2020年11月27日

僕たちは希望という列車に乗った ドイツ映画DVD

僕たちは希望という列車に乗った ドイツ映画DVD 2018年ドイツ公開

 ドイツ人らしい映画でした。質実剛健。強くたくましく硬い。
 ラスト近くの教室内の高校生たちは、半世紀ぐらい前の日本人の若者たちの言動を観るようでした。
 東西ドイツ、東西ベルリンの制度がわからないので、肝心な部分がピンとこないのですが、東ベルリンの高校生が退学処分になったあと米国占領域だった西ベルリンの高校を卒業できたことが不可解でした。

 実話に基づくとあります。1956年(昭和31年)東ベルリンにあったらしきスターリンシュタット駅から西ベルリンアメリカ占領地区行きへ列車が出発するところから始まります。東ベルリンの人間でも墓参が理由なら西ベルリンへ行けたようです。
 
 ドイツ国東ベルリンを支配下におくソ連に対するドイツ人若者たちの抗議です。ソ連は出て行けということです。社会主義国家に対する反革命運動の一端です。

 西ベルリンのラジオの電波は境界線を越えて東ベルリンに聞こえてきます。
 ソ連の支配下にあるハンガリーが反旗を上げました。
 ラジオでこっそり報道を聞いた高校生たちが動き出します。最初はおおげさな気持ちがあったわけではありませんが大きな混乱の渦に巻き込まれていき人生の予定が変わってしまいます。運命がややこしくねじれていきます。
 授業の開始時に二分間しゃべらない(黙とうをする)という行為が、社会主義国家に対する抗議の印(しるし)として大問題になります。
 「われわれは自由に考える」ということは、イコール「諸君は、(社会主義)国家の敵だ」となります。社会主義国家の国民は政治的なものごとを自由に考えてはいけないのです。国家が決めたとおりに行動するしかないのです。言論の自由がありません。

 ファシスト:結束を要求する独裁的な権力主義者
 
 教師たちが親に話をすべきことを生徒たちに話すのが不思議でした。ふつうは、親に対して制裁と条件を提示します。
 
 仲間割れが起こります。
 政治的な強制力によって、団結は分解することもあります。
 
 原因をつくった青年のクルトと巻き込まれたテオは親友というけれど、相手に負担をかける人間関係は親友とはいいません。一時的な遊び仲間です。

 言論統制国家の恐怖があります。

 話の運び方として、親の行動をこどもが責任をとるような連帯責任が奇妙です。
 親は親、こどもはこどもの別人格ではないのだろうか。
 
 ラストシーンを観て、電車物語だと悟りました。電車が未来へのタイムマシーンです。

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