか国の組織を頼ってはいけない。自分たちの頭で考えて、民間の力を活用しようというアピールがあります。当時の国民のことを「わが国の人民が無気力である」と断定されています。「人民は、ただ政府の命じるところに向かって奔走するだけだった」とあります。

 国法と書いてあります。憲法のことです。国法の重要性が強調されています。国法は、政府がつくって押し付けるのではなく、自分たちでつくって、自分たちでつくったその法を守るという精神が説かれています。法は悪人から善人を守るためにあるとあります。政府が国民を保護するのです。

 忠臣蔵の話が出ます(1701年)。忠臣蔵をほめたたえるのは間違っているという考察です。なにかしら不満があったとはいえ、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけた浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は罪びとであり、不満があるなら言葉でそのことを上層部に訴えるべきであった。次の段階として、その件の裁判も浅野内匠頭が属する赤穂藩(あこうはん)にとって不公平であった。仕返しとして討ち入りをしたのは間違い。切腹も間違い。そう断定されています。やられたらやりかえすという行為を繰り返すかたき討ちは、どちらかが絶滅するまで続いて、終りがないと嘆いておられます。切腹行為を美化することにも失望されていて、武士出身の福沢諭吉さんですから、読んでいて意外に思いました。
 
 国民の義務と権利について書いてあります。「国」は会社、「国民」は社員です。本には書いてありませんが、労働の提供をして、報酬をもらう関係だと理解しました。
 なんども「人間は平等である」ということ強調されています。そのうえで、他者との平衡感覚、同等関係を説いておられます。
 ふと思ったのは、昔はやった「お客さまは神さまです」というキャッチフレーズは、ゆきすぎなのです。売り手も買い手も平等な立場なのです。
 
 150年ぐらい前に書かれた本ですが、今年読んで良かった一冊です。著者の貫く熱い意志が伝わってきます。

 税金は気持ちよく払いなさいとあります。
 趣旨としては、少ない会費で大きなメリットを手に入れることができるのが税金の制度だとあります。薄く広く集めて、おおきなお金のかたまりをつくって、そのお金を、国民の生活を守るために使うのが税金の役割とあります。
 
 歴史をさかのぼって、武士の時代、貴族の時代を含めて、当時の政府となる組織を全面否定されています。
 このときふと記憶がよみがえったのですが、江戸幕府が倒れて、明治維新を迎えたころに、各地にあった「城」を解体取り壊しした記事を昔新聞で読んだことがあります。庶民は城を「武士の権力の象徴」ととらえ、あんなものは壊してしまえと腹をたてたと書いてありました。
 それが、長い時をへて、明治維新のころを知らない世代の時代になると、「城」を観光資源にしたり、歴史を考える貴重な遺跡と考えたり、つまり、「城」を大事にしようということになっているのです。
 結局、人間の気持ちというものは、いかようにでもなるのだと思いました。でしたら、なるべく、ハッピーになれるように気持ちをコントロールしていけばいいのだと気づかされます。

 「切腹」について書いてあります。責任をとる行為で、一見美しいようだけれども、実際は世の中の役には立っていないと評価されています。
 メッセージの趣旨として、日本には「文明」がない。文明とは、知恵や徳を進歩させ、人々が主人公になって世間で交わり、お互いを害することなく、それぞれの権利が実現され、社会の安全と繁栄を達成することとあります。
 なんというか、読んでいて「言論の自由」というのは、大事だなと思うのです。政府に苦言を呈して政府から危害を加えられるのは異常な社会です。

 マルチドム:殉教者
 功徳(くどく):善い行い(よいおこない)。神仏の恵み
 佐倉宗五郎:江戸時代前期の義民。現在の千葉県成田市の名主。重税に苦しむ農民のために直訴して処刑された。

 アメリカのウェーランドという人が書いた「モラル・サイエンス」:人間の心と体の状態、気持ちのもちかたについて書いてあるようです。①人間には体がある②人間には知恵がある③人間には欲がある④人間には良心がある⑤人間には意思がある。
 自分なりに解釈すると①から⑤をコントロールして「独立」をする。そのさいに、天が定めた法によって、分限(限界。身のほど)を超えないようにする。
 
 男尊女卑の不合理について書いてあります。147年前に書かれたものですが、147年後の現在も女性差別は解消されていません。日本人は変化をにがてとする民族なのかもしれません。これからさき、147年後はどうなっているのか興味がわくのですが、そんなに長生きはできそうにもありません。
 女大学(という本):女子は、こどものときは両親に従い、結婚したら夫に従い、老いたら子に従う。(いまだったらとんでもない話です。でも、江戸・明治のころは常識だったのでしょう)

 妾制度(めかけせいど)に対する痛烈な批判があります。本妻以外に愛人をもつ。お金のある男子の特権のような風習です。いまは聞かなくなりましたが、自分がこどものころにはまだありました。
 『わたしの目から見ればこれは人の家ではない。家畜小屋である。(男子の種を増やして後継ぎ候補を用意しておく)』同じ屋敷に本妻と妾とそのこどもたちが同居しているのは異常だと言っておられます。そういえば、明治・大正・昭和初期時代のころの戸籍は、戸主制度で、戸主と本妻と妾とそれぞれにできたこどもたちが同じ戸籍に書かれていたことを思い出しました。パソコンやタイプライターなどなかったので、書道の筆の筆跡で書かれていました。
 第二次世界大戦の敗戦後、いろいろなことが変わりました。欧米化、とくに米国化が進みました。一夫多妻制をなんとも思わなかった人間の歴史があります。これは外国も同じでしょう。なんだか、女子もこどもも家畜同然の扱いです。

 『衣食住を得るだけでは蟻(あり)と同じ』とあります。現状維持に満足せず、進歩をめざそうとアピールしておられます。

 人間の集団生活について書いておられます。人は一人では生きられない。広く交際しましょうとあります。おひとり様暮らしを勧める昨今の風潮とは正反対であります。

 わがふるさと中津:大分県中津市。福沢諭吉さんが、19歳ぐらいまで過ごした実家があるふるさと。

 現代を生きる人がこの本を読んでどう感じるのだろう。気持ちが鼓舞(こぶ。気持ちがふるいたつ)される部分もありますし、押しつけがましい雰囲気もありますので、大きなことをねらわず、ささやかな幸せでいいとも思います。

 名分(めいぶん):立場や身分に応じて守るべきつとめ
 職分:その職に就いている者がしなければならない仕事

 明治7年当時の日本の人口:明治4年(1871年)戸籍法公布(壬申戸籍じんしんこせき)本籍人口(戸籍上の人口)33,625,646人(1月1日現在)
 1億2541万人(2021年4月1日現在)

 スピイチ:演説

「読書・観察・推理・議論・演説……」
 実際に生かせない学問は、学問ではない。
 この部分を読んでいると、学者は思考力はあっても、実戦力に欠けているという現象が思い浮かびます。
 
 怨望(えんぼう):ねたむこと。うらむこと。(他人に害を与えるという理由で慎むとあります)

 猜疑(さいぎ):人の言動を素直に受け取らずに疑う。

 江戸時代における御殿女中に対して厳しい批判があります。辛辣です(しんらつ。とげとげしい指摘)御殿女中というのは「大奥」のようなところで働く女性だろうかと推測しました。
 『無学無教養の婦女子が集まって、無知無徳の主人に仕えている。(以下、そこでは、なにをしてもしてなくてもいい。ただ毎日臨機応変に主人の寵愛を期待するだけと続き、これはまさに人間社会の外にある別世界と結論付けます)』
 当時の日本人の性質として、『ただ陰湿にうらむ』とあります。権利の主張はするけれど、おもいやりはない人たちというふうに受けとれます。

 読んでいると、白い霧の中にぼんやりと見えていたものが、明瞭に見えてくる明解さがあります。

 緊要(きんよう):さしせまって、重要なこと。

 何年たっても人間の性質は変わらないというようなことも出てきます。『口には最新流行のことを言いながら、心でしっかり理解しているわけでもなく、自分自身がどうであるかということを考えない者は、売り物の名前は知っているけれども値段をしらないようなものである』

 『保護』と『指図(さしず)』の範囲は一致させよの記述部分では、干渉ではなく世話をしているのだという理屈が生まれます。
 
 貧乏な人間に対して、なにも考えずに『貧民救済』をすることはよくない。その者の貧乏の原因を知ってから救済しなければならない。援助物資やお金が、貧困者が飲む酒に変わることがある。度が過ぎた援助は、相手自身のためにもならない。

 科学的な判断が必要と説いておられます。『信じることには偽りが多く、疑うことには真理が多い』例として、ガリレオ(地動説)、ガルヴァーニ(動物電気の発見)、ニュートン(万有引力)、ワット(蒸気機関)、トーマス・クラークソン(反奴隷制運動の指導者)、マルチン・ルター(宗教改革。プロテスタントの誕生)
 アジア人は、迷信を信じて、まじないや神仏に溺れている。相当昔の聖人賢者の言葉に縛られている。
 判断力を学問で養う。
 信じる者は信じすぎ、疑う者は疑いすぎて、両者のバランスを失っている。
(巻末の訳者のあとがきにもありますが、福沢諭吉氏がその後も生きていたら第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)は防げたかもしれません)

 アルコールのことが書いてあります。読みながら思うに「アルコールをたくさん飲んでも幸せにはなれない。病気にはなる」
 酒にのまれるなというような趣旨が書いてあります。酒=欲望です。

 この本が書かれてから、日本は、途中、大きな戦争や急速な経済成長があって、
 150年後ぐらいの現代があるわけですが、現代でも通用する考え方が書いてあります。
 
 さまざまなことに関心をもち、他者との交流をすすめて、学問(学ぶこと)をすすめておられます。
 最後の一節です。『人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない』明治9年11月出版

 訳者の解説部分で印象に残った文節です。
 『国などいらない、税金など払う必要はないと考えてしまいがちです』福沢諭吉さん流(りゅう)に言えば、国が安定することで国民は恩恵を受けているのに、そう考える人には、いやならこの国から出て行ってくださいということになるのでしょう。権利と義務はワンセットという考え方です。

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