2020年11月25日
「右大臣実朝」「惜別」 太宰治
「惜別」「右大臣実朝」 太宰治 新潮文庫
文庫のタイトルは、「惜別」です。収録は二作品です。
まずは、最初にある「右大臣実朝」のほうから読みます。
「右大臣実朝」
昭和18年9月の刊行です。
源実朝(みなもとのさねとも):1192年-1219年 26歳没 鎌倉時代初期 12歳で鎌倉幕府の三代目の征夷大将軍に就く。源頼朝と北条政子の子。二代将軍であった兄の源頼家(みなもとのよりいえ)の子で僧侶の公暁(くぎょう)に鎌倉の鶴岡八幡宮で暗殺された。歌人。
新古今和歌集:鎌倉時代の和歌集。天皇や上皇の命で編纂(へんさん。集められ整理され、まとめられた)された。
物語は、右大臣実朝が亡くなってから20年後という設定で、女性の語りで始まります。ふたりの初対面は、語り手の女性が12歳で、実朝は年上の十代のようです。作者が女性にのりうつる記述方式です。
二十年前の御家人(ごけにん。鎌倉幕府と主従関係を結んだ従者)メンバーとして、
武蔵野神親弘(むさしのかみちかひろ)
左衛門大夫時弘(さえもんのたいふときひろ)
前駿河守季時(さきのするがのかみすえとき)
秋田城介景盛(あきたじょうのすけかげもり)
隠岐守行村(おきのかみゆきむら)
大夫尉景廉(たいふのじょうかげかど)
実朝は12歳の時に疱瘡(ほうそう:天然痘てんねんとう)の病気をした。
清綱(きよつな):将軍の妻の御付きの侍
老中和田左衛門尉(和田左衛門尉義盛)
ちょっとむずかしいので、巻末の解説を読みました。解説者は、奥野健男氏
昭和18年、戦地中の出版です。戦時中であるがゆえにさまざまな制約があって、言論の自由はなく、されど、そういった状況の中でも太宰治氏は何冊も本を出しています。底力があります。
金槐和歌集(きんかいわかしゅう):源実朝の歌集
年号が承元(じょうげん。1207年-1211年)のころ、地震が多かったようです。将軍が源実朝(承元五年で二十歳)、執権が北条義時です。(2022年の大河ドラマの主役になるようです)
明日香井雅経(あすかいまさつね):1170年-1221年 公家(朝廷に仕える貴族)の高官。歌人
鴨長明(かものちょうめい):1155年-1216年 随筆家 方丈記(ほうじょうき)
気に入った文章として、
「魚の心は、水の底に住んでみなければわかりませぬ。鳥の心も樹上の巣に生涯を託してみなければ、わかりませぬ……」
(つづく)
いま中盤あたりを読んでいますが、けっこうむずかしい。ページ全体にびっしりと文字が書いてあって文章量が多く、わからない言葉もたくさんです。少し流し読むようにして進めてみます。和歌の解説も出てくるようになりました。
執権相州さま:執権北条義時。北条時政の子ども。執権は、鎌倉幕府で鎌倉殿(将軍)を助け政務を統轄した。源頼朝の妻北条政子の父北条時政から始まる。次が次男の北条義時。このときに源実朝が暗殺された。朝廷と対立して朝廷に勝利した承久の乱にからんでいる。
古文書の現代語訳と解説とストーリー化を読んでいるようです。むずかしくて内容が理解できません。戦時中だれがこの話を読んだのだろうか。
言葉の意味調べで終わってしまいそうです。
修理亮泰時(しゅうりのすけやすとき):北条義時の長男
新兵衛尉朝盛(しんひょうえのじょうとももり):一族のひとり
和田平太胤長(わだへいたたねなが):御家人。和田義盛の甥
なにか内輪もめの事件のことが書いてあるのですが言葉がむずかしくて理解できません。単語の意味調べだけが続きます。
泉親衡の乱(いずみちかひらのらん)について書いてあるようです。1213年の内乱。当時の将軍が源実朝で、執権が北条義時でした。
栄西(えいさい):1141年-1215年 臨済宗の開祖
広元入道:大江広元。源頼朝の側近。鎌倉幕府の創設に貢献した。
厩戸の皇子(うまやどのこうし):聖徳太子
陳和卿(ちんわけい):中国南宋出身の工人(こうじん。工作をする労働者)。
重源上人(ちょうげんしょうにん):僧侶
読みながら鎌倉時代の状態を想像しました。領地をはじめとした富と権力を求めて親族内、あるいは幕府組織内で内乱がある。不安定です。
朝廷があって、公家がいて、武士がいる。農林水産業に従事する庶民がいる。
基本的にはのんびりとした生活があったと想像します。小説やドラマでは事件が毎週のように起こりますが現実の生活では変化が少ない淡々とした暮らしぶりだったでしょう。
印象的だった文節として、
源家は昔から親子兄弟の仲が悪かった。
幾度か出てくる仙洞御所は見学したことがあるので話を身近に感じることができました。
難しい言葉がたくさんです。
調べた言葉として、
御薨去(ごこうきょ):皇族、身分の高い人(三位(さんみ)以上)の死去
御台所さま(みだいどころさま):貴人(大臣、将軍)の妻。前権大納言坊門(さきのごんだいなごんぼうもん)の娘十三歳で輿入れ(こしいれ)、実朝も同い年。
問注所(もんちゅうじょ):訴訟事務の所管。担当者として、善信入道(ぜんしんにゅうどう):三善康信。
夢寐(むび):寝ても覚めても。
嬋娟(せんけん):あでやかで美しい容姿
手弱女(たおやめ):なよなよと優美な女性
吾妻男(あづまおとこ):江戸の男
首肯(しゅこう):うなずく。
和子(わこ):身分の高い人の男の子ども。坊ちゃん
帰依(きえ):神仏にすがる。
巷間(こうかん):世間、ちまた
功徳(くどく):宗教用語。将来、幸福をもたらす善い行い。
喧伝(けんでん):盛大に言いふらす宣伝
守護・地頭:守護は軍事・警察担当。地頭(じとう)は年貢の取り立て担当
諷諫(ふうかん):遠回しに忠告する。
落飾(らくしょく):高貴な人が髪を落として仏門に入る。
覬覦(きゆ):身分不相応なことを望む。
諱(いみな):生前の実名
嬖姫(へいき):主人に寵愛されている女性。この場合、北条政子の夫である源頼朝が愛した妻以外の女性
弑逆(しいぎゃく):臣下や子どもが主君や親を殺すこと。
款状(かじょう):嘆願書。官位や恩賞を望む内容
奸賊(かんぞく):憎むべき悪者
寛恕(かんじょ):広い心でお許しください。ごかんべんください。
宥免(ゆうめん):罪を軽くするなどして罪を許すこと。
天稟(てんぴん):生まれつきの才能
驕慢(きょうまん):おごり高ぶって人を見下し勝手なことをする。
推参(すいさん):自分のほうから出かけていくこと。
あばた:痘瘡が治った後の皮膚に残る小さなくぼみ
「惜別」
戦後、昭和20年9月の刊行です。
中国(当時は清国しんこく)からの留学生、のちに小説家になった魯迅(ろじん。1881年-1936年、55歳没。日本留学当時は24歳)と現在の東北大学医学部(当時は仙台医専)で解剖学を教えていた藤野源九郎教授、そして、魯迅と同級生であった田中卓という今では老医師に作者がなりかわって40年ぐらい前の学生時代の思い出が語られます。
現在からカウントするともう116年ぐらい前の出来事です。文章にはそのころの宮城県仙台市の風景が広がっています。
魯迅については小学生の頃に漫画で読んだことがありますが詳細な記憶は残っていません。
その当時の魯迅の名前は、「周樹人」です。老医師田中と魯迅は宮城県松島の旅館で一夜をすごして社会での世情とか国の未来とかこれまでのこととかの深い話をしています。
印象的だった文節の一部として、
孤独な渡り鳥。帰る故郷がない。孤独と寂寥(せきりょう。心が満ち足りなく物悲しい)に堪えかねて(たえかねて)中国の西湖(さいこ。浙江省杭州市)に似た風景として宮城県松島の風景をこっそり見に来る。
当時の魯迅氏と田中氏の共通点として「貧困」と「勉学」があります。
大量の文章がページに広がるようになって苦痛なので流し読みに入ります。
慶長十八年支倉六右衛門常長(はせくらろくえもんつねなが)ローマ派遣使節団:1571年-1622年、51歳没。慶長遣欧使節団を率いて、ヨーロッパまで渡航した。1613年-1620年帰国
康有為一派の改善主義:清国生まれの政治家。1858年-1927年。70歳没
孫文の民族革命の思想:1866年-1925年。58歳没。革命家、政治家、中華民国の国父
魯迅氏の自国民を思うまじめさがあります。
メッセージとしては、中国国民のためになることをしたい。そのためには、医学ではなく文芸で庶民の心の教育をしたいというものでした。(そして彼は文豪と呼ばれるようになりました)
歴史書を読むようですが、資料を収集して創作してあるので事実とはいえない想像の世界でもあります。
いくつかの印象的だった文節の趣旨などとして、
「日本では支那(中国)を儒教の国と思っているようですが、支那は道教の国です。」
「温情はつらくていけません」
「ぼくはいま政治よりも教育のほうに関心を持っているのです。」
「今の支那にとって大事なのは身体の強健ではない。精神の改革です。…… おかげで焦点が決まった。僕はすぐ医学をやめて帰国します。…… 帰国して弟と一緒に文芸雑誌を出します」
調べた言葉として、
覬覦(きゆ):身分不相応なことを望む。
韜晦(とうかい):本心、才能、地位を隠す
醞醸(うんじょう):心の中にあるある感情が次第に固まっていくこと。
刪節(さんせつ):(調べましたがよくわかりません)物まねみたいなことのように受け取りました。
瞥見(べっけん):ちらっと見る。
辮髪(べんぱつ):髪型。そりあげて、しっぽのような結った(ゆった)髪だけを残す。中国人留学生がその髪をぐるぐるまきにしてから学校の制帽をかぶっていたそうです。
鞠躬如(きつきゅうじょ):身をかがめて、慎みかしこまるようす。
鴃舌(げきぜつ):外国人の話す意味の分からない言葉をさげすんで言う言葉
望蜀(ぼうしょく):ひとつの望みがかなうとその先をまた望む。
侠客(きょうかく):強気をくじき弱気を助けるという義侠心(ぎきょうしん)をもって、人の窮地を救う集団
義気(ぎき):正しいことを守り行おうとする積極的な気持ち
悠遠靉靆(ゆうえんあいたい):時間的、空間的に、遥かに遠いこと。
爾来(じらい):それからのち
戦中、戦後、これらの作品をどんな人が読んだのだろう。むずかしい。
文庫のタイトルは、「惜別」です。収録は二作品です。
まずは、最初にある「右大臣実朝」のほうから読みます。
「右大臣実朝」
昭和18年9月の刊行です。
源実朝(みなもとのさねとも):1192年-1219年 26歳没 鎌倉時代初期 12歳で鎌倉幕府の三代目の征夷大将軍に就く。源頼朝と北条政子の子。二代将軍であった兄の源頼家(みなもとのよりいえ)の子で僧侶の公暁(くぎょう)に鎌倉の鶴岡八幡宮で暗殺された。歌人。
新古今和歌集:鎌倉時代の和歌集。天皇や上皇の命で編纂(へんさん。集められ整理され、まとめられた)された。
物語は、右大臣実朝が亡くなってから20年後という設定で、女性の語りで始まります。ふたりの初対面は、語り手の女性が12歳で、実朝は年上の十代のようです。作者が女性にのりうつる記述方式です。
二十年前の御家人(ごけにん。鎌倉幕府と主従関係を結んだ従者)メンバーとして、
武蔵野神親弘(むさしのかみちかひろ)
左衛門大夫時弘(さえもんのたいふときひろ)
前駿河守季時(さきのするがのかみすえとき)
秋田城介景盛(あきたじょうのすけかげもり)
隠岐守行村(おきのかみゆきむら)
大夫尉景廉(たいふのじょうかげかど)
実朝は12歳の時に疱瘡(ほうそう:天然痘てんねんとう)の病気をした。
清綱(きよつな):将軍の妻の御付きの侍
老中和田左衛門尉(和田左衛門尉義盛)
ちょっとむずかしいので、巻末の解説を読みました。解説者は、奥野健男氏
昭和18年、戦地中の出版です。戦時中であるがゆえにさまざまな制約があって、言論の自由はなく、されど、そういった状況の中でも太宰治氏は何冊も本を出しています。底力があります。
金槐和歌集(きんかいわかしゅう):源実朝の歌集
年号が承元(じょうげん。1207年-1211年)のころ、地震が多かったようです。将軍が源実朝(承元五年で二十歳)、執権が北条義時です。(2022年の大河ドラマの主役になるようです)
明日香井雅経(あすかいまさつね):1170年-1221年 公家(朝廷に仕える貴族)の高官。歌人
鴨長明(かものちょうめい):1155年-1216年 随筆家 方丈記(ほうじょうき)
気に入った文章として、
「魚の心は、水の底に住んでみなければわかりませぬ。鳥の心も樹上の巣に生涯を託してみなければ、わかりませぬ……」
(つづく)
いま中盤あたりを読んでいますが、けっこうむずかしい。ページ全体にびっしりと文字が書いてあって文章量が多く、わからない言葉もたくさんです。少し流し読むようにして進めてみます。和歌の解説も出てくるようになりました。
執権相州さま:執権北条義時。北条時政の子ども。執権は、鎌倉幕府で鎌倉殿(将軍)を助け政務を統轄した。源頼朝の妻北条政子の父北条時政から始まる。次が次男の北条義時。このときに源実朝が暗殺された。朝廷と対立して朝廷に勝利した承久の乱にからんでいる。
古文書の現代語訳と解説とストーリー化を読んでいるようです。むずかしくて内容が理解できません。戦時中だれがこの話を読んだのだろうか。
言葉の意味調べで終わってしまいそうです。
修理亮泰時(しゅうりのすけやすとき):北条義時の長男
新兵衛尉朝盛(しんひょうえのじょうとももり):一族のひとり
和田平太胤長(わだへいたたねなが):御家人。和田義盛の甥
なにか内輪もめの事件のことが書いてあるのですが言葉がむずかしくて理解できません。単語の意味調べだけが続きます。
泉親衡の乱(いずみちかひらのらん)について書いてあるようです。1213年の内乱。当時の将軍が源実朝で、執権が北条義時でした。
栄西(えいさい):1141年-1215年 臨済宗の開祖
広元入道:大江広元。源頼朝の側近。鎌倉幕府の創設に貢献した。
厩戸の皇子(うまやどのこうし):聖徳太子
陳和卿(ちんわけい):中国南宋出身の工人(こうじん。工作をする労働者)。
重源上人(ちょうげんしょうにん):僧侶
読みながら鎌倉時代の状態を想像しました。領地をはじめとした富と権力を求めて親族内、あるいは幕府組織内で内乱がある。不安定です。
朝廷があって、公家がいて、武士がいる。農林水産業に従事する庶民がいる。
基本的にはのんびりとした生活があったと想像します。小説やドラマでは事件が毎週のように起こりますが現実の生活では変化が少ない淡々とした暮らしぶりだったでしょう。
印象的だった文節として、
源家は昔から親子兄弟の仲が悪かった。
幾度か出てくる仙洞御所は見学したことがあるので話を身近に感じることができました。
難しい言葉がたくさんです。
調べた言葉として、
御薨去(ごこうきょ):皇族、身分の高い人(三位(さんみ)以上)の死去
御台所さま(みだいどころさま):貴人(大臣、将軍)の妻。前権大納言坊門(さきのごんだいなごんぼうもん)の娘十三歳で輿入れ(こしいれ)、実朝も同い年。
問注所(もんちゅうじょ):訴訟事務の所管。担当者として、善信入道(ぜんしんにゅうどう):三善康信。
夢寐(むび):寝ても覚めても。
嬋娟(せんけん):あでやかで美しい容姿
手弱女(たおやめ):なよなよと優美な女性
吾妻男(あづまおとこ):江戸の男
首肯(しゅこう):うなずく。
和子(わこ):身分の高い人の男の子ども。坊ちゃん
帰依(きえ):神仏にすがる。
巷間(こうかん):世間、ちまた
功徳(くどく):宗教用語。将来、幸福をもたらす善い行い。
喧伝(けんでん):盛大に言いふらす宣伝
守護・地頭:守護は軍事・警察担当。地頭(じとう)は年貢の取り立て担当
諷諫(ふうかん):遠回しに忠告する。
落飾(らくしょく):高貴な人が髪を落として仏門に入る。
覬覦(きゆ):身分不相応なことを望む。
諱(いみな):生前の実名
嬖姫(へいき):主人に寵愛されている女性。この場合、北条政子の夫である源頼朝が愛した妻以外の女性
弑逆(しいぎゃく):臣下や子どもが主君や親を殺すこと。
款状(かじょう):嘆願書。官位や恩賞を望む内容
奸賊(かんぞく):憎むべき悪者
寛恕(かんじょ):広い心でお許しください。ごかんべんください。
宥免(ゆうめん):罪を軽くするなどして罪を許すこと。
天稟(てんぴん):生まれつきの才能
驕慢(きょうまん):おごり高ぶって人を見下し勝手なことをする。
推参(すいさん):自分のほうから出かけていくこと。
あばた:痘瘡が治った後の皮膚に残る小さなくぼみ
「惜別」
戦後、昭和20年9月の刊行です。
中国(当時は清国しんこく)からの留学生、のちに小説家になった魯迅(ろじん。1881年-1936年、55歳没。日本留学当時は24歳)と現在の東北大学医学部(当時は仙台医専)で解剖学を教えていた藤野源九郎教授、そして、魯迅と同級生であった田中卓という今では老医師に作者がなりかわって40年ぐらい前の学生時代の思い出が語られます。
現在からカウントするともう116年ぐらい前の出来事です。文章にはそのころの宮城県仙台市の風景が広がっています。
魯迅については小学生の頃に漫画で読んだことがありますが詳細な記憶は残っていません。
その当時の魯迅の名前は、「周樹人」です。老医師田中と魯迅は宮城県松島の旅館で一夜をすごして社会での世情とか国の未来とかこれまでのこととかの深い話をしています。
印象的だった文節の一部として、
孤独な渡り鳥。帰る故郷がない。孤独と寂寥(せきりょう。心が満ち足りなく物悲しい)に堪えかねて(たえかねて)中国の西湖(さいこ。浙江省杭州市)に似た風景として宮城県松島の風景をこっそり見に来る。
当時の魯迅氏と田中氏の共通点として「貧困」と「勉学」があります。
大量の文章がページに広がるようになって苦痛なので流し読みに入ります。
慶長十八年支倉六右衛門常長(はせくらろくえもんつねなが)ローマ派遣使節団:1571年-1622年、51歳没。慶長遣欧使節団を率いて、ヨーロッパまで渡航した。1613年-1620年帰国
康有為一派の改善主義:清国生まれの政治家。1858年-1927年。70歳没
孫文の民族革命の思想:1866年-1925年。58歳没。革命家、政治家、中華民国の国父
魯迅氏の自国民を思うまじめさがあります。
メッセージとしては、中国国民のためになることをしたい。そのためには、医学ではなく文芸で庶民の心の教育をしたいというものでした。(そして彼は文豪と呼ばれるようになりました)
歴史書を読むようですが、資料を収集して創作してあるので事実とはいえない想像の世界でもあります。
いくつかの印象的だった文節の趣旨などとして、
「日本では支那(中国)を儒教の国と思っているようですが、支那は道教の国です。」
「温情はつらくていけません」
「ぼくはいま政治よりも教育のほうに関心を持っているのです。」
「今の支那にとって大事なのは身体の強健ではない。精神の改革です。…… おかげで焦点が決まった。僕はすぐ医学をやめて帰国します。…… 帰国して弟と一緒に文芸雑誌を出します」
調べた言葉として、
覬覦(きゆ):身分不相応なことを望む。
韜晦(とうかい):本心、才能、地位を隠す
醞醸(うんじょう):心の中にあるある感情が次第に固まっていくこと。
刪節(さんせつ):(調べましたがよくわかりません)物まねみたいなことのように受け取りました。
瞥見(べっけん):ちらっと見る。
辮髪(べんぱつ):髪型。そりあげて、しっぽのような結った(ゆった)髪だけを残す。中国人留学生がその髪をぐるぐるまきにしてから学校の制帽をかぶっていたそうです。
鞠躬如(きつきゅうじょ):身をかがめて、慎みかしこまるようす。
鴃舌(げきぜつ):外国人の話す意味の分からない言葉をさげすんで言う言葉
望蜀(ぼうしょく):ひとつの望みがかなうとその先をまた望む。
侠客(きょうかく):強気をくじき弱気を助けるという義侠心(ぎきょうしん)をもって、人の窮地を救う集団
義気(ぎき):正しいことを守り行おうとする積極的な気持ち
悠遠靉靆(ゆうえんあいたい):時間的、空間的に、遥かに遠いこと。
爾来(じらい):それからのち
戦中、戦後、これらの作品をどんな人が読んだのだろう。むずかしい。
この記事へのトラックバックURL
http://kumataro.mediacat-blog.jp/t141454
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません