2021年05月19日

朝が来る 日本映画DVD

朝が来る 日本映画DVD 2020年公開

 小説は何度か読み返しました。
 感動の名作です。
 テレビドラマを少しだけ観ましたが、小説を読んだほうがよかった。
 今回は映画です。
 養母役を演じられた永作博美さんは好きな女優さんです。

 幼稚園での園児同士のいさかいから始まります。親の責任もからんできます。重苦しい出だしです。(特別養子縁組をした養子の言うことを信じることで、養母の栗原佐都子さんは救われます)

 いらぬことですが、結婚して、こどもをつくれるのなら、こどもはつくったほうがいい。こどもは一族の宝です。
 映像で、『親がこどもを探すのではなく、こどもが親を探すのが、特別養子縁組制度の意義です(目的、価値)』と制度の趣旨が流れます。
 養母の四十代栗原佐都子(さとこ)さんのセリフです。「この家には、親になれる人がちゃんといる。(でも夫が子どもができにくい病気で、こどもがなかなかつくれないわたしたち夫婦です)」
 
 ああ、浅田美代子さんが登場しました。(そういえば浅田さんにもお子さんはいません)
 中学校の修学旅行で、関西のどこかの施設のホールで、浅田美代子さんの「赤い風船」をみんなで合唱したことを思い出しました。あのころ浅田美代子さんも十代でした。なつかしい。映像ではすっかりおばあさんの容貌になられました。お互いに歳を重ねました。
 
 ドキュメンタリー調(記録映像)の映画に仕上げてあります。

 施設に入れられて、中学生でこどもを産んだ実母である片倉ひかりの両親は何をしていたのだろう。(イヤなもの(自分の娘)を家から排除した)
 まだ中学生である実母の片倉ひかりの描き方は、置かれた立場が悲惨であるがゆえにどうにでも書けます。ひかりの心と体はボロボロです。やられ損です。彼女は未来を奪われてしまいました。

 お金のない若い女性トモカという女性が出てくるのですが、お金を何に使ったのだろう。

 死んだらだめです。「命」を考える物語です。

 中学生のときにこどもを産んでしまった実母の片倉ひかりは、自分が犯した(おかした)罪のような重みをかかえて一生を生きていかねばなりません。
 だれかの幸せは、だれかの不幸の上にある。
 だから、養母の栗原佐都子(さとこ)さんは、片倉ひかりさんに何度も謝りました。
 そしてふたりが立っている間(あいだ)に五歳の朝斗くんがいて、実母の片倉ひかりさんを「広島のおかあさん」と認識してくれます。
 「朝斗くん。ありがとう」今年観て良かった映画でした。
 片倉ひかりさんにとっては、長い道のりでした。


(過去の読書メモ記事から)
2016年1月10日記事
朝が来る 辻村深月(つじむら・みずき) 文藝春秋
 「朝が来る」というのは、こどもができない夫婦が、長いトンネルを通過するような体験を経て、最後に、特別養子縁組制度で、あかちゃんを家族に迎えた瞬間を指します。暗いトンネルを抜けて、朝が来たのです。40代栗原佐都子(さとこ)・清和さん夫婦は、養子としたあかちゃんに「朝斗(あさと)」と名付けました

 怖い話です。朝斗くんが幼稚園5歳になって、彼を産んだという女性が、栗原夫婦に迫ってきました。子どもを返してほしい。それがだめなら、お金が欲しい。さらに、読み始めてみると、その女性は、どうも、朝斗くんを産んだ女性ではなさそうなのです。夫婦からみて、「あなたはだれ?!」というスリルがあります。

 第一章、第二章とあって、そこが栗原夫婦の事情でした。今は、第三章を読んでいます。とても長い章で、170ページぐらいあります。第三章は、朝斗くんを産んだ14歳中学二年生片倉ひかりの事情です。

 この作品に限らず、この作者さんの作品を通して、読者に伝えたいメッセージのひとつに、母と娘の対立や葛藤があります。娘は、母親に対して、母親はわたしを理解してくれないと主張します。世間体を優先して娘のことを考えてくれない。
 わたしは主人公と違って、男性であり、成果が見込めるなら、嘘も方便という妥協型のためか、なかなかわからない潔癖な世界です。(作品中では、真面目で潔癖な家と表現されています)ですので、それを横においといて、これまでの感想を並べます。

 いつかは、映像化(ドラマ化、映画化)されるであろう作品です。(でも、読むのが一番いい。)
 メッセージとして、子育てにおいて親は、①筋を曲げない。②話し合う。③強い存在でいること。④性の話をあからさまに話せる親子・きょうだい関係を築く。などがあります。本作品イコール、性教育を無難に乗り越える教科書のようでもあります。

 特別養子縁組制度を巡るトラブルに関しては、法律で根拠があろうことから法律に従う手法で困難を乗り切ることが基本だろうと考えます。(肝心の法律を知りませんけど)
 コーディネーターの浅見さんがときおり登場しますが、まだ、本格的なものではありません。

(つづく)

 冒頭付近は、重苦しくて、読むのがつらかった。他の母親とのこどもをめぐるトラブルは、ちょっとおおげさかと思いました。ただ、ありえないことではありません。現実には、金で決着というよりも、互いに干渉・交流しなくなることが多い。
 展開は劇場的です。ここまで大きな騒ぎになるとは思えない。

 妊娠・出産した女子中学生側の立場をみて、両親がふたりとも教師という設定は、どうなのかな。教育のプロですから、失敗がないとは言い切れませんが、子を預けている親としては不信感や不安を抱くでしょう。
 中学生側の家庭は、被害者なのに、周辺の親族関係も含めて崩壊していきます。
 本来の責任は、避妊せず妊娠させた男性側にあるのに、男性側の一族はのうのうと暮らしています。そこが女子側の弱い立場になるのでしょう。男側に対する復讐があってもいいとさえ思わせてくれます。
 224ページ付近から続いていく実子との別れのシーンは、あまりにも悲しい。妊娠中、中学2年の片倉ひかりが「ちびたん」と名付けて話しかける胎児は親族内でなんとか育てていけないのかと思う。232ページ付近では、子どもって何だろう?!という気持ちにさせられます。泣けます。

 結婚したからといって、すべてのカップルに子どもができるわけではないと知ったのは、自分自身が結婚してからです。周囲にいる夫婦をみて、感覚的に、10組に一組は子どもができないような気がします。その人たちの苦しみは大変なものであろうと察します。
 自分自身、子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねと思いながらやってきました。いいことばかりではありません。子どもができないならできないで、運命として、そういう人生を歩んでゆくものと思ったことがあります。
 次に養子制度についてです。昔から、養子というものはたくさんありました。珍しいものではありません。身近です。
 本作品の中では、養子がこどものときから養子にあなたは養子であると教えておく。養子であっても、実子のように育てているという愛情を注ぐとあります。正解だと思います。隠さない方がいい。血がつながっていても、子どもがこの人は自分の親ではないと思えば親ではないし、血がつながっていなくても、子どもがこの人は自分の親だと思えば親です。

(つづく)

 308ページ付近、ヤクザの登場あたりから、特別養子縁組制度とは関係のない話になっていく。惜しい。予想していた展開とちょっとズレが生じている。もうひとつ、別のパターンがあった。テーマが、女性の一生、女性の生き方にすり替わります。女性を追求する物語に転換してしまいました。(のちに、作者にうまくしてやられる結果になります。)

 もう、残り5ページぐらいです。子を産んでさまよう片倉ひかりは、もう死ぬしかないなあと、読んでいても、行き詰まりです。読者も同感してしまいます。

 読み終えました。
 子どもは、社会全体で育てていく。
 いい作品でした。すばらしい。「朝が来る」のです。朝斗くんが柱になって、みんなを助けてくれました。

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