2021年04月20日

シュリーマン旅行記 清国・日本

シュリーマン旅行記 清国・日本 石井和子・訳 講談社学術文庫

 トロイの遺跡の記事を読んでからこの本に来ました。
 シュリーマン氏に関する詳しいことは知りません。
 シュリーマン:1822年-1890年 68歳没 ドイツの考古学者 実業家 ギリシャ神話に出てくる都市トロイアの遺跡を発見した。
 トロイアの考古遺跡:ギリシャ神話に登場する都市。紀元前1200年代にトロイア戦争があったとされる。現在のトルコ共和国。1870年発掘開始。シュリーマン氏の日本訪問は、1865年で、当時43歳でした。明治元年が1868年。

「第一章 万里の長城」「第二章 北京から上海へ」「第三章 上海」
 万里の長城へは行ったことがあります。万里の長城は遠くから眺めるもので、登るものではないというのが当時の感想でした。坂がきつくて息が切れます。一方通行の通路を、楽をしたいと思って逆方向に歩いたら、制服姿の中国人警備員に警棒でコツンと脳天を叩かれてびっくりしました。
 本を読むと、当時の税務業務において清国の汚職がひどかったようです。外国人が中国人の代わりに業務をやって事務改善がされています。中国役人の腐敗と書いてあります。
 ただその後の記述を読んでいると、清国では、賃金が相当低いので、そこが汚職をする動機となったのではないかと推測します。
 ドイツ人、フランス人、イギリス人などがする中国語の学習が書いてあります。高度な知識と技術を習得するために留学による勉強があります。清国にとっては外国人なのに、ヨーロッパ人の彼らは税官吏の卵です。
 中国は人口が多く、まずは、食糧確保のための農業がおもな産業と、読みながらわかります。水田耕作です。食べ物がいります。
 町の部分はかなり市街地がかなり汚れていたそうです。ぞっとするほど不潔と書いてあります。

(つづく)

 中国訪問の部分を読み終えたところですが、いろいろと考えさせられました。書いてあることは大昔のことではなく、今から175年ぐらい前のことで、日本では、幕末でした。日本やアメリカ合衆国の成り立ちかたと中国の成り立ち方はかなり違います。
 読んでいて、国を統治するシステムが異なってもしかたがないことだという気持ちになりました。お互いの立場を理解するには難しいものがあります。お互いの立場を認め合う寛容さが平和につながります。対立よりも共存で、各個人としては、自由を求めて移住できるのであれば移住して、自分の居場所を探すのが賢明なのでしょう。
 いろいろ考えながら読んでいます。今年読んで良かった一冊になりそうです。

 北京のことが書いてあります。
 韃靼人(だったんじん):タタール。モンゴル、シベリア、東ヨーロッパリトアニアなどの広範囲にいた民族。
 床几(しょうぎ):折り畳み式の腰かけ。布の部分に座る。
 175年前の北京の風景・光景は、十三年ぐらい前にわたしが北京を訪れた時に観た裏通りとか、未開発、未整備地区と変わりがないようにみえる記述です。
 シューマンが訪問した当時のこととして、食べ物が粗末、乞食がたかってくる。ヨーロッパ人とは音楽や演劇などの文化に対する価値観が違う。
 中国は、かなり昔には栄えて、市街地整備も立派だったのに、その後の世代によって、せっかく立派につくった街が破壊されてしまっている。「いまは、無秩序と頽廃(たいはい)、汚れしかない」とあります。街は、かなり汚いという内容で表現されています。

 きちんと記録されています。覚書(おぼえがき)とされています。思うに、太古の昔から、きちんと記録を継続して残していく習性をもった人間が複数いたのだと思います。
 はたからみればその行為は大変そうでも、本人にとっては、苦痛どころかやりがいと快感があったのでしょう。

 万里の長城に関するシュリーマン氏の感想は驚嘆したという内容になっています。ただ、何のためになったのかという疑問が残っています。
 あわせて、長城付近の住民はとても親切だと喜んでいます。

 通過の単位が「ピアストル」です。フランやポンドのヨーロッパ通貨との換算では、大量のピアストル硬貨が必要で、持ち歩くことも重たくて持ち歩けないと書いてある部分もありました。

 鉄道敷設(ふせつ)の意識、意欲が低いとあります。蒸気機関を取り入れると、国民の雇用の場が減るので取り入れない方針だったそうです。ゆえに、その後の鉄道技術や整備も不十分だったそうです。

 上海も現在の上海のようすとはかなり異なります。1864年に上海港開港。重要な港だそうです。されど、当時は、過酷な自然環境のなかに位置していたそうです。沼に囲まれていて、疫病が多い。川の流れるは複雑で溺死者が出る。初めて知る記述が続きます。

「第四章 江戸上陸」「第五章 八王子」「第六章 江戸 6月24日から29日」
 時期は梅雨時6月1日から始まります。約一か月間の日本滞在です。記述を読むと雨の日が多い。それでも日本は素晴らしいところだという言葉が続きます。
 上海から横浜までの航路を経て、江戸を訪れ、八王子に足を運んでいます。
 事前に訪問した中国との比較があります。正反対だと分析されています。
 おいしいトビウオ、美しい富士山、気候や風景、食物にも満足されています。日本の米の味は質が高いとあります。
 清潔な街並みが広がっています。中国と違って、賄賂(わいろ。公権力の行使者に金品を渡して融通をはかってもらう)を固辞して受け取らない正直な江戸時代の役人たちです。シュリーマンは、日本人は、賄賂を受け取らなくても親切丁寧に対応してくれると驚いています。日本人として、読んでいて、胸がすく思いです。気持ちがすっきりして、すかっとさわやかになれます。当時の日本人は暮らしのありかたに整然とした秩序があって、きちんとしています。
 「日本人が世界中で一番清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」と記されています。
 公衆浴場では、三十人から四十人の老若男女が、男女の仕切りはあるもののお互いに素っ裸が見える姿で入浴していたそうです。男女混浴は恥ずかしいことでもいけないことでもないとあります。日本人は清らかで素朴だと驚嘆されています。
 日本人は、富を追うことによって、本来日本人がもっていた良きものを失ったようです。
 読みやすい平易な文章が続きます。
 日本には、四百家以上の大名がいるとあります。地方自治体の数みたいなものだと考えました。例として、加賀藩が120万2700石(こく。以前、以前1石は人ひとりが1年間に消費する米の量と学んだことがあります)と記されています。
 愛宕山(あたごやま):江戸にある山として記述があります。江戸城があまり遠くないところに見えるそうです。現在の東京都港区愛宕あたりなのでしょう。
 著者本人の考察として、日本は地震が多いので、外国のように石で組み上げた建物はない。壁や間仕切りは、強い紙を使用している。また、火災から保管物を守るために、ぶ厚い土壁の蔵がある。陶器は卵の殻のように薄いが硬くて強いなどの西洋との比較記述には読んでいて強い興味をもちました。さらに、外国の野良犬は凶暴だが、日本の野良犬はとてもおとなしくて、吠え(ほえ)もせず、道に寝そべっているとあります。観察はさらに続き、日本には、肉屋も牛乳屋もバターを売る店もない。家具屋もなく、家具がなくても暮らせる生活の知恵がみられたそうです。いろいろと省エネです。
 
 江戸時代末期の商店街の記述が丁寧で細かく、読みながら、自分がタイムマシンで過去へ行った気分になれます。著者は、見学して、覚書をメモしてという行為を根気よく繰り返しています。優れた(すぐれた)文章が続きます。
 他国では、人々は娼婦をあわれみながらもいやしいものとしている。されど、日本では「おいらん」を尊い職業と考えて神格化しているとあり、著者は西洋とは異なる文化的な相違にかなりショックを受けています。
 また、宗教に関しても、民衆の生活のなかに真の宗教心は浸透しておらず、ことに上流階級の人間は宗教に懐疑的(かいぎてき。疑問をもっている)とあります。
 大道芸としての「独楽回し(こままわし)」に感嘆し、世界に通用する技術とほめたたえておられます。
 
「第七章 日本文明論」
 サントーペテスブルク:著者の帰国先。ロシア

 日本を賞賛する文章が続いていましたが、ここでは、日本の良くないこととしていくつか列挙されています。
 まず、「自由」が抑圧されているという趣旨の文章があります。封建体制(主従関係、身分制度)が敷かれて、監視社会ができあがっている。諜報機関が存在する。密告が武器になっている。スパイです。
 幕府のメンバーは、大名を信用していない。大名は自分たちの利益しか考えていない。国益を考えていない。外国と貿易をすると自分たちの利益が損なわれるから開国に反対していると読み取れます。
 
 プロシア:ドイツ帝国建国の中核となった王国
 兌換(だかん):外貨との交換。江戸幕府が認めていた外貨は「メキシコピアストル」で外国商人には不利で法外な兌換率だったとのこと。

「第八章 太平洋」
 1865年7月4日、横浜からサンフランシスコへ船で向かいます。
 イギリス製の小さな帆船です。蒸気船の便がなかったそうです。
 ドラマや映画とは違うつくりものではない現実に関する記述があります。いいことばかりじゃない。嫌なこともたくさんある。人生は旅のようなものだという思いにかられながら読書を終えました。

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