2020年03月02日

ごみじゃない minchiみんち

ごみじゃない minchiみんち PHP

 いっけんおとな向けの絵本にみえますが、よーく読んでみると、こどもさん向けの読み聞かせに最適です。おもちゃがなくても、ままごと遊びができるように豊富なアイデアを提供してあります。
 以前、樹木希林さんと内田裕也さんの娘さんである内田也哉子さんが翻訳した絵本を読んだことがあるのですが、たしかそこに、自分がこどものころに、自分の両親は、自分にいっさいおもちゃを買ってくれなかった。それでも不自由はしていなかった。自分は家の中にあるものをおもちゃにして遊んでいた。たとえば、傘をおもちゃにしていたと書いてあったような記憶が残っています。そのことを思い出しました。
 この本では、幼児にとって楽しい遊び道具がいっぱい出てきます。図画工作のアイデアも生まれます。

 ごみと思われるものを有効活用します。全部で85通りのアイデアが描いてあります。かなり、ボリュームがあります。
 ごみをごみにしないと、いっけんむずかしいものがあります。なぜなら、もったいないは、ものが増えすぎて、ごみ屋敷化するからです。なんでも「循環」が必要です。新しいものを手に入れたら、古いものは処分することが清潔に暮らす基本です。そんな先入観をもちながら読み始めました。
 ヒットだと思ったいくつかです。お寿司のおしょうゆが入れてあるお魚型の小さな容器をいくつもおふろに浮かべてきんぎょすこいごっこ。同じくお寿司の仕切りに使われている草のはっぱ型の「ばらん」を絵を描くときに草として貼る。ポッキーの空き箱を筆箱として使用する。レトルカレーの空き箱をタブレット(端末)として使用する。おとうさんがはかなくなったふるいズボンをはいて時代劇ごっこをする。よくあることとして、ペットボトルを花瓶にする。トイレットペーパーのしんもいろいろ使って楽しめます。かまきりの卵はなつかしい。
 読んでいるうちに、「ごみ屋敷」のイメージとは違うという思いが生まれてきます。
 お金に余裕がない家の遊び、とくに、昭和20年代、30年代を過ごしたこどもたちの遊び方を思い出します。物はなくても発想はあった。昔、新聞紙を丸めてガムテープでぐるぐるまきにして、ドッヂボールにして遊んだことを思い出しました。新聞紙ボールは、当たっても痛くなく、簡単につかめて快適でした。
 ページの左端に、女児の体で数値を表現した絵があります。パターンに富んでいて自由なところがいい。物の再利用も含めて、いろんなことが凝縮されている本です。
 物に対する愛着心とか執着心が伝わってきます。
 さいごにある「たからものタウン」がにぎやかでいい。
 こどもの世界が広がります。


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