2020年10月04日

晩年 太宰治

晩年 太宰治 新潮文庫

 タイトルは「晩年」ですが、晩年という作品はありません。以下の15短編の総称を「晩年」としてあります。

最初は、「解説」奥野健男氏から
 昭和11年(1936年)6月25日砂小屋書房から刊行された。本人27歳ぐらいです。
 第一創作集の総題が、「晩年」
 昭和7年、8年、本人が23歳、24歳のころの執筆だろうということです。
 太宰は、エラン・ヴィタールに不足していた。(哲学用語。生命の躍動と飛翔)
 マルキシズム:マルクス主義。社会主義
 アフォリズム:格言、教訓、金言、手本
 デフォルメ:変形、歪曲、誇張、省略

 もう90年ぐらい前の作品群です。

「葉」
 「死のうと思っていた。」から始まります。
 内容は、難解です。江戸時代のような言葉づかいです。
 作者が、女性(中年ぐらい)に憑依(ひょうい。のりうつる)して語ります。
 この時代にも「東京の新宿」は存在します。
 芸者が客人と相撲遊びをします。暗に、作者には、金持ちを責める意識があります。
 富本のお稽古:とみもとのおけいこ。富本は浄瑠璃

 作者は、社会主義者で資本家嫌いなのですが、作者の生れは、資本家のこどもということで悩んでいるというふうにとれます。

 プロレタリアアト:プロレタリアート。資本主義における賃金労働者階級
 ブルジョアジイ:中産階級
 メフィストフェレス:悪魔

「思い出」
 5才、6才ぐらいのとき、「がちゃ」と呼ぶおばさんに育てられた。主人公はがちゃに、「そうしないでけんせ」と言って泣いていたそうです。それから、たけと呼ぶ女中に育てられた。8才のころ、14才か15才の子守りに育てられた。小学2年生、3年生ぐらいのときは嘘ばかりついていた。父母は東京に住んでいたので、主人公は、父母に育ててもらった体験がありません。兄が三人、姉が四人、弟一人できょうだいがたくさんです。きょうだい仲がいいわけでもないようです。
 以前、青森にある太宰治氏の生家を訪問したことがあるので、イメージが湧きました。あの大きなお屋敷の中で、父の愛も母の愛もありません。孤独な気持ちですごしていたのでしょう。小学2年生、3年生のころまで、母を知らなかったと記述があります。
 明治42年生まれです。うちの亡祖父が明治40年生まれでしたから久しぶりに祖父のことを思い出しました。記述は明治天皇崩御から始まっています。
 さくらどり:ニワトリ
 屋根瓦をはぐと雀の卵がたくさん出てきたという記述があり、そういえば、社宅の長屋の屋根のふきかえのときにそういうことがあったとこれまた遠い記憶がよみがえりました。
 
 死を覚悟して書いている文章です。

 自矜(じきょう):自慢。自分を誇ること。

 読んでいて、おもしろいかと問われれば、おもしろくはない。つまらなかと問われれば、つまらなくもない。淡々と続くこどものころの思い出話です。

 印象に残った文節として、「その当時の私にとって、どんな本でも休養と慰安であった」「作家になろう、作家になろう、と私はひそかに願望した」

 ラスト付近は、ぼんやりとして、物悲しかった。

「魚服記 ぎょふくき」
 ぎょふくきの意味がとれないのですが、読みました。
 話の流れとしては、スワという少女が滝に飛び込んで鮒(フナ)になることから、魚になることを魚服というのかもというところです。
 出だしは、青森の北部の山脈にあるところです。文章は短いものです。
 父親と娘がいて観光客相手の土産屋をしている。今年の夏、滝登りをしていて転落死した若者が紹介されます。
 その後は、親子の生活苦の話があります。
 記述は、死にたくなる文学です。

「列車」
 こちらも短い文章です。1932年(昭和7年)です。
 東京上野駅で青森行きの蒸気機関車を見送ります。相手は友人の彼女で東京にいる汐田さんという人と結婚したかったテツさんです。テツさんは、貧しい家の生れの人なので、裕福な家の生れの汐田さんとは結婚は不承知だと汐田さんの父親が言ったのです。貧富の差の差別があります。
 主人公は社会主義者だった過去があるそうです。いまはそれをやめて妻がいます。
 なにかしらわびしい。
 女性の帰郷の見送りです。

「地球図」
 1700年ころ、江戸時代、近松門左衛門とか、松尾芭蕉、忠臣蔵事件があった元禄文化の華やかなころだと思いますが、日本に漂着したイタリア人宣教師39歳ぐらいが獄死した経過の記述です。当時は、イタリア語が通じなかったらしく、オランダ人にも日本人通訳にも言葉が通じず宣教師は孤独に死んでいきます。名前をヨワン・バッティスタ・シロオテといいます。わたしは、ヨワンと太宰治氏を重ねながら読みました。通じなかったのは津軽弁です。
 ヨワンは、鹿児島県屋久島で帆船とはぐれたようです。
新井白石:1657年-1725年 江戸幕府旗本、政治家、朱子学者

「猿ヶ島」
 最初にイメージしたのは、桃太郎の「鬼ヶ島」みたいなもの(違っていました)
 次にイメージしたのは、前作の「地球図」の続き。主人公が無人島らしき島ににたどり着きます。そこで、猿と出会います。猿はしゃべるのです。主人公はイタリア人キリスト教宣教師で、しゃべる猿は日本人だろうかと考えました。(違っていました) 
 その次に思いついたのが、もしかしたら主人公自身も猿なのではないか。(当たっていました。でもまだ正確ではありません)
 猿には種類があるらしい。ふるさとが違うという話が出ます。太宰治氏のふるさとは青森県です。
 瞳の青い人間が歩いているそうです。やっぱり、外国人だ。宣教師に違いない。(外国人は当たっていましたが、宣教師ではありませんでした)
 困却(こんきゃく):困り果てた。
 結論として、動物園の猿山の光景でした。そういうことか。
 1896年、明治29年、イギリスのロンドンにある動物園の出来事です。事実として、二匹の日本猿が遁走したそうです。遁走(とんそう):逃げ出すこと。

「雀こ」
 太宰治氏の師匠である井伏鱒二氏へのメッセージです。
 「からす」の詩です。
 野火:野焼きの火
 雀がほしいそうです。
 津軽弁で書いてあるので意味をだいたいしか理解できかねます。
 どうも、すずめっこはちいさなこどものことのようです。
 養子、養女がほしいという話だろうか。ちょっとわかりかねます。
 なんだろう。外国の…… なんだったけ。妖怪話のようなシリーズものの(思い出せません)
 巻末の解説を読みました。どうもからすが太宰治氏で、すずめはほかのこどもたちで、太宰少年は仲間外れでさびしいということらしい。

「道化の華」
 試験的に書いた小説のような形になっています。文中に小説の設定とか運びのことが書かれています。文章に若さを感じます。総合タイトルは、「晩年」ですが、駆け出しの小説家のような書き方です。素材は、自身の心中話(鎌倉で薬物による心中を図り、夫がある女性18歳の園(その)だけが死亡。自身は生き残った)です。自己中心的でひとりよがり(周囲にいる人の気持ちを考えず押し通す)な感じもする文章です。ゆえに、本人が、「僕が長生きして、幾年かのちにこの小説を手に取るようなことでもあるならば、僕はどんなにみじめだろう」と記述があります。
 主人公は、太宰治という名前ではなくて、たしか、作品「人間失格」に出ていた「大庭葉蔵(おおばようぞう)」です。本作品では、若い洋画家となっています。
 心中後入院している病院の看護婦が二十歳ぐらいの真野、それから、見舞客の彫刻家をしている中学時代からの友人飛騨、主人公より三歳年下の親せき大学生小菅、事後処理に来た主人公の兄34才(弟の自殺ほう助の罪をもみ消したい)、そのほか、病院長、警察職員などが登場します。

 ちょっと太宰治氏自身の事件簿を整理します。
1923年(大正12年)14歳。父死亡
1925年(大正14年)16歳。このころより作家を志望
1927年(昭和2年)18歳。芥川龍之介の自殺にショックを受ける。青森の芸妓小山初代(おやまはつよ)と知り合う。
1929年(昭和4年)20歳。共産主義に影響を受ける。自分自身が資産階級の人間であることに悩み薬物自殺未遂を起こす。
1930年(昭和5年)21歳。東京大学仏文科に入学。井伏鱒二に出会い師事する。銀座のカフェの女給田辺シメ子と鎌倉で薬物心中自殺を図り女性は亡くなり本人は生き残る。(このときのことが、本作品の素材になっています)本作品は昭和10年に発表されていますから、当時作者は24歳ぐらいでした。
1931年(昭和6年)22歳。青森から上京してきた小山初代と同棲。
1932年(昭和7年)23歳。作品「思い出」を書き始める。
1933年(昭和8年)24歳。初めて、太宰治名で作品「列車」をサンデー東奥に発表。
1935年(昭和10年)26歳。作品「逆光」が第一回芥川賞候補作となる。(次席)
1936年(昭和11年)27歳。薬物中毒で入院。作品「晩年」を刊行
1937年(昭和12年)28歳。小山初代と薬物自殺未遂。ふたりとも助かる。ふたりは別れた。
1938年(昭和13年)29歳。井伏鱒二の仲介で石原美智子と婚約
1939年(昭和14年)30歳。石原美智子と結婚。東京府下三鷹村で以降暮らす。
1941年(昭和16年)32歳。長女誕生。徴用は胸部疾患のため免除。歌人、作家の太田静子と出会う。
1944年(昭和19年)35歳。作品「津軽」執筆のため津軽地方を旅行し、作品完成
1947年(昭和22年)38歳。神奈川県の太田静子宅を訪ねる。太田静子は愛人。作品「斜陽」を書き始める。次女誕生。のちに心中する美容師の山崎富栄(やまざきとみえ)と知り合う。太田静子との間に女児誕生。
1948年(昭和23年)39歳。作品「人間失格」を執筆。未完成作品として、「グッド・バイ」6月13日山崎富栄と玉川上水に入水(じゅすい。水中に身を投げて自殺する)同月19日にふたりの遺体が発見された。

 精神的に急速に老成していく印象があります。

 作品はさみしい出だしです。「友はみなはなれ、かなしき眼をもて(もって)僕を眺める」から始まります。
 自身を「鵜の真似をする烏(うのまねをするからす)」とたとえます。自分の能力を考えずに自分より実力のある物の物まねをするという意味です。この場合は、鵜は水にもぐって魚を捕りますが、からすにはそれは無理です。

 なにもかもさらけ出す作風です。

 ゆえに、鎌倉から見える富士山に作者は思い入れがあったのでしょう。本作品では富士山は雲に隠れて見えなかったようで、代わりに江の島が見えています。

 調べた言葉などとして、
一嚬一笑(いっぴんいっしょう):ちょっと顔をしかめたり、笑ったりする。
紀念(きねん):記念と同じ意味
ポンチ画:明治時代の浮世絵の一種。こっけい、風刺を含んだマンガ
アカデミイ:学術団体、学会
魚籃(ぎょらん):魚を入れる籠

 気に入った文節として、
本の嘘読み
大庭のやつは、世界じゅうの女をみんな欲しがっている。
このまま他人になったほうがいい。

 これを読んでいて思い浮かんだのですが、最近は芸能人の自殺が多い。やっぱり孤独なのでしょう。つらくなったら世間体を気にせず仕事を休むか辞めたほうがいい。芸能界以外でも仕事はあります。なかなか伝わらないとは思いますが。

 もうひとつ思い浮かんだのは、作者の言動が当時の世相で売れたのは、マスコミによってつくられたブーム(流行)ではなかったか。人々の気を引くおもしろおかしい記事とされたのではないか。出版社にとって利益を生む人間として作者は利用されたのではないか。そして、本人は心身を消耗してしまった。この時代と今の時代を並べて共通する現象があります。マスコミの報道に誘導されない賢い人でありたい。

「猿面冠者(さるめんかじゃ)」
 冠者:元服をして冠をつけた若者
 慧眼(けいがん):物事の本質を鋭く見抜く力
 コンフィテオール:ミサ(礼拝)音楽。告白の祈り
 自鬻生活(じいくせいかつ):自分を売る生活あるいは自活(ちょっとわかりません。間違っているかもしれません)
 葛西善蔵:1887年(明治20年)-1928年(昭和3年)41歳没。青森県五所川原小学校入学。小説家
 
 作者はどうしたかったのだろう。自分でもどうしたらいいのかわからなかったのだろう。小説を書くという手段で自分の心を支えてきたのだけれど自分のことを書きすぎたのか。

 この作品(昭和9年25歳のとき)は、「種」のようなものです。やがて完成する「走れメロス」(昭和15年31歳)とか、「人間失格」(昭和29年39歳)、「女生徒」(昭和14年30歳)につながっていく内容です。

 本人の日常生活を小説化する手法でゆきづまっています。

 「墓標」という文字が好きな作家です。

「逆光」
 短い文章ですが、よっつに分かれています。①蝶々②盗賊③決闘④くろんぼ
 第一回芥川賞候補作(次点。受賞は石川達三「蒼氓(そうぼう)」いい作品です)だそうですが、わたしには何が書いてあるのか理解できません。精神的に病んでいるのではないかという文章です。
 東京大学の敷地の以前の武家屋敷:加賀藩の江戸藩邸
 フロオベエル:1821年-1880年。58歳没。フランスの小説家。作品として、「ボヴァリー夫人」
 モオパスサン:モーパッサン。1850年-1893年。42歳没。フランスの小説家、詩人。作品として、「女の一生」
 ボオドレエル:ボードレール。1821年-1867年。46歳没。フランスの詩人。作品として、「悪の華」
 三白眼:白目の部分の面積が多い。
 日本チャリネ:日本サーカス

<気を取り直してもう一度読んでみました>
 自殺の話→死の間際にある25歳の老人は、18歳から小説を書き始めた。現在、妻あり→東京大学の敷地のこと→自分を盗賊にたとえる→フランスの小説家の話→自分に似た異国の青年は、活動役者(映画俳優)をしている。<このあたりで、自分の頭に浮かんだことは、「みんな狂っている。みんな仮面をつけて素性を隠している。みんな無理をしている」、それから、「けんかをわざとしかけて、だれかが止めてくれることを期待して待っているけれど、だれも止めに入ってくれない」>→③決闘の部分の最後は、「あわれ、一滴の涙も出なかった」で終わります→④くろんぼは女性の黒人でサーカスの見世物です(差別的ですが昭和初期の作品です)
 思い出の記です。想像世界と現実世界が入り混じって混沌としています。

丁(ちょう):距離の単位として。109.09m
金銭感覚:15銭が学生の昼食代とあります。小説に出てくる5円が、昭和10年頃で現在の1万円を少し超えるぐらいか。(推測です)
モスリンのカーテン:織物の総称。木綿、羊毛からつくる。

「彼は昔の彼ならず」
 若い大家がいて、店子(たなこ、戸建ての賃借人)がいて、ふたりのモデルは太宰治本人なのでしょう。大家は資産家の息子を表し、店子は小説を書いています。同居する女性も次々と変わります。

 太宰治氏を模した人物が、「木下青扇(きのしたせいせん)」なのでしょう。お金がない小説書きです。家賃も払わず口からでまかせで詐欺師っぽい。木下は酒に飲まれている。

 記憶に残った文節の要旨として、
「あなたはばかに浮気じゃないか」「いいえ、みな逃げてしまうのです」
「小説を書いても百年も前に立派な作品ができている。せいぜい真似るだけ」

 詩を読んだ後のような読後感がありました。

霧島躑躅:きりしまつつじ
百日紅:さるすべり
ロンブロオゾオ:ロンブローゾ。1835年-1909年。73歳没。イタリアの精神科医。犯罪学の父。
ショオペンハウエル:ショーペンハウアー。1788年-1860年。72歳没。ドイツの哲学者
無線電燈(むせんでんとう):電柱がいらない。
プーシュキン:1799年-1837年。37歳没。ロシアの詩人、作家。妻を巡る決闘で亡くなった。
オポチュニスト:日和見主義者(ひよりみしゅぎしゃ)。形成を観て有利な方に追従する。
ニヒリスト:虚無主義。否定する人
森鴎外(もりおうがい):1862年-1922年。60歳没。小説家。軍医
ヴァンピイル:バンパイア。吸血鬼
五、六丈の滝:一丈は、3.0303m
竜駿(りゅうしゅん)はいないか。麒麟児(きりんじ)はいないか:才能、技芸(ものごとを巧みに扱う技)にあふれた若者

「ロマネスク」
 ロマネスク:建築、彫刻、絵画、装飾、文学の様式。ヨーロッパで10世紀末から12世紀に広がった。
 本作品のほうは、三人の人物が登場します。
①仙術太郎
 津軽の国、神梛木村にいた49歳鍬形惣助(くわがた・そうすけ)に男子ができて、「太郎」と名づけます。このこどもが、仙術太郎です。
 太郎は、まだ赤ちゃんなのに無傷で遠方へ移動できます。林檎の豊作を予言します。されどだんだん能力が衰えていきます。太郎の成長物語です。太郎は仙術を勉強して、鼠(ねずみ)と蛇と鷲に変身することができるようになりました。そして16歳で恋をしました。そんなことが書いてありました。
②喧嘩次郎兵衛(けんかじろべえ)
 東海道三島の宿(三島市)に酒の醸造をする鹿間屋逸平という男がいた。こどもが14人あって、次男が次郎という名前だった。その次郎のお話です。彼はならず者たちを倒したいという動機で喧嘩上手になりたかった。
 しかしその機会は訪れない。修行をしたが喧嘩相手がいない。彼は全身に入れ墨まで入れた。みんな怖がって喧嘩をしかけてこない。逆に火消しでがんばったのでほめてくる。
 なんだか拍子抜けする終わり方でした。結婚式の席で軽く振った彼の手が花嫁の眉間に当たり彼の花嫁は死んでしまいました。そういう話でした。

 是々非々(ぜぜひひ):立場にとらわれず、良いことは良い、悪いことは悪いと判断すること。
 嘲弄(ちょうろう):あざけり、からかう
③嘘の三郎
 江戸の深川に原宮黄村(はらみや・こうそん)という男やもめで吝嗇(りんしょく。ケチ)の学者がいた。一人息子なのに息子に三郎という名前を付けた。
 黄村の人柄は良くなかった。黄村は、こどもの三郎に虐待のような折檻(せっかん。厳しい体罰)行為をしながら学問を教えた。三郎は暴力から逃れるために嘘をつく人間に育っていった。親が子を犯罪人に育てました。三郎は動物を殺します。人を殺します。ここまで読んできて、この本のなかでは、一番強烈に残った文章部分です。
 彼は、泥屋滅茶滅茶(どろやめちゃめちゃ)という筆名で、「人間万事嘘は誠」という本を出します。ヒットします。
 太宰治氏の私小説のようなものです。最後には、これまでに出てきた仙術太郎と喧嘩次郎兵衛も出てきて三人がそろいます。三人とも作者の分身です。 
 
 短文で、状況の深い部分まで説明されます。大量の文字を書いている人の文章です。

 朋輩(ほうばい):同級生とか同期の同僚など年齢が近い。先生や師匠が同じ。
 美事(びじ):ほめるべきこと
 上梓(じょうし):出版すること

「玩具」
 読んでいるとさびしい気持ちになってくるような文脈です。
 心にしみるいい出だしです。「どうにかなる。どうにかなろうと一日一日を迎えてそのまま送っていって暮らしている……」
 苦しくなると自分が乳幼児だった過去へ意識がゆく作者です。
 三歳二歳一歳の彼は玩具と会話をします。玩具はだるまです。
 本人の信条として、「私は書きたくないのである。」そして、
「私は誰にも知られずに狂い、やがて誰にも知られずに直っていた。」となるのです。
 最後に祖母の死に顔について語られます。

 手管(てくだ):人をだます手段
 﨟たける(ろうたける):女性の気品あふれる美しさ

「陰火」
 題名の読みは、「いんか」、意味は、幽霊が出るときなどに出てくる青白い炎の玉。人魂(ひとだま)

 いくつかの項目に分かれています。
①誕生
 作者はふるさと青森津軽にこだわりがあります。いくつもの文章に登場してきます。
 東京の大学を卒業して、帰郷して、結婚して、父親が亡くなって、継いだ家業が破産して、お寺に興味をもつようになって、母親が亡くなって、30歳で娘が誕生して、「ゆり」と名付けます。ただ生まれてきた娘が両親のどちらにも似ていないというところで終わりました。
②紙の鶴
 妻の不貞(ふてい。浮気)が明るみに出ます。
 妻に対する復讐のようなことが書いてあります。「いま、君をはずかしめる意図からこの小説を書こう」(自分も転落すると思う)
 主人公は親友である年下の洋画家を訪ねます。彼と将棋をして、彼と折り紙をして折り鶴をつくります。そういうお話でした。

 ヴァレリイ:ポール・バレリー。1871年-1945年。73歳没。フランスの詩人、小説家
 プルウスト:1871年-1922年。51歳没。フランスの小説家
 13人目の椅子:物語には書いてありませが、自分は、「最後の晩餐(ばんさん)」を思い浮かべました。13人目は災いをもたらす招かれざる客とされた。
 奸策(かんさく):人を陥れるための図り事
③水車
 男と女が橋の近くでうろうろします。お互いに気持ちのすれ違いがあります。別れる別れないのかけひきがあります。
④尼
 9月29日の夜ふけに尼が訪ねてきます。妹だと思ったら自分には妹はいなかったそうです。「あなたは誰ですか」訪ねるうちを間違えたみたいだと返事があります。尼はすぐに帰るわけでもなくおとぎ話を始めます。月夜の蟹の話です。その後やりとりがあって、尼は白い象にのって最後はいなくなります。

「めくら草紙」
 冒頭に宣言があります。「なんにも書くな。なんにも読むな。なんいも思うな。ただ、生きて在れ!」
 草紙(そうし):とじてある本のこと。

 詩を読むようです。
 小説を書く心構え、動機に読み取れます。
 隣家に住む十六歳のマツ子の話を入れながら日常のことが書いてあるのですが、興奮状態で文章に乱れがみられます。
 花を中心に植物の名称がたくさん出てきます。何か意味があると思うのですが読みこめません。
 最後は、「この水や、君の器にしたがうだろう」どういう意味かしばらく考えます。

 山師(やまし):鉱山技師。(鉱脈を見つけるとこどものころ聞いたことがあります。ギャンブルです)小説で一攫千金(いっかくせんきん。一度にたやすく大きな利益を得る)とひっかけてあるのでしょう。
 巧言令色(こうげんれいしょく):論語。言葉は上手だけれど、本当は誠実さに欠ける人間

<全体をとおして>
 タイトルは「晩年」ですが、内容は、創作を始めて、これから本格的に書くのだという助走のような内容に感じました。

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