2021年05月26日

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋 朝日新聞出版

 著者のことを知りませんが、書評の評判が良かったので読んでみることにしました。
 家族に聞いたら、テレビに出ている人で、面白くて、物事をはっきり言うさばさばしたいい人だとほめていました。

 鴻上尚史(こうかみ・しょうじ):作家、演出家。

 28の相談ケースがあります。二十代ぐらいの若い人からの相談が多い。

 これは人に聞くようなことではないようなという相談があります。怒られるかもしれませんが、相談者がこどものままで、おとなになりきれていません。おとなは、不条理、不合理な世間に気持ちで折り合いをつけながら、心ひそかに耐えて生活しています。どうしてかというと、生活費というお金を得るためです。この世に純白な世界はありません。おとなは白と黒のバランスを考えながら、今回はどうしたらいいかという選択をしたり、なるべくころばないようにと障害物競争のようなことをしたりしています。グレゾーンで生活費を稼いでいます。

 今の暮らしが嫌だから変化したいという気持ちをもちながらも、変化できない相談者がいます。未来は、あなたしだいなのです。成功すれば周囲は祝ってくれます。そうでないときは、そうでないなりになぐさめてくれます。

 結婚の場合は、ひとり暮らしの体験者同士で暮らし始めるのが無難で望ましいのでしょう。最初に楽をすると、あとで苦労が待っています。

 異質な人(世間的には標準でない人)が、自分は悪くないと回答者に言ってほしい相談内容です。周囲から責められても、法律違反の行為でなければ、自分のやりたいようにやればいいと思います。ただやりかたは複数あって、どちらでもいいし、どちらかを決めるのはご自身です。

 著者は「同調圧力が強く」と「自尊意識が低い」日本人気質を問題点としてとらえています。
 朱子学(江戸時代の封建制度にふさわしい学問。目上の人の言うことに従う)とか儒教(子は親を敬う。血縁が基本で仲良く)とか、仏教をはじめとした宗教とか、村の掟(おきて)とか、軍隊のような学校教育とか、これまでの日本史が下地にあるのでしょう。歴史をふりかえって、それでうまくいった部分もありますし、破たんした部分(戦争)もあります。

 著者が、ほかの事実としてあった事例を出しながら説明されるのは、けっこう勇気がいることです。
 
 言わずもがな:あえて言うまでもなく。

 手紙形式の文章による一方的な相談なので、実態が不明なまま答えなければならない苦しさがあります。すべてが事実とはうけとれないのです。ならば、井戸端会議のようなバラエティとしてとらえるように読むかという選択になります。相談者が苦にしているという相手方にもそれなりの言い分があるでしょうが、相談者から攻撃される相手の言い分は、本の文面には出てきません。

 誤解とか勘違いで、相談者本人が気づけていないことがあります。たいていの場合、自分が相手を愛しているほど、相手は自分に関心をもってくれてはいません。
 相談者は自分に被害や負担を与えている人を「友だち」だといいます。著者も言うとおり、そんな相手は、「友だち」ではありません。この世は誤解と錯覚で成り立っています。自分は相手を友だちだと思っていても、相手はあなたを友だちだとは思っていないこともあります。あなたは、相手にとってつごうのいい「道具」なのです。

 書きにくいですが、ときによりメンタルのふりをしているのではないかという人がいます。自分で自分はメンタルだという人はメンタルではないような気がするのです。自覚症状がない人が病気だと考えるのです。
 また、メンタルの病院に行くと病人にされるような気もします。服薬がずっと続きます。風邪なら治癒すれば通院も服薬もやめます。著者は相談者にしきりに受診を勧めていますが、病院に行って、病気が完成するのは怖い。文面だけの訴えなので、事実関係と実態の把握が必要です。

 初めて見た文字として「所与性(しょよせい)」が登場しました。変化しない。変化させない。今ある状態を受け入れるというようなことだそうです。確かにそういうことがあります。実体として一億人ぐらいいる人口の多数がそうであればそうせざるをえないのが現実です。その中で収入を得て生活していかなければならないからです。

 この本のタイトルは「ほがらか」ですが、内容は「ほがらか」とはかけ離れているような気分で読んでいます。

 恋愛話があります。相手の何が好きなのか。どんなところが好きなのかが見えてこない相談です。容姿だけが好きというように受けとれます。

 苦しみから解放される手法が示されています。「逃げる」です。同感です。そして自分にとって場違いな場所には行かないほうがいい。

 できないことは小さな声でもいいからできませんと言う勇気をもつ。できない理由について、理屈を並べる必要はありません。できないものはできないのです。

 『長幼の序(ちょうようのじょ)』また、自分にとって新しい言葉が出てきました。後継ぎの話です。長男が役にたたないなら役に立つ長女にやってもらうのです。それでも世間体では長男がトップなのです。

 回答の文章が長いかなと感じます。くどいかなあ。アドバイスしすぎると、実態が事実とずれていたときに怖い。

 配偶者である妻を自分の道具だと思っている夫がいます。驚きました。妻は働いてはいけないのです。奥さんが就労したいという希望を叩きのめす夫からの相談内容です。うちは貧乏だったから共働きをしないと生活していけませんでした。信じられません。

 人間を製品扱いする相談者もいます。その人は、魅力がない人です。

 著者から『人間の価値とは何か?』という提示があります。むかし「容姿が良ければいいじゃないか」と言った人がいました。その人はなんども結婚と離婚を繰り返しました。
 年齢を重ねてくるとわかるのですが、容貌は歳をとってみると、同じ人間でも、若い時と比べるとかなり変わります。若かった頃の自分の写真を見て、この人だれ? という気分になるときがあります。この人というのは、自分のことです。若い時は、たぶんパートナーを得るために、男も女も若いというだけで美しくもかっこよくも見えるのです。

 『最下層』という言葉が出てきました。今もなお江戸時代のような士農工商制度が残っているかのようです。学校での悩み事です。学校は短期間の一時的滞在地です。卒業すれば、はいさよならの世界です。学校での出来事については、気に病(や)まなくていい。
 いいフレーズが書いてあります。「お互いがお互いのことにまったく興味がないのに、ひとりになりたくないから友達のふりをしている人達はいます」
 ほかにもいいアドバイスがあります。

 『日本の謙虚文化』これもまた新しく出会った言葉でした。
 謙虚(けんきょ):人と接するときに出しゃばらない。控えめ。相手を立てる。自分を相手より下に見せる。
 
 説得力があった文節の趣旨として『日本人は宗教に関してはいいかげんですが、「世間(せけん)」という強力な一神教(いっしんきょう)が存在していて、日本人を守っていた』
 「世間」という団体維持のための世界と「社会」という個人活動優先の世界がある。イメージとして、昭和の時代は「世間」でした。「平成」「令和」の時代が社会なのでしょう。どちらがいいのかはわかりません。世の中の流れが決めるのでしょう。そして、将来、「社会」はまた変化するでしょう。案外「世間」に戻るのかもしれません。
 「世間」の中にいる人間と「社会」にいる人間とは対立するでしょう。

 ときおり著者が出した本の宣伝文章が顔を出します。これは人生相談の本なので本の宣伝は必要なかったような気がします。
 
 「社交不安障害」また自分にとっての新語が登場しました。どんな症状にも病名をつくれそうです。

 大学という学歴への執着があります。大学というのは、お金で卒業証書を買うところという印象があります。それから、大学という組織と関係する職員のために学生が学費というお金を提供するところという構図を頭に描いています。勉強は年齢に関係なくいつだって必要で、やりかたはいろいろです。
 一般的に歳をとって、人生をふりかえって、あれはむだだったなと思うのは「アルコールとニコチン」「生命保険料」そして「学歴」です。お金を得るために必要なことは、なるべく「無職」である期間を短くすることです。生涯獲得収入は延々と働き続けることで増加していきます。

 妻にやきもちを焼かれていることに気づけない旦那さんがいます。夫はアイドルファンですが、アイドルを愛するように妻も愛さないとバランスが悪いです。

 完璧な親は少ない。こどもに対して、親が考えたこどもにとって幸せな生活・進路を押し付ける親が登場します。こどもに自分がたどった苦労の人生を体験させたくないという親御さんの気持ちはわかります。こどもが強い自立心をもって親を振り切るしかないのでしょう。

 良かった助言として「あなたのおかあさんの問題はおかあさんの問題であって、あなたの問題ではありません」たいてい親はこどもより先に死にます。親のことよりも自分のことを考えましょう。

 苦労を体験した人=いい人でもありません。

 著者が劇団オーディションの審査員をしている立場としての助言は光っています。三十歳での初めての挑戦は遅すぎるのです。競争除外です。

 「学力」だけでなく「人間力」がいります。

 整形手術の相談話があります。
 自分だったら自分の顔のどこを整形するだろうかと鏡を見ながら考えました。結局今のままでいいという結論に至りました。顔のつくりよりも、目が良く見えるとか、虫歯がないとか、耳がよく聞こえるとか、そういうことのほうがほしいです。
 人生相談に相談するよりもまずは相手とよく話し合った方がいいという相談が多いです。案外お互いに誤解もあると思います。

 鴻上尚史さんは、相談事に対して真剣に回答されていますので、本を読んでいる自分も真剣に自分の考えを書いています。

 いい言葉があります。「恋愛は禁止されればされるほど燃える」(ロミオとジュリエットを例に出して)禁止されなければ時間が経つとたいてい飽きます。なにもかも思いどおりにいったらお互いに見せたくもない、見たくもない素(す)の部分が表面に出てきます。こんなはずじゃなかったとなります。相手のイヤな面が見えたけれど、結婚するかしないか、結婚を続けていくか中断するか。そこからが勝負です。
 もうひとつ「恋愛は許可を求めるものではない」もいいセリフです。生理現象と同じとあります。
 
 精神的余裕をもつために「ひとりになる時間」をつくるはいいアドバイスで同感です。いつもふたりでいるとイヤになるときもあります。束縛(そくばく。自由を奪われる)されたくないのです。この場合は、反抗時期を迎えた幼児のお子さんとのふたりきりの相談事の回答で示されています。まわりの協力がいります。

 親が、自分のこどもたち、兄弟姉妹間の対応で違いがあるともめます。
 親は意図的に差別的対応をしようとしたわけではなく、結果的にそうなってしまうということがあります。
 自分が親になってみるとそういうことがわかります。
 自立できる年齢になったら、家を出てひとり暮らしをするということがそのことの解決につながると考えたら、鴻上尚史さんも同じ答えだったので共感しました。

 日本人の「不寛容」の話が出ます。思い出すに、昔はおおざっぱで、おおらかな空気がありました。いいかげんといえば、たしかにそういう面もなきにしもあらずですが、理屈よりもお互いの心情を優先して、お互いの共存をめざす協調社会が大半でした。近頃は、人間の心が狭くなってしまった感じがあります。権利の主張と攻撃があります。
 関連してですが、二十年間ぐらいテレビをあまり見ませんでした。仕事中心の生活を送ってきました。だれもがそうだと思うのですが、仕事に専念しているとテレビを見る時間はそれほどありません。ニュースと天気予報ぐらいです。数年前にリタイアして、テレビをゆっくり見ることができるようになって驚いたことがありました。
 午前中も午後もワイドショー的な番組で、タレントさんたちが、いったいどういう権限があって、どういう立場で、どんな責任をもって、その時話題になっている不祥事をしでかしたらしき人物を、再起不能なまでに追いこんで、徹底的に叩きのめす発言をするのだろうかと理解できませんでした。そして、攻撃対象とされる人物は、まるで使い捨ての消費物のように次々と変わっていくのです。袋叩きにするいじめ大会です。異常な光景でした。
 なんというか、そもそも、起きたことの本当のことというのは、当事者自身と、当事者にごく近い関係者でしかわからないものです。まさかと思うようなことがからんでいたりもします。
 情報の一部分だけをとらえて、狙いを定めた相手を攻撃することは危険です。出来事の内容は、表に出すことができないこともあるし、わざわざ無関係の人たちの前にさらし出す必要がないものもあります。
 そのうちわたしは理解しました。これは、バラエティショーなのだと。ああだこうだ、なんだかんだと言い合う娯楽なのです。おもしろおかしくやってだれかを徹底的に攻撃して、自分たちのストレスを解消するのです。うさばらしです。
 出演者の立場は、出来事に関する利害関係人ではありません。実害をこうむった被害者でもありません。どうしてこんな放送をするのかと考え続けてようやく結論にたどりつけたのです。
 出演者と出演者が所属する事務所はテレビ局からギャラをもらいたいのです。そしてテレビ局はスポンサーから広告料をもらいたいのです。
 マスコミの映像による心理操作の気配もあるので、こういった番組は観ないようになりました。テレビ番組はすべてそうなのですが、内容が制作者の意図(いと。企て(くわだて))に基づいて加工されてつくられていると自覚しています。心理を誘導されない賢い(かしこい)視聴者でいたい。
 知りたい権利があるのでしょうが、知りたくない権利もあります。
 本書では、「自粛警察」のような事例についての考察があります。
 
 ポカホンタス:ディズニーアニメ映画。結婚がかなわないアメリカインディアン女子と探検家イギリス人男子との悲恋話。

 女子高校で、女子が同級生の女子に恋をして苦しむ相談があります。彼女は自分の心は男だと表明します。
 もし自分のそばでそういうことが起こったら自分はどうしたらいいのかわかりませんが、鴻上尚史さんはきっぱりとアドバイスを与えておられます。「うまくいってもいかなくてもどーんと当たってみてください」と。

 結婚したばかりの男性から実感がこもった言葉での相談があります。「『新婚さん』と冷やかされるが、早くもしんどさを感じています」
 奥さんには、ストレスがたまっています。奥さんはかなりがまんをしていたようです。いい人、いい妻という評価を得るためにがまんしていたけれど、結婚してから、気を許した夫に対して、新妻のストレスが爆発します。
 相手にひとつでも尊敬できるところがあると、そのほかの嫌なことは受け入れることができると、自分は考えています。
 
 「こどもを愛さない親なんているわけない」というようなことがからんだ相談があります。
 こどもをつくることができても育てることはむずかしいです。
 自分の時間を奪うこどもの存在をうとましく思う親はけっこう多いと思います。
 物語やドラマに出てくる仲良し家族というのは、あまりありません。暗い雰囲気の家庭が多い。

 紹介されている言葉として日本人のもつ「無意識の優越感」(日本人以外への人種差別があります)
 
 まじめな人のむくわれていない相談があります。就活に関するものです。励ましてあげたい。
 鴻上尚史さんからのアドバイスとして「大丈夫」を口癖にするとあります。そこを読んだときに、沖縄のおばあさんが「なんくるないさー(なんとかなるさー)」とかイスラムの人が口にする「インシャラー(神の御心(みこころ)のままに)」という言葉が思い浮かびました。
 基本的に気持ちの持ち方次第で自分の気分をコントロールできないことはありません。
 
 人生に100点満点での点数をつける話が出てきます。自分は60点で十分幸せです。

 おとなになった発達障害の人からの相談があります。
 大学を出て学力も優秀でマニュアルに沿った接客も上手なのに、まわりの人と雑談をするという日常会話ができない人がいます。案外、そういう人は少なくない気がします。一芸に秀でて(ひいでて)いるけれど、一芸以外のことはにがてなのです。この部分を読んでいて、村田沙耶香作品(むらた・さやか作品)「コンビニ人間」を思い出しました。
 この本に書いてある相談者の文面には「脳の器質的なもので、今後の改善の蓋然性(がいぜんせい)が低いもの」とあります。常人(じょうじん。平凡な人)にはなかなか書けない文章です。
 器質的:(脳の)構造、性質
 蓋然性(がいぜんせい):確実性の度合い
 
 両親が特定の外国人の悪口を言うことについて、こどもさんから相談があります。ヘイトスピーチです。(人種、国籍、宗教、性別などに関して行う攻撃、脅迫、侮辱など)
 GDP(国内総生産)の順位が高いということは自慢になるのだろうか。人間や国の価値はお金の多い少ないで決まるとは思えません。
 指摘があります。何も自慢することがない人が、自分が日本人であるということを自慢する。最後の砦(とりで)です。
 ネトウヨ:インターネット+右翼

 別の相談で、気に入った文章がありました。趣旨として、こども時代は、嫌な事、受け入れたくないことを、なんとなくうやむやにされることが多い。

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