2021年03月12日
ムンジャクンジュは毛虫じゃない 岡田淳
ムンジャクンジュは毛虫じゃない 岡田淳 偕成社文庫
本のカバーの絵を見ると、「ムンジャクンジュ」は赤い花が咲く植物のようです。(あとでわかったのですが、赤い花はクロヤマソウと名付けられ、クロヤマの頂上に咲く花です。そして、ムンジャクンジュは生き物でした)
1979年(昭和54年)の作品です。初めて読みます。
58ページまで読んだところで、タイトルを間違って読んでいたことに気づきました。「ムンジャクンジャ」だと思い込んで読んでいました。「ムンジャクンジュ」でした。
ムンジャクンジュとは、生き物に、三人の小学五年生が相談して付けた名前です。ムンジャクンジュは、虫のようなあるいは、小動物のような生き物で、最初は米粒ほどの大きさだったのですが、58ページを読んでいる今は、ハトぐらいまで大きく育ちました。そして、ムーンとか、クーンと鳴くところからムンで、毛むくじゃらだからジャクンジュだそうです。読みながら感想を付け足していきます。
木造二階建て、元校舎のアパート「オリーブ荘」に住む三人のこどもたちです。
福田克彦:メガネ。父が中学の理科教師。福田克彦は、花や虫が好き。
新井稔:福田克彦の友だち。
山田良枝:五月に福田たちが通う学校に転校してきた。最初は自分のからに閉じこもっていた。親はどうも自営していた会社が倒産したらしく夜逃げのようにして引っ越してきたもようです。
きれいなオレンジ色の花クロヤマソウを絶滅するまでとりつくす人間を本の中で見ていて思ったことです。人間は自己満足する生き物で、人間の欲望は限度を知らない。この世には、破壊行為をする人間と破壊から何かを守ろうとする人間がいて、その間に多数の無関心な人間がいる。おおまかにいって、人間の性質は三種類に分けられる。
クロヤマという架空の山の素材になった実際にある山のモデルを考えています。
静岡県伊豆の伊東市にある「大室山(おおむろやま)」熊本県阿蘇にある「米塚(こめづか)」韓国済州島(チェジュとう)にある「城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)」が思い浮かびました。
クロヤマソウのイメージは、ヒガンバナですが、はなびらは、厚くて大きい。
ムンジャクンジュのことを書きます。毛や目は、リスかモルモットのようだそうです。(いったいこの生き物はなんなのだろう?)
ムンジャクンジュは、クロヤマソウのはなびらを食べます。22日間分のはなびらを三人の小学生は手にしています。
蝶々の幼虫のアオムシは、半世紀前は学校帰りにあったキャベツ畑でよく見かけたものです。今はどうなのかは知りませんが、通学途上のこどもがアオムシを見る機会は減っているような気がします。
ところで63ページまできましたが、ムンジャクンジュの正体はまだわかりません。ネコぐらいの大きさまで育ちました。
鳴く、まばたきする。足がない。つのはある。黒い毛が生えている。ナメクジみたい。呼べば来る。フンをしない。25時間おきに餌のクロヤマソウの花びらを倍々の法則の量で食べる。そんな生き物がいるのだろうか。
なにかしら、転校してきた同級生である山田良枝を下の名前「よしえちゃん」と呼ぶことで、福田克彦と新井稔のふたりの男子に芽生えているものがあります。
ムンジャクンジュがだんだん大きくなってきて、三人だけでは育てることがむずかしくなってきました。福田克彦がいいアイデアを思いついて実行に移します。仲間募集です。
秘密事項を共有することで、集団の協力関係が築かれていきます。
クロヤマソウの価格が上がります。需要と供給のバランスで価格が決まってきます。
どうしてだか、ムンジャクンジュは、体が大きくなるのに、体重は軽くなります。
そして、ぬいぐるみみたいなムンジャクンジュとこどもたちとのスキンシップが始まりました。
飛ぶというよりも浮くという感覚のムンジャクンジュの体です。UFO(ユーフォー 宇宙船)みたいな動きです。山田良枝が疑問点を指摘します。「なんのために飛ぶのか」
山田良枝は、ムンジャクンジュの成長とともに孤独を抜け出して友だち関係の輪と和が広がってきました。
137ページ付近を読んでいます。ムンジャクンジュとの別れが近づいている感覚があります。
(その後)
読み終えました。クライマックスは盛り上がりました。餌が足りれば「クーン」と鳴く。足りなければ「ムーン」と鳴く。そしてムンジャクンジュは「ムーン」と鳴きました。
ラストはさわやかでした。お見事でした。1979年(昭和54年)の作品ですが初めて読みました。今年読んで良かった一冊です。
あとがきを読むと、完成までに五年間もかかった作品だそうです。
壮大なほら話なのですが、おとなたちの私利私欲に走る姿は今も変わりません。ムンジャクンジュが、クマやイノシシのように野生の人間に危害を与えるかもしれない生き物だったら殺処分されていたのでしょう。
読んでいて、最終的に地球上で絶滅するのは、野生動物や植物ではなく、物欲の固まりで自分のことしか考えないわがまま勝手な人間のほうではないかと思った次第です。
こどものころに観た「モスラ」を思い出させてくれます。
怪獣映画です。
こどもたちに育てられていたムンジャクンジュはやがて自立とか自活していこうとします。こどもがおとなになるようなものだなと思いながら読み続けました。
今の時代だったら、ムンジャクンジュをスマホで撮影して動画が拡散するのでしょう。40年ぐらい前はそんなことはできませんでした。
また、あとがきなどを読むと、本作品の原稿は手書きで原稿用紙220枚だそうです。今だとパソコンソフトのワードでつくるのでしょう。
時代をふりかえると、自治体の組織としての「町」が減りました。合併で「市」になったところが多い。あわせて、個人商店は生き残りが厳しい。大型スーパー化、自営業の後継ぎ不足もあります。
急速に世の中のありようが変わってきています。
それらがいいことなのか、そうでないのかは別の問題で、各個人で対応していくことになるのでしょう。どこに価値を求めるかの選択です。
物語の中には40年前の日本人の暮らしがあります。読み終えて、これからさき40年後の日本人の暮らし方はどうなっているのだろうかと思いを巡らしました。変わることもあれば変わらないこともあるでしょう。
ムンジャクンジュ自体はなにも考えていません。まわりにいる人間たちがあれこれ考えています。
野生動物に手を出してはいけないというのが基本的な考え方なのでしょう。物語にも出てきますが、ああだこうだと苦情を言い立てる人は偽善者なのでしょう。偽善者は自分はやらずに人にやらせようとします。
調べた言葉などとして、
とりつくしまもない:冷たい態度をとられる。けんもほろろ
デコラばり:化粧板。表面が加工してある。
ネコジャラシ:エノコログサ
マツヨイグサ:黄色い花を咲かせる。
オリオン座:48星座のひとつ。冬の星座
本のカバーの絵を見ると、「ムンジャクンジュ」は赤い花が咲く植物のようです。(あとでわかったのですが、赤い花はクロヤマソウと名付けられ、クロヤマの頂上に咲く花です。そして、ムンジャクンジュは生き物でした)
1979年(昭和54年)の作品です。初めて読みます。
58ページまで読んだところで、タイトルを間違って読んでいたことに気づきました。「ムンジャクンジャ」だと思い込んで読んでいました。「ムンジャクンジュ」でした。
ムンジャクンジュとは、生き物に、三人の小学五年生が相談して付けた名前です。ムンジャクンジュは、虫のようなあるいは、小動物のような生き物で、最初は米粒ほどの大きさだったのですが、58ページを読んでいる今は、ハトぐらいまで大きく育ちました。そして、ムーンとか、クーンと鳴くところからムンで、毛むくじゃらだからジャクンジュだそうです。読みながら感想を付け足していきます。
木造二階建て、元校舎のアパート「オリーブ荘」に住む三人のこどもたちです。
福田克彦:メガネ。父が中学の理科教師。福田克彦は、花や虫が好き。
新井稔:福田克彦の友だち。
山田良枝:五月に福田たちが通う学校に転校してきた。最初は自分のからに閉じこもっていた。親はどうも自営していた会社が倒産したらしく夜逃げのようにして引っ越してきたもようです。
きれいなオレンジ色の花クロヤマソウを絶滅するまでとりつくす人間を本の中で見ていて思ったことです。人間は自己満足する生き物で、人間の欲望は限度を知らない。この世には、破壊行為をする人間と破壊から何かを守ろうとする人間がいて、その間に多数の無関心な人間がいる。おおまかにいって、人間の性質は三種類に分けられる。
クロヤマという架空の山の素材になった実際にある山のモデルを考えています。
静岡県伊豆の伊東市にある「大室山(おおむろやま)」熊本県阿蘇にある「米塚(こめづか)」韓国済州島(チェジュとう)にある「城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)」が思い浮かびました。
クロヤマソウのイメージは、ヒガンバナですが、はなびらは、厚くて大きい。
ムンジャクンジュのことを書きます。毛や目は、リスかモルモットのようだそうです。(いったいこの生き物はなんなのだろう?)
ムンジャクンジュは、クロヤマソウのはなびらを食べます。22日間分のはなびらを三人の小学生は手にしています。
蝶々の幼虫のアオムシは、半世紀前は学校帰りにあったキャベツ畑でよく見かけたものです。今はどうなのかは知りませんが、通学途上のこどもがアオムシを見る機会は減っているような気がします。
ところで63ページまできましたが、ムンジャクンジュの正体はまだわかりません。ネコぐらいの大きさまで育ちました。
鳴く、まばたきする。足がない。つのはある。黒い毛が生えている。ナメクジみたい。呼べば来る。フンをしない。25時間おきに餌のクロヤマソウの花びらを倍々の法則の量で食べる。そんな生き物がいるのだろうか。
なにかしら、転校してきた同級生である山田良枝を下の名前「よしえちゃん」と呼ぶことで、福田克彦と新井稔のふたりの男子に芽生えているものがあります。
ムンジャクンジュがだんだん大きくなってきて、三人だけでは育てることがむずかしくなってきました。福田克彦がいいアイデアを思いついて実行に移します。仲間募集です。
秘密事項を共有することで、集団の協力関係が築かれていきます。
クロヤマソウの価格が上がります。需要と供給のバランスで価格が決まってきます。
どうしてだか、ムンジャクンジュは、体が大きくなるのに、体重は軽くなります。
そして、ぬいぐるみみたいなムンジャクンジュとこどもたちとのスキンシップが始まりました。
飛ぶというよりも浮くという感覚のムンジャクンジュの体です。UFO(ユーフォー 宇宙船)みたいな動きです。山田良枝が疑問点を指摘します。「なんのために飛ぶのか」
山田良枝は、ムンジャクンジュの成長とともに孤独を抜け出して友だち関係の輪と和が広がってきました。
137ページ付近を読んでいます。ムンジャクンジュとの別れが近づいている感覚があります。
(その後)
読み終えました。クライマックスは盛り上がりました。餌が足りれば「クーン」と鳴く。足りなければ「ムーン」と鳴く。そしてムンジャクンジュは「ムーン」と鳴きました。
ラストはさわやかでした。お見事でした。1979年(昭和54年)の作品ですが初めて読みました。今年読んで良かった一冊です。
あとがきを読むと、完成までに五年間もかかった作品だそうです。
壮大なほら話なのですが、おとなたちの私利私欲に走る姿は今も変わりません。ムンジャクンジュが、クマやイノシシのように野生の人間に危害を与えるかもしれない生き物だったら殺処分されていたのでしょう。
読んでいて、最終的に地球上で絶滅するのは、野生動物や植物ではなく、物欲の固まりで自分のことしか考えないわがまま勝手な人間のほうではないかと思った次第です。
こどものころに観た「モスラ」を思い出させてくれます。
怪獣映画です。
こどもたちに育てられていたムンジャクンジュはやがて自立とか自活していこうとします。こどもがおとなになるようなものだなと思いながら読み続けました。
今の時代だったら、ムンジャクンジュをスマホで撮影して動画が拡散するのでしょう。40年ぐらい前はそんなことはできませんでした。
また、あとがきなどを読むと、本作品の原稿は手書きで原稿用紙220枚だそうです。今だとパソコンソフトのワードでつくるのでしょう。
時代をふりかえると、自治体の組織としての「町」が減りました。合併で「市」になったところが多い。あわせて、個人商店は生き残りが厳しい。大型スーパー化、自営業の後継ぎ不足もあります。
急速に世の中のありようが変わってきています。
それらがいいことなのか、そうでないのかは別の問題で、各個人で対応していくことになるのでしょう。どこに価値を求めるかの選択です。
物語の中には40年前の日本人の暮らしがあります。読み終えて、これからさき40年後の日本人の暮らし方はどうなっているのだろうかと思いを巡らしました。変わることもあれば変わらないこともあるでしょう。
ムンジャクンジュ自体はなにも考えていません。まわりにいる人間たちがあれこれ考えています。
野生動物に手を出してはいけないというのが基本的な考え方なのでしょう。物語にも出てきますが、ああだこうだと苦情を言い立てる人は偽善者なのでしょう。偽善者は自分はやらずに人にやらせようとします。
調べた言葉などとして、
とりつくしまもない:冷たい態度をとられる。けんもほろろ
デコラばり:化粧板。表面が加工してある。
ネコジャラシ:エノコログサ
マツヨイグサ:黄色い花を咲かせる。
オリオン座:48星座のひとつ。冬の星座
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