2020年09月02日

君のためなら千回でも アメリカ映画DVD

君のためなら千回でも アメリカ映画DVD 2007年公開

 映画を観終わって、小説の映像化がうまくいかなかったという印象をもちました。
 ラストの主人公のセリフにも、(あなたは、召使いのこどもだったハッサンにひどいことをしておいて、それはないでしょ)という気持ちになる映画でした。会話の重みが伝わってきませんでした。
 アフガニスタンのソ連侵攻とか、タリバンとか、共産主義を嫌悪する政治的な色合いのある映画でもありました。
 最初から最後まで貫く伏線は、空を飛ぶ「凧(たこ)」でした。凧合戦です。
 人の凧の糸を切って、凧が飛んでいっちゃって、それを勝利だと喜んで、それはないでしょという気持ちになりました。

 幼なじみの友情を訴えたいメッセージがあります。しかし、おとなになって反省してくれているようすはあるのですが、手遅れです。

 ここにも人種差別があります。アフガニスタンでは、パシュトゥーン人が偉くて、ハザーラ人は身分が低いそうです。以前読んだ本に出ていたロマ人(ジプシー)と同じで、差別される側の民族は、文字の読み書きができない人が多いようです。
 主人公は子どもの頃からお金持ちで教育を受けられます。彼は小説家志望なので、読み書きが得意ですが、同じ敷地に住むハザーラ人の召使いのこどもであるハッサンは独学で読み書きを勉強するしかありません。

 アフガニスタン国の役人はピンハネをします。権力のある立場を利用して、ひどい。
 なつかしき洋画が次々と出てきます。「荒野の七人」スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、黒澤明監督の「七人の侍」がベースですから、この映画の雰囲気も武士が登場して自己の意志表示をする日本映画を観るような雰囲気があります。
 1978年、アフガニスタンのカブールです。映画はあるけれど、テレビは出てこない世界です。

 きれいな顔立ちの子役さんたちばかりでした。役どころと合っていなくて違和感がありました。
 主人公のアミールとその友とされるハッサンは、お金持ちのこどもとその召使いのこどもという地位関係であり、とても親友とは思えません。アミールが、ハッサンに凧合戦で落とした凧をとってこいと指示します。支配者と服従者の関係を、「親友」とはいいません。
 それから、いろいろ仮定のお話をつくってあるのですが、これはないなというシーンがいくつかありましたが、ここには書きません。
 意外な種明かしもありますが、感動するようなエピソードでもありません。

 主人公のアミールは、しもべのハッサンに対して、威張っている。嘘をつく。暴力を振るう。金持ちのDV男です。アミールは、父親に、「おまえは私の恥だ」と言われます。そのとおりです。アミールは、屈折しています。その理由はよくわかりません。

 見せ場がいくつかあって連続していきますが、つくり話だろうと、いささか信用できません。また、カメラの目線があざとい。(下心がある)
 
 アフガニスタンの結婚式では新郎新婦が少し大きな手鏡を観て、自分たちの顔を鏡にうつして見ながら愛の誓いをする慣例があるのかと、そのシーンは、新鮮でした。
 
 今は荒廃しているようですが、昔、アフガニスタンにも平和な時期があった。劇中の登場人物のセリフでは、アフガニスタンでは現在、優しさが消えた。あちこちで(タリバンに)人が殺されている。ロシア人が、「木」を全部切った。

 他の伏線として、文字が刻まれた樹木の表皮、それから、敵を攻撃するときの道具として、ゴムで玉を飛ばす「パチンコ」
 最後付近のドタバタは、昭和30年代の日本活劇コメディ映画を観るようでした。
 
 「平和の希求(強く願って求めること)」というメッセージは受け取りました。

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