2020年09月04日

小説と映画 人間失格 太宰治

小説と映画 人間失格 太宰治 新潮文庫

 先日は同作者の「グッドバイ」を小説で読んで映画を観ました。こんどは、「人間失格」を小説で読んで、映画で観てみます。ただし、小説は再読です。

(再読)「人間失格」 太宰治 新潮社文庫
 本箱の中から引っ張り出してきました。
 最初に三枚の写真の説明があります。
 一枚目:主人公の葉蔵が10歳ぐらいで、大きな屋敷で、姉妹やいとこの女子たちに囲まれて、作り笑いをしています。
 二枚目:高校生。ひとりで写っています。つくり笑いをしています。
 三枚目:白髪です。笑っていません。自然に死んでいるように見えるそうです。嫌な感じ、ぞっとする感じがある写真だそうです。

 第一の手記から始まって、第二の手記へとつながっていきます。まだ、全体で155ページのうちの61ページまでを読んだところです。最初のうちは、読みやすい文章でしたが、だんだん文字数が多くなってきて難解です。手記は、かなり、暗く、苦しい。
 文章には、狂気を感じます。死ぬ覚悟をした人が書いた文章です。自殺をしようと考えていた時期に書かれた小説です。1948年(昭和23年。終戦が昭和20年)3月から5月にかけて書かれた小説です。作者は、同年6月19日に玉川上水に女性と入水自殺を遂げています。本作品は、自伝的な内容で、まるで、「遺書」です。
 三人の女性が出てきますので、映画は、この三人の女性を巡る内容になっているのでしょう。葉蔵は、三人の女性に好かれます。
一人目:下宿先「仙遊館」の娘
二人目:女子高等師範学校の文科生。共産主義運動の同志。年上の女性
三人目:東京銀座の大きなカフェに勤める女給ツネ子

 こどものころの生活によっぽどのこだわりがあります。とくに、こどものころ、まわりにいた女中や下男たちから、性的にもて遊ばれた体験が、人生に暗い影を落としています。そして、お金のある家に生まれてハンサムだったこともあり、女性からもてたのですが、本人は、そのことがひどく苦痛だったのです。あわせて、彼は、本当の自分とは異なるお調子者としての自分を周囲にいる人間に演じていたことが最大の精神的な苦痛だったのです。二重人格な面があります。

 幼少時のお屋敷暮らしで、大人の言動にある表と裏の態度を見て、主人公の人格は、ねじれてしまいました。

 こどもがおとなの女性を観察している文章が続きます。なかなかおもしろい。
 「女が急に泣き出した場合は、なにか甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直す」
 「女は、(イケメンの男に)用事を頼まれると喜ぶ」

 青森の中学で、「竹一」という人物が出てきます。彼は唯一、葉蔵の「なになにしているふり」を見破ります。
 葉蔵はさきざき画家になりたいのですが、竹一と話をしていて描いた幽霊の絵が秀逸な出来上がりだったと葉蔵が成人してからも思い出すのです。幽霊、お化け、地獄の馬の絵です。

 東京に出て画塾で知り合った男に、「堀木正雄」がいます。葉蔵よりも六歳年上です。作者本人の年譜を合わせると、青森から東京に出て東大に入学したのが、1930年(昭和5年)21歳ですから、堀木正雄なる人物はこのとき27歳です。この年、作者は鎌倉の海で最初の入水心中事件を起こし、相手の女性が亡くなっています。本作品のなかにもそのような情景が書かれています。
 この部分で、昔の公務員というのは(この場合、警察職員)自分に与えられた権限をもてあそんでいたということがわかります。
 
 読んでいると、アドルフ・ヒトラーと葉蔵が重なります。どちらも青年期に画家になりたかった。どちらも最後は自殺をした。

 文章の口癖として、「所謂(いわゆる)」があります。何度も出てきます。

(つづく)
 「第一の手記」、「第二の手記」を経て、「第三の手記」まできました。
 心中未遂事件の生き残ったかたわれである葉蔵です。実家は暗にどこかの学校へ通うことを望んでいたという記述に少し驚きました。学校というのは、失業者の調整機関の役割もあると気づきました。

 読みやすい文章に戻ってきました。

 あいかわらず女性にはもてるので、葉蔵は自身を、「男めかけ」と呼びます。たしかに、女性の家にころがりこんで、ヒモ暮らしです。高円寺に住む夫を亡くした5歳の女児がいる母子家庭に入りこみました。女性の名はシヅ子で、雑誌社で働いています。そして、葉蔵は、雑誌に自分が描いた漫画を掲載してもらいます。
 話ははずれますが、先日読んだ「高円寺純情商店街」ねじめ正一著を思い出しました。あれは、昭和30年代ぐらいの風景ですから、こちらの物語の十年後ぐらいの高円寺付近の姿です。

 葉蔵が考えるいろいろなことを数値化する部分があります。読んでいると、「人間ってなんなんだろうなあ」という気持ちになりました。
 
 葉蔵は、今度は、タバコ屋のヨシちゃんという女性と知り合いました。17歳ぐらい。色白で八重歯がある。葉蔵が結婚を申し込むと即諾してくれましたが、お互いに冗談だと思っている気配もあります。
 
 (読んでいて、前回の読書では、見落としがだいぶあったことに気づきました)

 暗い中身です。好みが分かれる作家さんです。

 主人公の葉蔵は、脳病院に入院します。閉鎖病棟です。
 主人公は27歳を迎えます。でも、見た目は40歳以上に見られます。

 話の視点は最初にもどり、葉蔵と言う男を見たことがあるという男の「あとがき」で終わります。不思議な二重視点の感覚です。見ているのは同一人物だと思うのです。

 調べた言葉などとして、
所謂:いわゆる
対蹠的(たいせきてき):正反対の位置関係にあるさま。
六親眷属(ろくしんけんぞく):父、母、兄、弟、妻、子などの親族。眷属は、血族
お道化:人を笑わせる役の人
所詮:しょせん
マイスター:巨匠、名人
プロステチュウト:売春婦
アブサン:ヨーロッパのお酒。フランス、スイス、チェコ、スペインなど。
怜悧狡猾(れいりこうかつ):悪賢い。
蟾蜍(せんじょ):ヒキガエル
ルパイヤット:11世紀ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームの四行詩集の題名
しょっている:うぬぼれている。
幽か:かすか
テーベ:結核

 心に響いた文章表現として、
「鴎(かもめ)が、「女」という字みたいな形で飛んでいました」
「世間の所謂(いわゆる)「正直者」たち」の部分に、人間の標準化に対する反抗があります。
「奴凧(やっこだこ)が一つからまっていて、春のほこり風に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく電線にからみついて離れず、何やらうなずいていたりなんかしているので……」
「(葉蔵がころがりこんだ母子家庭の女児5歳シゲ子の言葉として)シゲ子は、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」
「色摩!(しきま) いるかい?」
「僕は、女のいないところへ行くんだ」

(2012年8月12日記事)
人間失格 太宰治 新潮文庫
 読み始めたのは「人間失格」太宰治、新潮文庫です。古本屋さんで手に入れました。39才、女性と入水自殺する前に書かれているので、遺書のように自分の人生を振り返るような記述で始まっています。こどもが書いたような文章に思える部分もあります。天才であるが故の悩み、自虐的な自己分析が続きます。
 読んでいるとむかし聴いた森田童子(もりた・どうじ 追記として、2018年死去 65歳没)という女性の歌声を思い出します。以前リバイバルされたようですが、そうではなくもっと前、昭和40年代のオリジナルです。人が死んでしまう歌ばかりなのですが、思春期の私には共感できました。今になって思えば、通過点として人には誰しもそんな時代がある。太宰という人はずっとその世界に居続けた人なのだろうかと感じます。生まれてきてすいませんという本人の言葉が浮かびました。

 読み終えました。思うままに記してみます。どこまでが虚構で、どこまでが事実なのか。作者自身を責め続ける記述が続く。読むことがつらくなってくる。世界が狭い。世の中にはもっと広い世界があることを記述は語らない。思いつめている。他者のありように義憤をぶつけつつ、自分を甘やかしている。いつもなら本を閉じて読むことを絶つのだけれど、なぜかしらゆっくりだけれど読み進んでいく。事実だと仮定して、何枚かの写真が脳裏に浮かんでくる。本の中の登場人物たちはすでにこの世にいない。消えてしまった人たちの姿が見えてくる。後半、文章が乱れてくる。脆弱(ぜいじゃく)でこの部分の記述は不要でなかったかと感じていると、「人間として失格」という頭を強打する文に出会う。人間として失格とか合格とか、そんな規準も標準もない。人間をどのように捉(とら)えるのか。深い命題に突き当たる。

(その後)
 以上の感想文を書いたのはもう何年も前です。
 その後、生誕地の青森県を訪れて「斜陽館」の見学もしました。
 人間に失格はないけれど、最近感じるのは、どんな人間にも欠陥があるというものです。なにかしら足りないものがある。あるいは、余計なものがくっついている。完璧な人間はいない。だから、互いに助け合っていく。孤独にならないように気をつける。


「人間失格 邦画DVD 2019年公開」
 小説の「人間失格」とはべつものの内容の映画に仕上がっています。
 2時間あるうちの1時間47分のところでようやく、小説の冒頭付近にある「第一の手記」の筆記が始まります。
 ちょっと映画の選択を失敗した気分です。
 1946年東京から始まります。第二次世界大戦の終戦が1945年8月です。1946年だと太宰治氏は37歳です。1948年に亡くなっています。
 太宰治氏は、こんな人だったのだろうか。エロの病気です。行為は、愛の営みというよりも色キチガイになってしまっています。
 小説のネタにするために複数の女性と関係をもち、女性のほうも、主人公に複数の女性関係があることを承知しながらそれを否定しない。一夫多妻制です。
 本が売れて会社が儲かって、給料が上がればなんでもありだという勢いの出版関係者が劇中に多い。
 女性は、太宰治から捨てられないようにするために、太宰治の子を妊娠して産みたい。
 愛情といっても、愛する理由が、見た目と体だけです。
 映像は、写真集の連続を観るようでした。途中で、もういいかという気分になりました。いちおう最後までは観ましたが、気持ちは入りませんでした。
 多用されるフレーズとして、不倫相手の女性がつくった文章、「人間は恋と革命のために生まれてきた」がありましたが、ピンときませんでした。
 三島由紀夫氏、志賀直哉氏などの名前が出てきました。なつかしい。中高生の頃に読みました。
 同時に何人の女性でも愛せるのが、太宰治氏だと思い込みました。でも普通じゃない。

 記憶に残ったセリフなどとして、
「どこか壊れていないと小説は書けない」
「(女性の)みんながオレを求めている。(だから)応えるんだ(こたえるんだ)」
「(奥さんのセリフ)もう家庭には戻らなくていい。そうしたら、書きたいものが書けるんでしょ!」

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