2021年03月15日
家族を想う時 イギリス・フランス・ベルギー映画DVD
家族を想う時(かぞくをおもうとき) イギリス・フランス・ベルギー映画DVD 2019年公開
リッキー:夫。不況で建設会社を離職して、個人事業主形式の宅配ドライバーにつく。(フランチャイズ:会社の看板等の使用権をもらって対価を払う。車両は自己負担。車の維持費も自己負担)
アビー:妻。訪問介護ヘルパー
セブ:長男。高校三年生ぐらいに見えます。
ライザ:長女。中学一年生ぐらいに見えます。
生活臭が強そうな始まりのシーンです。「生活保護は?」「イヤだ。オレにもプライドがある。飢えたほうがマシだ」
1ポンドが147.90円ぐらいとして、
中古の配達用の車が、14,000ポンド=2,070,600円
中古の車の毎月のローンが、400ポンド=59,160円
中古の車の購入手付金が、1000ポンド=147,900円
夫の一日の予想収入額が、155ポンド=22,924円
夫婦は、妻が介護ヘルパーとして使っている妻の車を売却して、夫の宅配用のワンボックスカーを購入します。妻はバスで介護するお宅へ行きます。不便でとても困るようになりました。
夫は、一日14時間、週に6日間働きます。妻は、朝7時半から夜9時まで働きます。こどもはほったらかしになります。家族をつなぐのは携帯電話です。
夫は、おそらくリーマンショックで失ったであろうマイホームを再び手に入れたい。強引な父親です。家族関係がどんどん崩壊していきます。(銀行の取り付け騒ぎ:預金引き出し停止騒ぎ。最悪の場合銀行が倒産する)
おそらく夫は、まじめできちんとした性格の人なのでしょう。だから、うまくいきません。家族のためによかれと思って一生懸命やっているのですが、どんどん悪い方向へと導かれていきます。努力が報われません(むくわれません)。これは本人の責任「自己責任」というよりも社会システムがうまくいっていないからです。
子どもの養育がうまくいきません。
OBK(オービーケー)なるものを息子が主張します。アウト バック クルー 恵まれない子を支えるという意味だそうですがピンときません。(こどもたちの嘘ですが)放送大学と警察がからんだ学校のプロジェクトだそうです。
グラフィティ:落書き。息子がグループをつくってスプレー落書きをします。
荒れた学生の様子をみていると去年読んだイギリス現地での生活に関する記述作品「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ著を思い出します。著者の夫もまたダンプですが運転手が職業です。
教育とお金の話が出ます。教育にお金がかかる。
妻の介護ヘルパーの仕事も大変です。妻の言葉として「自分の母親だと思って世話をするのがマイルール」ただ、どこかで線引きをしないと親族でもないのに共倒れになりそうな仕事ぶりです。厳しい。イギリスも長寿社会なのか。そして、お金がほしい話です。
富む者と富まない者との格差が大きい。イギリスは、経済力が上位のような印象があるのですが意外です。
夫婦の会話です。「こんなに苦労するとはな。なにもかもうまくいかない」「(眠っていて夢の中で)こどもたちが助けてくれようとするけれど無理」
映像を観ていて考えたことです。「携帯電話」ってなんだろう。昔はありませんでした。それも、三十年ぐらい前はまだ社会に普及していませんでした。その当時は、業務用のみに使用するものだと思っていました。肩からぶらさげるかなりでかい箱型の携帯電話でした。
人は携帯電話なしで千年以上何百年間もちゃんと生活をしていました。なんだか世界が狭くなって、コンビニと大型ショッピングセンターと各種カードとインターネットの世界に、人の生活は囲まれてしまいました。
映画では、家族四人が携帯電話を使用するシーンがたくさん出てきます。
「携帯電話」って何だろう。重ねてになりますが、昔はなかったけれどちゃんと生活できていました。携帯電話とは、人間を束縛(そくばく。しばりつける)するもの。とくに仕事場からはがんがん仕事の電話がかかってきます。携帯電話依存症という社会問題となるような病気です。
この映画での夫婦は、携帯電話の奴隷になっています。深刻で暗い。救いようがないように見えます。とくに親子関係の修復には永い歳月がかかりそうです。娘さんが言います。「善悪の問題じゃない。(家族は)そばにいることが大事」妻は離婚を口にします。「あなたは、一線を超えると戻れない(人です)」夫は「オレたちどうかなってしまったんだ(夫はアルコールに逃げます)」
見る側の立場として、ここまでの展開は読めます(予測できます)
娘さんがぽつりと言います。「前みたいな家族に戻りたい」
父親が息子に謝って丸く収まるかと思いましたがそうはいきません。
貧困を扱った映画として韓国映画の「パラサイト」が思い浮かびました。家族の貧困に関してはこの映画とは、異なる表現手法がとられています。「貧困」は映画の素材のひとつなのでしょう。
創作作品ですので、そのつもりで観ています。暴力、衝突、破綻(はたん)。どうまとめるのだろう。
息子さんの演技は淡白でしたが、だんだん強みを増してきました。家族の鍵を握る役どころです。
交通事故になりそうです。自動車保険で借金を支払う気なのかと思いましたがそうではありませんでした。父親はクレイジーです。仕事キチガイになってしまいました。近いうちに心身を壊すでしょう。
仕事というものは命を縮めるもの。命を削りながら命をお金に変えていくもの。それぐらいの気持ちでいないとお金は手に入らない。それは事実だと思います。夫の会社の上司マロニーが悪役のような扱いで出てきますが、あれぐらい仕事に打ち込む人はいくらでもいます。そういう人がいないと組織が成り立たないのも事実です。二十四時間、頭の中は仕事のことでいっぱいというような気持でいなければ、大金は手に入りません。
ここまでの経過をみて「破壊」で終わったらこの映画はダメだ!と思いながら結末を待ちました。
中途半端に終わりました。観た人に結末をそれぞれつくってもらう方式です。ちょっと残念。されど、家族関係のありかたを考えるのにはいい映画です。自分はこれからどのような未来を選択するのかと考えさせられます。選択は自由です。強制はありません。
リッキー:夫。不況で建設会社を離職して、個人事業主形式の宅配ドライバーにつく。(フランチャイズ:会社の看板等の使用権をもらって対価を払う。車両は自己負担。車の維持費も自己負担)
アビー:妻。訪問介護ヘルパー
セブ:長男。高校三年生ぐらいに見えます。
ライザ:長女。中学一年生ぐらいに見えます。
生活臭が強そうな始まりのシーンです。「生活保護は?」「イヤだ。オレにもプライドがある。飢えたほうがマシだ」
1ポンドが147.90円ぐらいとして、
中古の配達用の車が、14,000ポンド=2,070,600円
中古の車の毎月のローンが、400ポンド=59,160円
中古の車の購入手付金が、1000ポンド=147,900円
夫の一日の予想収入額が、155ポンド=22,924円
夫婦は、妻が介護ヘルパーとして使っている妻の車を売却して、夫の宅配用のワンボックスカーを購入します。妻はバスで介護するお宅へ行きます。不便でとても困るようになりました。
夫は、一日14時間、週に6日間働きます。妻は、朝7時半から夜9時まで働きます。こどもはほったらかしになります。家族をつなぐのは携帯電話です。
夫は、おそらくリーマンショックで失ったであろうマイホームを再び手に入れたい。強引な父親です。家族関係がどんどん崩壊していきます。(銀行の取り付け騒ぎ:預金引き出し停止騒ぎ。最悪の場合銀行が倒産する)
おそらく夫は、まじめできちんとした性格の人なのでしょう。だから、うまくいきません。家族のためによかれと思って一生懸命やっているのですが、どんどん悪い方向へと導かれていきます。努力が報われません(むくわれません)。これは本人の責任「自己責任」というよりも社会システムがうまくいっていないからです。
子どもの養育がうまくいきません。
OBK(オービーケー)なるものを息子が主張します。アウト バック クルー 恵まれない子を支えるという意味だそうですがピンときません。(こどもたちの嘘ですが)放送大学と警察がからんだ学校のプロジェクトだそうです。
グラフィティ:落書き。息子がグループをつくってスプレー落書きをします。
荒れた学生の様子をみていると去年読んだイギリス現地での生活に関する記述作品「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ著を思い出します。著者の夫もまたダンプですが運転手が職業です。
教育とお金の話が出ます。教育にお金がかかる。
妻の介護ヘルパーの仕事も大変です。妻の言葉として「自分の母親だと思って世話をするのがマイルール」ただ、どこかで線引きをしないと親族でもないのに共倒れになりそうな仕事ぶりです。厳しい。イギリスも長寿社会なのか。そして、お金がほしい話です。
富む者と富まない者との格差が大きい。イギリスは、経済力が上位のような印象があるのですが意外です。
夫婦の会話です。「こんなに苦労するとはな。なにもかもうまくいかない」「(眠っていて夢の中で)こどもたちが助けてくれようとするけれど無理」
映像を観ていて考えたことです。「携帯電話」ってなんだろう。昔はありませんでした。それも、三十年ぐらい前はまだ社会に普及していませんでした。その当時は、業務用のみに使用するものだと思っていました。肩からぶらさげるかなりでかい箱型の携帯電話でした。
人は携帯電話なしで千年以上何百年間もちゃんと生活をしていました。なんだか世界が狭くなって、コンビニと大型ショッピングセンターと各種カードとインターネットの世界に、人の生活は囲まれてしまいました。
映画では、家族四人が携帯電話を使用するシーンがたくさん出てきます。
「携帯電話」って何だろう。重ねてになりますが、昔はなかったけれどちゃんと生活できていました。携帯電話とは、人間を束縛(そくばく。しばりつける)するもの。とくに仕事場からはがんがん仕事の電話がかかってきます。携帯電話依存症という社会問題となるような病気です。
この映画での夫婦は、携帯電話の奴隷になっています。深刻で暗い。救いようがないように見えます。とくに親子関係の修復には永い歳月がかかりそうです。娘さんが言います。「善悪の問題じゃない。(家族は)そばにいることが大事」妻は離婚を口にします。「あなたは、一線を超えると戻れない(人です)」夫は「オレたちどうかなってしまったんだ(夫はアルコールに逃げます)」
見る側の立場として、ここまでの展開は読めます(予測できます)
娘さんがぽつりと言います。「前みたいな家族に戻りたい」
父親が息子に謝って丸く収まるかと思いましたがそうはいきません。
貧困を扱った映画として韓国映画の「パラサイト」が思い浮かびました。家族の貧困に関してはこの映画とは、異なる表現手法がとられています。「貧困」は映画の素材のひとつなのでしょう。
創作作品ですので、そのつもりで観ています。暴力、衝突、破綻(はたん)。どうまとめるのだろう。
息子さんの演技は淡白でしたが、だんだん強みを増してきました。家族の鍵を握る役どころです。
交通事故になりそうです。自動車保険で借金を支払う気なのかと思いましたがそうではありませんでした。父親はクレイジーです。仕事キチガイになってしまいました。近いうちに心身を壊すでしょう。
仕事というものは命を縮めるもの。命を削りながら命をお金に変えていくもの。それぐらいの気持ちでいないとお金は手に入らない。それは事実だと思います。夫の会社の上司マロニーが悪役のような扱いで出てきますが、あれぐらい仕事に打ち込む人はいくらでもいます。そういう人がいないと組織が成り立たないのも事実です。二十四時間、頭の中は仕事のことでいっぱいというような気持でいなければ、大金は手に入りません。
ここまでの経過をみて「破壊」で終わったらこの映画はダメだ!と思いながら結末を待ちました。
中途半端に終わりました。観た人に結末をそれぞれつくってもらう方式です。ちょっと残念。されど、家族関係のありかたを考えるのにはいい映画です。自分はこれからどのような未来を選択するのかと考えさせられます。選択は自由です。強制はありません。
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