2020年09月05日

悲しみよこんにちは フランソワーズ・サガン

悲しみよこんにちは フランソワーズ・サガン 新潮文庫

 先日読んだ田辺聖子作「ジョゼと虎と魚」で、主人公の日本人車いす障害者女性が、サガンの作品の登場人物の名前からとって、自分のことを「ジョゼ」と言い始めるというところを読みました。自宅の本箱を整理していたら、この文庫本が出てきたので、サガンに縁を感じて読み始めました。
 ジョゼは出てきませんが、セシルというもうすぐ18歳になるフランス人少女が出てきます。1954年に発表された作品です。当時フランソワーズ・サガンは18歳です。
 いつものように読みながら感想を継ぎ足していきます。

 舞台となる場所として、
 フランス南部地中海に面した高級リゾート地。コートダジュールとか、ニース、モナコ、カンヌとかの街があるところです。フランス人であるセシルの関係者三人が別荘へ保養に来ている。2か月間滞在する。ファミリーはふだんはパリで暮らしいるようです。リッチなファミリーに見えます。

 登場人物として、
セシル:主人公の少女。もうすぐ18歳。若い男は苦手。年上の男性が好き。やせっぽち。
レイモン:セシルの父親。40歳。妻を病気で亡くして15年が経過した。プレイボーイ。遊び人。友人と会社を共同経営している。
エルザ・マッケンブール:レイモンの恋人。背が高くて赤い髪の毛。かわいい人。29歳
アンヌ・ラルセン:セシルの亡母の旧友。セシルが信頼している人。レイモンのもうひとりのガールフレンド。42歳。理知的でプライドが高い。
シリル:これからセシルの恋人になるのであろう法律を専攻している男子大学生。背が高い。美しい。情熱的。ラテン系の顔立ちで濃い褐色の肌をしている。セシルの別荘の隣の別荘で、母親と過ごしてる。25歳~26歳ぐらいの年齢
ロンバール:父親の仕事の共同出資者。
シャルル・ウエップ夫妻:夫婦そろって異性に関して遊び人。父の友人

 父親の再婚話で、もうすぐ18歳になる少女セシルの心を表現するのだろうというあたりをつけて読み続けます。父親をほかの異性にとられる娘の悲しみなのでしょう。だから、「悲しみよこんにちは」なのかも。
 人生には、悲しみがある。悲しみがあるから、喜びがある。悲しみを拒否するのはやめよう。そういうテーマかと、読む前から結論付けて読み始めました。

 「あの夏わたしは17歳だった」という回顧ふうで始まります。以降、セシルのひとり語りが延々とつづく筆記手法です。
 
(つづく)

 アンヌ・ラルセン(病死したセシルの母の友人)が、再婚してセシルの母親のあとがまに入るような方向性のある展開になりました。
 どういうわけか、アンヌ・ラルセンが、17歳のセシルに対してしつけとか教育めいた言動をし始めます。もっと食べていい体をつくりなさいとか、勉強しなさいとか。当然、セシルは反発します。
 セシルは、アンヌから平手打ちまでくらいました。母親ではないあなたにたたかれる理由はありません。
 父親と継母になりそうな人との暮らしにあって、セシル自身は自分の存在をペットのネコのようなものとします。

 父親と継母になるであろう女性との楽しみは、「官能」です。肉体的なつながりのラブです。長続きしないパターンです。精神的に、お互いに尊敬できる部分が一部分でもないと、心は相手から離れていきます。

 ついに、セシルは、アンヌから、恋人のシリルに会ってはいけないと指示されます。たぶん、セシルのアンヌに対する仕返しが始まるでしょう。セシルは、アンヌがイメージするセシル像にあてはめられることを拒否します。

 セシルには、思春期の葛藤(かっとう。悩んで気持ちがもつれる)がおとずれます。父、父の恋人たち、彼氏、それぞれが、独立して、距離をもって付き合っていたときは幸せな気分だったとあります。

 これから継母になりそうな女性と娘の闘いが始まります。どちらも引きません。
 嫌なものは嫌で、歩み寄りがありません。父親というひとりの男を年齢の違う女子二人がとりあうようなかっこうです。
 
(つづく)
 
 いっぽう、26歳の男子であるシリルは、ふたまたをかけます。主人公18歳のセシルとセシルの父親の恋人である29歳のエルザです。狭い範囲の人間関係でややこしい関係になってしまいました。
 エルザは、セシルの父親を42歳のアンヌから奪う闘いに敗れて、セシルの家を出ました。

 ふつうの人間関係の秩序が壊れて、主人公女子のセシルは、傷つきながら、気持ちは深い穴に落ちていきます。

 父親の友人として出てくるシャルル・ウエップ夫妻は、乱れた男女関係です。おばさんと呼ばれるような年齢の妻が、お金で若い男を買ったりします。夫はそれを承知しています。夫は、妻が男遊びをするためのお金を必死で稼ぎます。それも愛というのだろうか。シャルル・ウエップ夫妻はクレイジーです。ご主人はご主人で女遊びをしているようです。
 アンヌは、女遊びを続ける男たちを冷ややかな目で観ています。彼らの人生の最後はみじめに終わる。いずれは性的に不能になって、酒は飲めなくなって、それでもまだ女のことを考える。
 
 主人公のセシルですが、こんなに父親が好きなもうすぐ18歳になる女子がこの世にいるとは思えないのです。それとも、亡き母のうらみを父親の後妻になろうとする42歳の女性アンヌにぶつけているのだろうか。

 アンヌの心が壊れます。アンヌは自分が仲間外れの位置にいると感じて、自分はいなくてもいいと、自分が存在する意味を否定して、自殺行為のような交通事故を起こして亡くなりました。

 最後は怖い終わり方でした。相手を変えてまた同じようなことを繰り返すことを計画している父と娘です。オカルト映画(目に見えない恐怖)を観るようです。「悲しみよこんにちは」で結ばれています。精神世界の奥底を追求する純文学のようでした。

 調べた言葉などとして、
敬う:うやまう。尊敬して大切にする。
エピナル版画:フランスの伝統的な彩色版画。童話やしつけなど教訓的なものが題材になっている。エピナルは都市名
ベルクソン:フランスの哲学者
プルシアンブルー:濃い青色
ブレーズ・パスカル:フランスの哲学者 1623年-1662年 39歳没 「人間は考える葦(あし)である」人間はちっぽけな存在だが、考えることによって、無限の世界を創造できるという哲学者としての宣言

 印象的だった文節などとして、
「父に女性が必要なことは、わかっていた」
「だれとも結婚したくはなかった。わたしは疲れていた」
「ゆずりあいは相互のものではなく、一方的なものになる」
「否定することはないけれど、あきらめる」
「もう愛してないもの」
「あなたはときどき、わたしの人生をややこしくさせようとする」
「父は、ただ、女性が好きだった。父は深く考えない。あらゆることを生理的理由で片付けて、それを合理的と呼ぶ」

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