2020年07月26日
友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 菅野仁
友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 菅野仁(かんの・ひとし) ちくまプリマ―新書
著者は2016年56歳のときに癌で亡くなっています。亡くなった方が残したメッセージです。かみしめながら読んでみます。この本の初版は、2008年です。
内容は、高校生向けが基本で、あとは、親御(おやご)さんとか学校の先生向けのように感じます。
これからの友だちづくりについて書いてあります。
年齢を重ねて、勤労生活の現役を引退すると、終活ということで、人間関係の整理が始まります。人生の時期によって、人とのつながりのつくりかたが異なると気づきながら読み始めました。
友だち関係というものは、二面性があると思っています。お互いに、いいこともあるし、いやなこともあります。いやなこともふくめて、受け入れることができる相手が「友だち」だと思っています。
友だちが多いこと=いいことだと、思いこまないほうがいい。自分は友だちだと思っていても、相手は自分を友だちだと思っていないことはよくあります。
うわべだけの仲良しこよしもよくあることです。やばいことになったとき、たいていの他人はパーっと離れていきます。そのときそばにいてくれるのが友だちです。
この本に書いてある幸福感を得るためのモメント:きっかけ、契機として、
1 自己充実:自分のやりたいことがかなう。
2 他者との交流:親子、恋人、友人との交流。他者からほめられる。
読みながら人について考えています。地球上にはたくさんの人がいますが、自分が関わりをもつ人の数は限られています。
大半の人とは、なんのつながりもできません。つながりがあると、縁があるという表現をします。
1 お金のやりとりをするつながり
2 血縁関係、姻族関係の親族、地縁のつながり
3 愛情のつながり。恋人、夫婦
4 気持ちのつながり。趣味、スポーツ活動など。
5 病気つながり。体の病気、心の病気など。
本に書いてあることとして、人が集まって話をしているシーンがあります。仲が良くて話をしているのではなく、そこにいないと自分の悪口を言われるからそこにいるという意識があるそうです。あたっています。
SNSの話が出てきますが、この本が書かれたのは、2008年ごろなので、「LINEライン」の話ではなく、電子メールの話になっています。「即レス」が愛情・友情をはかる基準になってしまっていて、苦痛の発生源になっているとあります。同様に「既読」のサインが出るラインはいじめの素材になることもあります。「既読」にしない「無視」があります。仲間はずれがあるようです。どうしても必要でなければ、やらないほうがいい。この本では、『同調圧力』という言葉で表現されています。
本に記述があるように、人間関係のつくりが、昭和時代の昔(昭和40年代ごろまで)と現在ではすっかり変わってしまいました。180度の転換です。昔は、いけないといわれていたことが、いまは当然やっていいし、むかしはいいことだとされたことが、今では禁止になったりしています。喫煙とか、酒の席での大騒ぎとかセクハラとかパワハラとか、しかたがないこととして昔はあきらめられていました。
もしかしたら、昔は、本当の「友情」があったのかもしれません。返済できないのなら貸した金は返してもらわなくてもいいとか、世話になったから、あいつがやった罪を代わりに自分がかぶってやるとか。一方的ではなく、お互いに迷惑をかけあってつくられた固い絆(きずな)のような信頼関係は確かにありました。
テレビでは、「ワンチーム」と強調しますが、この本では、昔はそうはできたかもしれないが、1980年代以降の社会においては、「同質性共同性」には無理があり、そうできない人間の心は破たんするというような趣旨で分析があります。
「ワンチーム」は、無理なときもあるのです。メンバーのうちのひとりが、そうできないからといって、思いつめて悩んで心の病気になって、自殺したらもともこもありません。
生きのびるための心構えとしての紹介があります。
『気に入らない相手とも、お互い傷つけあわない形で、ともに時間と空間をとりあえず共有できる作法』を身につける。
『やりすごす』
『距離をおいてぶつからないようにする』
『自分は自分、人は人』
ルサンチマン:弱者の強者に対する感情。うらみ、反感、嫉妬(しっと)、憤り(いきどおり)、非難
つながりの形態として、あわせて、相手との距離のとりかたについて、
「ルール関係」共存のためにお互いに守らなければならないルールをもつ。こういうことをやってはいけない。いじめを起こさないためにはこれを徹底する。「みんなと仲良くしなければならない」というルールはない。仲が良くても良くなくてもとりあえず共存できるルールをつくる。気に入らない上司や部下がいても適当な距離感をもって共存していくしかない。「ルールがあるところに『自由』がある」と力説されています。
「フィーリング共有関係」小学一年生になったら、友だち100人できるかなみたいな関係。同じノリでがんばっていこうという呼びかけ。人間の標準化があります。これだけだと、いじめが発生する。みんな仲良くは無理。あわせて、なれあいでは、立派でしっかりとした組織目標を達成することはできないとあります。
だれかをいじめると自分がいじめられる。立場が逆転するリスク(危険性)がある。だれかをいじめる行為は、将来、自分がいじめられる要素を自分でつくっていることになる。
印象に残ったいろいろな言葉、文節として、本のカバーや帯に書いてあったことも含めて、
重圧:じゅうあつ。プレッシャー
間合い:まあい。適当な距離
「誰とも付き合わず、一人で生きる」
「ある程度社会経験を重ねれば、のらりくらりとかわせる」
気の合わない人とでも一緒にいなければならないときもあるから、そのときの作法を身につけておく。
「気に入らない人とも並存する」そのためには、最低限のあいさつだけは欠かさないようにする。自然に敬遠するつもりでやる。敬遠:野球のファーボール。一塁を与える。
生徒の記憶に残らない教師像でいい。ドラマや映画の教師像はドラマや映画のなかだけのものです。一般的に、現実には、過剰な精神的関与や信念の押しつけはしないとあります。
教師に人格の高い高邁な資質を求めない。(こうまい:ぬきんでている能力をもつ)
親子は、他者性ゼロからスタートして、だんだん離れていって、他者性を認め合うようになるのが理想というような考察
(こどもには)無限の可能性があるが、限界もある。
自分のことをまるごと受け入れてくれる人間はいない。
人は、どれだけ親しくなっても他者なんだということを意識したうえで信頼関係をつくる。
恋愛は幻想。自分のことをすべてきいてくれる王子様はいない。
後半部には、言葉づかいのことが書いてあり同感です。明確に否定してあって気持ちがいい。
どこでそういう言葉を覚えてきて使うのかわかりませんが、本人にとってもよくないことです。おとななのに幼児のようです。自分で、相手との信頼関係を築くチャンスを失います。
「ムカツク」「うざい」「ていうか。てゆうか」「はぁ?」
こういう言葉をぶつけられたら、もう、その人とは会話を続けたくなくなります。いずれも相手を攻撃する言葉です。
すべての人とは仲良くはなれません。読み手である自分が考える友だちにしたくない、いやな相手のパターンとして、
親切そうに近づいてきて、情報を聞きだして、周囲に言いふらして、ばかにしたり、いちゃもんをつけたりして楽しむ人
自分がやるべき仕事や作業を、人にやらせるように話をもっていく人
人を人と思わず、将棋の駒のように思って、人を動かして策略を巡らすことを楽しむ人
当事者ではないのに、自分が窓口になるからと、代理人になりたがる人
口から出てくる言葉がすべて嘘の人。瞬間的につじつまの合う嘘がつける人
なんとかがまんできるタイプとして、
同じ話を何度もくりかえしてする人(あまりくどいと、もうなんども聞きましたと話します。そうするとその話はもう話さなくなります。きっと同じ内容をだれかれなしにみんなに話しているのでしょう。自慢話のときがおおい)
「どうするの、どうするの」を連発する人。自分のことは、自分の頭で考えて、判断して、決断して、実行して、責任を負ってほしい。あとから、アドバイスをした人間に対して、あのとき、あなたが、ああいったから、こんなことになってしまったと責めないでほしい。
人の幸せをねたむ人、人の不幸を喜ぶ人
物やお金を借りて返さない人
相手をばかにしたり、みくだしたり、自分と比較して、自分をよくみせようとする人
人が話している話の内容を奪って、自分の場合に変えて話す人
しゃべらない人。反論しないで黙っているから容認してくれたと思っていたら、陰で悪口を言う人
自分が言ったことで、相手が負担を負うことに気づけない人
権限も責任もないのに取り仕切る人
会話が否定から始まる人
とにかくがんこで、気が短い人
裏表がある人。裏では悪口を言って、表ではおだてる人
えこひいきをする人
いじめをする人
人を攻撃することで、自分の存在をアピールする人
中身よりも形を整えることを優先する人
すぐに、「めんどくさい」と言って、ていねいに仕上げることをしない人
最後半部で著者が、100年前に書かれた今は亡き本の作者と対話できるのが読書のよいところですと記しています。リレーのバトンを渡してもらうように、今回は、数年前に亡くなった著者が残したメッセージをこの本で読むことができました。感謝します。
著者は2016年56歳のときに癌で亡くなっています。亡くなった方が残したメッセージです。かみしめながら読んでみます。この本の初版は、2008年です。
内容は、高校生向けが基本で、あとは、親御(おやご)さんとか学校の先生向けのように感じます。
これからの友だちづくりについて書いてあります。
年齢を重ねて、勤労生活の現役を引退すると、終活ということで、人間関係の整理が始まります。人生の時期によって、人とのつながりのつくりかたが異なると気づきながら読み始めました。
友だち関係というものは、二面性があると思っています。お互いに、いいこともあるし、いやなこともあります。いやなこともふくめて、受け入れることができる相手が「友だち」だと思っています。
友だちが多いこと=いいことだと、思いこまないほうがいい。自分は友だちだと思っていても、相手は自分を友だちだと思っていないことはよくあります。
うわべだけの仲良しこよしもよくあることです。やばいことになったとき、たいていの他人はパーっと離れていきます。そのときそばにいてくれるのが友だちです。
この本に書いてある幸福感を得るためのモメント:きっかけ、契機として、
1 自己充実:自分のやりたいことがかなう。
2 他者との交流:親子、恋人、友人との交流。他者からほめられる。
読みながら人について考えています。地球上にはたくさんの人がいますが、自分が関わりをもつ人の数は限られています。
大半の人とは、なんのつながりもできません。つながりがあると、縁があるという表現をします。
1 お金のやりとりをするつながり
2 血縁関係、姻族関係の親族、地縁のつながり
3 愛情のつながり。恋人、夫婦
4 気持ちのつながり。趣味、スポーツ活動など。
5 病気つながり。体の病気、心の病気など。
本に書いてあることとして、人が集まって話をしているシーンがあります。仲が良くて話をしているのではなく、そこにいないと自分の悪口を言われるからそこにいるという意識があるそうです。あたっています。
SNSの話が出てきますが、この本が書かれたのは、2008年ごろなので、「LINEライン」の話ではなく、電子メールの話になっています。「即レス」が愛情・友情をはかる基準になってしまっていて、苦痛の発生源になっているとあります。同様に「既読」のサインが出るラインはいじめの素材になることもあります。「既読」にしない「無視」があります。仲間はずれがあるようです。どうしても必要でなければ、やらないほうがいい。この本では、『同調圧力』という言葉で表現されています。
本に記述があるように、人間関係のつくりが、昭和時代の昔(昭和40年代ごろまで)と現在ではすっかり変わってしまいました。180度の転換です。昔は、いけないといわれていたことが、いまは当然やっていいし、むかしはいいことだとされたことが、今では禁止になったりしています。喫煙とか、酒の席での大騒ぎとかセクハラとかパワハラとか、しかたがないこととして昔はあきらめられていました。
もしかしたら、昔は、本当の「友情」があったのかもしれません。返済できないのなら貸した金は返してもらわなくてもいいとか、世話になったから、あいつがやった罪を代わりに自分がかぶってやるとか。一方的ではなく、お互いに迷惑をかけあってつくられた固い絆(きずな)のような信頼関係は確かにありました。
テレビでは、「ワンチーム」と強調しますが、この本では、昔はそうはできたかもしれないが、1980年代以降の社会においては、「同質性共同性」には無理があり、そうできない人間の心は破たんするというような趣旨で分析があります。
「ワンチーム」は、無理なときもあるのです。メンバーのうちのひとりが、そうできないからといって、思いつめて悩んで心の病気になって、自殺したらもともこもありません。
生きのびるための心構えとしての紹介があります。
『気に入らない相手とも、お互い傷つけあわない形で、ともに時間と空間をとりあえず共有できる作法』を身につける。
『やりすごす』
『距離をおいてぶつからないようにする』
『自分は自分、人は人』
ルサンチマン:弱者の強者に対する感情。うらみ、反感、嫉妬(しっと)、憤り(いきどおり)、非難
つながりの形態として、あわせて、相手との距離のとりかたについて、
「ルール関係」共存のためにお互いに守らなければならないルールをもつ。こういうことをやってはいけない。いじめを起こさないためにはこれを徹底する。「みんなと仲良くしなければならない」というルールはない。仲が良くても良くなくてもとりあえず共存できるルールをつくる。気に入らない上司や部下がいても適当な距離感をもって共存していくしかない。「ルールがあるところに『自由』がある」と力説されています。
「フィーリング共有関係」小学一年生になったら、友だち100人できるかなみたいな関係。同じノリでがんばっていこうという呼びかけ。人間の標準化があります。これだけだと、いじめが発生する。みんな仲良くは無理。あわせて、なれあいでは、立派でしっかりとした組織目標を達成することはできないとあります。
だれかをいじめると自分がいじめられる。立場が逆転するリスク(危険性)がある。だれかをいじめる行為は、将来、自分がいじめられる要素を自分でつくっていることになる。
印象に残ったいろいろな言葉、文節として、本のカバーや帯に書いてあったことも含めて、
重圧:じゅうあつ。プレッシャー
間合い:まあい。適当な距離
「誰とも付き合わず、一人で生きる」
「ある程度社会経験を重ねれば、のらりくらりとかわせる」
気の合わない人とでも一緒にいなければならないときもあるから、そのときの作法を身につけておく。
「気に入らない人とも並存する」そのためには、最低限のあいさつだけは欠かさないようにする。自然に敬遠するつもりでやる。敬遠:野球のファーボール。一塁を与える。
生徒の記憶に残らない教師像でいい。ドラマや映画の教師像はドラマや映画のなかだけのものです。一般的に、現実には、過剰な精神的関与や信念の押しつけはしないとあります。
教師に人格の高い高邁な資質を求めない。(こうまい:ぬきんでている能力をもつ)
親子は、他者性ゼロからスタートして、だんだん離れていって、他者性を認め合うようになるのが理想というような考察
(こどもには)無限の可能性があるが、限界もある。
自分のことをまるごと受け入れてくれる人間はいない。
人は、どれだけ親しくなっても他者なんだということを意識したうえで信頼関係をつくる。
恋愛は幻想。自分のことをすべてきいてくれる王子様はいない。
後半部には、言葉づかいのことが書いてあり同感です。明確に否定してあって気持ちがいい。
どこでそういう言葉を覚えてきて使うのかわかりませんが、本人にとってもよくないことです。おとななのに幼児のようです。自分で、相手との信頼関係を築くチャンスを失います。
「ムカツク」「うざい」「ていうか。てゆうか」「はぁ?」
こういう言葉をぶつけられたら、もう、その人とは会話を続けたくなくなります。いずれも相手を攻撃する言葉です。
すべての人とは仲良くはなれません。読み手である自分が考える友だちにしたくない、いやな相手のパターンとして、
親切そうに近づいてきて、情報を聞きだして、周囲に言いふらして、ばかにしたり、いちゃもんをつけたりして楽しむ人
自分がやるべき仕事や作業を、人にやらせるように話をもっていく人
人を人と思わず、将棋の駒のように思って、人を動かして策略を巡らすことを楽しむ人
当事者ではないのに、自分が窓口になるからと、代理人になりたがる人
口から出てくる言葉がすべて嘘の人。瞬間的につじつまの合う嘘がつける人
なんとかがまんできるタイプとして、
同じ話を何度もくりかえしてする人(あまりくどいと、もうなんども聞きましたと話します。そうするとその話はもう話さなくなります。きっと同じ内容をだれかれなしにみんなに話しているのでしょう。自慢話のときがおおい)
「どうするの、どうするの」を連発する人。自分のことは、自分の頭で考えて、判断して、決断して、実行して、責任を負ってほしい。あとから、アドバイスをした人間に対して、あのとき、あなたが、ああいったから、こんなことになってしまったと責めないでほしい。
人の幸せをねたむ人、人の不幸を喜ぶ人
物やお金を借りて返さない人
相手をばかにしたり、みくだしたり、自分と比較して、自分をよくみせようとする人
人が話している話の内容を奪って、自分の場合に変えて話す人
しゃべらない人。反論しないで黙っているから容認してくれたと思っていたら、陰で悪口を言う人
自分が言ったことで、相手が負担を負うことに気づけない人
権限も責任もないのに取り仕切る人
会話が否定から始まる人
とにかくがんこで、気が短い人
裏表がある人。裏では悪口を言って、表ではおだてる人
えこひいきをする人
いじめをする人
人を攻撃することで、自分の存在をアピールする人
中身よりも形を整えることを優先する人
すぐに、「めんどくさい」と言って、ていねいに仕上げることをしない人
最後半部で著者が、100年前に書かれた今は亡き本の作者と対話できるのが読書のよいところですと記しています。リレーのバトンを渡してもらうように、今回は、数年前に亡くなった著者が残したメッセージをこの本で読むことができました。感謝します。
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