2019年12月23日
言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか ナイツ 塙宣之
言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか ナイツ 塙宣之(はなわ・のぶゆき) 聞き手 中村計 集英社新書
50ページぐらいまで読んだところです。今年読んで良かった1冊になりそうです。
最近お笑い番組に興味が湧いて、M-1ぐらんぷりのDVDを借りて来て観ています。仕事優先で20年間ぐらいあまりテレビを観ていなかったので新鮮です。だから、芸人さんのことをあまり知りません。
うまいだけでは、M1でチャンピョンにはなれない。コンテストでのその瞬間に、「芸人としての強さ」がいると書いてあります。
本人の芸人志望の動機がおもしろい。小学4年生の時に「ウンコの歌」をつくったときから始まります。本人は、お笑いを求めることを「病(やまい)」と称しています。
本気モードでできあがっている本だと感じました。
第1回大会参加者1603組が、第10回で4835組まで増加した。本人いわく、「M1がなかったら芸人を辞めていたかも」人材発掘のためにコンテストは必要です。
M1ぐらんぷりに4年間のブランクがあったことは知りませんでした。(だから、DVDがレンタル店においてないのかと気づきました)
これから、関東芸人の自分たちが優勝できなかった言い訳をするそうです。
いいわけのひとつは、漫才には関西弁が合うということです。いろいろ書いてあります。「『なんでやねん』は魔法の言葉」納得できます。
「しゃべくり漫才」、「コント漫才」。ボケとツッコミというのは、わたしには実際の漫才を見ていてもどっちがどっちなのかよくわかりません。両方を演じているコンビもいるように見えます。知っていてとぼける、あるいは、知らずにとぼけるのが、ボケのほうとも思えません。
知らないことが多いので、勉強のためのテキストを読むつもりで読んでいます。「NGK:なんばグランド花月」、「NSC:吉本総合芸能学院」
上方漫才は、きちんとしたかっこうをする。スーツとネクタイなど。
「練習しすぎないようにする」、漫才はお客さんといっしょにつくっていくもの。無観客の前でやっても得るものがない。
コンビだからといって、必ず仲がいいわけでもない。
調べた言葉として、「あざとい:抜け目なくあくどい」、「色物:寄席で、落語と講談以外の芸。東京では漫才が色物。関西では逆」、「漫才は、東京では靴下姿でやる。関西では、靴を履いてやる」
愛知県出身のスピードワゴンは異色。漫才の定義が狭かった時代だったので彼らの漫才が受け入れられないことがあったことは残念とのこと。
(つづく)
「M-1は100メートル走」の説明には納得します。
ひたすらダッシュの内容のなかで、2010年のスリムクラブは逆転の発想でおもしろかったという部分に共感します。DVDで観ました。無言の時間帯がとても長かった。でも、大笑いできました。新鮮でショックを受ける漫才でした。本人たちの個性が放つ魅力が大きかった。
M1は、持ち時間が、一回戦で2分間しかないそうです。短い。二・三回戦で3分間、以降が4分間だそうです。
参加者の数が多いからしかたないのでしょう。テレビ的です。
ネタ=よくできている話。だれでもできる。いろんな人が演じることができる。フリートークとは異なる。(このへんは、簡単には理解できそうにありません)
調べたことなどとして、「ギャロップ:林健 毛利大輔 吉本興業」、「ミキ:昴生こうせい、亜生あせい 兄弟 吉本興業」、「内海桂子師匠:現役、97歳」、「自家薬籠中:じかやくろうちゅう。いつでもすきなときに使うことができる。自分の薬箱の中にある薬のたとえ」、「隘路:あいろ。狭くて通行困難な道」、「貶める:おとしめる」
著者は、アメトークで、運動が苦手な芸人というコーナーで出ています。運動のできなさがとても笑えるのですが、この本では、漫才を学者さんのように分析されておられます。人には、複数の面があると知るのです。
ぼけとつっこみと客席が三角になって雰囲気をつくって笑いを生み出すということを強調されています。共感します。客席を意識しないと漫才ではなく、コントになるそうです。
いろいろ読んでいると、阪神巨人さんというのは偉大であることがわかります。
志望動機が、幼稚園の時にうんちをもらして、ばかにされて、いじめられて、そのストレスをドリフターズや俺たちひょうきん族で解消して、自分も笑いをとる人になりたいと考えて、「うんこの歌」をつくって、人気者になって、小学生で、お笑い芸人になることを決心したとあります。
だから、お笑い芸人の仕事を苦しいとは思わないそうです。むしろ楽とあります。
上達のコツは、とにかく1本でも多くのネタを書くこと。
台本は細かく書かない。箇条書きとおおまかな流れでいい。
自分らしさをだすために、M1で優勝をめざさない。
関西弁とか江戸弁のところを読んでいるときに、フーテンの寅さんの口上(こうじょう。型にはめた口頭伝達)を思い出しました。
言葉の学習本のようです。
本音がいっぱい書いてあるいい本です。
準決勝、そして、決勝にもってくるネタがむずかしいそうです。M-1は新しいものを求めているのですが、新しすぎるネタを打つと空振りしてしまう。かといって、古いネタでは、飽きられる。
印象に残ったフレーズなどとして、「漫才において、笑いと時事ネタは相性がいい」、「笑いは庶民が権力者に対抗するために身につけた最強の武器」、「言い間違え漫才」、「練習しなければならないネタは、機械っぽくなってしまう」、「霜降りは、お客さんに喜んで欲しいという思いが体全体からあふれ出ていた」
芸人さんは、学校時代にいじめにあっていた人が多い。芸人には、笑いでいじめをはねかえす強さがある。
いい本でした。
50ページぐらいまで読んだところです。今年読んで良かった1冊になりそうです。
最近お笑い番組に興味が湧いて、M-1ぐらんぷりのDVDを借りて来て観ています。仕事優先で20年間ぐらいあまりテレビを観ていなかったので新鮮です。だから、芸人さんのことをあまり知りません。
うまいだけでは、M1でチャンピョンにはなれない。コンテストでのその瞬間に、「芸人としての強さ」がいると書いてあります。
本人の芸人志望の動機がおもしろい。小学4年生の時に「ウンコの歌」をつくったときから始まります。本人は、お笑いを求めることを「病(やまい)」と称しています。
本気モードでできあがっている本だと感じました。
第1回大会参加者1603組が、第10回で4835組まで増加した。本人いわく、「M1がなかったら芸人を辞めていたかも」人材発掘のためにコンテストは必要です。
M1ぐらんぷりに4年間のブランクがあったことは知りませんでした。(だから、DVDがレンタル店においてないのかと気づきました)
これから、関東芸人の自分たちが優勝できなかった言い訳をするそうです。
いいわけのひとつは、漫才には関西弁が合うということです。いろいろ書いてあります。「『なんでやねん』は魔法の言葉」納得できます。
「しゃべくり漫才」、「コント漫才」。ボケとツッコミというのは、わたしには実際の漫才を見ていてもどっちがどっちなのかよくわかりません。両方を演じているコンビもいるように見えます。知っていてとぼける、あるいは、知らずにとぼけるのが、ボケのほうとも思えません。
知らないことが多いので、勉強のためのテキストを読むつもりで読んでいます。「NGK:なんばグランド花月」、「NSC:吉本総合芸能学院」
上方漫才は、きちんとしたかっこうをする。スーツとネクタイなど。
「練習しすぎないようにする」、漫才はお客さんといっしょにつくっていくもの。無観客の前でやっても得るものがない。
コンビだからといって、必ず仲がいいわけでもない。
調べた言葉として、「あざとい:抜け目なくあくどい」、「色物:寄席で、落語と講談以外の芸。東京では漫才が色物。関西では逆」、「漫才は、東京では靴下姿でやる。関西では、靴を履いてやる」
愛知県出身のスピードワゴンは異色。漫才の定義が狭かった時代だったので彼らの漫才が受け入れられないことがあったことは残念とのこと。
(つづく)
「M-1は100メートル走」の説明には納得します。
ひたすらダッシュの内容のなかで、2010年のスリムクラブは逆転の発想でおもしろかったという部分に共感します。DVDで観ました。無言の時間帯がとても長かった。でも、大笑いできました。新鮮でショックを受ける漫才でした。本人たちの個性が放つ魅力が大きかった。
M1は、持ち時間が、一回戦で2分間しかないそうです。短い。二・三回戦で3分間、以降が4分間だそうです。
参加者の数が多いからしかたないのでしょう。テレビ的です。
ネタ=よくできている話。だれでもできる。いろんな人が演じることができる。フリートークとは異なる。(このへんは、簡単には理解できそうにありません)
調べたことなどとして、「ギャロップ:林健 毛利大輔 吉本興業」、「ミキ:昴生こうせい、亜生あせい 兄弟 吉本興業」、「内海桂子師匠:現役、97歳」、「自家薬籠中:じかやくろうちゅう。いつでもすきなときに使うことができる。自分の薬箱の中にある薬のたとえ」、「隘路:あいろ。狭くて通行困難な道」、「貶める:おとしめる」
著者は、アメトークで、運動が苦手な芸人というコーナーで出ています。運動のできなさがとても笑えるのですが、この本では、漫才を学者さんのように分析されておられます。人には、複数の面があると知るのです。
ぼけとつっこみと客席が三角になって雰囲気をつくって笑いを生み出すということを強調されています。共感します。客席を意識しないと漫才ではなく、コントになるそうです。
いろいろ読んでいると、阪神巨人さんというのは偉大であることがわかります。
志望動機が、幼稚園の時にうんちをもらして、ばかにされて、いじめられて、そのストレスをドリフターズや俺たちひょうきん族で解消して、自分も笑いをとる人になりたいと考えて、「うんこの歌」をつくって、人気者になって、小学生で、お笑い芸人になることを決心したとあります。
だから、お笑い芸人の仕事を苦しいとは思わないそうです。むしろ楽とあります。
上達のコツは、とにかく1本でも多くのネタを書くこと。
台本は細かく書かない。箇条書きとおおまかな流れでいい。
自分らしさをだすために、M1で優勝をめざさない。
関西弁とか江戸弁のところを読んでいるときに、フーテンの寅さんの口上(こうじょう。型にはめた口頭伝達)を思い出しました。
言葉の学習本のようです。
本音がいっぱい書いてあるいい本です。
準決勝、そして、決勝にもってくるネタがむずかしいそうです。M-1は新しいものを求めているのですが、新しすぎるネタを打つと空振りしてしまう。かといって、古いネタでは、飽きられる。
印象に残ったフレーズなどとして、「漫才において、笑いと時事ネタは相性がいい」、「笑いは庶民が権力者に対抗するために身につけた最強の武器」、「言い間違え漫才」、「練習しなければならないネタは、機械っぽくなってしまう」、「霜降りは、お客さんに喜んで欲しいという思いが体全体からあふれ出ていた」
芸人さんは、学校時代にいじめにあっていた人が多い。芸人には、笑いでいじめをはねかえす強さがある。
いい本でした。
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