2021年03月17日
ようこそ、おまけの時間に 岡田淳
ようこそ、おまけの時間に 岡田淳 偕成社文庫
1989年(平成元年)の児童文学作品です。
本のカバーには、6年1組にいる6人の児童の顔が書いてあります。43ページまで読んだところで感想を書き始めてみます。季節設定は、10月下旬から11月上旬でしょう。
主人公が、「ぼんやり賢」と呼ばれている松本賢(まつもと・けん)です。地味で目立たない児童だそうです。彼がどうも四時間目の12時にサイレンがなると白昼夢を見るらしい。(はくちゅうむ:いわゆる幻視。まぼろし)バラの茨(いばら)のようなものにがんじがらめにされている幻の空想です。茨の枝やつるにぐるぐるまきにされています。サイレンが鳴り終わると、現実世界が戻ってきます。
教室で、松本賢の前に座っているのが、聡(さとし)、右に座っているのが、おさななじみの田中明子、ほかに、むっつりガリ勉と呼ばれているメガネをかけた圭一、圭一のうしろの席が、スポーツ刈りで体ががっしりしている太です。
期間を区切るのが、この作家さんの創作の特徴だと受け取りました。先日読んだ本が「ムンジャクンジュは毛虫じゃない」も期間が区切ってありました。この作品も「月曜日・火曜日」から始まります。
映画のシーンのような始まりです。
「茨(いばら)」は、なにを意味しているのだろう。
なんだか痛い話になってきました。
カッターナイフで茨の枝やつるを切る行為が続きます。切り取られたつるは、急速に枯れていきます。
スリルがあります。
松本賢の「孤独」が感じられます。
茨が茂る範囲が教室内に広がってきました。
グリム童話の茨姫(いばらひめ):作品「眠れる森の美女」のこと。魔法使いが王女に呪いをかける。王女は茨に囲まれた城で眠り続ける。100年後、城のそばを通りかかった近くの国の王子が王女を助ける。
「夢と現実をいっしょにしてはいけないぞ」
(つづく)
人は自分のまわりに壁をつくる。壁を茨(いばら。これ以上中に入ってくるなというトゲがある。)として、茨をとりはらって、すっきりした人づきあいをして、友情や愛情を深めるということをテーマにした作品ではなかろうかという感想をもちながら読み続けています。
人は外見から受ける印象と内面は異なる。まるっきり反対のこともある。美人の女優さんでも、がらっぱちな人もいます。(言動が粗野で落ち着きがない)イケメンでもいい加減な性格の男性もいます。見た目にまどわされてはいけないのです。
きざ:服装や言動が気どっていていやな感じ
鉛筆とか小刀が出てきます。今だと、タブレット端末、カッターナイフになるのでしょう。このさき、人は筆記用具で字を書けなくなるのではないか。心配です。心配してもしょうがないのですが。
現実とは違う別の世界で児童同士の交流が始まります。茨をどけていくのです。
彼らは各自が現実世界とは異なる個性をもっています。本音でしゃべる素(す)の姿です。
発想は違うのですが、以前読んだ作品「かがみの孤城」を思い出します。不登校のこどもたちがかがみのむこうの世界に集まるのです。
最初は、自分だけがこの世界を知っているという状態です。やがて、だれもが、この世界を知っているというふうに広がりを見せます。そうなのです。自分だけが特別という思い込みは誤解なのです。みんなが同じなのです。
茨を切り落とすための道具が「なた」です。中学生の時に日曜日になると祖母に頼まれて、なたで薪割り(まきわり)をしていたことを思い出しました。もう今どきそういうことをするこどもは少ないのでしょう。
この物語に出てくる小刀にしても、昔のこどもはけっこう危険な刃物を手にして使っていました。今だと危ないから触っていけないと言われそうです。
個々の12時のサイレンをはさんだ教室での不思議な別世界は、やがて、全体共通のものになってきました。タイトルにある「おまけの時間」がある空間です。空間にいるのは児童だけで先生はいません。
最初におまけの時間が表れてから、二週間が経ちました。
読んでいると本の中に昔の学校の風景があります。タイムマシンで過去へ行ったみたいです。
おとなの視点でこの本を読んでいます。こどもさんが読むとどういう意識をもつのかはもう想像できる年齢ではなくなってしまいました。
物語では、茨(いばら)の反撃が始まります。拘束しようとするものとこどもたちとの闘いがあります。こどもたちが闘いに勝利したとして、その先になにがあるのか。経済的な豊かさがあるとは思えませんが、心の豊かさはあると思えます。いつの時代でもそのふたつのバランス具合でいいこともあるし、そうでないことも起こります。
たとえば、長時間労働が否定される世の中に変化してきましたが、長時間労働によって豊かな経済社会が築かれていたことは事実です。働かなければ財力は衰退していきます。
適度の労働時間におさめるならば、身体が健やかになれます。(すこやかになれます)そのかわりお金はたまらないような気がします。
本の196ページにある絵は「協力」を表しています。協力して、いまあるものを破壊するのです。破壊するときは、破壊したあとの目標を決めてやります。そう思うと、明治維新という時代を思い出します。当時は、外国のようになるという目標がありました。今の日本の世の中だと何が目標になるのだろうか。しばらくゆっくり考えてみます。
1989年(平成元年)の児童文学作品です。
本のカバーには、6年1組にいる6人の児童の顔が書いてあります。43ページまで読んだところで感想を書き始めてみます。季節設定は、10月下旬から11月上旬でしょう。
主人公が、「ぼんやり賢」と呼ばれている松本賢(まつもと・けん)です。地味で目立たない児童だそうです。彼がどうも四時間目の12時にサイレンがなると白昼夢を見るらしい。(はくちゅうむ:いわゆる幻視。まぼろし)バラの茨(いばら)のようなものにがんじがらめにされている幻の空想です。茨の枝やつるにぐるぐるまきにされています。サイレンが鳴り終わると、現実世界が戻ってきます。
教室で、松本賢の前に座っているのが、聡(さとし)、右に座っているのが、おさななじみの田中明子、ほかに、むっつりガリ勉と呼ばれているメガネをかけた圭一、圭一のうしろの席が、スポーツ刈りで体ががっしりしている太です。
期間を区切るのが、この作家さんの創作の特徴だと受け取りました。先日読んだ本が「ムンジャクンジュは毛虫じゃない」も期間が区切ってありました。この作品も「月曜日・火曜日」から始まります。
映画のシーンのような始まりです。
「茨(いばら)」は、なにを意味しているのだろう。
なんだか痛い話になってきました。
カッターナイフで茨の枝やつるを切る行為が続きます。切り取られたつるは、急速に枯れていきます。
スリルがあります。
松本賢の「孤独」が感じられます。
茨が茂る範囲が教室内に広がってきました。
グリム童話の茨姫(いばらひめ):作品「眠れる森の美女」のこと。魔法使いが王女に呪いをかける。王女は茨に囲まれた城で眠り続ける。100年後、城のそばを通りかかった近くの国の王子が王女を助ける。
「夢と現実をいっしょにしてはいけないぞ」
(つづく)
人は自分のまわりに壁をつくる。壁を茨(いばら。これ以上中に入ってくるなというトゲがある。)として、茨をとりはらって、すっきりした人づきあいをして、友情や愛情を深めるということをテーマにした作品ではなかろうかという感想をもちながら読み続けています。
人は外見から受ける印象と内面は異なる。まるっきり反対のこともある。美人の女優さんでも、がらっぱちな人もいます。(言動が粗野で落ち着きがない)イケメンでもいい加減な性格の男性もいます。見た目にまどわされてはいけないのです。
きざ:服装や言動が気どっていていやな感じ
鉛筆とか小刀が出てきます。今だと、タブレット端末、カッターナイフになるのでしょう。このさき、人は筆記用具で字を書けなくなるのではないか。心配です。心配してもしょうがないのですが。
現実とは違う別の世界で児童同士の交流が始まります。茨をどけていくのです。
彼らは各自が現実世界とは異なる個性をもっています。本音でしゃべる素(す)の姿です。
発想は違うのですが、以前読んだ作品「かがみの孤城」を思い出します。不登校のこどもたちがかがみのむこうの世界に集まるのです。
最初は、自分だけがこの世界を知っているという状態です。やがて、だれもが、この世界を知っているというふうに広がりを見せます。そうなのです。自分だけが特別という思い込みは誤解なのです。みんなが同じなのです。
茨を切り落とすための道具が「なた」です。中学生の時に日曜日になると祖母に頼まれて、なたで薪割り(まきわり)をしていたことを思い出しました。もう今どきそういうことをするこどもは少ないのでしょう。
この物語に出てくる小刀にしても、昔のこどもはけっこう危険な刃物を手にして使っていました。今だと危ないから触っていけないと言われそうです。
個々の12時のサイレンをはさんだ教室での不思議な別世界は、やがて、全体共通のものになってきました。タイトルにある「おまけの時間」がある空間です。空間にいるのは児童だけで先生はいません。
最初におまけの時間が表れてから、二週間が経ちました。
読んでいると本の中に昔の学校の風景があります。タイムマシンで過去へ行ったみたいです。
おとなの視点でこの本を読んでいます。こどもさんが読むとどういう意識をもつのかはもう想像できる年齢ではなくなってしまいました。
物語では、茨(いばら)の反撃が始まります。拘束しようとするものとこどもたちとの闘いがあります。こどもたちが闘いに勝利したとして、その先になにがあるのか。経済的な豊かさがあるとは思えませんが、心の豊かさはあると思えます。いつの時代でもそのふたつのバランス具合でいいこともあるし、そうでないことも起こります。
たとえば、長時間労働が否定される世の中に変化してきましたが、長時間労働によって豊かな経済社会が築かれていたことは事実です。働かなければ財力は衰退していきます。
適度の労働時間におさめるならば、身体が健やかになれます。(すこやかになれます)そのかわりお金はたまらないような気がします。
本の196ページにある絵は「協力」を表しています。協力して、いまあるものを破壊するのです。破壊するときは、破壊したあとの目標を決めてやります。そう思うと、明治維新という時代を思い出します。当時は、外国のようになるという目標がありました。今の日本の世の中だと何が目標になるのだろうか。しばらくゆっくり考えてみます。
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