2021年04月21日

ふたりのイーダ 松谷みよ子

ふたりのイーダ 松谷みよ子 講談社

 広島原爆投下を素材にした幻想的な物語で、物語の基本に反戦の強い意思表示があります。のりうつり(憑依。ひょうい)のような話の運びもあります。
 直樹、小学四年生、直樹の妹ゆう子、二歳十一か月、ふたりの母親(職業は、雑誌のライターに思えます)、母親の祖父母、りつ子という若い女性の姿がありますが、100ページぐらいを読んできて、今は、母親の配偶者の姿は見えません。物語の中身は、幻想的です。少し怖くて、幽霊が出てきているような雰囲気もあります。
 
 イーダというのは、ゆう子のニックネームですが、けんか相手に「イーダ」と言って、たとえば、両手のひとさしゆびで、自分の両目の目尻を下げたり、口をうすく横に広げて強がる表情をつくったりしたときに出る言葉「イーダ」から由来がきているのだろうと読みながら想像しています。(その後、アンデルセンの童話作品「イーダちゃんの花」が関係することがわかります)

 舞台は『花浦』というところですが架空の地名でしょう。設定は、広島県内のお城があるところで、時代は昭和四十年代初めぐらいまでのどこかの時代と推測しました。(その後調べたら、お城のモデルは山口県の岩国市にある城だったそうです)

 木のいすがしゃべるのですが、Eテレで見かけるいすがキャラクターで出てくる幼児向けの番組を思い出しました。

 広島県内の祖父母宅に預けられる兄の直樹と妹のゆう子です。
 母親は熊本県阿蘇地方へ、取材で単身出張します。
 
 ばぶ:毛布のこと。二歳児であるゆう子の口癖です。
 
 小学四年生の直樹の仕事は、二歳児ゆう子の子守りです。
 
 庵主(あんじゅ):とくに尼寺の尼僧

 イスが話す声はロボットのようです。

 秘密の屋敷にはテレビがないので、テレビがない時代に暮らしていた人の話です。テレビが普及し始めたのは昭和28年だったと思います。西暦だと1953年です。それでも全世帯に普及できたのは、昭和40年代初めでした。1965年以降です。

 ギッチョー ギッチョー:キリギリスの鳴き声だと思います。わらべうた。ギッチョー ギッチョー こめつけこめつけ

 読んでいて、たぶん、もうひとりのイーダは「りつ子」のことだろうとピンときます。今は、100ページ付近を進んでいます。

(つづく)

 物語に登場するお城のモデルは山口県岩国市錦帯橋のそばの山に建つ岩国城だそうです。そばにある錦帯橋を見学した時に、山頂に建つ岩国城を見上げたことがあるので、そのときのことを思い出して、イメージをふくらませながら本読みを続けています。
 自由に発想されてのびのびと創作されています。空間の広がりがあります。
 『とうろう流し』は、中学生の頃に、九州地方で、海に流す『精霊流し』を見たことがあるのでイメージが湧きます。
 同じく、広島の平和公園も行ったことがあるので、読んでいて、風景を想像できます。

 心に響いた一節として「生と死は、紙一重じゃった……。」
 運不運があります。

 世代が入れ替わって、記憶が薄れたときに、再び戦争の惨禍が繰り返されます。人間は、そのときのメンバーを変えながら、同じ過ちを繰り返す歴史をもっています。ゆえに、戦争にならないように文化の力で戦争を回避しなければなりません。されど、戦いと殺し合いの表現が世の中で流行するのは、人間が好戦的であるからです。今は矛盾をかかえて人間は地球上に存在しています。

 松谷みよ子さんの作品は「いないいないばあ」を始め乳幼児向けのお話し本ぐらいしか読んだことがなく、この作品を読んだのは初めてでした。こどもさんの命を守ることを一番に思われている気持ちが伝わってきました。

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