2020年07月02日
風を切って走りたい 高橋うらら 2020課題図書
風を切って走りたい 高橋うらら 金の星社 2020課題図書
伝記の形式で、体が不自由な人が運転する自転車づくりに取り組んでおられる東京都足立区内にある堀田製作所の堀田健一さんを紹介する本です。堀田さんが考案、製作された自転車に乗っている人たちがたくさんの写真で本に載っていますが、みなさん笑顔です。
本の巻頭にあるカラー写真の自転車は、初めて見るスタイルのものばかりでした。いわゆる世界に一台しかないという、乗る人とマッチした自転車です。
人間には、『移動の自由』という権利があります。いつでも、どこでも、自分の行きたいところへ自分の力で行く。それを手助けしてくれるのが、交通手段であり、移動手段としての道具だったりします。でも、だれもが、簡単に移動できるわけではないということを教えてくれたのがこの本です。
2018年(平成30年)10月21日
大阪在住中学一年生男子 下半身が不自由でうまく歩けない。
ある日のこと
つえをついた五十代ぐらいの女の人。片方の足が不自由
1983年(昭和58年)
北海道在住小学4年生の男の子が小児マヒで片足が不自由
1987年頃(昭和62年)
女性で右足が不自由。杖を利用
長野県塩尻市在住
男子高校生。中学二年生で脳出血を起こして右半身がマヒ
東京都八王子市在住
女性。左足が不自由
長野県佐久市在住
男性。左足が不自由
以上を読んできて、自転車が行動範囲を広げてくれている。世界を広げてくれていることがよくわかりました。
受賞、おめでとうございます!
2005年:シチズン・オブ・ザ・イヤー
2007年:吉川英治文化賞 東京都足立区文化賞
「創意工夫をして、なにもないところに、新しいなにかを創り(つくり)出すことが好き」
新しい自転車ができあがったときの充実した達成感があります。
なにもなかった昔の生活が原点になっています。電気もガスも水道もなかった時代がありました。そして、それは、それほど大昔のことではありません。わたしがこどものころにもやはり、堀田さんの暮らしぶりと同様に、家には、ガスも水道もありませんでした。
燃料は、薪や練炭、豆炭、石炭、水は、井戸や山の湧き水でした。
人間は不便な環境のなかにあっても、つましくささやかな生活を送っていました。
本に書いてあるように、確かに、昔は、自転車は高価な品物でした。自転車を買ってもらうということには、特別な意味合いがありました。
『贈り物』です。31ページに、高校入学祝いとしてのプレゼントに自転車の記事があります。
昔の男の子の一部には、生活が不便であるがゆえに、いわゆる『発明』に夢中になる少年時代がありました。ついでにお金もありませんでした。
なにもかも物にあふれた今は、逆に、少年たちにとっては、つまらない生きにくい時代なのかもしれません。
自転車をつくることも夢、会社をつくることも夢、今思えば、夢に満ちた時代でした。堀田健一さんは、1979年(昭和54年)秋、36歳で自転車をつくる『堀田製作所』を立ち上げておられます。
調べた単語などとして、
S600:ホンダの真っ赤なスポーツカー。ツードア、オープン、クーペ、606cc 全長3300mm 全幅1400mm
踏み込み式の自転車:ペダル式自転車は、ペダルを回転させて、ペダルをこぐことによって前進する。踏み込み式は、ペダルを踏むことによって自転車が前進する。片方だけ踏んでもいいし、両方をいっぺんに踏んでもいい。
サリドマイド:睡眠薬。妊婦が服用して奇形な部分があるあかちゃんが生まれた。
奥さんとの二人三脚を読んでいると、ずば抜けた能力を持っている人でも、まわりに支えてくれる人がいないと夢をかなえることはむずかしいと感じます。
人生は障害物競争です。堀田さんに資金不足をはじめとして、次々と困難が押し寄せてきますが、まわりの人の助けもかりてなんとか克服していかれます。
堀田さんは、物づくりが好きということに加えて、人のために働くことに喜びを感じるようになります。支えは、お客さんの『笑顔』です。
両手が使えなくても乗れる自転車があります。自転車は、手を使って、ハンドルで方向を変えるものという固定観念からの脱却があります。
思うに、人間は、だれでも最後は障害者になります。加齢による高齢化で、目は見えなくなりますし、耳も聞こえづらい、内臓疾患で、人口透析になったり、外科的手術を受けて、歩行がむずかしくなったりもします。障害者にとって暮らしやすい社会は、当然、健常者にとっても暮らしやすい社会です。若い時には、そういうことがわかりませんでした。
旅行による癒し(いやし。リラックス。気分転換。安らぎと平穏)の時間帯があります。
『インターネット』という手段が、多くの夢をかなえてくれています。
『インターネット』がなかった時代には、たくさんの人たちが夢をあきらめていたことでしょう。
収益優先の大企業ではなかなかやれない少数対象者のための貢献が光っています。
読んでいてひらめいたことがあります。誤操作で交通事故を起こしてしまう超高齢者が、自動車の運転をやめて、自動車から自転車に乗りかえることができる工夫をこらした自転車づくりができるのではないだろうかというアイデアです。
心に響いた部分などとして、
(堀田さんが、片足が不自由な小学4年生の男の子ががんばる姿を見て)「今までの自分ではない自分がめばえた」
伝記の形式で、体が不自由な人が運転する自転車づくりに取り組んでおられる東京都足立区内にある堀田製作所の堀田健一さんを紹介する本です。堀田さんが考案、製作された自転車に乗っている人たちがたくさんの写真で本に載っていますが、みなさん笑顔です。
本の巻頭にあるカラー写真の自転車は、初めて見るスタイルのものばかりでした。いわゆる世界に一台しかないという、乗る人とマッチした自転車です。
人間には、『移動の自由』という権利があります。いつでも、どこでも、自分の行きたいところへ自分の力で行く。それを手助けしてくれるのが、交通手段であり、移動手段としての道具だったりします。でも、だれもが、簡単に移動できるわけではないということを教えてくれたのがこの本です。
2018年(平成30年)10月21日
大阪在住中学一年生男子 下半身が不自由でうまく歩けない。
ある日のこと
つえをついた五十代ぐらいの女の人。片方の足が不自由
1983年(昭和58年)
北海道在住小学4年生の男の子が小児マヒで片足が不自由
1987年頃(昭和62年)
女性で右足が不自由。杖を利用
長野県塩尻市在住
男子高校生。中学二年生で脳出血を起こして右半身がマヒ
東京都八王子市在住
女性。左足が不自由
長野県佐久市在住
男性。左足が不自由
以上を読んできて、自転車が行動範囲を広げてくれている。世界を広げてくれていることがよくわかりました。
受賞、おめでとうございます!
2005年:シチズン・オブ・ザ・イヤー
2007年:吉川英治文化賞 東京都足立区文化賞
「創意工夫をして、なにもないところに、新しいなにかを創り(つくり)出すことが好き」
新しい自転車ができあがったときの充実した達成感があります。
なにもなかった昔の生活が原点になっています。電気もガスも水道もなかった時代がありました。そして、それは、それほど大昔のことではありません。わたしがこどものころにもやはり、堀田さんの暮らしぶりと同様に、家には、ガスも水道もありませんでした。
燃料は、薪や練炭、豆炭、石炭、水は、井戸や山の湧き水でした。
人間は不便な環境のなかにあっても、つましくささやかな生活を送っていました。
本に書いてあるように、確かに、昔は、自転車は高価な品物でした。自転車を買ってもらうということには、特別な意味合いがありました。
『贈り物』です。31ページに、高校入学祝いとしてのプレゼントに自転車の記事があります。
昔の男の子の一部には、生活が不便であるがゆえに、いわゆる『発明』に夢中になる少年時代がありました。ついでにお金もありませんでした。
なにもかも物にあふれた今は、逆に、少年たちにとっては、つまらない生きにくい時代なのかもしれません。
自転車をつくることも夢、会社をつくることも夢、今思えば、夢に満ちた時代でした。堀田健一さんは、1979年(昭和54年)秋、36歳で自転車をつくる『堀田製作所』を立ち上げておられます。
調べた単語などとして、
S600:ホンダの真っ赤なスポーツカー。ツードア、オープン、クーペ、606cc 全長3300mm 全幅1400mm
踏み込み式の自転車:ペダル式自転車は、ペダルを回転させて、ペダルをこぐことによって前進する。踏み込み式は、ペダルを踏むことによって自転車が前進する。片方だけ踏んでもいいし、両方をいっぺんに踏んでもいい。
サリドマイド:睡眠薬。妊婦が服用して奇形な部分があるあかちゃんが生まれた。
奥さんとの二人三脚を読んでいると、ずば抜けた能力を持っている人でも、まわりに支えてくれる人がいないと夢をかなえることはむずかしいと感じます。
人生は障害物競争です。堀田さんに資金不足をはじめとして、次々と困難が押し寄せてきますが、まわりの人の助けもかりてなんとか克服していかれます。
堀田さんは、物づくりが好きということに加えて、人のために働くことに喜びを感じるようになります。支えは、お客さんの『笑顔』です。
両手が使えなくても乗れる自転車があります。自転車は、手を使って、ハンドルで方向を変えるものという固定観念からの脱却があります。
思うに、人間は、だれでも最後は障害者になります。加齢による高齢化で、目は見えなくなりますし、耳も聞こえづらい、内臓疾患で、人口透析になったり、外科的手術を受けて、歩行がむずかしくなったりもします。障害者にとって暮らしやすい社会は、当然、健常者にとっても暮らしやすい社会です。若い時には、そういうことがわかりませんでした。
旅行による癒し(いやし。リラックス。気分転換。安らぎと平穏)の時間帯があります。
『インターネット』という手段が、多くの夢をかなえてくれています。
『インターネット』がなかった時代には、たくさんの人たちが夢をあきらめていたことでしょう。
収益優先の大企業ではなかなかやれない少数対象者のための貢献が光っています。
読んでいてひらめいたことがあります。誤操作で交通事故を起こしてしまう超高齢者が、自動車の運転をやめて、自動車から自転車に乗りかえることができる工夫をこらした自転車づくりができるのではないだろうかというアイデアです。
心に響いた部分などとして、
(堀田さんが、片足が不自由な小学4年生の男の子ががんばる姿を見て)「今までの自分ではない自分がめばえた」
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