2021年04月23日
はてしない物語 ミヒャエル・エンデ
はてしない物語 ミヒャエル・エンデ 上田真而子(うえだ・まにこ) 佐藤真理子 訳 岩波書店
最初の30ページぐらいを読んだところで感想を書き始めます。
映画「ネバーエンディングストーリー」は、ちらりとしか見たことがありませんが、興味がわかなかったのでおもしろさにピンときませんでした。ところが、この原作本のほうは、冒頭からおもしろい。今年読んで良かった一冊になるだろうという期待がもてます。
「ナルニア国物語」のようにこどもさん向けの冒険空想物語です。その年齢(小学生)のときに読めば感動が大きかっただろうと歳をとった今になっては後悔するのです。
だから、自分が小学生になった気分で読み続けてみます。はじまりのきっかけに関する文章と26の章からできています。
「Ⅰ ファンタージエン国の危機」
主人公が10歳か11歳ぐらいの男児であるバスチアン・バルタザール・ブックス。学校ではいじめられています。チビデブでX脚の体格です。母はすでに死去しており、父は無口。
本屋の店主らしきおじさんが、カール・コンラート・コレアンダー。こちらも太ったずんぐり男です。
古本屋カール・コンラート・コレアンダーという店名が鏡文字になっているところからこの物語は始まります。
バスチアン・バルタザール・ブックスがこれから読む本のタイトルが「はてしない物語」です。
現実の社会のことが茶色の文字、本の中の空想世界のことが緑色の文字で書いてあり、シーンは交互に変わります。(これが、その後のしかけにつながっていくのです)
ファンタージエンという世界にハウレの森というところがあります。
いいなあという文章が続きます。
「なんだって、そいつらに一発見舞ってやらないんだね(バスチアンが学校でいじめられていると聞いて)」
「はっきりいえば弱虫なんだな。おまえは、ええ?」
「学校はいつもうちのめされてばかりいる場所だった」
読んでいて、気持ちがわくわくする感じがあります。
くされごけの沼の話。あわだつ粥(かゆ)のこと。コウモリに乗って移動する。ほかにも乗り物として、象、鷲とライオンが合体したような大怪鳥グライフ、翼をもつ白馬、飛ぶ犬、とんぼ、蝶など。
ファンタージエンという世界にあるエルフェンバイン塔に住む「幼ごころの君」とは王子のことだろうか。(女王のことでした。そして女王は病気です)
「バスチアンの好きな本は、手に汗をにぎるようなもの、愉快なもの、読んでいて夢のあるもの、話の中の人物たちが途方もない冒険をするもの、あらゆる 場面を思い描いてみることができるもの、そういう本だった。」(物語づくりの基本のひとつだと納得します)
バスチアンは、学校に遅刻して、またいじめにあうのがいやで、教室の屋根裏に隠れて、「はてしない物語」を読み始めます。
「Ⅱ アトレーユの使命」
物語に存在する世界が「ファンタージエン」です。
宮殿での話し合いで物事が決定されます。
この世界では、登場人物は人間ではなく、動物や虫が人のようなものになっています。
バスチアン父子の関係が、バスチアンの母親死去後うまくいっていないことの説明があります。
バスチアンが読んでいる物語のなかにいる主人公アトレーユが登場しました。10歳ぐらいの少年です。彼は、しろがね山脈の向こうにある草海原に住んでいる。草人です。緑の肌族に属します。アトレーユが乗る彼の馬の名前が「アルタクス」です。
本の表紙に「二匹の蛇がたがいに相手の尾をかんで楕円になっている絵」があります。そこに意味があります。
「Ⅲ太古の媼(おうな)モーラ」「Ⅳ群衆者イグラムール」
媼(おうな):老女
冒険のお話です。病気になった女王の命を救うために、アトレーユは、女王に新しい名前を授けてくれるという人物を探しにいくのです。南のお告げ所のウユララというのが名付けの方法を知っているそうです。
問題点として「虚無が広がっとるんでがす」
虚無が広がると、たとえば、生き物の体が少しずつ消えていくのです。
壮大過ぎて、文章だけでは、情景を想像しきれない部分もあります。
女王「幼ごころ」の病気の原因はきっと「虚無」です。そしていま、女王は、亡くなりそうなのです。女王の特徴として、ものすごく長く生きている。ものすごく長く生きているけれど歳はとらない。若いまま生き続けている。生き続けるためには新しい名前がいる。女王「幼ごころ」の病気を治すためには、あるいは死を避けるためには、女王に新しい名前が必要なのです。女王が亡くなると、ファンタージエンという世界もこの世から消滅するそうです。
おひかり:幼ごころの女王がアトレーユに与えた首飾りのお守り。アウリンという名称です。
厳しい条件が提示されました。アトレーユと幸いの白い竜のフッフールは目的達成の交換条件として、毒による死を受け入れなければなりません。チャンスは毒で死ぬまでの一時間しかありません。
「Ⅴ夫婦隠者(ふうふいんじゃ)」「Ⅵ三つの神秘の門」「Ⅶ静寂の声」
夫婦隠者:おじいさんである夫がエンギウックで、三つある神秘の門の研究者です。おばあさんである妻が、ウーグルで、アトレーユとフッフールの解毒治療をしてくれます。夫婦は小人(こびと)です。地霊小人(ちれいこびと)というそうです。
主人公がアトレーユで、彼が乗る白い幸いの竜がフッフールで、フッフールはルビーのような赤い目をしています。フッフールはしゃべります。外国の固有名詞なので何度も確認しないとピンときません。
本物の生きたスフィンクスが複数いるところにアトレーユとフッフールは行きます。
ときおり現実世界のバスチアンのことが出てきます。彼は本読みを続けています。「おなかが音を立てて鳴った」という記述部分がおもしろかった。(やがて、バスチアンがいる世界とアトレーユのいるふたつの世界はつながるのです)
以下が神秘の門です。アトレーコは神秘の門を通過しなければなりません。
第一の門:大いなる謎の門
第二の門:魔法の鏡の門。開かれてもおり、閉じられてもいる。門は鏡でできている。(この部分を読んでいるときに辻村深月作品「鏡の孤城」のイメージが湧きました)
第三の門:鍵なしの門。門は閉まっている。門を壊すことはできない。
目的は門の先にある南のお告げどころにいるウユララと話をして死にそうな女王の命を救うために新しい女王の名前をもらうこと。
そして、アトレーユは記憶を失いました。民話の浦島太郎が思い浮かびました。「ぼく、だれなんだろう?」
ウララが登場しました。でも声だけです。「われらは本の中だけの生き物」
読書のことについて書いてある物語だとわかります。
幼ごころの君である女王の新しい名前の名づけ親になるのは本「はてしない物語」をいま読んでいるバスチアンです。
「Ⅷ妖怪の国で」
エルフェンバイン塔に住む「幼ごころの君(女王)」に新しい名前を授けて女王の命を救うことができるのは「人の子」です。つまり本を読んでいる現実社会にいるバスチアンです。アトレーユは本の読み手のバスチアンに会うための旅を続けます。
気に入った文節として「幽霊なんていない。だけど、どうしてお化けの話があんなにたくさんあるのだろう?」
アトレーユが現実社会に来ることは無理で、本を読んでいるバスチアンのほうが、ファンタージエンの世界に行くのだろうと予想できます。「かれらには近いが、われらには遠い。」という老いた女性ウユララの言葉が思い出されます。
『虚無』が強調されます。なにもなくむなしい。すべてに意味も価値もない。無限の空間
「Ⅸ化け物の町」
人狼(じんろう)グモルクが登場します。
向こうの世界(本を読んでいるバスチアンのいる世界)という言葉が登場します。バスチアンが読んでいる本「はてしない物語」の中にある世界がこっちの世界です。
虚言(うそ)にこだわる人狼のグモルクです。
「Ⅹエルフェンバイン塔へ」「ⅩⅠ王幼ごころの君」「ⅩⅡさすらい山の古老」「ⅩⅢ夜の森ペレリン」
物語が全体の半分まできました。予想どおりの急展開があります。本の読者のバスチアン・バルタザール・ブックスが物語の中に入って来て、勇者になるのです。
幼ごころの君には「月の子(モンデンキント)」という名前が付けられました。
一粒の砂が種となって新しい世界が形成されます。ギリシャ神話とか、日本でいうところの古事記の世界です。文章は幻想的で壮大です。「夜の森ペレリン」という新世界が誕生しました。
「汝の欲することをなせ」
これからどうなるのだろう。
「ⅩⅣ色の砂漠ゴアプ」「ⅩⅤ色のある死グラオーグラマーン」「ⅩⅥ銀の都アマルガント」
中近東古代メソポタミア文明の世界を観るようです。王朝制度です。王さまとか女王さまがいる世界です。文章表現の内容はダイナミックです。力強く生き生きと躍動しています。
砂漠の固有名詞が「ゴアプ」なのですが、砂漠があたかも生きているように動きます。動的です。
「グラオーグラマーン」という名の巨大なライオンが登場しました。
空想の世界ですから何でもありです。死んでも生き返ることができます。
「シカンダ」とは剣の名前です。
バスチアンは、天地創造の神のようになっています。彼は彼自身にも自覚のない秘密をかかえているそうです。
ときおり「これは別の物語」という文節が出てきます。先日読んだ川村エミコさんのエッセイでも「これは別の話」というような文節が何度も出てきていました。偶然ですがおもしろい。
銀でできた世界です。アマルガントという大きい美しい銀の都です。
2・3年前に映画館で観た「アラジン」の活劇シーンを観ているような文章です。
ヒンレックが勇士。オグラマール姫はルン王の娘
ヒンレックの友人の勇士が、ヒクリオン、ヒスバルト、ヒドルン
「ⅩⅦ勇士ヒンレックの竜」
アマンガルト人の代表者として、銀翁(ぎんおう。銀の国の代表者)ケルコバートは107歳
クアナという年寄りの女性。クアナの息子がクインという狩人。クインの子が、男の子のアクイル、女の子のムクア。
アッハライ(常泣き虫。とこなきむし)
スメーグ(竜)がオグラマール姫をさらった。
ここから遠くに「モーグル」という国あり。そこは、冷たい火の国と呼ばれている。ヴォドガバイという森あり。鉛の城ラーガーが建っている。第一の堀に緑の毒、第二の堀に硝酸、第三の堀にさそりがいる。鉛の城の主が、スメーグという竜で、広げると32mのねばねばした翅(はね)をもっている。
スメーグを倒すには、ラーガー城の地下室にある鉛の斧が必要な武器となる。
「ⅩⅧアッハライ」「ⅩⅨ旅の一行」
クリス・タ:バスチアンが物語を話してあげた女の子(だけどバスチアンには記憶がありません)
アル・ツァヒール:光を放つ石
アッハライ:常泣き虫。とこなきむし
シュラムッフェン:常笑い。とこわらい。道化蛾(どうけが)
アウリン:おひかり:幼ごころの女王がアトレーコに与えた首飾りのお守り。その後、バスチアンの手にあります。アウリンには、願いをかなえてくれる力がありますが、力を使うとバスチアンの過去の記憶が少しずつ消えていきます。そして現実社会へ戻れなくなります。バスチアンは元の世界での暮らしを好ましく思っていないので、元の世界に帰れなくなってもかまわないと思っています。「父さんはぼくがいなくなってよろこんでいるかもしれない」
「ⅩⅩ目のある手」「ⅩⅩⅠ星僧院(ほしそういん)」
イルアン:青い魔鬼(ジン)
オグライ園(食肉らんの森)には、魔の城ホロークがあり、目のある手という領域となっているそうです。ファンタージエンで一番性悪な女魔術師サイーデが住んでいるそうです。
味方同士の対立が始まります。いじめられっ子のバスチアンは、優れた能力を授けられて(さずけられて)、人が変わってしまいました。与えられたものに頼って、自分がいい思いをしたいというふぬけになってしまいました。これまで支えきてくれたアトレーユや白い竜のフッフールの助言を聞き入れません。こうして、バスチアンは独裁者になっていくのです。この先は、バスチアンが痛い思いをすることになるのでしょう。なんだかナポレオンの生涯が重なります。
ゲマルの帯:ガラスでできた姿を見えなくする帯。サイーデからの贈り物
『ファンタージエンとは、はてしない物語である』
アル・ツァヒール:光る石。封印してある扉を開くときに使う。
「ⅩⅩⅡエルフェンバイン塔の戦い」「ⅩⅩⅢ元帝王たちの都」
バスチアンは狂気の独裁者になってしまいました。ファンタージエンという世界は、戦争状態です。
とある場所です。「はてしない物語」を読んで、バスチアンのようにいい気になって、帝王になって、廃人になった人たちが集められています。元(もと)いた自分の世界に戻れなくなったのです。本人はすっかり記憶を失っています。
もうすぐ、読み終わるのですが、ものすごい量のページ数でした。きちんとは読み切れていません。また数年後読む機会があるかもしれません。
「ⅩⅩⅣアイゥオーラおばさま」「ⅩⅩⅤ絵の採掘坑」「ⅩⅩⅥ命の水」
バスチアンは病気で死んでしまった自分の母親みたいな女の人に出会います。でも母親ではありません。アイゥオーラおばさまという人でした。バスチアンはひとときの安心できて充実した気持ちを味わいます。
バスチアンは「命の水」を飲めば、元いた世界に帰ることができるそうです。
関係性の薄い父親とのきずなを強調してある物語なのですが、父親を大事にしようというメッセージが物語のなかにあります。妻を亡くした夫である父親もつらい気持ちをかかえているのでしょう。
盲目の坑夫ヨルという人物がバスチアンを生命の水が湧き出る泉へと案内してくれます。ミンロウド坑という絵の採掘場へ行きます。そのあたりを読んでいるときに考えたことです。『不幸とは世間を知らないということ』『閉じこもっていては、悦び(よろこび)を知ることはできない』物語のなかでは、この世にはない幻想の世界が広がっています。
バスチアンの人生は、ナポレオンの人生のようです。英雄になって皇帝になって、流刑になって亡くなった。されど、バスチアンはまだこどもで、ナポレオンのような人生は物語のなかだけのことです。バスチアンは、もともと自分がいた世界に戻らなければなりません。小学校へ通わねばなりません。
白い幸いの竜フッフールとアトレーユがバスチアンを助けに来てくれました。
二匹の蛇がいます。
感動的なシーンが続きました。
「愛すること」の大事さが説かれます。フッフールは「幸いの竜」です。
バスチアンはもといた世界に戻ることができました。そして、「はてしない物語」という本は消滅してしまいました。
バスチアンが自宅で翌朝起きてみると、初雪が降っていたそうです。
書店の店主もまたファンタージエンへ行ってきた体験があることが判明します。
このあたりを読んでいて思ったことです。『自分以外の人は、自分とは違う脳内の世界をもっている』
バスチアンがこれから先、作家になる道が示されたような小説でした。1982年(昭和57年)初版の本でした。
最初の30ページぐらいを読んだところで感想を書き始めます。
映画「ネバーエンディングストーリー」は、ちらりとしか見たことがありませんが、興味がわかなかったのでおもしろさにピンときませんでした。ところが、この原作本のほうは、冒頭からおもしろい。今年読んで良かった一冊になるだろうという期待がもてます。
「ナルニア国物語」のようにこどもさん向けの冒険空想物語です。その年齢(小学生)のときに読めば感動が大きかっただろうと歳をとった今になっては後悔するのです。
だから、自分が小学生になった気分で読み続けてみます。はじまりのきっかけに関する文章と26の章からできています。
「Ⅰ ファンタージエン国の危機」
主人公が10歳か11歳ぐらいの男児であるバスチアン・バルタザール・ブックス。学校ではいじめられています。チビデブでX脚の体格です。母はすでに死去しており、父は無口。
本屋の店主らしきおじさんが、カール・コンラート・コレアンダー。こちらも太ったずんぐり男です。
古本屋カール・コンラート・コレアンダーという店名が鏡文字になっているところからこの物語は始まります。
バスチアン・バルタザール・ブックスがこれから読む本のタイトルが「はてしない物語」です。
現実の社会のことが茶色の文字、本の中の空想世界のことが緑色の文字で書いてあり、シーンは交互に変わります。(これが、その後のしかけにつながっていくのです)
ファンタージエンという世界にハウレの森というところがあります。
いいなあという文章が続きます。
「なんだって、そいつらに一発見舞ってやらないんだね(バスチアンが学校でいじめられていると聞いて)」
「はっきりいえば弱虫なんだな。おまえは、ええ?」
「学校はいつもうちのめされてばかりいる場所だった」
読んでいて、気持ちがわくわくする感じがあります。
くされごけの沼の話。あわだつ粥(かゆ)のこと。コウモリに乗って移動する。ほかにも乗り物として、象、鷲とライオンが合体したような大怪鳥グライフ、翼をもつ白馬、飛ぶ犬、とんぼ、蝶など。
ファンタージエンという世界にあるエルフェンバイン塔に住む「幼ごころの君」とは王子のことだろうか。(女王のことでした。そして女王は病気です)
「バスチアンの好きな本は、手に汗をにぎるようなもの、愉快なもの、読んでいて夢のあるもの、話の中の人物たちが途方もない冒険をするもの、あらゆる 場面を思い描いてみることができるもの、そういう本だった。」(物語づくりの基本のひとつだと納得します)
バスチアンは、学校に遅刻して、またいじめにあうのがいやで、教室の屋根裏に隠れて、「はてしない物語」を読み始めます。
「Ⅱ アトレーユの使命」
物語に存在する世界が「ファンタージエン」です。
宮殿での話し合いで物事が決定されます。
この世界では、登場人物は人間ではなく、動物や虫が人のようなものになっています。
バスチアン父子の関係が、バスチアンの母親死去後うまくいっていないことの説明があります。
バスチアンが読んでいる物語のなかにいる主人公アトレーユが登場しました。10歳ぐらいの少年です。彼は、しろがね山脈の向こうにある草海原に住んでいる。草人です。緑の肌族に属します。アトレーユが乗る彼の馬の名前が「アルタクス」です。
本の表紙に「二匹の蛇がたがいに相手の尾をかんで楕円になっている絵」があります。そこに意味があります。
「Ⅲ太古の媼(おうな)モーラ」「Ⅳ群衆者イグラムール」
媼(おうな):老女
冒険のお話です。病気になった女王の命を救うために、アトレーユは、女王に新しい名前を授けてくれるという人物を探しにいくのです。南のお告げ所のウユララというのが名付けの方法を知っているそうです。
問題点として「虚無が広がっとるんでがす」
虚無が広がると、たとえば、生き物の体が少しずつ消えていくのです。
壮大過ぎて、文章だけでは、情景を想像しきれない部分もあります。
女王「幼ごころ」の病気の原因はきっと「虚無」です。そしていま、女王は、亡くなりそうなのです。女王の特徴として、ものすごく長く生きている。ものすごく長く生きているけれど歳はとらない。若いまま生き続けている。生き続けるためには新しい名前がいる。女王「幼ごころ」の病気を治すためには、あるいは死を避けるためには、女王に新しい名前が必要なのです。女王が亡くなると、ファンタージエンという世界もこの世から消滅するそうです。
おひかり:幼ごころの女王がアトレーユに与えた首飾りのお守り。アウリンという名称です。
厳しい条件が提示されました。アトレーユと幸いの白い竜のフッフールは目的達成の交換条件として、毒による死を受け入れなければなりません。チャンスは毒で死ぬまでの一時間しかありません。
「Ⅴ夫婦隠者(ふうふいんじゃ)」「Ⅵ三つの神秘の門」「Ⅶ静寂の声」
夫婦隠者:おじいさんである夫がエンギウックで、三つある神秘の門の研究者です。おばあさんである妻が、ウーグルで、アトレーユとフッフールの解毒治療をしてくれます。夫婦は小人(こびと)です。地霊小人(ちれいこびと)というそうです。
主人公がアトレーユで、彼が乗る白い幸いの竜がフッフールで、フッフールはルビーのような赤い目をしています。フッフールはしゃべります。外国の固有名詞なので何度も確認しないとピンときません。
本物の生きたスフィンクスが複数いるところにアトレーユとフッフールは行きます。
ときおり現実世界のバスチアンのことが出てきます。彼は本読みを続けています。「おなかが音を立てて鳴った」という記述部分がおもしろかった。(やがて、バスチアンがいる世界とアトレーユのいるふたつの世界はつながるのです)
以下が神秘の門です。アトレーコは神秘の門を通過しなければなりません。
第一の門:大いなる謎の門
第二の門:魔法の鏡の門。開かれてもおり、閉じられてもいる。門は鏡でできている。(この部分を読んでいるときに辻村深月作品「鏡の孤城」のイメージが湧きました)
第三の門:鍵なしの門。門は閉まっている。門を壊すことはできない。
目的は門の先にある南のお告げどころにいるウユララと話をして死にそうな女王の命を救うために新しい女王の名前をもらうこと。
そして、アトレーユは記憶を失いました。民話の浦島太郎が思い浮かびました。「ぼく、だれなんだろう?」
ウララが登場しました。でも声だけです。「われらは本の中だけの生き物」
読書のことについて書いてある物語だとわかります。
幼ごころの君である女王の新しい名前の名づけ親になるのは本「はてしない物語」をいま読んでいるバスチアンです。
「Ⅷ妖怪の国で」
エルフェンバイン塔に住む「幼ごころの君(女王)」に新しい名前を授けて女王の命を救うことができるのは「人の子」です。つまり本を読んでいる現実社会にいるバスチアンです。アトレーユは本の読み手のバスチアンに会うための旅を続けます。
気に入った文節として「幽霊なんていない。だけど、どうしてお化けの話があんなにたくさんあるのだろう?」
アトレーユが現実社会に来ることは無理で、本を読んでいるバスチアンのほうが、ファンタージエンの世界に行くのだろうと予想できます。「かれらには近いが、われらには遠い。」という老いた女性ウユララの言葉が思い出されます。
『虚無』が強調されます。なにもなくむなしい。すべてに意味も価値もない。無限の空間
「Ⅸ化け物の町」
人狼(じんろう)グモルクが登場します。
向こうの世界(本を読んでいるバスチアンのいる世界)という言葉が登場します。バスチアンが読んでいる本「はてしない物語」の中にある世界がこっちの世界です。
虚言(うそ)にこだわる人狼のグモルクです。
「Ⅹエルフェンバイン塔へ」「ⅩⅠ王幼ごころの君」「ⅩⅡさすらい山の古老」「ⅩⅢ夜の森ペレリン」
物語が全体の半分まできました。予想どおりの急展開があります。本の読者のバスチアン・バルタザール・ブックスが物語の中に入って来て、勇者になるのです。
幼ごころの君には「月の子(モンデンキント)」という名前が付けられました。
一粒の砂が種となって新しい世界が形成されます。ギリシャ神話とか、日本でいうところの古事記の世界です。文章は幻想的で壮大です。「夜の森ペレリン」という新世界が誕生しました。
「汝の欲することをなせ」
これからどうなるのだろう。
「ⅩⅣ色の砂漠ゴアプ」「ⅩⅤ色のある死グラオーグラマーン」「ⅩⅥ銀の都アマルガント」
中近東古代メソポタミア文明の世界を観るようです。王朝制度です。王さまとか女王さまがいる世界です。文章表現の内容はダイナミックです。力強く生き生きと躍動しています。
砂漠の固有名詞が「ゴアプ」なのですが、砂漠があたかも生きているように動きます。動的です。
「グラオーグラマーン」という名の巨大なライオンが登場しました。
空想の世界ですから何でもありです。死んでも生き返ることができます。
「シカンダ」とは剣の名前です。
バスチアンは、天地創造の神のようになっています。彼は彼自身にも自覚のない秘密をかかえているそうです。
ときおり「これは別の物語」という文節が出てきます。先日読んだ川村エミコさんのエッセイでも「これは別の話」というような文節が何度も出てきていました。偶然ですがおもしろい。
銀でできた世界です。アマルガントという大きい美しい銀の都です。
2・3年前に映画館で観た「アラジン」の活劇シーンを観ているような文章です。
ヒンレックが勇士。オグラマール姫はルン王の娘
ヒンレックの友人の勇士が、ヒクリオン、ヒスバルト、ヒドルン
「ⅩⅦ勇士ヒンレックの竜」
アマンガルト人の代表者として、銀翁(ぎんおう。銀の国の代表者)ケルコバートは107歳
クアナという年寄りの女性。クアナの息子がクインという狩人。クインの子が、男の子のアクイル、女の子のムクア。
アッハライ(常泣き虫。とこなきむし)
スメーグ(竜)がオグラマール姫をさらった。
ここから遠くに「モーグル」という国あり。そこは、冷たい火の国と呼ばれている。ヴォドガバイという森あり。鉛の城ラーガーが建っている。第一の堀に緑の毒、第二の堀に硝酸、第三の堀にさそりがいる。鉛の城の主が、スメーグという竜で、広げると32mのねばねばした翅(はね)をもっている。
スメーグを倒すには、ラーガー城の地下室にある鉛の斧が必要な武器となる。
「ⅩⅧアッハライ」「ⅩⅨ旅の一行」
クリス・タ:バスチアンが物語を話してあげた女の子(だけどバスチアンには記憶がありません)
アル・ツァヒール:光を放つ石
アッハライ:常泣き虫。とこなきむし
シュラムッフェン:常笑い。とこわらい。道化蛾(どうけが)
アウリン:おひかり:幼ごころの女王がアトレーコに与えた首飾りのお守り。その後、バスチアンの手にあります。アウリンには、願いをかなえてくれる力がありますが、力を使うとバスチアンの過去の記憶が少しずつ消えていきます。そして現実社会へ戻れなくなります。バスチアンは元の世界での暮らしを好ましく思っていないので、元の世界に帰れなくなってもかまわないと思っています。「父さんはぼくがいなくなってよろこんでいるかもしれない」
「ⅩⅩ目のある手」「ⅩⅩⅠ星僧院(ほしそういん)」
イルアン:青い魔鬼(ジン)
オグライ園(食肉らんの森)には、魔の城ホロークがあり、目のある手という領域となっているそうです。ファンタージエンで一番性悪な女魔術師サイーデが住んでいるそうです。
味方同士の対立が始まります。いじめられっ子のバスチアンは、優れた能力を授けられて(さずけられて)、人が変わってしまいました。与えられたものに頼って、自分がいい思いをしたいというふぬけになってしまいました。これまで支えきてくれたアトレーユや白い竜のフッフールの助言を聞き入れません。こうして、バスチアンは独裁者になっていくのです。この先は、バスチアンが痛い思いをすることになるのでしょう。なんだかナポレオンの生涯が重なります。
ゲマルの帯:ガラスでできた姿を見えなくする帯。サイーデからの贈り物
『ファンタージエンとは、はてしない物語である』
アル・ツァヒール:光る石。封印してある扉を開くときに使う。
「ⅩⅩⅡエルフェンバイン塔の戦い」「ⅩⅩⅢ元帝王たちの都」
バスチアンは狂気の独裁者になってしまいました。ファンタージエンという世界は、戦争状態です。
とある場所です。「はてしない物語」を読んで、バスチアンのようにいい気になって、帝王になって、廃人になった人たちが集められています。元(もと)いた自分の世界に戻れなくなったのです。本人はすっかり記憶を失っています。
もうすぐ、読み終わるのですが、ものすごい量のページ数でした。きちんとは読み切れていません。また数年後読む機会があるかもしれません。
「ⅩⅩⅣアイゥオーラおばさま」「ⅩⅩⅤ絵の採掘坑」「ⅩⅩⅥ命の水」
バスチアンは病気で死んでしまった自分の母親みたいな女の人に出会います。でも母親ではありません。アイゥオーラおばさまという人でした。バスチアンはひとときの安心できて充実した気持ちを味わいます。
バスチアンは「命の水」を飲めば、元いた世界に帰ることができるそうです。
関係性の薄い父親とのきずなを強調してある物語なのですが、父親を大事にしようというメッセージが物語のなかにあります。妻を亡くした夫である父親もつらい気持ちをかかえているのでしょう。
盲目の坑夫ヨルという人物がバスチアンを生命の水が湧き出る泉へと案内してくれます。ミンロウド坑という絵の採掘場へ行きます。そのあたりを読んでいるときに考えたことです。『不幸とは世間を知らないということ』『閉じこもっていては、悦び(よろこび)を知ることはできない』物語のなかでは、この世にはない幻想の世界が広がっています。
バスチアンの人生は、ナポレオンの人生のようです。英雄になって皇帝になって、流刑になって亡くなった。されど、バスチアンはまだこどもで、ナポレオンのような人生は物語のなかだけのことです。バスチアンは、もともと自分がいた世界に戻らなければなりません。小学校へ通わねばなりません。
白い幸いの竜フッフールとアトレーユがバスチアンを助けに来てくれました。
二匹の蛇がいます。
感動的なシーンが続きました。
「愛すること」の大事さが説かれます。フッフールは「幸いの竜」です。
バスチアンはもといた世界に戻ることができました。そして、「はてしない物語」という本は消滅してしまいました。
バスチアンが自宅で翌朝起きてみると、初雪が降っていたそうです。
書店の店主もまたファンタージエンへ行ってきた体験があることが判明します。
このあたりを読んでいて思ったことです。『自分以外の人は、自分とは違う脳内の世界をもっている』
バスチアンがこれから先、作家になる道が示されたような小説でした。1982年(昭和57年)初版の本でした。
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