2020年03月10日

盆まねき 富安陽子

盆まねき 富安陽子・作 高橋和枝・絵 偕成社

 2011年に発行されている本です。
 霊魂とか妖怪、お化けが出てくるお話が始まるようです。
 お盆には、天国にいった亡くなった人の魂がふるさとに帰ってきます。
 本の表紙には、ゆかたを着た小学生の女の子が、階段のようになっているはしごの途中に立っています。はしごの先には黄色い大きな月が輝いています。月から来た少女のようにも見えます。たぶん彼女が、この物語の主人公であるなっちゃんなのでしょう。(あとで出てくる「月のたんぼ」の絵でした。女の子はなっちゃんではなくて、フミおばちゃんでした)

 まえがきがあります。7月なかば。お盆は、8月なかばとなっています。
 小学三年生のなっちゃんが主人公です。おとうとのさとるくんは、まだよちよち歩きですから、1歳を過ぎたあたりの年齢でしょう。
 毎年、ママのほうのおじいちゃんである笛吹山のヒデじいちゃんから、お盆には来てねの便りが届きます。笛吹山をほらふき山ともいいます。笛吹山までは、特急電車とバスで5時間ぐらいかかります。

「ナメクジナメタロウ おじいちゃんの話 8月12日」
 絵がリアルです。
 大ばあちゃん:なっちゃんのお母さんの父親のお母さん。なっちゃんからみて、ひいおばあちゃん。ママのお姉さんとして、昌おばさんと章子おばさん。おじいさんが、ヒデじいちゃんで、おばあさんが、ミチばあちゃん。
 今は少なくなった、お盆に親戚一同が集まる帰省風景です。今は、年寄りは増えましたが、年寄りと濃厚な交流をするこどもは減りました。
 高坏:たかつき。仏さまにそなえる食物をのせる台。位はいは、ヒデじいちゃんのお父さんとお兄さんのシュンスケさんと「先祖代々」のお位はいです。
 ママの弟の昭平おじさんと奥さんの律子さん、なっちゃんと同い年のいとこのトッチン。
 ナメクジのお話です。ヒデじいちゃんがこどものころのホラ話です。おもしろい。作品中にある言葉として、「うそとホラは少し違う。人をだますのが、うそ。人を楽しますのがホラ」
 シマサンゴアナナスの植木鉢:パイナップル科の植物。赤い花
 ゴシック体で書いてあるのが今のことの文章で、明朝体で書いてあるのが、お話し部分です。お化けが出てくるのかと思ったら出てきません。ナメクジに人間のような魂が宿っているのです。
 ナメタロウは、ヒデじいさんと今はもう亡くなったシュンスケにいさんがつけたナメクジの名前です。

「月の田んぼ フミおばちゃんの話 8月13日」
 登場人物がたくさんなので、メモで家系図をつくりました。とてもむずかしい。なんどか作り直しました。
 物語のほうは、お月さんが目の前にあって、そこにたんぼがあって、うさぎがいて、やがて、月は空にのぼっていくのです。楽しいホラ話です。まっしろしろすけのお餅がふってきたのは神秘的でした。

「かっぱのふしぎな玉 大ばあちゃんの話 8月14日」
 かっぱのお話です。場所は、九州と韓国の間にある島、対馬です。かっぱはかっぱでも、川にいるかっぱではなくて、海にいるかっぱです。それから、かっぱはひとりだけじゃなくて、たくさんいるのです。さいごに、戦争はやめようというメッセージがあります。ヒデじいちゃんのお兄さんのシュンスケさんは特攻隊員で戦死しています。
 103ページにあるかっぱの絵は、ユーモラスですが、不気味でもあります。そして、かっぱが多い。六人もいます。
 亡くなった人たちの魂は、海に沈んでいる石のなかにあります。石には、「青海魂(あおみたま)」という名前が付いています。かっぱは、海藻で、青海魂を磨きます。青海魂は、光って、やがてあの世へのぼっていくそうです。
 太平洋戦争中、自分が死ぬことがわかっているのに、アメリカの船にぶつかっていかなければならない。そういう命令を出す人間と、従う人間がいました。一番怖いのは、妖怪ではなく人間なのでしょう。

「盆踊りの夜 8月15日」 「もうひとつの物語」 8月15日は、終戦記念日です。
 現在60才代の世代の人の思い出話を読むような文学作品です。
 ゲゲゲの鬼太郎のような本かと思っていましたが、読み終えてみると違っていました。戦争の犠牲者に対する慰霊のための本です。
 ヒデじいちゃんとミチばあちゃんの九人の孫たちが集まっています。ヒデじいちゃんのお兄さんであるシュンスケおじさんは特攻隊に参加して亡くなったのでそこにはいません。いませんが、ちがうところにいます。
 なっちゃんは、盆踊りのやぐらをはさんで、こっちの世界とあっちの世界に分かれた世界にいます。不思議な体験です。みんながいなくなって、亡くなったシュンスケおじさんが少年になって現れます。場所は墓地で、満月が輝いています。そして、かっぱのこと。
 輝く石段は、月まで届いています。盆まねきのお話があります。月のうさぎたちが、稲刈り歌を合唱する声が聞こえてきます。
 ゆうれいは、こわくない。この世にいる人が、あの世にいる人を忘れられなくてつくったのが、「ゆうれいです。この世にいる人が、あの世にいる人を忘れてしまったら、もう、ゆうれいは、出てくることができない」、神秘的な光と色彩が広がります。「思い出してくれて、ありがとう。なっちゃん」とあります。今度から、大きな満月を見たら、この物語を思い出しそうです。
 「もうひとつの物語」では、鹿児島県の知覧でゼロ戦を見学したことがあるので、読みながら、そのときのことを思い出しました。


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