2021年02月18日

(再鑑賞)イージーライダー アメリカ映画

(再鑑賞)イージーライダー アメリカ映画DVD 1969年アメリカ合衆国公開

 中学生のころに、テレビの洋画劇場で観た覚えがあります。たしか、ふたりの男性がハンドルの長いバイクに乗って旅をして、最後はふたりとも死んでしまいます。内容は覚えていません。
 今回、映像を見返してみて、この映画を観たときは、まだ自分は中学生で、まだこどもだったけれど、おとなが観るものを観たり、おとなが読む本を読んだりして、内容をわかっていないのにわかったふりをしていた思春期が自分にもあったのだと気づいた次第です。

 映画でのバイク旅は、違法薬物のコカインを搬送しての金もうけが目的です。
 当時はアメリカ合衆国もいろいろと制限が厳しかったようです。男性の「長髪」は悪という扱いです。そういえば、この映画ができた昭和40年代、日本の中学生男子生徒の頭髪はほとんどの学校が丸坊主でした。すっかり忘れていました。今となっては、そのことをいう人もいなくなりました。
 
 映像では、バイク旅の途中で、ヒッチハイクで道ばたに立っていた知らない人をバイクの後席に乗せました。びっくりしました。アメリカ合衆国は銃社会で、相手が銃をもっていたら危険です。バイク仲間はふたりしかいません。バイクには違法薬物と現金がのせてあります。バンバンと撃たれたら簡単に殺されてしまいます。まず人を疑わないといけないのが、アメリカ合衆国社会だと思うのです。

 音楽が流れて、山と川と荒野の風景が続きます。途中には、小さな集落があるだけです。農業でつましく暮らすアメリカ人の生活があります。
 バイクを運転する彼らには、「移動の自由」があります。この映画は、「自由の獲得」を訴えるメッセージがあります。長髪許可の要望です。それから、差別反対のメッセージがあります。映画自体は白人の映画ですが、白人ばかりの世界の中にも差別があります。「標準ではない者」に対する差別です。標準でない者は抹殺しても許されるのです。長髪はだめなのです。
 警察職員と排他的な地元民は仲間です。職権乱用の贈収賄がまかりとおります。警察職員は長髪の被害者を守ってくれません。その体質は今でも変わっていないような最近のアメリカ合衆国警察に関する報道があります。

 やりたいことをやりたいようにやれるのが「自由」、したいことをしたいようにするのが「自由」、されど、自由には自己責任がセットで付いてきます。あっという間の転落が待ち受けています。

 宗教の教えが生活に深く関わっているようです。ラスト付近は狂気の幻覚状態です。
 ちゃんと働かずに自由を欲しがる者に対しては、天罰がくだるのです。
 人間の弱さがあります。なにか寄りかかれるものがほしい。根拠がほしい。頼れるものがほしい。
 男性の長髪に対する人々の拒否反応、男同士でつるんでバイク旅をするのは同性愛者だろうという偏見と差別、もちろん黒人やインディアンに対する差別もあるようです。

 話はふと離れてしまうのですが、ふたりの男性がバイクで田舎道を走る姿を見ていたら、「出川哲朗の充電バイクの旅」みたいだと、印象が重なってしまいました。出川哲朗さんとディレクターが電動バイクで走る姿です。そして、ときおり、ゲストも加えて三人でつるんで走ります。案外この映画が番組企画の下地かもしれません。

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