2021年03月16日

シルバー川柳10 スクワット しゃがんだままで 立てません

シルバー川柳10 スクワット しゃがんだままで 立てません ポプラ社

 本屋で、この本のカバーをみて「スクワット しゃがんだままで 立てません」を読んで、思わず吹き出しました。そのとおりです。笑いました。そして、購入しました。

 ああ、サラリーマン川柳の本だなと手に取って思いました。以前、読んで感想を書いたことがあります。傑作本でした。
 2018年のときのその感想文をみつけました。
「サラリーマン川柳 やみつき傑作編 NHK出版編」
 毎年だいたいこの本を読んでいますが、今回のこの本がこれまでで最高に出来がいいという印象を受けました。内容が充実していて笑えます。これまでの年の作品は不満をぶちまけるものが多かったのですが、今回は傾向が異なります。内容が豊かです。これまではたいてい一回読み終えるともうページを開くことはなかったのですが、今回の本はこれから何回も読み返してみようという意欲が湧きます。豊作です。
 人間は不可解な性質をもった生き物です。理論・理屈だけでは生きていません。
 嘆きがあります。努力してもかなわない項目があります。日本語の乱れがあります。加齢と記憶力低下があります。礼儀作法、慣習、慣例、上下関係の崩壊、自由化による意識の変化・低下、知らんふり、自己本位、協調性なし、迷走、なんだかんだのお悩みを、川柳でいっとき慰めます。
 真実をとらえています。
 クスリと笑える作品が多い。共感を呼びます。
 過去作品の掲載もあります。もう忘れてしまった去年の流行語を思い出します。
 相手のためにとか、会社のためにがんばるのですが報われません。逆に嫌われます。せつない。

 さて今回の本の感想です。
 萩本欽一さんがやっていた昔のラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう!」方式で、全国からアイデア募集をするといい作品が選ばれます。いいものをつくる手法です。
 新型ウィルス感染拡大で移動制限がかかるなかで、気晴らしをするのにいい本です。今年読んで良かった一冊です。
 あんまりここに書くといけないのですが「ばあさんの 手づくりマスク 息できず」は現代の世相を反映しています。何年かたって騒ぎがおさまれば、ああ、そんなときもあったなあと思い出話にできるのでしょう。今は、とうぶんマスク生活が続きそうです。
 「ゴミ出しの 俺とカラスは 顔なじみ」では、さわやかな気持ちになれました。実感が湧きます。
 「何をしに ここに来たかと考える」そういうことって実際にあります。

 読んでいて、性別を考える作品に出会いました。歳をとってみるとわかるのですが、性別がよくわからなくなるのです。男性、女性、LGBTという言葉があるのですが、年齢が高くなると、みんな男性のような気もするし、みんな女性のような気もするし、性別を超越したような人間さまになるような感覚があります。どっちでもいいじゃないかという気持ちにもなります。
 さらに付けくわえると、先日テレビで夫婦別姓の話が出ていたのですが、リタイアして老齢の単調な年金生活に入ると、名字(みょうじ)を意識することが希薄になります。きちんと相手の名字や自分の名字を呼んだり呼んでもらったりする必要性が低下します。家族や親族、友人間の間では、下の名前か、愛称で呼ばれます。きちんとした名字で呼ばれることが少なくなります。ゆえに呼び名は、お互いに個体が認識できれば、なんでもいいよという気分になります。

 「入らない 母の入歯で 騒ぐ父」これもありそうで笑いました。
 106歳の方の作品もあります。すごいなあ。
 ワンちゃん相手(ペットの犬)の川柳があります。なんだろう。ちょっとわびしい。ちょっとさびしい。話し相手がワンちゃんしかいません。だけど、まあまあ幸せ。そんな人生に折り合いをつけて、とりあえず今日一日を生きてみる。あしたもそうしてみる。

 50ページまで読んで、わたしは、大きな勘違いをしていたことにようやく気づきました。年配の人たちの投稿が多いなあ。サラセンなのに、こんな高齢なのにサラリーマンなのだろうか? という疑問が生じてよーく考えてみました。本のタイトルをジーッと見て、これはサラリーマン川柳じゃない。シルバー川柳の本だった。わたしも加齢が進んで認知力、理解力が低下しています。がっくりきました。
 「国会を 見て学んでる 言い逃れ」テレビの国会中継をゆっくり観ることができるのも年金生活者になったからなのでしょうという一句です。

 補聴器の川柳が出てくるのですが、人間というものは、最終的にはみんな障害者になるのだと悟っています。いくら若いころ健康優良児でも老いによる身体能力低下から逃れることはむずかしい。老眼で目が見えなくなったり、指先がかさかさに乾燥して本のページをめくれなくなったり、耳が遠くなったり、お店や人の名前の固有名詞が口から出なくなったりします。

 うまい。なるほど。という川柳が続きます。
 スマホで調べる話も出ます。昔は、国語辞典をめくって調べました。そういうめんどうくさいことをしながらものごとを覚えてきましたが、そういうやりかたは、今の世代からはばかにされるようです。そしてめんどうでも手間をかける意義を説明しても理解できないようです。なんでも電子機器頼みになった今、これから先、人類は、電気もガスも水道も使えないという、自然災害後のいざというときに、どうやって生き残るのだろう。

 髪の毛が薄くなる川柳もおもしろい。
 孫がいて、妻がいて、ペットがいます。娘や息子はあまり出てきません。川柳づくりでは、世話にならなければならないこどもには、気を使っているのかもしれません。

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