2021年04月24日

浅田家 日本映画DVD

浅田家 日本映画DVD 2020年公開

 お父さんが亡くなったシーンから始まり、過去への回想シーンに戻り、最後にお父さんが亡くなったシーンに戻るという過程の中で、浅田家の家族の話が半分、そのあと東日本大震災に見舞われた東北のとある町の話が半分という構成です。

 始まってしばらくはなんだかなあという雰囲気です。
 だらしない二男の生活が起承転結の起の部分です。
 ありがちな家族の風景です。お互いの会話がない部分もあります。意思疎通不足です。
 喫煙シーンは不快です。もういいかげん日本映画は、喫煙シーンで感情表現することを卒業してほしい。日本映画界が、時代の流れから置き去りになった小さな社会のように見えます。

 「浅田家」という家族の看板を掲げて、写真家が「家族」のありかたについてこだわる映画です。

 伏線として、カメにコオロギを与える。それから、腕時計があります。そういえば、わたしも、子どもの頃に病気で死んだオヤジの形見が腕時計でした。家のどこかにあると思いますが、どこにあるのかもうわからなくなったほど歳月が過ぎました。

 二男が撮影した写真の写真集がなかなかうまく書籍化できないのは、固定観念(これはこうだという思い込み)や既成概念(一般的な考え)にとらわれて、出版社の担当者がヒットのチャンスに気づけないのでしょう。また、毎月給料がもらえるサラリーマン生活を送っている担当者の目にはとまらないのでしょう。ヒットする作品探しよりも、自分の給料安定のほうが優先です。異例なことをして、失敗はしたくないのでしょう。

 やはり苦労したあとには、成功があってほしい。
 うれし涙があってほしい。

 七十歳である父親のあいさつが良かった。「今日は息子を自慢したい」「昔も今も私の生きがいは家族であります」

 映画を観ながら『時間』のことを考えました。真実として、『時間』は、自分の命の終りに向けて、刻一刻(こくいっこく。一分一秒たちながら。しだいに)と進んでいます。自分のまわりにいる人たち全員についても同様です。そして、たとえば、二百年後には、いま存在している人たちは全員が地球上からいなくなります。だから生きている『時間』を大切にしたい。

 映像の中で父親役の平田満さんを見ながら、みんなが歳をとったなーと実感が湧きました。平田満さんが出演していた作品『蒲田行進曲』を若い頃に、繁華街にあった映画館で観たことを思い出しました。この映画に出ている母親役の風吹ジュンさんが若かった頃の映画も駅前の映画館で観ました。共演していた松田優作さんは、とうの昔に亡くなりました。街中にあった映画館もたくさん消えていきました。

 中盤は、シーンの積み上げ方がどうかと首をかしげました。観ている観客を泣かそうとする筋立てですが、うまくいっているようには思えませんでした。

 ラストに向けて、海です。
 もしかしたら津波の体験者は、海が怖いかもしれない。

 ラストはおもしろかった。笑いました。

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