2020年07月19日

キャパとゲルダ 2020課題図書

キャパとゲルダ マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ・著 原田勝・訳 あすなろ書房 2020課題図書

 前回読んだ課題図書「フラミンゴボーイ」が、第二次世界大戦でのおそらく連合国軍のフランスノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)あたりで終わったのですが、こちらの本では、同作戦から始まります。関連づけてあるようです。
 オマハビーチというところを兵隊は進みます。(あとでわかることですが、「フラミンゴボーイ」で出ていたジプシーのロマという移動民族が、こちらのキャパの本でも出てきていて差別されています)
 本の副題は、「ふたりの戦場カメラマン」です。ふたりは、内縁関係にあったカップルであり、相棒のようです。戦場カメラマンの命は短い。ふたりとも戦場で亡くなっています。ふたりともユダヤ人でした。

ロバート・キャパ:1913年-1954年。(元号だと大正2年-昭和29年)ハンガリー生まれの報道写真家。40歳没。本名は、アンドレ・フリードマンでユダヤ人 来日歴あり。

ゲルダ・タロー:女性。1910年-1937年(元号だと明治43年-昭和12年)ドイツ生まれの報道写真家。26歳没。本名は、ゲルタ・ポホリレ。キャパよりも三歳年上でキャパと同じくユダヤ人

 ふたりが取材した戦争として、
 スペイン内戦:1936年-1939年 右派(人民戦線政府。共和国側。ソ連が支援)と左派(反乱軍フランシスコ・フランコ側。ドイツが支援。ドイツ軍空軍部隊であるコンドル軍団のマドリード空爆があった)単なる国内だけの内戦ではなく、世界の国がからんだ代理戦争だった。
 ふたりは、右派の共和国側に従事しています。

 参考として、
 第一次世界大戦:1914年(大正3年)-1918年(大正7年) 連合国対中央同盟国(ドイツほか)
 日中戦争:1937年-1945年 大日本帝国対中華民国
 第二次世界大戦:1939年-1945年 日独伊三国同盟対連合国
 第一次中東戦争:1948年-1949年 アラブ諸国対イスラエル パレスチナ戦争
 第一次インドシナ戦争:1946-1954年 ベトナム民主共和国(社会主義国家)のフランスからの独立

(1回目の本読み)
 文字は読まずに、301ページある全体を1ページずつゆっくりめくりながら、写真をながめました。こうすると、全部を読んだような気になれます。
 6ページには、1936年(昭和11年)当時のヨーロッパの地図があります。いまでは分裂してしまった国家もあります。なつかしい。昔習ったときは、この国の配置でした。
 プロローグがあって、19の章があって、付け足しのA、B、Cがあって、最後部に、人物、組織などの解説があります。
 写真で、なにかを表現しようとしています。
 ふたりが、生きた時代は、世界中で戦争が起こっていた時代でした。もし平和な時代に生まれていたらこんなに早く亡くなることはなかったのでしょう。
 ゲルダ・タローさんの名前が本では、「タロー」で出てくるので、日本人みたいで不思議でした。調べていたら、当時フランスにいた日本人芸術家の岡本太郎さんがロバート・キャパさんの知り合いで、そこから仕事用の名前として付けたそうです。あとで、改名の理由が、ユダヤ人であることを隠すためということもあったと出ていました。改名は変装とありました。自分はどこの国の人間でもないという無所属です。つらいものがあります。

(2回目の本読み)
 Dデイのとき、(1944年6月6日の第二次世界大戦ノルマンディー上陸作戦に同行して戦場写真を撮影。輸送艦サミュエル・チェイスに乗船した)ロバート・キャパは、30歳です。緊張感がみなぎる緊迫した戦闘突入直前の雰囲気から始まります。
 そのときのようすが、恐ろしげに記述されています。海岸の崖の上にいるドイツ兵が狩りをするように連合国側の兵士である人間を撃ちます。どちらも撃たなければ殺される。殺さなければ殺される厳しい状況です。なにが一般人をそこまでさせるのか。人間の業(ごう。心身の活動)をロバート・キャパはカメラをもって撮影します。読みながら、『この写真は、カネになる』と不謹慎なおとなの発想が頭に浮かびます。されど、命を落とすこともあります。リスクが大きい仕事です。
 Dデイを扱った映画のレンタルDVDを借りてきたので、あとで観てみます。Dデイは、作戦決行日1944年6月6日をさします。

 ロバート・キャパの20歳ころの記述が出てきます。詐欺師ではないかと思ってしまいます。むこうみず、ギャンブル好き、話し上手とあります。金に困った、みすぼらしい若者だったとあります。

 機器の発達により、いまでは、素人(しろうと)でも簡単に動画撮影までできるようになりましたが、半世紀以上前の昔は、戦場を撮影した写真は、なかなか手に入らなかったと思います。

 第一章として、1934年 パリ キャパ21歳ぐらいから始まります。
 名前は、ロバート・キャパではなく、本名は、アンドレ・フリードマンとあります。ロバート・キャパは、ペンネームみたいなものです。白黒写真があります。暗くてがんこそうな目つきをした青年です。
 世の中は不安定です。ユダヤ人と共産主義者は一種の病気とあります。伝染病扱いともあります。これが、べつのものたとえば、日本人とか黄色人種とかに置き換えられる怖さがあります。

 出てくる人たちとして、
アドルフ・ヒトラー:ドイツの首相。1889年(明治22年)-1945年(昭和20年)56歳没 自殺
ムッソリーニ:イタリアの君主。1925年(大正14年)-1943年(昭和18年)61歳没 処刑
ルート・ツェルフ:写真のモデル。ゲルタ・タローのルームメイトだった。ふたりは親友
写真家フレッドシュタインとその妻リーゼロッテ:ゲルタ・タローとルートが間借りしていたところ
マリア・アイスナー(通信社の責任者):ゲルタ・タローの雇い主
チーキ・ヴェイス:キャパの子ども時代からの友人
シム:キャパの友人。写真家。正確な名前は、ダヴィット・シミン
アンリ・カルティエ=ブレッソン:キャパの親友。裕福なフランス人。長身、本好き。キャパに報道写真家を名乗ることを勧める。
アタ・カンド:ハンガリー出身の写真家
エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ
(途中で、巻末に登場人物の詳しい説明記事があることに気づきました)
アーネスト・ヘミング・ウェイ:1899年(明治32年)-1961年(昭和36年)61歳没 自殺 ノーベル文学賞受賞 アメリカ人小説家 「老人と海」「陽はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」

 ハンガリーのブダペストでのユダヤ人としての成育歴には厳しいものがあります。人種差別があります。ロバート・キャパは、17歳を過ぎて、ハンガリー→オーストリア→ドイツ→フランスパリと移動していきます。
 ユダヤ人差別によりちゃんとした仕事にも就けません。そのような状況のなかで得た仕事が、写真の仕事でした。
 
 歴史書を読むようです。
 調べた言葉などとして、
ファシズム:独裁的な権力と弾圧
イデオロギー:政治や宗教における観念
アナーキズム:無政府主義
ライプツィヒ:ドイツの都市。先日読んだ瀧廉太郎さんの本で、瀧さんが、明治時代に音楽留学をしていました。
ジョン・ドス・パソスの小説「1919年」:アメリカの小説家の作品
カタルーニャ:スペインの州。独自の歴史と文化をもつ民族意識が強い。
コンパドーレ:同志
アルパルガタス:女性用の靴。かかと付きのサンダルみたい。
アラゴン州:スペイン北東部。フランスと接している。
世界大恐慌:1930年代(昭和5年)。好景気の時に突然景気後退が起こる。1929年アメリカ合衆国で株が大暴落した。
旗幟:きし。はたとのぼり。主義主張
キャプション:新聞、雑誌の見出し、説明文
キュビズム:複数の角度から見た像を重ねて描く。ピカソの絵「泣く女」
二次元:奥行きがない世界。三次元が、現実世界
シュールレアリスム:悪夢、交霊会(死者とのコミュニケーションをはかる)、夢を描く芸術
亡命者:ユダヤ人の弾圧により他国に逃げているキャパとゲルダのこと。
ゲルニカ:スペインの北部にある都市。バスク地方。ドイツ空軍によるスペインゲルニカへの無差別爆撃攻撃。1937年4月26日(昭和12年)に起きた。1937年にピカソが描いた絵画と壁画
コルドバ:スペイン南部にある都市
ブルネテ:マドリードの近く。西のほう。
アリアンサ:共同体が宿泊できるホテルのようなところ? ちょっとわかりませんでした。
フランス革命:1789年-1799年。身分制、領主制の一掃し、資本主義とする。王政崩壊。7月14日フランス革命記念日(バスティーユ牢獄を襲撃。当時は火薬庫)パリ祭
モンマルトル:パリで一番高い丘
パリ万博:1937年開催(昭和12年)
エブロ川:スペインの北東部を流れている川

 アフリカのモロッコがスペイン領だったことをこの本を読んで知りました。昨日見たBSテレビで、モロッコ出身の男性が、スペインに移住してタクシー運転手を続けてきたと言った理由がわかりました。同じモロッコでも、スペイン領モロッコとフランス領モロッコがあったようです。

 スペイン内戦取材の部分を読んでいます。大航海時代に躍進したスペインが衰退化した理由がわかります。右派(人民戦線政府)と左派(反乱軍フランコ側)で対立して、内戦状態の戦争状態で、フランコ政権という独裁政権が誕生しています。暴力で制圧する社会形成です。同じ国の中で同じような民族同士で戦うと国の存続が危ぶまれます。
 
 巻末の記述を先に目を通しました。キャパとタローが夫婦のようであったように、この本の作者もご夫婦で、その生き方、仕事への取り組み方が重なる部分があります。あわせて、本編もふくんで、男女同権、男女平等の意識も表現されています。

 1960年代から70年代は、世界のあちこちで戦争が繰り広げられていたという記述があります。思い出すとそのとおりで、戦争のニュースがよくテレビで流れていました。いまは、ずいぶん平和になりましたが、それでも、紛争地帯が皆無になることはありません。教育がゆきとどいていないので、暴力に頼るのではないかと思いつきました。文字の読み書きができない人が多かったというようなスペイン内戦に関する記述がありました。(男性は25%、女性は40%ぐらいが、読み書きができなかった)<話は脱線しますが、人間は長い間読み書きをしていないと漢字や文章を書けなくなります>
 政権の意向に沿わない者は射殺されてしまいます。
 嘘で固めた平和に見えるスペイン社会があります。装っています(よそおっています)
 
(つづく)
 
 正確な情報が流通していない1936年頃(昭和11年頃)ですのが、情報を伝える報道写真の役割は重要で貴重です。戦場の実態が写真によって細かくわかります。写真ニュース雑誌とあります。
 「静止」している状態を撮影した写真ではなくて、「躍動する動きのある」写真、「感情の動きの表現がある」写真の撮影をめざします。

 良かった記述として、ふたりは(キャパとタロー、あるいはもうひとりの写真家デービッド・シーモア・シムを含めてキャパとシムは)、力をあわせているのであって、競いあっているのではない。生きのびていくためには、分ちあうしかない。
 それから、「二人はまるで作家のように、……、大規模な破壊がもたらしたものを浮き彫りにしてみせた」
 
 男女間の平等が強調されています。ふたりが生きていたころから半世紀以上がたっているのに、男女平等はまだ実現されていないようです。

 1937年7月26日、ゲルダ・タローは、ドイツ空軍に襲われたとはいえ、まるで、事故死のように、協力関係にあった共和国側の戦車にひかれて亡くなります。代わりに戦闘中の写真がたくさん残ります。彼女は、もう死んでもいいと思っていたのか、あるいは、自分は死ぬことはないと思い込んでいたのか、どちらかだったような気がします。ユダヤ人であることで、自国のハンガリーから逃げのびて、母親も亡くなって、なくした希望とひきかえに写真撮影に魂をこめました。文章では、『銃の代わりにカメラをかまえた』とあります。彼女が死ぬ前の数日間に迫真の動きをしたことがわかります。彼女の最後の言葉が、カメラを大事にする言葉になっています。
 ぐっとくる言葉が書いてありました。「ゲルダが死んだとき、キャパは心のカーテンを閉ざした」彼はアルコールにおぼれるようになります。キャパは放浪者となり、伴侶は写真だけです。孤独が見えます。

 戦争難民の徒歩による避難は悲惨です。戦争が起こるたびに、庶民はつらい思いをしなければなりません。

 ソビエト連邦の動きをみていると不信感がつのります。嘘はつくし、約束は破る。相手を裏切ることをなんとも思わないどころか、裏切ってあたりまえのような顔をしているように見えます。
 ヘミングウェイは、どちらの勢力の味方もせず、どちらの勢力も悪いという趣旨で小説を書いたそうです。戦争をする勢力に正しいものはない。同様にキャパも、敵も味方もそれぞれ家族がいるのにどうしてという思いで撮影をしていたと推理します。

 1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻

 ノルマンディー上陸作戦の記事に戻りました。

 キャパは、1954年に来日して、日本のようすをカメラ撮影しています。
 
 キャパは、1954年5月25日に、北ベトナムで取材中に地雷に触れて爆死されました。

 ここまで、濃厚な記述でした。ここから、56年後、キャパの撮影したネガフィルムがメキシコで発見された話につながっていきます。キャパの弟、コーネル・キャパが発見しました。4500枚分です。死んだはずのキャパが再び生き返りました。

(つづく)

 読み終わりました。濃厚な内容なので、なんどかページをいったりきたりしながら読みました。
 心に強く残ったのは、ひとつは、ユダヤ人として生まれてきて、差別される側としての少数者の立場で、迫害を受ける戦時中にあって、なんとか生きようと亡命者になって、名前も変えて、「写真」にすべての魂を打ち込んだふたりの姿でした。そこに、人間として生まれて、人間の誇りをもって、仕事をして食べていくという生命力の強さを感じました。
 ふたつめの強烈な印象は、最初は、片方側の味方として写真撮影をしていたのですが、ふたりは、しだいに戦争のおろかさ、人間の強欲さ、人間のわがまま、がんこさを見たのです。罪もないあかちゃんや女性やこどもたちが、ドイツ軍の空爆にあって亡くなっていく。大量の爆撃機の下で、逃げまどう人たち。戦争難民の困難を伴う長距離の徒歩による逃避移動。
 人間は、自分の主義主張を通すためには、さからう相手を大量虐殺することができる資質をもっている。殺すことが悪ではなくなる。恐ろしい面を人間はもっている。ふたりは、人間のもつ人命よりも欲望優先という暗い部分に気づいたのです。
 ものごとは、常に最悪の方向へと矢印がのびているから、歯を食いしばってなんとしても矢印の方向を曲げる努力が必要だと、彼らの生き方、彼らが撮影した写真群を見ながら思ったのです。
 最後にあった記述、他の地域の紛争に無関心で、介入しない道を選択すると、やがて全世界が戦争に巻き込まれていくという警告も心に残りました。この本では、シリアのことが書いてありました。

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