2020年04月27日

あの日のオルガン 邦画DVD

あの日のオルガン 邦画DVD 2019年公開

 うんとこしょ、どっこいしょの影絵から始まります。
 東京大空襲から保育園に通う幼いこどもたちを守るために、埼玉県内のお寺で、「疎開保育園」を開設して運営していく物語でした。実話の映画化です。
 感動しました。戦争はやめよう。反戦映画です。
 冒頭、こどもたちだけを疎開させることに反対する親たちの姿があります。東京には空襲はないと主張されます。危機感がありません。病気にしても自然災害にしても、「自分は大丈夫」は、大丈夫ではありません。被害者になってようやく自分が当事者であることに気がついても遅いのです。

 いろいろとなつかしい。ちいちいぱっぱの歌は久しぶりに聴きました。すずめのがっこの先生です。
 現在高齢となられた女性向けの映画と受け取りました。
 昭和30年代から40年代のなつかしい感触がただよっていました。こどものころ、公民館とか、集落にあった集会所で観た映画の雰囲気です。
 映像の中の世界は、舞台劇を観ているような感覚もありました。保母たちの会議、話し合いのシーンでは、労働組合の活動映画のようなイメージが湧きました。

 力と緊張感のこもった映画です。ときに、くそまじめすぎる面もあります。屋外でのトイレのことは、当時の農家の暮らしぶりをふりかえってみると、村人たちは意外におおらかだったと思います。農作業中の排泄は屋外でするものでした。
 また男女の恋愛に関しても映像で表現されているほど村人たちはいじわるではなかったと考えます。

 物語を歌でつなく一面があります。「どんぐりころころ」→「ちいちいぱっぱ、すずめの学校」→「おててつないで」→「おさるのかごやだほいさっさ」→「杉の子おきなさい」→「この道はいつか来た道」→「あかりをつけましょ ひなまつり」→「ふるさと うさぎおいしかのやま」

 子役のこどもたちが生き生きしていました。
 ケン坊がかわいい。両親を戦災で亡くなったことを、保母がケン坊に告知するときのリズム感のあるかけあいが涙を誘いました。ケン坊は戦争孤児になってしまいました。

 疎開保育園が、孤児院のようになっていきます。

 ちいさなこどもといっしょに寝るとあったかい。

 もう亡くなった自分の祖父が、戦争で、貯金は全部パーになってしまったと言っていたことを劇中のシーンを見ていて思い出しました。同じく亡くなった親父が、自分がこどものころに、竹トンボをつくってくれたことも思い出しました。この映画を観ていると、もうとうに亡くなった親族の記憶がよみがえってきます。

 映画の中で、保母さんのひとりが空襲で亡くなった出来事は悲しかった。そのシーンのBGMがミュージックではなく、小川のせせらぎの音だったところが良かった。

 記憶に残ったセリフなどとして、「本当に空襲が来たらどうなるか、よく想像してください」、「(亡くなった保母の)よっちゃんはここにいる。きっと」からつづく「できる」までのくだり。「悲しみかたは人それぞれよ」、「文化的生活をする」、「深いところでずっとぐらぐら怒っているんだ」、「無条件降伏」、「東京大空襲の死者10万人」、「53人の園児の命が救われた」、「乙女」

 官公庁の職員が、酒と女性の接待で権限を行使していたかのようなシーンがあります。事実ならそういうことはやめてほしい。

 「アカガミ 赤紙」という言葉は最近聞かなくなりました。戦地への召集令状です。

 女性でないと出てこないようなセリフがいっぱいあって感心しました。

 肥後守(ひごのかみ こどもの頃によく使った小刀こがたな)を映像ですが久しぶりに見ました。

 本編を鑑賞後、特典で付いていたメイキング映像も楽しみました。

この記事へのトラックバックURL

http://kumataro.mediacat-blog.jp/t138846
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい