2021年02月12日

吾輩は猫である 夏目漱石

吾輩は猫である 夏目漱石 上・下 集英社文庫

 1904年(明治37年)夏目漱石さん37歳のときの作品です。読むのは初めてです。(その後:2012年に読んでいたことが判明しました。加齢でだんだん記憶喪失が始まっているようです。とほほ)

 猫:名前はない。教師の家にいる。自分を「吾輩(わがはい)」と称する。
 (吾輩猫の主人)珍野苦紗弥(ちんのくしゃみ)先生:教師。たぶん夏目漱石さんのこと。ネコの目を通して、自分で自分を見る手法です。
 主人のこども:5才と3才
 おさん:下女
 白君(しろくん):近所の猫。軍人の家にいる。
 三毛君(みけくん):近所の猫。代言(だいげん。弁護士)の家にいる。
 三毛子:二弦琴(にげんきん。弦楽器。弦が二本)の御師匠さんの家にいる。
 黒君:別名として大王(だいおう)、近所の猫。車屋の猫。黒猫。吾輩の二倍ぐらいの体格をしている。
 水島寒月(みずしま・かんげつ):珍野苦紗弥の教え子。理学士
 越智東風(おち・とうふう):水島寒月の友人。詩人
 御三(おさん):下女の通称
 迷亭(めいてい):美学者
 牧山男爵:迷亭の伯父
 甘木先生:医者。動物である猫も診るらしい。
 鼻子:角屋敷の金田夫人。鼻子は吾輩猫が付けた名前。夫人の鼻は大きい。いばっている。
 富子(とみこ):金田宅の令嬢
 鈴木藤十郎:実業家。金田夫妻の手下。猫の主人である珍野苦紗弥(ちんのくしゃみ)先生の同窓生
 多々良三平:佐賀県唐津なまりの九州弁で話す。鈴木藤十郎の後輩。法科大学(東大法学部)を卒業して、現在はある会社の鉱山部所属。九州の炭鉱担当
 御夏(おなつ):下女
 雪江:苦紗弥先生の姪。お嬢さん。美人ではない。17歳ぐらい。
 古井武右衛門(ふるい・ぶえもん):旧制文明中学校の生徒
 浜田兵助(はまだ・へいすけ):旧制文明中学校の生徒
 遠藤:旧制文明中学校の生徒
 八木独仙(やぎ・どくせん):猫の主人である珍野苦紗弥(ちんのくしゃみ)先生の同窓生
 
 現代文学創作手法の下地が、明治時代につくられたこの作品にあります。
 動物を登場人物とする。擬人法を用いる。ユーモアをからませる。
 文章にリズムがあります。この作品は「坊ちゃん」よりはリズムを抑え気味ですが、文章のリズム感というものは、生まれ持った才能のなせる技(わざ)だと思っています。
 吾輩と名のる猫が食べたお餅が口の中でひっかかって苦しみます。下女にとってもらって助かりました。
 明治時代の言葉が多く、すっきりと意味を把握できません。
 江戸時代の話も多い。天璋院:てんしょういん。篤姫(あつひめ)鹿児島薩摩藩島津家から徳川家定に嫁いだ。
 現在の文京区本郷東京大学周辺の記事が多い。地名としてわかるのは、上野公園、浅草寺、水道橋、巣鴨、忠臣蔵の泉岳寺、神奈川県大磯ぐらい。
 自分の読み方がまずいのか「吾輩」という猫の語りが、いつのまにか苦紗弥(くしゃみ)先生の語りに変わったような文体の変化があります。この物語は初めて読みますがむずかしい。
 明治時代の日常風俗記録です。もう120年ぐらい前のことなので、読んでいてもわからないこと、理解できないことが多い。案外むずかしい本です。
 学術関係者のヨーロッパに関する文化とか学問の話が多い。大昔の中国、ギリシャ神話とか、ヨーロッパの学者とか絵描きとか、日本だと落語とか。
 車夫の苦紗弥(くしゃみ。夏目漱石のこと)先生評価コメントがおもしろい。本の世界しか知らない変人だ。自分のこどもたちの年齢は知らない。
 自問自答のような会話が続きます。
 書いてあることが理解できないので、目で字を追うだけの読書になってしまっています。あきらめて、流し読みに入ります。
 泥棒の話が出てきました。
 株の話も出てきました。
 ものすごい量の文章量です。文字がびっしり並んでいます。病的でもあります。自分と会話をしている。頭の中に知識が満タンです。
 猫になった気持ちに立って読まねばなりません。
 本当かウソかわかりませんが、江戸時代末期、明治維新のこととして、二歳ぐらいの女の子が天秤棒のかごに乗せられて売られています。人身売買です。昔はこどもには人権がなく、家畜のように労働力として扱われていたということはなにかの本で読んだことがあります。事実なのでしょう。物語の中では、明治三十八年の今は、そういうことはしていないというふうに書いてあります。
 この本は、内容を理解して読み込むには、かなりの労力と時間を要します。ちょっとそこまでする気にはなれません。

 落雲館:旧制中学校
 野球のボールが先生宅に飛び込んでくるので生徒たちとトラブルになったとか、催眠術の話とか。

 下巻の56ページ「9」あたりから読みやすくなりました。とはいえ、理解できない単語がまだまだ出てきます。思うに、現代人と明治時代の人間は、同じ日本人ですが、今お互いに出会ったとしても会話が成り立ちにくい気がします。さらに方言が出てくるとなおさら通じない外国語のようなものになるのでしょう。

 夏目漱石さんはアトピーだったのだろうか。痘痕(あばた)の話が続きます。

 明治時代のようすが垣間見えます。人はなかなか変われないのに、武家社会から庶民の平等社会へと画期的な変化をみなさんが受け入れています。されど、内心は、攻め寄せる西欧文化に抵抗感もあったのではないか。いま日本では大正時代っぽい鬼滅の刃(きめつのやいば)が流行していますが、あんがいこれからは、明治大正時代を知らない新しい世代に、明治大正の文化が流行するのかもしれません。

 吾輩猫は、ビールを飲んで酔っ払って水がめに落ちて、はいあがることができなくて水死してしまいました。動物も人間も飲みすぎには注意しましょう。猫にとっては自殺行為なのに悲壮感がありません。
 読み終えましたが難儀でした。(なんぎ:意味がわからず苦労しました)

 獰悪(どうあく):乱暴で荒っぽい。
 御三(おさん):下女の通称
 一斤(いっきん):食パンの大きさ。600g
 嚢中(のうちゅう):袋の中
 酒掃薪水(さいそうしんすい):家事のこと。掃除、炊事
 瘧(おこり):発熱、悪寒、震え。こどもに多い病気で、熱病
 白木屋(しろきや):明治時代のデパート
 リードル:英語学習の教科書読本
 吾人(ごじん):わたくし
 髣髴(ほうふつ):想像する。
 エピクテタス:古代ギリシャの哲学者
 斃れる:たおれる。事故や事件で不意に亡くなる。

 (解説部分の感想)
 「石崎等さんの解説」
 夏目漱石さんは、生まれて三歳で養子に出されて、養父母が離婚して、十歳のときに実父母に戻された。されど、戸籍は二十二歳のときに復籍した。こどものころの氏名は塩原金之助、おとなになって夏目金之助、筆名が夏目漱石。そういうことを初めて知りました。
 こどものころ、実の両親を祖父母だと思っていたそうです。
 「吾輩は猫である」の登場人物珍野苦紗弥(ちんのくしゃみ)先生と迷亭が夏目漱石氏の分身だそうです。
 「風刺(社会や人物批判)」が「吾輩は猫である」の主流だそうです。ゆえに、ストーリーがないのかと納得できました。筋書きのない純文学のようでもあるし猫の視点を借りた連続的な論評のようでもありました。解説では「断片的で纏まり(まとまり)がない」とあります。
 調べた言葉などとして、
 パラドックス:いっけん正しそうに見えるけれど不成立なもの(だから読んでいて難しく感じるのかも)
 トーマス・カーライル:1795年-1881年 イギリスの歴史家、評論家。夏目漱石さんが信奉した作家さんだそうです。ゆえに影響を受けている。
 ペシミズム:悲観主義。この世は悲しいという人生観
 ニーチェ:1844年-1900年。ドイツの哲学者

「谷川俊太郎さんの鑑賞」
 文章全体を「牛の涎(よだれ)」と表現されています。同感でほっとしました。
 ご本人はこの作品を読んで「これはいったいなんだ」という感想をもたれたそうです。(これまた共感してほっとしました)

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