2021年02月08日

(再読)坊ちゃん 夏目漱石

(再読)坊ちゃん 夏目漱石 集英社文庫

 昨年読んだある本の中で、夏目漱石作品は発表された当時はいい評価をされなかったが、何十年間もの時を経て高評価されるに至った。逆に坊ちゃんが発表されたころにちやほやされた小説家は、今はもう消滅して名も残っていないというような文章を読みました。優れた作品は年月をくぐりぬけても不死鳥のように生き続けるのでしょう。
 本棚の整理をしていたらこの本が出てきたので、1980年ごろに訪れたことがある四国愛媛県松山市の風景を思い出しながら読んでみました。

 夏目漱石氏は明治維新の前年に生まれているので、明治の年号イコール同氏の年齢にあたりわかりやすい。
 1895年(明治28年)28歳。東京から愛媛県松山へ。松山中学赴任
 1896年(明治29年)29歳。熊本へ。第五高等学校講師赴任
 1900年(明治33年)33歳。英語研究のために英国留学。1903年(明治36年)帰国。36歳
 1905年(明治38年)38歳。「吾輩は猫である」を発表
 1906年(明治39年)39歳。「坊ちゃん」を発表
 1908年(明治41年)41歳。「三四郎」を発表
 1909年(明治42年)42歳。「それから」
 1910年(明治43年)43歳。「門」を発表
 1914年(大正3年)47歳。「こころ」を発表
 1916年(大正5年)49歳。胃潰瘍で病死
 
 作品「坊ちゃん」では、はなはだ無鉄砲でやんちゃな主人公の坊ちゃんです。
 冒頭の文章の雰囲気が、リリー・フランキー作「東京タワー」に似ています。勝手な推測ですが、リリー・フランキーさんは、もしかしたら「坊ちゃん」を意識して東京タワーを書かれたのかもしれません。
 主人公の坊ちゃんは、母を病気で亡くして、父と兄と自分との男三人で生活してきたそうです。十年来雇っていた清(きよ)という下女に、母親のように優しくしてもらった主人公です。「清はなんと言っても賞めてくれる(ほめてくれる)」とあります。
 明治18年のころの600円の価値:1円が3800円ぐらい。600円は、228万円。
 物理学校(のちの東京理科大学)の学生だった主人公は、父親が死んで仲の良くなかった兄から600円を相続ということでもらいました。兄弟仲が悪かったので、手切れ金のようなものです。
 坊ちゃんは物理学校を卒業後、数学教師として四国愛媛県の松山に赴任します。

 坊ちゃん:24歳。新米数学教師。父も母も死去。兄ひとりあるも兄とは仲が悪い。
 校長:狸(たぬき)
 教頭:赤シャツ。文学士
 古賀:うらなり(この話の場合、蔓(つる)の先のほうにできる成育不良による小さくて弱々しい唐茄子(とうなす。かぼちゃ)に似て顔色が青くて悪いという表現)英語担当。自分の勝手な解釈ですが、このキャラクターのモデルが夏目漱石自身のような気がします。
 堀田:山嵐。数学担当。主人公坊ちゃんの数学教師師匠のポジション
 吉川:のだいこ。画学。芸人風
 マドンナ:マドンナの意味はあこがれの女性。物語では、遠山のお嬢さん。マドンナは、うらなりくんとできていたけれど、教頭赤シャツの計略でだまされて赤シャツについていくというような展開です。(されど、したたかに働いて、稼いで食べさせてくれる赤シャツの嫁というポジションを選択したのがマドンナの決断です)
 萩野老夫婦:坊ちゃんの下宿先の大家

 おもしろい。文章にリズムがあります。読みやすい。1906年作成の文学作品の文章で、この軽さは珍しかったのではないか。
 四国の方言なのか、地元の人の言葉で、語尾に「もし」がつくのがおもしろい。
 主人公も無鉄砲ですが、田舎は、よそ者の言動への関心が強い。
 下女だった清(きよ)に対する信頼と愛情が厚い(あつい)。
 日記のようでもあり、歳時記のようでもあります。(四季、年中行事の記録)

 赤シャツの人をあざむく言動でひともんちゃくが起こりそうです。ひともんちゃくが起こって、坊ちゃんは松山を去ることになるのです。
 この作品は、1906年(明治39年)夏目漱石39歳のときのものですが、1900年ごろの文章にしては、現在の現代文とかわらないことに驚きを感じます。
 人事とお金の権限を握っている人間にはなかなか勝てません。坊ちゃんはそういう奴と戦うのです。そして負けるのです。
 記事に出てくる「祝勝会」は、日清戦争(1894年 明治27年から翌年まで)のことでしょう。夏目漱石自身は、1916年(大正5年)に亡くなっているので、1923年(大正12年)の関東大震災とか、第二次世界大戦(1939年から1945年)はご存じありません。
 坊ちゃんが生卵を画学の、のだいこに投げつけるシーンは痛快でした。
 最終的に坊ちゃんが東京へ戻って、市電の運転手兼整備担当者になって、下女だった清(きよ)のめんどうをみながら暮らしたという終わり方にはしみじみとするものがありました。
 清さんは肺炎で亡くなって、坊ちゃんがお寺に埋葬しています。
 やはり人間は育ての親のようなお世話になった人には恩返しをするものです。(巻末の解説部分に「無条件の和合と愛」とあり自分も賛同します)

 単簡(たんかん):単純でわかりやすい。
 四国での教師としての給料が40円:40円×3800円=15万2000円
 ケット:ブランケット。毛布
 朴念仁(ぼくねんじん):道理のわからない人
 剣呑(けんのん):危険や不安
 乗ぜられる(じょうぜられる):あざむかれる。踊らされる。いいように利用される。あやつられる。
 真率(しんそつ):まじめで飾り気がない。
 磊落(らいらく):度量が広く、小さなことにこだわらない。
 恬然(てんぜん):物事にこだわらず平然としているようす。
 憚りながら(はばかりながら):恐れながら。遠慮すべきかもしれませんが。
 咄喊事件(とっかんじけん):大声をあげながら突進する。
 肯綮(こうけい):物事の急所、要(かなめ)
 剴切(がいせつ):非常によくあてはまった。
 振粛(しんしゅく):ゆるんだ気風を引きしめる。
 手蔓(てづる):頼りにできる特別な関係
 後学:あとに役立つ知識
 椽鼻(えんばな):軒下
 唐変木(とうへんぼく):わからずやや気のきかない人
 いか銀:山嵐が紹介してくれた下宿
 軽跳(けいちょう):落ち着きがなくて言動が軽はずみ
 奸物(かんぶつ):悪知恵が働く心がひねくれた人
 誅戮(ちゅうりく):罪あるものを殺すこと
 意趣返し(いしゅがえし):仕返し
 旧制中学校と師範学校の違い:旧制中学校(12歳から16歳までの5年間)。師範学校は教員を養成する学校で、教職に就くことが前提条件で、授業料がかからず生活保障もされていた。14歳から16歳が対象。
 指嗾(しそう):人に指図して悪事を行うように仕向ける。
 後架(こうか):便所
 天誅党(てんちゅうとう):天に変わって悪人を殺す集団

(解説部分の感想)
文芸評論家 渡部直己氏
 夏目漱石作品は当時の自然主義作家たちから反感をかったとあります。これがこの文章の冒頭で書いた部分にかかってくるのでしょう。自然主義というのは、実生活の体験から小説を書くというふうに受け取りました。
 調べたこととして、
 芥川龍之介:1892年(明治25年)-1927年(昭和2年)35歳没。服毒自殺
 解説を読みながら思ったこととして、日本人の暮らしはこの半世紀ぐらいの間にインターネットを中心とした電子化で急速に変化したわけですが、夏目漱石氏が生きた明治時代も武家社会の江戸時代から欧米文明を取り入れる明治時代へと急展開の変化があった点で、類似の時代背景があると感じました。
 夏目漱石氏は英語研究のために国費でイギリス留学をされていますがエリートという感じではなく、いやいや行かれたような雰囲気です。解説中の文章には「余は英国紳士の間にあって群狼に伍する一匹のむく犬の如く、あわれなる生活を営みたり」とあります。そして、神経衰弱の病気になっています。
 書くことで救われるということはあると思います。そして、読むことで救われるということもあります。
 批評の視点にある「西洋文化と和文化の対立と闘い」を読みこみました。
 欧米文化である「効率優先」は、人の居場所を奪ってしまう。電算化の目的は、人員削減をして、経費を節約することにある。夏目漱石氏は「物質文明」「契約社会」を批判していたということがわかりました。無駄があっても共存できる日本独自の和の文化を大切にしたのです。
 Aがいて、Bがいて、Cがいる。いわゆる三角関係が物語づくりの骨格になっています。Cは第三者、マドンナです。第三者の心持ちの基準をどこに置くか。正義があってもその者に将来食べていく生活能力がなければ、第三者は、正義ではないほうにつくこともあります。むしろそういうことのほうが多い。
 
詩人・小説家 ねじめ正一氏の解説
 印象に残った文節として「正義感は空回りする」

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