2021年03月08日

下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち 内田樹

下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち 内田樹(うちだ・たつる) 講談社文庫

 「まえがき」を読んでいて考えたことです。この本は、こどもが勉強しなくなった。若者が働かなくなったという内容が書いてあるようです。本の発行は、2007年ですから、今から13年ぐらい前です。その当時の小中学生、大学生たちはいまごろ、二十代から三十代でしょう。
 本が出版されて、その後の動向はわかりませんが、「まえがき」に書いてあることに納得、同調できる部分が多い。
 自分の考えでは、業務処理能力の低下は著しい。丁寧さ、緻密さが不足している。省略したがる。点検不足。雑な処理対応が目立つ。ゆえに間違える。そのほか、責任者になりたがらない。ゆえに組織が構築しにくくなっている。高学歴でも仕事場では戦力になりにくい。あとは、意外にガラが悪い。いざとなると乱暴な言動が出てくる。さらに都合が悪くなると無言になる。無言になってその場から自分の存在を消す。
 付け加えるなら、自分の頭で考えない。質問を繰り返す。どうしたらいいですか。指示されて従って結果がうまくいかなったときに自身には責任はないという手法を用いる。
 日本が先進国だった時代は終わっている。島国であるという幸運で、なにかと守られている。1年365日24時間感覚で働いてきた世代が蓄積してきた資産をこれからの世代が消費していく。国力の衰退化が予想されます。
 ただ、この時勢を止めたり流れを変化させたりすることはとてもむずかしい。

 学校を卒業して社会人になって気づいたことがあります。
 この世には、五体満足で口が達者でも働けない人がいる。いわゆる「依存」で食べていく人がいる。そういう生き方を否定することはできない。人の生き方の手法としては有りです。人は働かなくても食べていける環境に置かれると働かなくなる。いかにして働かなくても食べていける状態を維持していくかに心の動きが集中します。
 もうひとつ、社会人になってわかったことがあります。学校では先生から何度も「そういうふうでは社会に出てからやっていけないぞ」と叱られました。社会に出てみたら、なんだ、いいかげんな人ばかりではないかとがっかりしながらもほっとしました。だいじょうぶ。自分はこの世界で生きていけそうだ。

「第一章 学びからの逃走」
 下流社会への階層降下とあります。(これは、社会システムが下流社会をつくるということではなく、若者自らが下流社会へ落ちることを望んでいると分析があり納得できます)
 下流:貧しい階級
 諏訪哲二さんの本「オレ様化する子どもたち」タイトルを見て衝撃があります。師弟関係というものが崩壊したのだなと。(読み続けていてあとでわかったのですが、今読んでいるこちらの本は「師弟関係」を重要視しています)
 「日本の子どもたちは世界で最も勉強をしない子どもたちになってしまった」あんなに塾通いをしているのに。主体性に欠けるということだろうか。親にやらされているということだろうか。
 「競争」がなくなってきた。あっても低水準の集団内における競争になっているそうです。なるほど。責任を負う役職者になりたくない人が増えたので、役職者になりやすい時代です。

 漢字の読みや文章作成について書いてあります。高学歴の人でも長期間文字を書いていないと文字を書けなくなります。まずは漢字を書けなくなります。文章はなおさら書けなくなります。

 キーワードのひとつとして、
 「わからないことがあっても気にならない」自分の知らないことは「存在しないこと」として扱う。

 過去の世代が「お金や権利」に執着したことが、いまの世代の人格形成に影響を与えたのではないか。損か得かが物事を決定するときの判断基準です。
 公平に考えるなら、本の内容は一方向からの考察になっているので、相手方の言い分も聞かねばなりません。

 本に書いてあるとおり、こどもからの「どうして人を殺してはいけないのですか?」と質問されて、答はないのでしょう。「じゃあ、あなたは、殺されてもいいのですか?」と問い返すしかありません。自分は殺す立場にある人間だという強い思い込みがあって、殺される立場にある人間でもあるということに気づけていません。

 生活が便利になったことで失ったものは大きい。便利になるにつれて、本来人間の心や身体がもっていた良質な機能が退化していっている。

 怖いことが書いてある本です。
 学校が荒廃しています。愛情とか友情が見当たりません。
 こどもたちは教師に、学校で「不快」を主張するために通学しているそうです。そのためにすさまじいエネルギーをつぎ込んでいるそうです。
 学校がいらない時代になってきているのだろうか。読んでいるとこんな学校にこどもを通わせたくないという気持ちになります。
 だから、公立ではなく私立で義務教育を学ぶのだろうか。

 自分が社会人になったときに思ったことは、学校で学んだことは社会の実態に合致していない。いったん学校で教わったことを忘れたほうがいい。学校は一時的な滞在地で特殊な場所。学校で何があったかは社会では関係ない。だから学校でめげているこどもさんがいたら希望をもってほしい。

 家庭内での労働教育環境の消失。親が働いている姿をこどもに見せる機会が減ったとあります。
 もうひとつは、こどもが家の手伝いをしなくなった。手伝う時間があれば勉強しなさいになった。
 母親(妻)が父親(夫)のことでがまんしていている姿をこどもが見ている。男のこどもから見た両親の景色と女のこどもから見た景色には、同じ景色でも違いがあるような気がします。
 学校が崩壊する。夫婦、親子関係も崩壊する。
 先に文句を言った者が勝ちという理屈をこどもが学習する。おまえのせいでこうなっているという思考が確立する。マナー(礼儀作法)が消えた。日本の社会システムの崩壊。暗い話題が続きます。

 絵に描けないものそれが「時間」
 こどもは学校をコンビニのようなものととらえていて、自分を消費者だと思っているそうです。
 時間も消費も実態がない。こどもが幽霊化している。

 読んでいて、こどもを責めてもしかたがないという気持ちになります。いじめや虐待で悲惨な思いをしているこどももいます。

 こどもが自分の未来を捨てた。

 調べた言葉などとして、
 亢進(こうしん):気持ちが積極的な方向にたかぶる。
 ラディカル:根本的、過激
 洞見(どうけん):物事の本質を見抜く
 クリティカル:きわめて危険な状態
 イデオロギー:観念の体系。観念:意識内容

「第二章 リスク社会の弱者たち」
 ふと、何度か映画にもなった壷井榮さんの名作「二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)」を思い出しました。こどもたちが連れだって先生の家に行って、先生や先生のご家族と触れ合う時間をもつ。もうそういう体験はいまではしにくいことなのでしょう。自分は、小学生のときと高校生の時に類似体験があります。学校では嫌いな先生もいたし、好きな先生もいました。いいことばかりでもありませんでした。
 この第二章では、最後のほうで、「迷惑のかけあい」ということで、戦後の助け合いのことが書いてあります。今は、相互扶助意識が薄れてきた社会というようなことが書いてあります。孤立無援。高位置の職に就いていても失職すれば、即、下流へ転落です。(この部分の文章をつくって読み続けた数日後、うしろのページで邦画「二十四の瞳」の記述が出てきました。びっくりしました)

 第二章を読み終えました。なにかしら、第一章との距離感がありました。カタカナ言葉を中心として言葉の意味がわからず内容を理解できませんでした。
 自己決定とか自己責任について書いてあります。
 そこから関連することとして、本を読みながら、去年話題になったキャッチフレーズとして「自助、共助、公助」という言葉について考えました。自助・共助・公助というのは、大規模な自然災害が発生した時の対応について記したものだと思うのです。地震、津波、台風、豪雨などの想像を絶する大災害が発生した時です。まず、自分の命は自分で守る。次に、親族や地域のネット―ワークなどで助け合う。その後、行政ほかの救援を受ける。なぜなら、助けるほうも被災者になるし、数的に少数が大多数をすぐに救援することは困難だからです。ですから、自助・共助・公助というのは緊急事態発生時に使用する言葉であって、普段の生活の時に使う言葉ではないと思うのです。

 自分を裏切らない信頼できるパートナーをもつ。
 セーフティネット(危機発生時対応のための安全網)をもっておく。なんだか、武士たちが戦い続けた日本の戦国時代みたいです。
 これはこうでなければならないとか、これはこうすべきものだというガンコな考え方は意外に危険です。

 調べた言葉などとして、
 グローバリゼーション:国境を越えた地球規模の交流
 リソース:資源
 リスク:悪いことが起こる可能性
 リスクヘッジ:悪いことが起きた時の準備をしておく。この本では、危機の分散化について書いてあります。AがだめになってもBで助かるようにしておく。
 頽落(たいらく):崩れ落ちる。
 メリトクラシー:能力主義
 フェアネス:公平、公正
 アドバンテージ:ほかより有利な状態
 デシジョン・メイキング:目的達成のために自分の判断と責任でやり方を選択すること。意思決定
 ソーリューション:答えを出す。解明。解答。解決
 ビジネスターム:期間。期限。仕事の期間。中期。長期
 蓋然的(がいぜんてき):予想する物事が起こる可能性が高い。確率が高い。
 汲々として(きゅうきゅうとして):あくせくする。小さなことに気をとられる。ひとつのことに集中して。
 博打(ばくち):賭け事。ギャンブル
 閨閥(けいばつ):妻方の親類を中心に形成された親族関係。政界、財界、官界、王室、貴族などにあり。
 常套句(じょうとうく):決まり文句
 瀰漫(びまん):一面に広がって満ちること

「第三章 労働からの逃走」
 13年前の本です。これから13年後が来るのも早そうです。13年後の日本はどうなっているのだろう。
 若者に関する記述を読んでいます。読みながら考えています。たしかに組織に貢献する組織人としての意識は弱いが、自分のしたいことはするという自由人の意識は強い。すぐに仕事を辞めたがる。本には、若者にとって、出世よりも自由が大切と書いてあります。
 解説を読んでいて、自己決定・自己責任が美徳というのは錯覚と受け止めました。錯覚して自ら下流へ落ちていくことに満足している。上層へあがるチャンスが用意してあるのに自ら上昇気流にのることを拒否して落ちていく。そして、若者は、落ちていくことにこれでいいと自己満足している。昔読んだ小説で林真理子さんの「下流の宴(うたげ)」を思い出しました。そういうタイプの若者男性が登場します。
 
 日本型ニート:フリーターは学力があるけれど、ニート(就学、就労していない。職業訓練を受けていない)は学習体験をしていない。ニートは、基礎的学力が低く、社会活動に参加した経験が少ない。外国のニートは、学習意欲があっても学習させてもらえるチャンスが少ない。日本人のニートは、自己決定、自己責任、自由ということを正しいこととして、自分自身で教育を受ける権利を放棄して自己満足している。周囲もそういう人を置き去りにしていく。そういうふうに読み取りました。
 本人にとっては、教育は義務で権利だとは思えていない。義務教育の義務は親に対してのもので、子どもに教育を受けさせる義務と解釈が示してあります。
 日本国憲法の第27条3項に児童を酷使してはならないと定めがあることをこの本が教えてくれました。そういえばこどものころ、農繁期になると家の手伝いという理由で登校してこないこどもがいました。

 生き方の基本として、「自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることをたいせつにする生き方……」と提案があります。とても参考になります。

 転職に関して、昔は石の上にも三年(忍耐すればいいことがある)と教わったものです。仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと教わったこともあります。いまは転職を勧める世の中に変わりました。基準は時代によって変わっていくのでしょうが、やはり簡単に退職はしないほうがいいと思います。就労空白期間があると生涯獲得賃金総額も下がります。

 給料は安いのが当然。高くしたら倒産してしまう。お金の使用は薄く広く長くが、組織運営の目標。おおぜいの人が食べていくため。
 世の中はもともと不合理(理屈にあわない。筋がとおらない)不条理(ふじょうり。不合理であること)であることを受け入れられないと労働はできなくなるとあります。
 表面的には、割りが合わない(労力の割には賃金が安い)ので、そのことが不合理で働きたくないと主張し始めたら働けなくなる。
 労働に「等価交換」は存在しない。常にオーバーワーク(労力のほうが賃金より多い)
 
 大学生の単位の取得のしかたを読んでいると、何のために大学に行っているのだろうかと思いたくなります。大学以外の場所で勉強しない自宅学習時間ゼロの大学生は、世間的には問題にはならないけれど失業者のようなものです。
 
 労働の評価は無理。成果主義は無理
 人間は品物ではない。商品でもない。
 
 調べた言葉などとして、
 自己決定フェティシズム:フェティシズムは、異常性欲のひとつ。下着などの物や足の指先など体の一部分を強く愛する。この本では、「自己決定」において、自分で決めたことだから正しい。これでいいという理屈に自分で陶酔して満足する状態
 インフォームド・コンセント:医師と患者との合意。治療に関する十分な説明を医師から患者が聴いて方針を決める。
 セルフ・エスティーム:自己肯定感。ありのままの自分を受け入れる。自信
 心身のパフォーマンス:心と体の機能
 信憑(しんぴょう):信頼度
 オーバーアチーブ:相手に期待以上の満足を提供する。
 システマティック:体系的、組織的、計画的、規則正しい
 アイデンティティ:自分を自分だと確信させるもの
 クレバー:ずるがしこい。
 ポピュラリティ:人気、人望
 クライアント:お客さま
 スペック:性能
 ピットフォール:落とし穴
 シラバス:大学での講義の内容説明
 ジョブ・ディスクリプション:業務内容の詳細記述文書
 メンター:助言者、相談者
 パラドクス:正しそうに見えるが、実は無理なこと。
 アクロバシー:曲芸。アクロバット。常人にはできないこと。
 多田宏先生:武道家(合気道)
 ソクラテス:紀元前496年頃-紀元前399年頃 古代ギリシャの哲学者。メノン:対話篇古代ギリシャの哲学者プラトンの書物。プラトンは、ソクラテスの弟子でプラトンが書いた本にソクラテスが登場する。
 テンポラリー:一時的な
 詮ずる所:せんずるところ。結局のところ
 教育のアウトカム:結果。成果
 メタ能力:ものさしをつくりだす力

「第四章 質疑応答」
 質疑に出てくる平川さんがどなたなのかわかりませんでした。実業家。文筆家。平川克美さん
 吉本隆明さん:2012年87歳没 詩人、評論家 吉本ばななさんのお父上
 無時間モデル:ギブ・アンド・テイク 与えたら対価としてなにかをもらう
 ジョブ・ディスクリプション:契約社会か。仕事の説明書と報酬
 イニシエーション:正式なメンバーとして受け入れる儀式

 児童虐待の要因のひとつとして、親が子を製品として観る。思いどおりの製品ができあがらないので、ストレスがたまって、製品に危害を加える。怖い。
 読んでいて内容がむずかしい部分もあります。何度も読まないといけないのでしょう。
 
 映画の話も出てきます。「スターウォーズ」黒澤明監督の「姿三四郎」「ベスト・キッド」そして「二十四の瞳」
 二十四の瞳では、大石先生が泣き虫先生であるだけで役に立っていなかったという分析もありますが、言論の自由が力づくで抑えられていた軍部独裁による軍国主義の時代だったことから、こどもの命を守れなかったという悔いもあるでしょう。
 一時期はやった教師もののドラマはいま思うとよくなかった。教師はスーパーマンではありません。
 
 昔だったら、わずらわしさを伴う小さな主張(クレーム)は問答無用で切り捨て御免の扱いをされていましたが、権利意識の高まりによって、管理する側が弱腰になり、わがままと思えるようなことも受け入れるようになってから、秩序が混乱する社会になりました。

 クレーマー(しつこく苦情をいう人。要求をしてくる人)について書いてあります。アメリカ的という考察があります。

 先月読んだ夏目漱石作品「坊ちゃん」に関する記述が出てきてびっくりしました。三世代大家族で暮らしていた昔は実母以外の人間が子どもを育てることは一般的でした。坊ちゃんでは、下女の「清(きよ)」が坊ちゃんのめんどうをみます。そして、物語の最後で、四国から東京に戻った坊ちゃんは清といっしょに暮らして彼女の最期をみとり彼女のお墓も用意します。
 続けて下村湖人(しもむらこじん)作品「次郎物語」も出てきました。中学生のときに読みました。そういえばわたしは、母親の妹(おばさん)に、あんたがあかちゃんだったときは、わたしがあんたのめんどうをみたと言われたことがあります。幼児期になるまでお世話になったようですが、あいにく記憶がありません。思うに、こどもを育てるのは、実母以外の人間でもだいじょうぶなのです。こどもにとって安全な環境を確保できればいいのです。

 「師匠」について(師匠自身の独自の考えというものはない。師匠は自分の師匠が教えてくれたことを弟子に伝えるだけ。そして、弟子が師匠になったときは、自分の師匠が伝えてくれたことを弟子に伝えるだけ。伝承。なにか、深いものを感じました)加えて、良かった文節として「理論を語っても仕方がない」そういうものだと受け止めて実行していけば意味のあるところへ着地できる可能性があります。

 調べた言葉などとして、
 シーケンシャル:連続的な手順
 タイムラグ:時間のずれ
 ロングスパン:長期間
 インフラ:生活を支える基盤。電気、ガス、水道、道路、公共施設など。
 パッサー:パスを出す人。あることを次につなげていく人
 通暁(つうぎょう):ある事柄について精通している。
 私淑する(ししゅくする):直接教わらないが、ひそかにその人を師として尊敬し、模範として学ぶ。
 標榜(ひょうぼう):主義主張をはっきりと掲げる。
 嘲弄的(ちょうろうてき):あざけりからかう。
 惻隠(そくいん):かわいそうに思うこと
 マジョリティー:多数派、多数派、反対語が、マイノリティー
 禁忌(きんき):慣習的に嫌ったり避けたりする。
 佐藤学さん:教育学者
 リベラルアーツ:高度な教養を身につけるための学び
 シュツットガルト:ドイツのいなかの都市
 フェミニスト:平等を目的として、女性の権利主張を指示する人
 弊履(へいり):なんの価値もないもの
 阿吽の呼吸(あうんのこきゅう):ふたりは、言葉を交わさなくても相手の考えていることがわかって行動がぴったりと合う。
 固執(こしつ):自分の意見や考えを譲らない。
 ランティエ:不労所得で生計維持をしている人。この本の場合は年金生活者
 高等遊民(こうとうゆうみん):明治から昭和初期によく使われた言葉。経済的に不自由がない高学歴者。親の財産で生活していく人
 メンタリティ:心理状態。知性
 付和雷同(ふわらいどう):自分の考えがなく人に同調する。
 レバレッジ:小さな力で大きなものを動かす仕組み。梃子(てこ)のようなもの。
 瀰漫(びまん):一面に広がり満ちること。
 ジャルゴン(符牒):意味不明な言葉。同業者のうちわのみで通用する言葉
 WASP:白人アメリカ人プロテスタント
 ルーティン:決まっている手順。日課
 ランデブー・ポイント:待ち合わせ場所
 アジール:苦しんでいる人が逃げ込む場所。例として、駆け込み寺
 電磁パルス:電磁波。波動

「文庫版のためのあとがき 2009年6月付け」
 新型インフルエンザの世界的流行のことが書いてあります。2009年(平成21年)に、たしかに新型インフルエンザの流行がありました。日本での死者は200人ぐらいだったと思います。今回の感染拡大はかなりひどい。もう8200人ぐらいが亡くなっています。
 現在全世界が新型コロナウィルス感染拡大に苦しんでいる2021年の今読むと、もしかしたら、今後も一定の期間を開けて、新種のウィルスが生まれてくるのではないかという不安が生じます。

 リーマンショック:2008年9月(平成20年)アメリカの投資銀行が経営破たんしたことをきっかけにして、経済危機が世界的に連鎖した。
 ドミナント:優位に立つ

 ずいぶんと長いあいまいな感想のような文章になってしまいました。最後まで読んでいただけた方には感謝いたします。ありがとうございました。
 読むことで考える。考えることで充実感を得られる。今年読んで良かった一冊でした。

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t142769
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい