2020年07月16日

廉太郎ノオト 谷津矢車 2020課題図書

廉太郎ノオト(れんたろうノオト) 谷津矢車(やつ・やぐるま 男性) 中央公論新社 2020課題図書

 作曲家の瀧廉太郎さんのお話しだと思って読み始めます。
 瀧廉太郎さんの出身地の大分県竹田市へは、高校生の時に行ったことがあります。登山に行く途中で立ち寄りました。作品『荒城の月』をそこで聞いたような覚えがありますが、もう遠い昔のことなので記憶が定かではありません。同市内にあった城跡は見学したような記憶がありますが、たしか岡城というような名称でした。そちらの記憶もおぼろげです。
 ご本人は病気で若くして亡くなられたという知識が少しあります。つくられた曲として、春のうららの隅田川という歌詞の『花』を思い出します。
 1879年(明治12年)-1903年(明治36年) 23歳で肺結核のため死去。現在NHK朝ドラ『エール』で古関裕而さん(こせきゆうじさん)がとりあげられていますが、古関裕而さんは、1909年生まれなので、古関さんは日本における西洋音楽をつくった作曲家次世代の方なのでしょう。この本の中では、ドラマで志村けんさんが演じる山田耕作さんが最初のほうで登場されております。
 瀧廉太郎さんの父親の名前が、『吉弘』、母親の名前が、『正(まさ)』

 同時代に東京にいたであろう人としての参考として、
石川啄木:1886年(明治19年)-1912年(明治45年) 26歳没 肺結核 詩人
樋口一葉:1872年(明治5年)-1896年(明治29年) 24歳没 肺結核 小説家

 それから出来事として、
日清戦争:1894年(明治27年)-1895年(明治28年)
日露戦争:1904年(明治37年)-1905年(明治38年)

 43ページまで読んだところで感想は書き始めます。
 全体で8つのパートでできています。序と終があって、その間に六つの章があります。
 序の部分を読みました。主人公の瀧廉太郎さんはすでに病死されています。
 新聞屋と呼ばれる新聞記者が語りますが氏名はまだ不肖です。(結局最後まで不詳だったと思います)
 新聞屋は、なんだかごろつき扱いをされている男性です。取材と称して、不祥事をネタにお金をゆするイメージがあります。「羽織破落戸(はおりごろ)服は立派なのに恐喝をする者」と呼ばれています。紺の羽織をまとった彼は、『瀧廉太郎君の遺作発表』に呼ばれて東京音楽学校にいます。鈴木毅一と幸田幸には歓迎されていません。この『序』の部分の意味は、いまはまだわかりません。もったいぶった感じがします。(最後まで読むとわかります)

 登場人物として、
鈴木毅一(すずききいち):角刈りの男。ワイシャツにサスペンダー(吊り具)羊毛のズボンに黒い革靴。東京音楽学校で、瀧廉太郎より一学年下だが、年齢は二歳年上
バイオリニスト幸田幸(こうだ・こう)女性。瀧廉太郎の二歳年上。出会ったとき、瀧廉太郎が16歳(本科1年生)で幸田幸が18歳(本科3年生)東京音楽学校が誇る才媛(さいえん。才能のある女性)幸田姉妹の妹。姉が、幸田延(こうだ・のぶ)
瀧吉弘:瀧廉太郎と瀧利恵の父親。読んでいて感じるのは、めんどうくさそうな人
瀧利恵(たきりえ):瀧廉太郎の姉で廉太郎より10歳年上。肺結核で20歳で病死する。音楽をとおして弟の瀧廉太郎と心の交流あり。琴を演奏する。
瀧大吉:瀧廉太郎のいとこ。陸軍の技師になる。妻子あり。妻の名が「民(たみ)」
小山作之助:東京音楽学校の教師。めんどうみがいい。
石野巍(いしの・たかし):東京音楽学校予科の同級生だが、年齢は瀧廉太郎よりもかなり上。音楽教師になる。
高木チカ:東京音楽学校予科の生徒。声楽。器楽。卒業後は、音楽教師になる。結婚して杉浦チカとなる。
ケーベル師:東京音楽学校ピアノ教師。ラファエル・フォン・ケーベル。東京大学哲学の教授でもある。
橘糸重(たちばな・いとえ):東京音楽学校ピアノ教師
草野キン:生徒監(せいとかん。不祥事がないように男女生徒の関係を監視する役目をする女性)
吉本光蔵先生:海軍軍隊学の教授
幸田露伴:こうだろはん。小説家。1867年-1947年79歳没。蝸牛庵(かぎゅうあん。かたつむり)というところに住んでいた。(現在愛知県犬山市の明治村に移築されてあり)幸田幸(こうだ・こう)幸田延(のぶ)姉妹の兄
島崎赤太郎:東京音楽学校オルガン教師
由比くめ(ゆいくめ、のちに、東くめ(ひがし・くめ)):東京音楽学校本科三年。許嫁あり(いいなづけあり。婚約中)瀧廉太郎の二学年上。作品『春の海』作詞者
出版社の副社長。教師のような雰囲気。シャツ、ズボン、サスペンダー。四十歳ぐらいで、メガネと口ひげあり。
大久保利通:鹿児島県出身の政治家。明治11年に暗殺された。満47歳没
柴田環(しばた・たまき):高木チカの紹介で瀧廉太郎が教える生徒。のちの日本オペラ界の牽引者(けんいんしゃ。ひっぱっていく人)三浦環。今年放映されている朝ドラ『エール』で女性オペラ歌手が『船頭可愛や』を歌っていましたが、三浦環さんがその役のモデルでした。
巌谷小波(いわや・さざなみ):児童文学者。男性
渡辺龍聖:わたなべ・りょうせい。東京音楽学校校長。音楽は専門ではない。倫理学者
武島羽衣:たけしま・はごろも。『花』の作詞者。東京音楽学校国文学教授
新聞屋の妹:十歳ぐらい。名前は、『鶴』新聞屋の母親も新聞屋と同居している。家宝は三味線。江戸時代は、藩のおかかえ三味線師だった。
土井晩翠:どい・ばんすい。1871(明治4年)-1952(昭和27年)80歳没、詩人、英文学者、『荒城の月』の作詞者
鳥居忱:とりい・まこと。1853(嘉永6年)-1917(大正6年)63歳没、作詞家。瀧廉太郎作曲『箱根八里』の作詞者
姉崎正治:あねざき・まさはる。文筆家、評論家。東京大学哲学科卒。ケーベルに学ぶ。

 意味がすぐにはわからない昔の言葉がたくさん出てきそうです。
給金労働者:サラリーマン
東京音楽学校:1887年創立。東京芸術大学音楽学部の母体。東京上野が所在地。予科が1年間、予科のあとの本科が2年制の師範科と3年制の専修科、卒業後が研究科
主筆:しゅひつ。編集長
御一新:ごいっしん。明治維新のこと
経書:けいしょ。中国、儒教の文献
薫陶:くんとう。この物語の場合は、やり方を見せてこどもの将来をいい方向へと教え導くこと。
川上音二郎の『オッペケペー節』:1891年(明治24年)ころの流行歌。なんだか、ピコ太郎のPPMPみたい。
詮無い:せんない。しかたがない。
闊達:かったつ。寛大で小さなことにこだわらない。
筐体:きょうたい。機械類を入れる箱のこと。
惣領:そうりょう。あととり息子
謹厳:きんげん。まじめ。
凌雲閣:りょううんかく。浅草にあった高層建築。眺望用。大正12年に解体
岡場所:江戸時代に上野そのほかにあった幕府非公認の遊郭。公認されていたのが吉原
洋琴:ようきん。ピアノ
行李:こうり。衣類保管かぶせふたのかご
麹町:こうじまち。東京都千代田区麹町。新宿通り。皇居の西
本郷西片町:ほんごうにしかたまち。東京都文京区西片町。東京大学の近く。道路を隔てて西側
「ハ」:ピアノの中央のドを「一点ハ」という。
グランドピアノ、アップライトピアノ:アップライトはオルガンのような見た目
禍根:かこん。災いの原因
鼠返し:ねずみがえし。ねずみ侵入防止用の器具
曲の終末であるコーダ:曲の終結部分
僥倖:ぎょうこう。思いがけない幸せにぶちあたった瞬間
ロールング:ピアノ演奏の技術。手首の返しを利用して速弾きをする。
ファニング:ピアノ演奏の技術。指を広げて和音を出す。
笑殺:しょうさつ。笑うだけで問題にしない。
ピアノのダンパー:消音機
当て馬:馬の種付けを促せるためにメス馬に見せるだけの馬。仮の者
美土代町(みとしろちょう):神田美土代町。東京キリスト教青年会会館があった。東京駅の北方向
ウェス:布切れ
自家薬籠:じかやくろう。自分の薬箱の中にあるもの
格天井:ごうてんじょう。板が格子状になった天井
忸怩:じくじ。深く恥じ入る。
急霰:きゅうさん。にわかに降ってくるあられ
懊悩:おうのう。悩みもだえること。
招聘:しょうへい。礼を尽くして招く。
策士:たくらむことが上手な人
栄達:出世
擬されている:ぎされる。決定されていないが、あてはめる。
框で膝を折る:かまちでひざをおる。玄関と廊下の境目の部分
耳朶:みみたぶ
ロンド形式:同じ旋律を何度も繰り返す。
与しない:くみしない。味方しない。
イソップ童話の蟹の親子:母ガ二が子ガニにまっすぐ歩けと指導するが自分がまっすぐ歩けなかった。お手本を見せることができないのに指示してはいけない。
門外漢:もんがいかん。そのことについて、専門ではない人
弁えている:わきまえる。承知する。
仄聞:そくぶん。噂に聞く。
官費洋行:政府から支出する費用で、欧米へ留学、旅行をすること。
手管:てくだ。人をうまく利用する。
玩味:がんみ。意味を深く考えて内容を味わう。
汐留川:しおどめがわ。東京都港区、中央区、新橋あたりを流れる川。大部分が埋め立てられた。
麦酒:ビール
酒精:しゅせい。エチルアルコール
古態:こたい。昔のままの姿
開化:文化が開ける。
曲想:きょくそう。曲の構想、テーマ
詩想:詩を生み出すもとになる感情
屹立:きつりつ。高くそびえ立つ。
懐手:ふところで。和服を着たときに、腕をそでに通さない。
顔役:かおやく。ボス
孕む:はらむ。ふくみをもつ。
鎧板の塀:よろいいたのへい。通風、遮光のために、あいだを開けて取り付けた薄い板の塀
腰屏風:こしびょうぶ。腰ぐらいの高さの屏風
御大尽:おだいじん。お金を湯水のごとく使って遊ぶ人。金持ち。富豪
メインモチーフ:主となるイメージ、脇役が、サブモチーフ
倦む:うむ。退屈する。いやになる。飽きる。
羨む:うらやむ。
無間:むげん。仏教用語。絶え間ないこと。
落魄:らくはく。落ちぶれること。
『荒城の月』春高楼の花の園:春、城内での花見の宴(うたげ)
遼遠:りょうえん。はるかに遠い。
咀嚼:そしゃく。言葉の意味を考えながら味わう。
ドイツライプツィヒ:ベルリンの南西方向にある。人口59万人ぐらい。バッハが音楽監督として活躍した聖トーマス教会がある。
無聊:ぶりょう。心が晴れない。
感慨無量:深く心にしみる感情
ムジカリッシュ:音楽的な
効果覿面:こうかてきめん。効き目がすぐに表れてよかったとき
対位法:複数の旋律を調和して重ねる。旋律=メロディー
黙考:もっこう。黙って考える。
転調、調性:長調、短調
無調の音楽:調整のない音楽。中心音がない。電子音楽、効果音の源
弄ぶ:もてあそぶ
アントワープ:ベルギーの北西部にある都市。瀧廉太郎はここから船に乗り帰国する。途中、イギリスのテームズ港、
労咳:ろうがい。結核
剽窃:ひょうせつ。盗用して発表すること。
向島:墨田区。東京スカイツリーの北
櫂:かい。船を進めるための道具
上野不忍の池:しのばずのいけ。上野公園にある天然の池
バッハの謦咳:けいがい。せきばらい。尊敬する人に直接お目にかかる。
床几:しょうぎ。簡易腰かけ
伽羅堂:がらんどう。寺院を守護する神をまつってあるお堂
疲労困憊:ひろうこんぱい
グリッサンド:鍵盤の低音から高音、高音から低音へと、ゆびをすべらせながら弾く。
過渡作:通過地点にある作品
*言葉の意味調べに時間を尽くして、くたびれました。

登場した曲などとして、
バッハ:G線上のアリア
バッハ「小フーガト短調」教会のパイプオルガンで聴くことがある曲
モーツアルト「トルコ行進曲」
ラインベルゲル「三つの性格的小品」のなかの「バラード」
シット「コンサルチノ」
瀧廉太郎「日本男児」
「トコトンヤレ節」(宮さん宮さん)「ピョンコ節」四分の二拍子、四分の四拍子。跳ねているような感じ。ずいずいずっころばしとか、もしもしかめよとか。ピョンコ節のヨナ抜き音階=四七抜き音階。ドからよっつめの「ファ」とななつめの「シ」がない音階
「金毘羅船々」こんぴらふねふね
隷下:れいか。手下、配下
ベートーヴェン「月光第一楽章」
バッハ「メヌエット」
ショパン「夜想曲二番」
メンデルスゾーン「厳格な変奏曲」メンデルスゾーンはプロイセン王国、ドイツの人
モーツアルト「ピアノとバイオリンのためのソナタV380」
フンメル「ソナタ変ホ長調」
ベートーヴェン「エリーゼのために」
瀧廉太郎「メヌエットロ短調」
瀧廉太郎「箱根八里」
瀧廉太郎「別れの歌」
瀧廉太郎「憾」うらみ。残念に思う気持ち
瀧廉太郎「お正月」もういくつねるとお正月

印象に残った部分などとして、
「音楽の醍醐味は調和(はーもにー)にある」醍醐味:本当のおもしろさ。深い味わい
「きみがさっきやったのは、演奏ではない。傍観だ」
三味線は、弦楽器と打楽器を兼ねたもの。あわせて、ピアノには打楽器といえる面がある。
演奏はひとり。が、孤独ではない。
八十八の鍵盤(ピアノ)
何も果たすことなく日本に帰ってきてしまった。
幸田露伴が小説を書く理由を語るシーン
音楽家の道は険しい。音楽家の人生は、別れだけがすべてなのかもしれない。
楽譜さえ残れば永遠のものになる。

 第一章:瀧廉太郎10歳ぐらいから16歳まで。東京音楽学校入学を目指す『予科』まで。東京から大分県竹田市へ引越し。直入郡(なおいりぐん)高等小学校に通う。風琴(ふうきん。リードオルガン。足踏みオルガン)と出会う。いとこの瀧大吉の父親への口添えもあり、父親に東京音楽学校入学を許されて、その後東京へ戻る。
 明治時代の上野公園あたりの風景を想像しながら読んでいます。なかなかいい雰囲気です。1893年頃、今から127年ぐらいまえの上野駅から上野公園、東京芸術大学、東京大学周辺の景色です。

(つづく)

 物語からは離れてしまうのですが、音楽について考えてみました。NHKの番組で、『駅・空港・街角ピアノ』を観ているのですが、けっこう感動的なシーンが映ります。世界各地、日本もふくめてが舞台です。駅や空港の通路にだれでも弾けるピアノが置いてあります。
 老若男女、多国籍、職業多種多様な人たちがピアノの鍵盤にタッチして、思い思いのミュージックを奏でます。世の中にはこんなにたくさんピアノを弾ける人がいるのかと驚きつつ、独学でやっていますとか、家にピアノがないのでこのピアノで練習していますとか言葉があり、生まれつき弾ける才能がある人にとって練習は苦痛とか困難ではなく、娯楽とか快感なのだということがわかります。
 最後に思うのは、音楽には、『境界線』がない。音楽には、国境とか、国籍とか、人種とか、格差とか、健常者とか障害者とかの境界がありません。平等で、かつ、自由です。音楽は、世界の共通語であり、ミュージシャンは、『平和』の発信者で、そして、音楽を生活の糧(かて、収入資源)としなくても、だれでも、なろうと思えばなれるのがミュージシャンです。

 第二章:東京音楽学校での学習風景です。教師や生徒新しい人たちとの出会いがあります。学びながら成長していく過程にある瀧廉太郎の姿があります。
 登場人物たちの才能に関する表現がおおげさかなと思いながら読んでいる97ページ付近です。リアリティに距離感をもちます。優秀すぎて、現実離れしすぎのような。
 点数を付けたがる幸田姉妹の姉延(のぶ)さんの部分を読みながら、先日テレビ番組「徹子の部屋」に出ていた女性タレントさんが、教師をしていた母親がなにかにつけ、「いまのは何点」と点数を付けるのでいやだったという言葉を思い出しました。
 滝廉太郎は若い16歳ですが、あと7年ぐらいしか生きられないと思いながら読んでいます。
 音楽とは、そんなに難解なものなのかと思いながら読んでいる112ページ付近です。音楽とは、気楽に楽しめる娯楽だと思うのです。登場人物たちは、厳しい心持ちでピアノやバイオリンの演奏に取り組むのですが、人から見たら厳しそうでも、本人たちは達成感を味わいながら自らの意志で楽しみながら演奏しているような気がするのです。

第三章:瀧廉太郎がテニスをしています。まだ17歳です。また、明治時代は、未成年でも飲酒ができたようです。1898年(明治31年)19歳で卒業までが第三章です。本科を卒業して研究科へ進みます。発見として、指先だけではなくて、体重をのせて体全体でピアノを演奏する。伏線として、東京麹町の家の思い出として、『水琴窟(すいきんくつ)』と二十代初めで肺病のために病死した姉のこと、そして姉とひいた琴の演奏
 親からの支援を受ける代わりにもう家には帰って来るなと縁切りを父親から宣言されます。音楽の道を志すということが、親子の縁を切らねばならないほどの理由になるとは思えないし、その後修復もできると考えるのですが、瀧廉太郎さんは、若くして病気で亡くなってしまったので親子両方にとって最悪なやりとりです。親子はなるべく子の進路で対立しない方がいい。親の方が折れるべきです。こどもの人生はこどものものです。
 東京音楽学校を卒業する女性には、結婚する人もいます。この時代、女性にとっては、結婚=就職のような時代背景があります。
 ピアノの演奏に関する記述ですが、文章に表現されているものと現実の感覚とは異なると思って読んでいます。音楽演奏光景は、小説の世界での文章表現だと感じています。ピアノの演奏の記述だと、小説ではほかに「蜜蜂と遠雷」とか、「羊と鋼の森(ひつじとはがねのもり)」を読んだときにそう感じました。
 
第四章:ずーっと読んできているのですが、瀧廉太郎氏の人物像がいまひとつ浮き彫りになっていないような印象があります。弱気な面しかいまのところ表れていません。自身の演奏の弱点として、『旋律が弱い』というところが強調されています。旋律=メロディー。ドイツ留学の話が出ますが瀧廉太郎は固辞します。

第五章:瀧廉太郎は、研究科二年生にすすみ、さらに、東京音楽学校ピアノ講師になりました。週二回本科の講義を受け持ちます。瀧廉太郎の目標は、幼年教育のための『幼稚園唱歌』という唱歌集と学齢期のこどもからおとなまでのためにつくる『四季』という組曲集に作曲家として関わりをもつことですが、東京音楽学校側から、命令という形で、10月から三年間ドイツに行くことを指示されます。(交渉で、翌年四月からに変更されます)

 物語の終わりが近づいてきましたので、どうやって、最初のシーン(瀧廉太郎死去後の演奏会)にもっていくのか楽しみです。

 東くめと瀧廉太郎の『幼稚園唱歌づくり』が始まります。春夏秋冬で曲をつくります。鈴木毅一は宮崎県にある師範学校の音楽教師として赴任したので、メンバーから離れてしまいました。

 明治30年ころで、新聞を読める人は少なかったとおもう。当時の文章がむずかしい。

 新聞屋の素性に光があてられます。あんがい、この物語の本当の主役は、まだ名もわからない新聞屋ではないのか。

第六章:瀧廉太郎が亡くなります。ドイツライプツィヒで結核に感染して帰国し、東京から、ふるさと大分県竹田市の実家へ戻ります。いま読んでいると瀧廉太郎の結核と現在の新型ウィルスの感染拡大が重なります。同じく肺の病気で、昔は、結核で多くの人たちが若くして亡くなりました。

 読んでいると、自分自身の知り合いで、若くして二十代で亡くなった優秀な人のことなどを何十年ぶりかで思い出しました。
 だれもかれもがふつうに長く生きられるわけではないと己の幸運に感謝するばかりです。

 新聞屋は、好かれていないけれど、小説のなかでは、重要な役割を担っています。

 歴史の記録書を読むようでした。淡々と進行していきます。時代背景とか、時代の流れとか、東京の成り立ちとか、いろんなことが知識として増えました。今年読んで良かった一冊になりました。

 以前、岐阜県で、『水琴窟(すいきんくつ)』の音を聴いたことがあるのを思い出しました。

 読み終えました。1週間ぐらいかかりました。
 新聞屋の家族が出てくるラストが良かった。
 『瀧廉太郎』という個性は、楽曲として、この世に生き残りました。

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