2020年11月24日
家族じまい 桜木紫乃
家族じまい 桜木紫乃 集英社
2019年の作品で、第一章から第五章まで、各章に女性の名前のタイトルが付いています。
「第一章 智代」
どこにでもある家族内のありようです。
智代48歳カットサロンでアルバイトをする理髪師。10歳年上の夫である啓介が転勤職で北海道内の市町村を転々と移り住んできて結婚25年が経過したところです。長男も長女もすでに家を出ています。
夫の頭に10円ハゲを発見したところから話が始まります。
北海道ですから雪景色があります。
読み終えてみて、しみじみとはするのですが、気持ちが暗くなりました。
智代の疎遠だった母親が認知症になって、めんどうをみている妹夫婦が限界だと弱音をはいて連絡してきます。母親のめんどうをみる老いた父親の姿もあります。
なかなか書けない文章表現が光ります。
(両家の親は)「誰の世話にもならない」と言っていたという言葉
「諦めの連続が生活」
「無感動という武器」
「風のような男と一緒に移動し続けていた(転勤職の夫)」
「子供たちからも連絡はなく、お互いの実家に電話も入れていない」
「実家の両親と妹夫婦のあいだにあった親密さに頼りきって……」
「パパ、電話。誰かわかんないけど家に来たいって」(実家に電話をかけても認知症の実母から存在を忘れられた長女です)
「(智代の夫の十円はげに気づいた父親が)うまいもん食わせてやれ」
調べた言葉として、
ルイスボスティー:南アフリカ起源のお茶
「陽紅(ようこ)」
ちょっと変わったお話です。
農協の窓口で働く陽紅さんというのは、30歳前後の女性で、母親が名付けた時のよみがなは、「ピンク」です。その後本人がいやがって、「ようこ」としています。
母親がユニークです。5回結婚してすべて離婚しています。それも理由はどちらかといえば母親の気分の都合です。幸せな状態でも別れています。
そして、陽紅にも離婚歴があり、今回、見合いをするようですが、80代の両親と同居する見合い相手の男性の年齢が55歳で、陽紅の母親と同い年なのです。
お金で女性を嫁として買うようなお話です。
55歳の夫は妻となった若い陽紅を抱けません。それなのに老いた両親からは孫を強く求められます。財産があるから後継ぎが欲しいのです。
内容はプロの作家の構成です。恐れ入りました。ありえなさそうな話ですが受け入れることはできます。
重苦しいことが特徴の短編群となっています。女性の生き方、暮らしに関する内容です。
調べた言葉として、
オーベルジュ:郊外や地方にある宿泊施設を備えたレストラン
「乃理」
最初に出た智代さんの妹が乃理さんで函館に住んでいます。44歳アルバイトをしている主婦です。
だんだん名前や親族構成が明らかになっていきます。
乃理さん宅は、夫婦と三人の子どもという家族構成で、高校、中学、小学校のこどもたちがいて、生活費に余裕はありません。
認知症になった母親の話とか両親に距離を置いてきた姉である智代さんの話などが出ます。いまは、幸せそうには見えません。生活に追われています。
釧路の両親を引き取り函館に親のお金で二世帯住宅を買いふた家族がいっしょに暮らし始めましたが、うまくいっているようで、うまくはいっていません。
乃理さんはがんばりすぎて、頭がおかしくなってキッチンドリンカーのアルコール依存症になっていますが、本人に自覚がありません。おそろしい。
これまでに読んだ「章」を含めて、いくつかの「不幸」があります。これからどうなるのだろう。
印象的だった文章表現などの趣旨として、
夫の「何ひとつ間違っていない言動」が妻にとってはきつい。
女房に触りもしない家族は夫であっても男ではない。男であっても息子のようなもの。
姉妹の中から親に選ばれた娘への褒美が「家」だった。
調べた言葉として、
心の裡(うち):心の状態
惹句(じゃっく):キャッチコピー、キャッチフレーズ、人心を瞬間的に惹きつける短い言葉
「紀和」
話は暗くなって、暗いまま続いていきます。
紀和さんは35歳ぐらいの年齢で、プロのサックス奏者でジャズ演奏をしている独身女性です。母親と同居していますが、両親は離婚していて、別れた父母の橋渡し役を娘の紀和さんがしています。
紀和さんに江別市に住む智代と函館市に住む乃理の釧路市に住む両親(老夫婦で妻が認知症)がからんできます。
響いた表現として、
(離婚後のこどもは)「家族が壊れたあとに「残ってしまった」ものなのか、あるいは、「残したものなのか」」
お互いに過去があって、現在がある。されど、老夫婦の未来は危うい。
かなりつらい老夫婦の思い出話です。
調べた言葉として、
セルマー:フランスの楽器メーカー
辛辣(しんらつ):手厳しい批判。言われた方が動揺したり傷ついたりする。
「登美子」
この章を含めて、物語の全体を読み終えました。『人間とは何か』を突き詰めるテーマでした。
登美子さんは、認知症になっている智代の実母の姉です。
親族関係が、過去のいざこざによる対立が原因で疎遠になっているのですが、今現在、高齢である親世代はお迎えの時期を迎えていて、子ども世代は知らん顔ができない立場なのですが、いわゆる姥捨て山状態が発生しています。老いた親のめんどうをみきれません。
心に響いた文節として、
「八十を過ぎれば便りのないのは死んだという報せ(しらせ)だろうか」
「やっぱり母さんって情がないよね……」
親は何もしてくれなかった。わたしは、自分の力で生きてきたという趣旨のこどもの言葉
親戚縁者との関わりを温めて来なかったことの末に現在の気楽な暮らしがある。
(認知症の妻を世話していて、夫が)「毎日毎日、振り出しなんだ」
読み終えてかなり暗い気持ちになりました。光がほしい。
2019年の作品で、第一章から第五章まで、各章に女性の名前のタイトルが付いています。
「第一章 智代」
どこにでもある家族内のありようです。
智代48歳カットサロンでアルバイトをする理髪師。10歳年上の夫である啓介が転勤職で北海道内の市町村を転々と移り住んできて結婚25年が経過したところです。長男も長女もすでに家を出ています。
夫の頭に10円ハゲを発見したところから話が始まります。
北海道ですから雪景色があります。
読み終えてみて、しみじみとはするのですが、気持ちが暗くなりました。
智代の疎遠だった母親が認知症になって、めんどうをみている妹夫婦が限界だと弱音をはいて連絡してきます。母親のめんどうをみる老いた父親の姿もあります。
なかなか書けない文章表現が光ります。
(両家の親は)「誰の世話にもならない」と言っていたという言葉
「諦めの連続が生活」
「無感動という武器」
「風のような男と一緒に移動し続けていた(転勤職の夫)」
「子供たちからも連絡はなく、お互いの実家に電話も入れていない」
「実家の両親と妹夫婦のあいだにあった親密さに頼りきって……」
「パパ、電話。誰かわかんないけど家に来たいって」(実家に電話をかけても認知症の実母から存在を忘れられた長女です)
「(智代の夫の十円はげに気づいた父親が)うまいもん食わせてやれ」
調べた言葉として、
ルイスボスティー:南アフリカ起源のお茶
「陽紅(ようこ)」
ちょっと変わったお話です。
農協の窓口で働く陽紅さんというのは、30歳前後の女性で、母親が名付けた時のよみがなは、「ピンク」です。その後本人がいやがって、「ようこ」としています。
母親がユニークです。5回結婚してすべて離婚しています。それも理由はどちらかといえば母親の気分の都合です。幸せな状態でも別れています。
そして、陽紅にも離婚歴があり、今回、見合いをするようですが、80代の両親と同居する見合い相手の男性の年齢が55歳で、陽紅の母親と同い年なのです。
お金で女性を嫁として買うようなお話です。
55歳の夫は妻となった若い陽紅を抱けません。それなのに老いた両親からは孫を強く求められます。財産があるから後継ぎが欲しいのです。
内容はプロの作家の構成です。恐れ入りました。ありえなさそうな話ですが受け入れることはできます。
重苦しいことが特徴の短編群となっています。女性の生き方、暮らしに関する内容です。
調べた言葉として、
オーベルジュ:郊外や地方にある宿泊施設を備えたレストラン
「乃理」
最初に出た智代さんの妹が乃理さんで函館に住んでいます。44歳アルバイトをしている主婦です。
だんだん名前や親族構成が明らかになっていきます。
乃理さん宅は、夫婦と三人の子どもという家族構成で、高校、中学、小学校のこどもたちがいて、生活費に余裕はありません。
認知症になった母親の話とか両親に距離を置いてきた姉である智代さんの話などが出ます。いまは、幸せそうには見えません。生活に追われています。
釧路の両親を引き取り函館に親のお金で二世帯住宅を買いふた家族がいっしょに暮らし始めましたが、うまくいっているようで、うまくはいっていません。
乃理さんはがんばりすぎて、頭がおかしくなってキッチンドリンカーのアルコール依存症になっていますが、本人に自覚がありません。おそろしい。
これまでに読んだ「章」を含めて、いくつかの「不幸」があります。これからどうなるのだろう。
印象的だった文章表現などの趣旨として、
夫の「何ひとつ間違っていない言動」が妻にとってはきつい。
女房に触りもしない家族は夫であっても男ではない。男であっても息子のようなもの。
姉妹の中から親に選ばれた娘への褒美が「家」だった。
調べた言葉として、
心の裡(うち):心の状態
惹句(じゃっく):キャッチコピー、キャッチフレーズ、人心を瞬間的に惹きつける短い言葉
「紀和」
話は暗くなって、暗いまま続いていきます。
紀和さんは35歳ぐらいの年齢で、プロのサックス奏者でジャズ演奏をしている独身女性です。母親と同居していますが、両親は離婚していて、別れた父母の橋渡し役を娘の紀和さんがしています。
紀和さんに江別市に住む智代と函館市に住む乃理の釧路市に住む両親(老夫婦で妻が認知症)がからんできます。
響いた表現として、
(離婚後のこどもは)「家族が壊れたあとに「残ってしまった」ものなのか、あるいは、「残したものなのか」」
お互いに過去があって、現在がある。されど、老夫婦の未来は危うい。
かなりつらい老夫婦の思い出話です。
調べた言葉として、
セルマー:フランスの楽器メーカー
辛辣(しんらつ):手厳しい批判。言われた方が動揺したり傷ついたりする。
「登美子」
この章を含めて、物語の全体を読み終えました。『人間とは何か』を突き詰めるテーマでした。
登美子さんは、認知症になっている智代の実母の姉です。
親族関係が、過去のいざこざによる対立が原因で疎遠になっているのですが、今現在、高齢である親世代はお迎えの時期を迎えていて、子ども世代は知らん顔ができない立場なのですが、いわゆる姥捨て山状態が発生しています。老いた親のめんどうをみきれません。
心に響いた文節として、
「八十を過ぎれば便りのないのは死んだという報せ(しらせ)だろうか」
「やっぱり母さんって情がないよね……」
親は何もしてくれなかった。わたしは、自分の力で生きてきたという趣旨のこどもの言葉
親戚縁者との関わりを温めて来なかったことの末に現在の気楽な暮らしがある。
(認知症の妻を世話していて、夫が)「毎日毎日、振り出しなんだ」
読み終えてかなり暗い気持ちになりました。光がほしい。
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